ヴィクトリアの魔法によって怪我の消えたルゥだったが、ヴァージルのそばに近寄れなかった。
自分のせいで、ヴァージルやヴィクトリアを危険な目に合わせてしまった――ルゥ自身が、そう考えていたからだ。
 
「ルゥ」

 ヴァージルからルゥのそばに行き名前を呼べば、ルゥはびくりと体を震わせた。

「……御主人、様」
 
 申し訳無さそうに返事をしたルゥは、目を潤ませて、勢いよく頭を下げた。

「ご迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ございませんでした!」

 ヴァージルは、ルゥの行動に大きく目を見開いた。まさかそれほどまでルゥが悩んでいたなんて、ヴァージルは思っていなかった。

「僕が、もっと強くて捕まったりなんかしなかったら、御主人にも花嫁様にも、ご迷惑をかけることはなかったのに。本当に、本当に、申し訳――」
「ルゥ!」

 謝罪の言葉を並べるルゥの小さな体を、ヴァージルは抱きしめた。

「御主人……様?」

 自分を守ってくれる、唯一の人。この世界で、自分にとって最も貴い人――そんな相手の違和感に気付いて、ルゥは尋ねた。

「どうして震えていらっしゃるのですか? もしかしてご主人様も、どこかお怪我をされたのですか? でしたら、僕に傷を見せてください。お怪我が治るまで、お世話させていただきます」

 幼さを感じさせる、少しだけ舌足らずな発音。
 それでも一生懸命に自分を思う小さな命を離さないように、ヴァージルはルゥを抱きしめる腕に力を込めた。
 五〇〇年前『月』を失い、それでもここ最近はまだ幸福を感じられたのは――簡単に失われる弱いその生命《いのち》のおかげだったと、改めて彼は自覚した。

「……御主人様。そう強く抱きしめられたら、僕、何も出来ません」
「何もしなくていい」
「えっ?」

 てっきり失態をおかした自分は捨てられるかもしれないと思っていたルゥは、返ってきた言葉にどう反応していいかわからなかった。

「しなくて良いから――これからはもう二度と、あんなことは言うな」

「あんなこと……?」

 ルゥはダンに捕らえられたとき、自分の命よりヴィクトリアを優先するようヴァージルに告げたことを思い出した。
 所詮自分は『白色コウモリ』。
『吸血鬼の花嫁』と比べたら、存在価値など無に等しいとルゥは考えていたのだけれど――。

「これからも……僕を、おそばにおいてくださるのですか?」
「当たり前だ」

 ヴァージルは即答した。

「お前は……俺の子だろう?」
「え?」

 ルゥは、ヴァージルの言葉が一瞬理解できなかった。
劣等種とされる『白色コウモリ』である自分を、親に捨てられた自分を、『先祖返りの吸血鬼』が自分の子どもであると言うなんて――そんなことが本当にあり得るのだろうか。

「あ……あの、ごしゅじん、さま」

 小さな手でヴァージルの服を掴んで、ルゥは意を決して、世界でいちばん大切な人に尋ねた。

「これからは、お、おとぅさまと、そう呼んでもいいですか?」
「……ああ。ルゥ」

 ヴァージルは、そっと優しく子どもの頭を撫でた。
 
「はい。お父様!」

 ルゥに勢いよく抱きつかれて、ヴァージルは一瞬体をよろめかせた。初めて見る、遠慮のない子どものようなルゥの姿を見て、ヴァージルは少し困ったような顔をして、優しく微笑んで再び子どもの頭を撫でた。

「ヴァージル」
「……ルーファス」

 『白色コウモリ』とのやりとりを見ていたルーファスは、躊躇いがちに、かつて喧嘩別れをした相手に声をかけた。

「どうしてあのとき、何も言わなかったんだ。お前が、今まで陛下のために動いてきたことも、全部――」
「言ったとしても意味が無い。私たちが、あの方をお救いでき無かった事実は変わらない」

 ルーファスの問いに、ヴァージルは淡々と答えると、ルゥを自分から優しく離して、ヴィクトリアの前に跪いた。
 
「――陛下。私、『ヴァージル・ド・ラ・ヴァレンタイン』は、新魔王『ヴィクトリア・アシュレイ』様に、永遠の忠誠と敬愛を捧げます。今度はどうか私に、貴方をお支えすることをお許しください」

 ヴィクトリアは、ヴァージルに自身の手を差し出した。
 ヴァージルはその手を取ると、ヴィクトリアの手の甲に口付けた。
 
 だが――。

「……っ!」

 格好がついたのはそこまでで、ヴァージルは立ち上がろうとしてよろめくと、口を押さえてルーファスに寄りかかった。

「何故俺にもたれかかる!」
「五月蠅い。黙れ。声が頭に響く」

 ルーファスは不機嫌そうな顔をしながらも、ヴァージルの体を支えていた。

「だ、大丈夫……?」

 ヴィクトリアは心配になって、ヴァージルに尋ねた。しかし彼から返ってきたのは、全く予想していなかった言葉だった。
 
「も、申し訳ございません。陛下。血を吸ったのは初めてで、少し、胸焼けが……」

(そんな、病人が久しぶりに固形物食べたみたいな言い方……)

 少し傷つく。
 ヴィクトリアが肩を落とすと、それに気付いたルーファスがヴァージルを睨みつけた。

「ヴァージル。お前、陛下のお体に牙をたてておいてふざけているのか」
「体を揺らすな。ルーファス」
「ルーファス。ヴァージルを離してやれ」

 一発触発の事態に、冷静にレイモンドが仲裁に入る。
レイモンドがヴァージルの体を支えると、気を利かせたルゥがどこからか椅子を運んできて、ヴァージルはようやく一息つくことができた。

「陛下、おかげはありませんか? また治癒魔法を使われたようですが」
「うん。大丈夫だよ。ありがとう、ルーファス」

 『あんな無礼な男は放っておきましょう!』
 珍しく厳しいことを言うルーファスにヴィクトリアは頷いて、それからダンによって壊された、デュアルソレイユの幼馴染たちからもらった髪飾りを拾って眉根を下げた。

「せっかくもらったのに、壊れちゃった……」

 ヴィクトリアが沈んだ声で呟くと、カーライルは彼女の手から、髪飾りをとった。
 
「カーライル?」
「直します。これは、貴方にとって大切なものなのでしょう」
「破片を集めましょう。あの男が拾ったのなら、欠片も見つかるはずです」

 ルーファスが続けて言えば、黙っていたルイーズが手を挙げた。

「ヴィクトリア様……! どうか私にも、協力させてください。その髪飾りを直す、お手伝いをさせてください!」

 『吸血鬼族』としてではない――ただの『ルイーズ』としての申し出に、ヴィクトリアは少し驚いて、それからゆっくり頷いた。

「……うん。みんな、ありがとう」


◇◆◇


「……で、そうなったわけ?」

 久々にデュアルソレイユに足を運んだヴィクトリアは、少し不機嫌そうなアルフェリアに出迎えられた。
 演劇を見て、過去をフラッシュバックさせ、突然姿を消したせいで怒られるのは予測していたが――久々に会いに行くとズカズカ大股で近付かれ、いきなり抱きつかれたかと思うと、全身くまなく調べられて『怪我はしていないのね?』と言われたときは、ヴィクトリアはやはりアルフェリアのことを、大好きだなあと思ってしまった。

 若干強引でわがままで横暴で、イケメンへの玉の輿を狙ったりもしている幼馴染ではあるが、一人の人間として見たら、とことん面倒見が良くて優しいのだ。

 だからこそヴィクトリアは、そんなアルフェリアに髪飾りを壊したことを告げるのが少し怖かった。

(怒られる……よね?)

 カーライルたちによって破片まで集められた髪飾りは、最終的に全て繋ぎ合わせられたが、繋ぎ目を隠すために魔族の一同が持ち寄った金やら宝石やらがつけられてしまったのだ。

素朴な髪飾りが、宝石マシマシの見るからにお嬢様のアイテムになってしまって……変わり果てた姿に……。

「ご、ごめん。壊れちゃって、みんなが私のために直してくれたら、こんなことになっちゃって……」

「言ってくれたら、新しいのをプレゼントしたのに」

 ヴィクトリアが申し訳無さそうに言うと、アルフェリアは特に気にしていないような顔をして言った。アルフェリアの行動を、若干引き気味に見つめていたエイルも、その言葉に頷いた。

「二人がくれた物だから、大事にしたかったんだよ」
「まあ、贈り物を大切にされて悪い気はしないわね」

 アルフェリアは、偉そうに腕組みして目を細めた。

「で?」
「うん?」
 
「ヴィクトリア。つまり貴方は散々心配させて、私が知らない間に、新しい男と女を作ったってワケね?」

「そ、そんなんじゃないけど……」

 ルイーズは今後ヴィクトリアの侍女として、リラ・ノアールで暮らすことになった。
 
(何故かとても懐かれてしまったんだよね……)

 自分なんかにかまけずに好きに生きてほしいと思うヴィクトリアだったが、正直生活能力の低さには自覚があるため、着替えなどは助かるというのも事実だった。流石に、自分に好意を持ってくれている(らしい)ルーファスに頼り切るわけにもいかない。
 リラ・ノアールの城は、カーライルの考えもあってヴィクトリアと年の近い女性がほとんどいないため、これからは信頼できる同性がそばにいてくれることはヴィクトリアも嬉しかった。

 アルフェリアとしては、髪飾りを壊したことより、そちらのほうがお気に召さなかったらしい。
 ヴィクトリアは、腕組みしたままぷいと自分から顔をそらしたアルフェリアに、機嫌を直してもらおうと努力した。

「お、怒らないで。アルフェリア。今の私の一番の理解者は、ずっとずっとアルフェリアだから!」
「その言葉、忘れたら承知しないわよ」

 アルフェリアはにっこり笑って、ヴィクトリアの手をゅっと握った。ヴィクトリアにはその笑顔が、笑っているようには見えなかった。

(あ、アルフェリアが怖い……!)

「ヴィクトリア様」
「陛下、お迎えに参りました」

「あっ。う゛ぁ、ヴァージルさん、ルーファス!!」

 そんなヴィクトリアのもとに、三匹の金色狼、その背に乗るレイモンド、そしてルゥを腕に抱いたヴァージルが、空を飛んでやってきた。

 ヴァージルとは幼いときに少しの間しか接していなかったこともあり、ヴィクトリアは結局、ヴァージルだけさん付けで呼んでいる。

「俺がお連れする。お前は帰れ」
「彼女は私の『花嫁』だ」

 相変わらず顔を合わせれば喧嘩ばかりの二人を、ヴィクトリアは黙って見つめていた。
 慣れてくると、一周回って仲良く見えるから不思議だ。

「最初の吸血は、ヴィクトリア様自らお命じくださった。つまりそれは、私を人生の伴侶として選んでくださったのと同義だ。それに、ルゥも陛下にはよく懐いている」

 今回の件で、ヴィクトリアはヴァージルにとっての『吸血鬼の花嫁』になった。
 ただヴァージルがヴィクトリアに何かを強制することはなく、ヴィクトリアの結婚相手は今のところまだ決まっていない。

『陛下のご決断に従います』
 本来当人の意思を無視してヴィクトリアを縛ることも出来るであろうヴァージルは、最近は『花嫁を得た先祖返り』として、一族をまとめることに尽力している。
 彼の傍らには常にルゥがいて――定期的に血が必要なこともあり、ヴァージルは最近はよくヴィクトリアの元を訪れている。

「陛下。また血を戴いても……?」
「う、うん。大丈夫だけど……。みんなの前だし、ここだと、ちょっと恥ずかしい。……かな?」
「では、また陛下の部屋に伺ってもよろしいですか?」

 甘さを含む低い声で囁かれ、ヴィクトリアは頰を染めた。

「そうだね。私の部屋に来てもらえたら大丈夫だよ」
「ありがとうございます。陛下。いえ。――私の『花嫁』」

 ヴァージルだけの呼称に、ヴィクトリアは照れてしまった。そう呼ばれると、首筋に牙を突き立てられる感触を思い出して、顔に熱が集まってしまう。

「ふざけるな。陛下の部屋で何をするつもりだ!」

 乙女のように恥じらうヴィクトリアを見て、ルーファスはキャンキャン吠えた。

「陛下が穢れる!!!」
「別に少し血をわけていただくだけだ。お前の考えているようなことはしない。ルーファス。お前の頭が汚れているんじゃないのか」

「血が目的なら、こう何度も必要は無いだろう! それに、いつも子どもまで連れてきて! 陛下のお心を乱すために、子供をだしにするな。卑怯だぞ!」

「一度に沢山血を抜くとお体に障る。お前にはそんなことも知らないのか? だいたい、それを言うならお前も変わらないだろう。自分のところの子供を二人も側に置かせておいて、私のことを悪く言える立場か?」

「俺はお前と違って子持ちじゃない!」
「お父様、やはり僕は、ここにいたら駄目な子なのでしょうか……?」
「いや、そ、そんなことは……」

 ルーファスは、ルゥの言葉に怯んだ。
 ルゥの可愛さは、吸血鬼族の敵である金色狼にも有効らしい。最近のルゥは、金色狼の少年たち――カイルやレンに、弟分として可愛がられている。

 もふもふと天使(あざとすぎて小悪魔かもしれない)が戯れる景色は絶景である。三人は究極の癒しだと、ヴィクトリアはこっそり考えていた。

「幼子を泣かせる男、か。ルーファス。このこと、ヴィクトリア様はどうおもわれるだろうな?」
「お前……っ!」

 レイモンドと同様、ヴァージルも言葉が多い方ではないが、ルーファスを煽る性質は彼の方が高いらしかった。ヴァージルとルーファスが二人揃ったときに見せる二人の表情は、ヴィクトリアは嫌いではなかった。

(ルーファスも、あんな表情するんだ)

 幼く見えて、少しだけ可愛く思える。
 ……まあ実年齢で言えば、彼らの方が今はもうだいぶ年上なわけだが。
 五〇〇年の時は長く、その中でも一途に自分を想ってくれた彼らの愛情は今日も甘くて重い。

「ヴィクトリア」
「レイモンド」

 二人の喧嘩をぼんやり眺めていると、ヴィクトリアはレイモンドに肩を叩かれた。

「帰るぞ」
「うん」

 ヴィクトリアは、レイモンドに差し出された手をとった。

 自分の周りを満たす声が、笑い声だけではなくても、それでもヴィクトリアの心は晴れやかだった。『新魔王』として、これからやるべきことはまだまだ山積みだ。それでも自分を信じてくれる彼らと共になら、今のヴィクトリアはどんな未来でも受け入れられるような気がした。

「お乗りください。奥方様!」
「それでは、みんなで帰りましょう。魔王の城、リラ・ノアールへ!」

 金色狼のカイルとレンは、レイモンドとヴィクトリアを背に乗せて、元気よく地面を蹴った。



『転生魔王は誘拐される!』了