光を浴びてキラキラと輝く透明なそれは、スプーンの上でぷるんと揺れた。
 胸を高鳴らせながら頬張ったヴィクトリアは、口の中で柔らかく崩れる新食感に思わず声を上げた。

「美味しい!」

 ヴァージルとの仲直りも兼ね、用意された茶会には、皿の上で揺れる透明な物体が並べられた。
 薄っすらと明るい黄色や赤で色づけられた食べ物の中には、ヴィクトリアもよく知る果物が入っていた。
 
(こんなことしてる場合じゃないかもしれないけれど、これは本当に美味しい……!)

 甘味には目がないヴィクトリアが思わずもう一口とスプーンを伸ばすと、そばで見ていたヴァージルがくすっと笑った。

「気に入ったか? それは、私が果物ゼリイとよんでいるものだ」
「くだものぜりい?」

 聞き覚えのない名前に、ヴィクトリアは思わず聞き返す。

「ルゥが作った。『ゼゼリウム』の可食部だけを取り出して、加熱すると形が崩れるらしい。程よく熱が冷めたら、果汁と果物を加えて混ぜる。後は器に注いで冷やしたら、このように綺麗に固まるそうだ」

「!」

(え!? これがあの『ゼゼリウム』なの……?!)

 魔素の影響で、セレネの植物は魔物のような形をしていることがある。

 イーズベリーがその代表だが、他にも、目玉のような物が身の中に詰まっているものもあったりする。
 『ゼゼリウム』とよばれるその果物は、目玉部分の、ニュルッとしたところが意外と甘くて美味しいのだが、核であり種である目の部分はいささか問題を抱えている。
 
 一般的に、セレネでの『ゼゼリウム』の食べ方は、目玉をグラスの中に落とし込み、果物を添えたあとに冷たい果実の搾り汁を注ぐというものなのだが、それだとどうしても見た目が悪い。

 食べる時に、ぎょろりとした目と目が合ってしまうのだ。
 しかも、果汁が目に入って『しみる』のか、グラスの中の目玉はぎゅるぎゅると動き続けるのである……。
 その時の奇っ怪さとグロテスクさといったらない。
 まあある意味、セレネらしいといえばらしいのだが――。

(目玉を貪り喰らうデザートなんだよね……)

 だが今回用意された『果物ゼリイ』は、見事にその気持ち悪さを克服していた。

(核を先に取り外してるから暴れることもないし、食べやすい! 疲れたときにはぴったり! 自然な甘さでとても美味しい!!)

 素晴らしい発見だ!
 ルーファスは基本何でもできる男だが、獣の性分か、こういう細やかな気遣いという点ではルゥに劣るのかもしれない――ヴィクトリアはそう思った。

「……すまない。君は知らない話だったな。『ゼゼリウム』というのは、セレネにしかない果物なんだが、味はいいんだが見た目が最悪でな。実を割ると、中に大量の目玉が入っているんだ。種を覆うように透明なものが纏っていて、これはその透明な可食部を利用した歌詞だ」

 ヴィクトリアもゼゼリウムの形は把握している。
 だが、彼女をただの人間だと考えているヴァージルは、丁寧に説明をした。
 ルゥの真面目さや丁寧さは、主人譲りのようだ。

「美味しくはあるんだが、あの目玉はどうにも受け付けなくて……。私が躊躇していたら、ルゥがこの方法を考案した」

(ルゥくん、なんてできた子なの……! 可愛い上に賢い!)

「ルゥくん、本当に手先が器用だしいい子ですよね。すぐにいろんなことに気がついてくれるし」

 ルゥは献身的だ。
 その体の小ささもあいまって、彼の努力は際立って見える。

(白色コウモリでさえなければ、きっと彼は、いろんな人に愛されただろう……)

 セレネで生きる限り、ルゥに後ろ指をさす者がいることは間違いなかった。
 でもそれは人間としての価値観で、魔界セレネでは彼のような性分は利用されるだけに終わる確率のほうが高いことは、ヴィクトリアも理解していた。
 弱肉強食のこの世界で、彼の善性は他者に付け入る隙を生む。
 美しいその外見も、献身的なその性格も、自身に従属させるに相応しいと――。

「そうだな。生まれや姿がどうあれ、ルゥの称賛すべき点だろう。だがそもそも色なんて、勝手に他人が分類しているに過ぎない」

 ヴィクトリアがルゥを思って胸を痛めていると、ヴァージルが果物ゼリイを食べながら当然のように言い切った。
 ヴィクトリアは、目を瞬かせた。
 まさか――そんなことを言う魔族が、このセレネに存在しているなんて。

(やっぱりヴァージルさんの考え方、私の理想に近いんだよね)

 ヴィクトリアは、胸が熱くなるのを感じた。
 彼が自分と、同じ景色を見つめてくれているように感じて。

 セレネの常識ではなく、ヴァージルは自分の考えを一番大事にしている。ヴィクトリアは、それが嬉しかった。
 勿論そのせいで、余計な軋轢《あつれき》を生む可能性はあるのだが――。

「……ヴァージルさんはルゥくんのこと、どう思っているんですか?」

(ヴァージルさんが私と同じ考えなら、今の吸血鬼族が返り咲くことは、ルゥくんにとって良くないとわかっているはず)

「大切に思っている。……だが」

 ヴァージルはスプーンを置くと、静かに目を伏せた。

「どうにも、上手く気遣ってやれない」

 少し自信なさげに、自嘲気味に笑みを浮かべたヴァージルに、ヴィクトリアの胸はつきりと傷んだ。

「そんなことありません。ルゥくんは、きっとヴァージルさんのこと大好きだと思います」

 出会ったばかりの自分に母になって欲しいと言ったルゥを思い出して、ヴィクトリアはまっすぐヴァージルの目を見て言った。
 あれはそもそも、ヴィクトリアがヴァージルの花嫁だからこそ出た言葉だと、彼女は考えていた。

「引き取ったのが貴方だったから、ルゥくんは今、笑っているんだと思います」

「……君は、ルゥのことをどう思う?」
「私ですか?」

 何故、そんなことを聞くのだろう? ヴィクトリアは疑問に思いながらも微笑んで、心からの言葉を口にした。

「可愛いと、思います」

 ヴァージルは、ヴィクトリアの返事を聞いて、安堵したかのようにほっと息を吐いた。

「ヴィクトリア。君が私の花嫁になったら、その時は――」

 だが、その時だった。
 ヴァージルの体はがくりと前に倒れて、ヴィクトリアは慌てて彼に手を差し伸べた。
 スプーンの落ちる金属音が響く。

「ヴァージルさん!」

「すまない。……目眩、が、して。君に迷惑を……」

 見るからに、ヴァージルの顔色は悪かった。

(もしかして長く血を吸ってないせいで、貧血だとか……?) 

「私は大丈夫です。ヴァージルさんは大丈夫ですか? 私が支えますから――立てますか?」

「ああ。ありがとう――。うっ」

「え?」

 だがその時、ヴァージルの体はヴィクトリアの方へと倒れた。
 本日二度目の押し倒し事件。だが、今回はヴァージルが上だ。

(絵面が! 絵面がとてもまずい! こんなところ他人に見られたら、絶対誤解される!!!)

「う゛ぁ、う゛ぁーじるさんっ!」

 ヴィクトリアは懸命にヴァージルの体を押した。だが、今のヴィクトリアが強化魔法を使えないことと、ヴァージル自身の体の大きさや力もあって、彼の体をどかすことは、今のヴィクトリアには出来なかった。

 そしてヴィクトリアには不運なことに、そんな二人の前に、気遣いのできる優秀な白色コウモリ、ルゥがやってきた。

「御主人様、花嫁様! お茶のおかわりはいかがですか?」

 ルゥは、『御主人様に押し倒される花嫁様(のように見える)』を見てぴたりと固まり――それから、そっと後ろに下がってにっこり笑った。
 ルゥは御主人様と花嫁様の幸せを願う、気が利く良い子なのだ。

「…………どうぞ、そのままお続けください」

(そんな気遣いいらないよ!? ルゥくん!?)

「待ってルゥくん! これは、そういうんじゃないから!」

 ヴィクトリアは、慌ててルゥを引き止めた。
 

◇◆◇


 ルイーズ・モルガンは、一人屋敷の中を走っていた。
 一族が決めた『許婚』の城で、初めて見たヴァージルの笑顔を思い出して、彼女は胸を抑えた。

「お嬢様!? お城に行かれたのではなかったのですか!?」

 モルガン邸に仕えるコウモリ族の少女は、髪を振り乱して廊下を走る『お嬢様』の姿を見て尋ねた。
 『お嬢様』は、許嫁である吸血鬼の当主に会いに行ったはずなのに、あまりにも帰りが早すぎる。

「一人にして!」

 ルイーズは自分の部屋に入ると、壁に背中をつけてずるずると

「……嘘。嘘よ! ……嘘にきまっているわ……!」

 頭の整理が追いつかない。
 カーテンで閉じられた暗い部屋には、彼女の嗚咽だけが響く。

「ルイーズ。戻ったのか?」

「おにい、さま……?」
「開けるぞ」

 ダンは、目に涙を浮かべる妹を見つけて、すぐに膝を折って彼女と視線を会わせた。

「……何があった?」
「あの方が……あの方が、私ではなくあの少女を自分の花嫁にすると――」

 ルイーズは、ぽろぽろと涙をこぼしながら言った。

「あの方が、私以外の者を『花嫁』に選んだら私は……! お父様は、きっと私をお許しにはなりませんわ……!」

「落ち着けルイーズ。あの女とは誰のことだ? ヴァージルが、お前以外を選んだというのか?」

 ルイーズは、こくりと頷いてこたえた。

「そうです。コウモリ族の少年といた、あの少女です」

「……ヴァージルめ。ふぬけのうえに、一族の決断に逆らうのか」

 ダンの声は低かった。
 そして彼は、傷付いた妹を気遣うように、膝を折ってそっと彼女の涙を拭った。

「可哀想に。お前だけが、この世界で唯一ヴァージルの妻になるべき女だというのに。大丈夫だ。お前の献身を知れば、必ず奴もお前に振り向くはずだ」

「でも、彼女はどうすれば……?」
「どうせ名もなき種族の女だろう? そんな邪魔な女など、消してしまえば良い」

 涙を流していたルイーズは、兄の言葉にぴたりと泣くのをやめて、信じられないものを見るかのような表情をして兄を見上げた。
 ダンは視線に気づくと、自分を見つめる妹に優しげに微笑んで、残酷な言葉を口にした。

「それは……彼女を手にかける、ということですか?」

 ルイーズの声は震えていた。

「下賤の者が、尊き吸血鬼の一族のために死ねるのだ。本望というものだろう?」




 時を同じくして、リラ・ノアールでは例の事件についての話が行われていた。

「事件についてだが――目撃証言が出てきた。事件現場から立ち去る者を見かけたそうだ。女が逃げていくのを見たらしい」

「女……? 黒髪の男ではなく?」
 
 レイモンドの報告を聞いて、カーライルは目を瞬かせた。

「ああ、そうだ。月の光で、銀色に光っていたらしい」

 灰・銀・黒――今の吸血鬼の一族には、奇しくもその色を持った魔族が揃っている。
 そして吸血の一族の中に銀色の髪を持つ女性は、今は一人しかいない。
 カーライルは少し嫌な予感がして、表情を険しくした。

「仔細《しさい》はまだわからない、ということですか。これは、一度ヴィクトリアにも、報告しておくべきかもしれませんね」