「ない! ……ない! やっぱりない!!!」

 翌朝、髪留めがなくなっていることに気付いたヴィクトリアは、慌てて部屋の中を探し回っていた。

(まずい。ただの人間の少女が、魔法のかかった髪留めを持っているなんて怪しすぎる!)

 髪飾りへの細工は、ヴィクトリアも最初は気付けなかったこともあり、そうそうバレることはないのだろうが――ルーファスの気配を感じ取ったヴァージルがうっかり拾って、気付かないとは限らない。

「もうお部屋にはなさそうですね。花嫁様、昨夜眠られる前に、髪留めがあるか確認されましたか?」

 一緒に探していたルゥに尋ねられ、ヴィクトリアはうーんと腕組みして昨夜のことを思い出してみた。

「昨日の夜は――……」

 ヴァージルとお茶会をして、ルゥの美味しいデザートを食べて――ちょっと事件があったから………………髪飾りは、夜にはすでになかったような気もした。

「……もしかしたら、夜からなかったかもしれない」

「では、昨日どこかで落とされたのかもしれませんね。飛び降りたりもされていましたし……」

「…………」
 心当たりが多すぎる。
 ヴィクトリアが頭を抱えていると、悩みの種である当の本人が部屋の中に入ってきた。

「何があった?」
「御主人様!」

 ヴァージルの姿を見て、ルゥの表情がぱっと明るくなる。

「声が廊下まで響いていた。何故、部屋がこんなに荒れている?」

 ヴァージルは、髪飾りを探すために荒らされた室内を見て眉を顰めた。

「花嫁様がこちらにいらしたときからつけていらっしゃった、髪飾りが見当たらないそうなのです。どうやらどこかに落とされたみたいで」
「あっ。ルゥくん……っ」
 
 時すでに遅し。
 ヴィクトリアが止める前に、ルゥはヴァージルに話してしまった。

(言わないで欲しかったのに!!!!)

 ヴィクトリアの考えなどつゆ知らず、名前を呼ばれたルゥはこてんと可愛らしく首を傾げていた。

(可愛いけど……可愛いけども……っ!)

 ルゥが純粋な良い子すぎて手綱が取れない。
 これがルーファスなら、『陛下の秘密は私が守ります』とにっこり微笑んでくれるところなのだが……。

「すいません。お騒がせしてしまって――」

 ヴィクトリアは、その場をごまかすことにした。
 ――だが。

「……そうか。なら、私も共に探そう」

「えっ?」

 意外な言葉をヴァージルが口にして、ヴィクトリアは思わず口をぽかんと開けた。

「だっ大丈夫です! ヴァージルさんの手を煩わせるようなことじゃないです!」

「だが、これほど慌てるということは、大切なものなのだろう? なら、それを私が共に探すのは、当然のことだ」

 ヴィクトリアは、ヴァージルの発言に目を瞬かせた。

「意外そうな顔をしているな。私が代わりに新しいのを用意すると言うと思ったのか?」

「……いえ」

 ヴィクトリアは、静かに視線を逸らした。
 これは他の三人にも言えることだが、ヴィクトリアの周りの魔族たちは皆、彼女が望むものを与えることなんて簡単なのだ。
 幼馴染の人間がくれた髪飾りなんて、無くしたとしても気に留める必要なんてない。
 ――でも。

(どうしよう。『嬉しい』って、思ってしまった)

 彼の言葉に、胸が熱くなる。ヴィクトリアは、胸の前でぎゅっと拳を握りしめた。

「確かに昔の私なら、君にそう言ったかもしれない。……ただ、今は。本当に大切なものだったら、決して無くしてはならないと、そう思うのだ。そうでければ何十年何百年……ずっと、思いを引きずることになる」
 
 ヴァージルはそう言うと、少しだけ唇を噛んだ。
 
「ヴァージルさん……」

 それは――『ヴィンセント』のことを言っているんだろうか。
 ヴィクトリアには、彼が感傷的になる理由を訊くことができなかった。ただ彼の真剣な声と眼差しに、ヴィクトリアは胸が締め付けられた。

(なんで、私――……)

「…………ヴィクトリア?」

 ヴィクトリアが下を向いて黙っていると、ヴァージルは気遣うように手を伸ばした。
 まるで彼女を慰める心優しい男のように――……だが。

「そうだ。あの時、落とされたのかもしれません! 御主人様が花嫁様を押し倒されたときです!」

 その時、ムードをぶち壊す大声が、部屋の中に響いた。
 ヴィクトリアに触れようとしていたヴァージルは、すぐさま手を引っ込める。
 ヴィクトリアは安堵と共に頭痛がした。

(ルゥくん……! それは、本人の前では元気に言わないでほしいかな!?)
 
 ルゥの中では、あの押し倒し事件は『キラキラな出来事』だったのかもしれないが、当人(ヴィクトリア)がそう認識しているとは限らない。

「僕、外を探してきます!」
 
 ルゥはそう言うと、さっそうと部屋を出ていった。
 引き留める隙もない。
 ヴィクトリアは、呆然と立ちすくむしかなかった。

「行っちゃった……」

 そうして、二人きりになった室内で、ヴァージルがポツリ呟いた。

「押し倒した、か……」

 ヴィクトリアはびくっと肩をはねさせた。

(な……なんで、二人になってから蒸し返すの!?)

「君は、私にああされるのは嫌だったか?」

 ルゥがいなくなったためか、ヴァージルはヴィクトリアとの距離を詰めた。
 手を取られて微笑まれると、ヴィクトリアはヴァージルを直視できなかった。

(この人、絶対自分の顔の良さわかってやってるでしょう!?)

 転生してからは人間界で過ごしていたこともあって、魔族の彫刻のような顔の造形は久しく見ていなかったのだ。しかも、ヴァージルは自分のよく知る三人とは方向性が違うためまだ慣れていない。

(……でも、私だって負けないんだから! キラキラオーラに当てられてなるものか!)
 
 ヴィクトリアは、じっとヴァージルを見つめ返した。
 すると、彼の顔が近づいてきたのがわかって、ヴィクトリアはヴァージルの胸を押して彼から離れた。

「……い……」
「い?」
「いっ許婚さんには、私のことは話されているんですかっ!?」

 婚約者がいるのに、不倫、ダメ絶対!
 その気持ちは、ヴィクトリアの本心だった。
 『新魔王』としては、『吸血鬼の花嫁』という立場は確かに様々な問題が解決できるから魅力的ではある。
 だが、ヴィクトリアはルイーズを傷つけたいわけではないのだ。
 それに――もしルイーズがなにも聞かされておらず自分の存在を知ってしまった場合、それこそ『衝突』が起きる可能性がある。

(そのあたりのこと、どう思っているんだろう?)

 ヴィクトリアが上目遣いでヴァージルを見上げていると、彼はあっけらかんとして答えた。

「いや、まだ言っていない。だがそもそもあれは、周囲が勝手に決めたことだ。彼女は『魔王の妃』として育てられてきた。だが私は、魔王になるつもりはもとよりなかった」

「『魔王の妃』……?」
「ああ。だから、そもそも私と彼女は、そういう関係にはなり得ない。彼女が、周囲の傀儡である限り」

(傀儡……?)

 その言葉が、何故か妙に引っかかった。
 ヴィクトリアが考え込んでいると、ヴァージルはその隙に、彼女の髪を一房とった。

「……君さえ側にいてくれたら、私はそれでいい」

 そして、髪に口付ける。
 ヴィクトリアは驚きが隠せなかった。一瞬固まって――それから、何が起きたか理解して、一気に顔が赤くなる。

(もはや吸血さえしなければいいと思ってない!?)
 
 ヴァージルは、そんなヴィクトリアの反応にくすっと笑うと、今度は腰に手を回して、彼女の体を引き寄せた。
 今度は――本当に、唇が口元に降りてくる。

(き、キスされる……!?)

「だ、だめっ!」
 再び強く彼の体を押したヴィクトリアだったが、魔法の使えないヴィクトリアの手を、ヴァージルは軽く掴んでふっと笑った。

「私の花嫁は力が強いな。だが――それも、悪くない」
「~~~~ッ!!」

 余裕たっぷりの甘い声で耳元で囁かれると、心臓の鼓動が速くなる。
 『花嫁』としてともに過ごす中で、少しずつ彼が大胆な行動を取ってきていることに気付いて、ヴィクトリアは頭が混乱してしまった。

(私に『ヴィンセント』の記憶があるってわかったら、ヴァージルさんもこんなことしないんだろうけど、けど……! やっぱり慣れない!!!)

 早く事件を解決させてヴァージルから距離を取らなければ、危ない気がする――ヴィクトリアはそんな予感がして、ドアノブに手をかけた。

「私、ルゥくんを探しに行きます!」


◇◆◇


『ヴィクトリア。きこえますか? ヴィクトリア』

 地面に落ちた髪飾りから、カーライルの声が響く。

『先日から少し調子が悪いようです。陛下には聞こえているそうなのですが――』

 続いてルーファス。彼の言葉を聞いて、カーライルは頷いた。

『なるほど。では、このまま続けましょう。ヴィクトリア。デュアルソレイユで起きていた事件について、有力な情報がわかりました』
 
 本来なら、装着したものにしか聞こえないはずの魔法。だから、カーライルも油断していた。
 まさか、その壊れた髪飾りを、今ヴィクトリアが身に着けていないとも知らずに――。

『事件現場から立ち去ったのは、黒髪の男ではなく、銀髪の女だったそうです。この話が本当なら、この事件の犯人は、彼ではなく――……』

 そして、カーライルが最後まで話すより前に、それを聞いていた男は、髪飾りを踏みつけた。

「ははっ! 花嫁ではなく間者じゃないか」

 壊れた髪飾りを見下ろして、男――ダン・モルガンは、小馬鹿にするように笑った。

「これでもう、わかっただろう? あの女を、このまま生かし続ける理由はない」

 彼の後ろには、下を向く銀髪の少女が立っていた。
 
「ルイーズ。――取り戻そう。俺たちの『王』を」