だがその日、ヴィクトリアはヴァージルと話せなかった。
(これは……あからさまにヴァージルさんに避けられている!)
ルゥにヴァージルの予定を聞いて待ち伏せしていたら、ことごとく待ちぼうけを食らったヴィクトリアは、徐々に苛立ちを蓄積していた。
(吸血鬼の衝動とはいえ、先に手を出したのはむこうなのに! 自分だけ傷ついたみたいな顔して驚くし、これは私、少しは怒ってもいいよね?)
ヴィクトリアの頭の中には、ミニチュア版のヴァージルが、真っ暗な舞台の上でスポットライトを浴びながら、悲劇のヒロインのようにメソメソする姿が浮かんでいた。
『こんなつもりじゃなかったんです。この五〇〇年、ずっと我慢していて。そのせいで、吸血鬼の衝動を抑えられなくて。この体は……私の意思に反した行動をしてしまうのです! ああなんて、呪われた体なのか!』
ヴィクトリアは、自分の脳内で感傷に浸るヴァージル(仮)を、問答無用で指で弾き飛ばした。
(私だって怖かったし驚いたのに! でも、それでも私から歩み寄ろうってしてるって、絶対わかってるはずなのに! 自分だけずっと被害者モードに入って、私を避けるのは違うでしょ!?)
ヴィクトリアはぷるぷる震えた。
(こんなこと言いたくないけど……言いたくないけど……!)
そして、ぷちんと堪忍袋の緒が切れた。
(ヴァージルさん、少し女々しくない!?)
ヴィクトリアだって昔のことを考えると鬱屈した気持ちにはなるが、今は前に進もうと努力している。
だからこそ今のヴァージルは、五〇〇年という時間を生きてきたはずの大の男の行動としては、意気地がないとしか思えなかった。
(女は度胸って言葉があるけど、男も度胸があってこそでしょう!? まどろっこしい!)
「今日はここで、ヴァージルさんを待ち伏せします」
「まち……ぶせ? ここでですか?」
ついに我慢できなくなったヴィクトリアは、ルゥを連れて、三階の部屋の窓の近くで待ち伏せすることにした。
ここなら、道を通るヴァージルも気付かないはずだ。
「ルゥくん。ヴァージルさんは、このあとこの下の道を通るんだよね?」
ヴィクトリアはにっこり笑って、窓の下の道を指差した。
「はい。そのはずですが――……」
ルゥはヴィクトリアの質問の意図が分からず首を傾げた。
ヴァージルに会いたいなら、庭に降りるべきだとルゥは考えていたわけだが――ヴィクトリアにルゥの『常識』など通用しなかった。
(来た!)
ヴァージルの姿を視界にとらえると、ヴィクトリアは窓に手をかけた。
「よっと」
「は、花嫁様!?」
初対面での驚きの行動再び。
ルゥは慌てて声を上げた。しかし、ヴィクトリアはルゥの制止など聞かず、そのまま窓の外へと体を投げ出した。
「危ないです! 駄目です。花嫁様! あ。わああああああああああ!!!」
ルゥの声に、ヴァージルが顔を上げる。
「あ」
(立ち止まった上にこっちを向かないで!)
ドスン!!!!!
着地失敗。
持ち前の運動神経で華麗に着地するはずが、ヴィクトリアはヴァージルを下敷きにしてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
(意図せずして押し倒しちゃった!?)
「……」
ヴァージルは、ヴィクトリアの下で頭をおさえていた。
(どうしよう。避けられていたのを怒るはずが、自分から攻撃しちゃったせいで怒れない……)
「すいません。怪我はされていませんか?」
「私は大丈夫だ。それより、私の上から降りてくれ」
「ご、ごめんなさい!!!」
ヴィクトリアは、慌ててヴァージルの上から降りた。
「とりあえず、危ないことはするな。君は、ただの人間なのだから」
『大丈夫です。普段は熊とも戦ってたので(魔法なし)』という言葉が口から出かけて、ヴィクトリアはなんとか言いとどまった。
ヴァージルは立ち上がり静かに目を伏せると、ヴィクトリアのすぐそばを歩いて行く。
(……って、このままで終わらせられない!)
「ヴァージルさん、待ってください!」
ヴィクトリアは、自分から去って行くヴァージルの腕を掴んで叫んだ。
「私、貴方と二人で話がしたいんです。話してくれないなら私、実家に帰らせていただきます!!!」
この言葉に、本来効力など無い。
ヴィクトリアはデュアルソレイユの実家では一人暮らしで、そもそも『ただの人間(※ヴァージルの認識)』であるヴィクトリアに、自力で安全にデュアルソレイユに変える方法など無いのだから。
だがその、ある意味『花嫁』らしいヴィクトリアの言葉に、ヴァージルはピタリと動きを止めた。
「……ルゥ」
「はい!」
ヴィクトリアの落下後、階段を使ってようやく庭に降りてきたルゥは、元気よく返事をした。
「お茶の用意をしてくれ」
「かしこまりました!」
◇◆◇
二日ぶりだと言うのに妙によそよそしい。
庭に設けられたガゼボの下で、太陽を避けながらティータイム、といえば聞こえは良いが、二人の間には重々しい空気が漂っていた。
先に沈黙を破ったのはヴィクトリアだった。
「あの、なんでそんなに私から距離を取るんですか?」
「……君を、傷つけてしまったから」
ヴァージルは、小さな声で言った。
「あの時、怯えていただろう。……すまなかった。あんなこと、するつもりはなかった。ただ、あの時――頭の中が真っ白になって……」
(どうせそんなことだろうかと思ってたけど!)
「君も……私が怖いだろう?」
どこか不安そうに、ヴァージルはヴィクトリアに尋ねた。
「……」
幼い頃の姿を思い出すと、ヴィクトリアの中からヴァージルへの恐怖という感情は消えてしまった。
ヴィクトリアが腕組みして、はああと深い溜め息をつくと、ヴァージルは大きな体をビクッとはねさせた。
(どう言えばいいんだろう。今の私は――『ヴィクトリア』としての私は)
「ヴァージルさん。私はあのくらいで、貴方を恐れたり、嫌いになったりしません。貴方にはお話していませんでしたが、私、デュアルソレイユでは一人暮らしをしていて、野生の生物を狩って暮らしていました。だから多少の危険は、私にとっては慣れたことなんです。さっきも、本当ならちゃんと着地できるはずでした。……下敷きにしてしまいましたけど」
ヴァージルは、ヴィクトリアの言葉の意味が一瞬理解できなかったのが、きょとんとした顔をした。
その後、『花嫁』が危険な暮らしをしていたという事実に気付いて、彼は明らかに顔を青ざめさせた。
そういう表情をするヴァージルは、ヴィクトリアには少し幼く見えた。
「それにもし――私が本当に恐れることというのなら……それは、大切に思う人を失うことです」
「大切……?」
「はい。私には、デュアルソレイユに大切な人がいます。その人達が危険にさらされるなら、私はこの命を賭けてでも戦おうとするでしょう。でもそれは、今は貴方も同じです。私は……貴方を失いたくありません」
(私は、ヴァージルさんと戦いたくない。彼が昔から、そう望んでいたのならなおさら)
「――それは、私のことが『大切』だから?」
「えっ?」
ヴィクトリアは、一瞬ヴァージルの発言の意味が分からず首を傾げた。
(違う! 私にとってまず大事なのはアルフェリアたちで! ヴァージルさんとは争いたくなくて……。これは、敵になって戦いたくないって意味で……! 失いたくないっていうのはこう、積極的な意思と言うより消極的な――ああもう! 上手く言えない!)
「こ、これは、その――」
ヴィクトリアが一人慌てていると、百面相する彼女を見下ろして、ヴァージルはクスッと笑った。
その後、ヴァージルは穏やかな笑みを浮かべると、まるで心の中で、何度も言葉を繰り返して噛みしめるように頷いた。
「そうか。……そうか。ありがとう。――私の花嫁」
それからヴァージルはヴィクトリアの手を取ると、その指先に口付けを落とした。
「!?!?!?」
ヴィクトリアはすぐさま手を引っ込めると、ヴァージルを警戒するように後退った。
(やっぱりヴァージルさん心臓に悪い!)
ヴァージルは、自分を見て顔を真っ赤にするヴィクトリアを見て、今度は珍しく声を上げて笑った。
和解の後の和やかな雰囲気の中、ティータイムの準備を終えたルゥが、元気よく笑顔で宣言した。
「お茶とお菓子をお持ちしました!」
(これは……あからさまにヴァージルさんに避けられている!)
ルゥにヴァージルの予定を聞いて待ち伏せしていたら、ことごとく待ちぼうけを食らったヴィクトリアは、徐々に苛立ちを蓄積していた。
(吸血鬼の衝動とはいえ、先に手を出したのはむこうなのに! 自分だけ傷ついたみたいな顔して驚くし、これは私、少しは怒ってもいいよね?)
ヴィクトリアの頭の中には、ミニチュア版のヴァージルが、真っ暗な舞台の上でスポットライトを浴びながら、悲劇のヒロインのようにメソメソする姿が浮かんでいた。
『こんなつもりじゃなかったんです。この五〇〇年、ずっと我慢していて。そのせいで、吸血鬼の衝動を抑えられなくて。この体は……私の意思に反した行動をしてしまうのです! ああなんて、呪われた体なのか!』
ヴィクトリアは、自分の脳内で感傷に浸るヴァージル(仮)を、問答無用で指で弾き飛ばした。
(私だって怖かったし驚いたのに! でも、それでも私から歩み寄ろうってしてるって、絶対わかってるはずなのに! 自分だけずっと被害者モードに入って、私を避けるのは違うでしょ!?)
ヴィクトリアはぷるぷる震えた。
(こんなこと言いたくないけど……言いたくないけど……!)
そして、ぷちんと堪忍袋の緒が切れた。
(ヴァージルさん、少し女々しくない!?)
ヴィクトリアだって昔のことを考えると鬱屈した気持ちにはなるが、今は前に進もうと努力している。
だからこそ今のヴァージルは、五〇〇年という時間を生きてきたはずの大の男の行動としては、意気地がないとしか思えなかった。
(女は度胸って言葉があるけど、男も度胸があってこそでしょう!? まどろっこしい!)
「今日はここで、ヴァージルさんを待ち伏せします」
「まち……ぶせ? ここでですか?」
ついに我慢できなくなったヴィクトリアは、ルゥを連れて、三階の部屋の窓の近くで待ち伏せすることにした。
ここなら、道を通るヴァージルも気付かないはずだ。
「ルゥくん。ヴァージルさんは、このあとこの下の道を通るんだよね?」
ヴィクトリアはにっこり笑って、窓の下の道を指差した。
「はい。そのはずですが――……」
ルゥはヴィクトリアの質問の意図が分からず首を傾げた。
ヴァージルに会いたいなら、庭に降りるべきだとルゥは考えていたわけだが――ヴィクトリアにルゥの『常識』など通用しなかった。
(来た!)
ヴァージルの姿を視界にとらえると、ヴィクトリアは窓に手をかけた。
「よっと」
「は、花嫁様!?」
初対面での驚きの行動再び。
ルゥは慌てて声を上げた。しかし、ヴィクトリアはルゥの制止など聞かず、そのまま窓の外へと体を投げ出した。
「危ないです! 駄目です。花嫁様! あ。わああああああああああ!!!」
ルゥの声に、ヴァージルが顔を上げる。
「あ」
(立ち止まった上にこっちを向かないで!)
ドスン!!!!!
着地失敗。
持ち前の運動神経で華麗に着地するはずが、ヴィクトリアはヴァージルを下敷きにしてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
(意図せずして押し倒しちゃった!?)
「……」
ヴァージルは、ヴィクトリアの下で頭をおさえていた。
(どうしよう。避けられていたのを怒るはずが、自分から攻撃しちゃったせいで怒れない……)
「すいません。怪我はされていませんか?」
「私は大丈夫だ。それより、私の上から降りてくれ」
「ご、ごめんなさい!!!」
ヴィクトリアは、慌ててヴァージルの上から降りた。
「とりあえず、危ないことはするな。君は、ただの人間なのだから」
『大丈夫です。普段は熊とも戦ってたので(魔法なし)』という言葉が口から出かけて、ヴィクトリアはなんとか言いとどまった。
ヴァージルは立ち上がり静かに目を伏せると、ヴィクトリアのすぐそばを歩いて行く。
(……って、このままで終わらせられない!)
「ヴァージルさん、待ってください!」
ヴィクトリアは、自分から去って行くヴァージルの腕を掴んで叫んだ。
「私、貴方と二人で話がしたいんです。話してくれないなら私、実家に帰らせていただきます!!!」
この言葉に、本来効力など無い。
ヴィクトリアはデュアルソレイユの実家では一人暮らしで、そもそも『ただの人間(※ヴァージルの認識)』であるヴィクトリアに、自力で安全にデュアルソレイユに変える方法など無いのだから。
だがその、ある意味『花嫁』らしいヴィクトリアの言葉に、ヴァージルはピタリと動きを止めた。
「……ルゥ」
「はい!」
ヴィクトリアの落下後、階段を使ってようやく庭に降りてきたルゥは、元気よく返事をした。
「お茶の用意をしてくれ」
「かしこまりました!」
◇◆◇
二日ぶりだと言うのに妙によそよそしい。
庭に設けられたガゼボの下で、太陽を避けながらティータイム、といえば聞こえは良いが、二人の間には重々しい空気が漂っていた。
先に沈黙を破ったのはヴィクトリアだった。
「あの、なんでそんなに私から距離を取るんですか?」
「……君を、傷つけてしまったから」
ヴァージルは、小さな声で言った。
「あの時、怯えていただろう。……すまなかった。あんなこと、するつもりはなかった。ただ、あの時――頭の中が真っ白になって……」
(どうせそんなことだろうかと思ってたけど!)
「君も……私が怖いだろう?」
どこか不安そうに、ヴァージルはヴィクトリアに尋ねた。
「……」
幼い頃の姿を思い出すと、ヴィクトリアの中からヴァージルへの恐怖という感情は消えてしまった。
ヴィクトリアが腕組みして、はああと深い溜め息をつくと、ヴァージルは大きな体をビクッとはねさせた。
(どう言えばいいんだろう。今の私は――『ヴィクトリア』としての私は)
「ヴァージルさん。私はあのくらいで、貴方を恐れたり、嫌いになったりしません。貴方にはお話していませんでしたが、私、デュアルソレイユでは一人暮らしをしていて、野生の生物を狩って暮らしていました。だから多少の危険は、私にとっては慣れたことなんです。さっきも、本当ならちゃんと着地できるはずでした。……下敷きにしてしまいましたけど」
ヴァージルは、ヴィクトリアの言葉の意味が一瞬理解できなかったのが、きょとんとした顔をした。
その後、『花嫁』が危険な暮らしをしていたという事実に気付いて、彼は明らかに顔を青ざめさせた。
そういう表情をするヴァージルは、ヴィクトリアには少し幼く見えた。
「それにもし――私が本当に恐れることというのなら……それは、大切に思う人を失うことです」
「大切……?」
「はい。私には、デュアルソレイユに大切な人がいます。その人達が危険にさらされるなら、私はこの命を賭けてでも戦おうとするでしょう。でもそれは、今は貴方も同じです。私は……貴方を失いたくありません」
(私は、ヴァージルさんと戦いたくない。彼が昔から、そう望んでいたのならなおさら)
「――それは、私のことが『大切』だから?」
「えっ?」
ヴィクトリアは、一瞬ヴァージルの発言の意味が分からず首を傾げた。
(違う! 私にとってまず大事なのはアルフェリアたちで! ヴァージルさんとは争いたくなくて……。これは、敵になって戦いたくないって意味で……! 失いたくないっていうのはこう、積極的な意思と言うより消極的な――ああもう! 上手く言えない!)
「こ、これは、その――」
ヴィクトリアが一人慌てていると、百面相する彼女を見下ろして、ヴァージルはクスッと笑った。
その後、ヴァージルは穏やかな笑みを浮かべると、まるで心の中で、何度も言葉を繰り返して噛みしめるように頷いた。
「そうか。……そうか。ありがとう。――私の花嫁」
それからヴァージルはヴィクトリアの手を取ると、その指先に口付けを落とした。
「!?!?!?」
ヴィクトリアはすぐさま手を引っ込めると、ヴァージルを警戒するように後退った。
(やっぱりヴァージルさん心臓に悪い!)
ヴァージルは、自分を見て顔を真っ赤にするヴィクトリアを見て、今度は珍しく声を上げて笑った。
和解の後の和やかな雰囲気の中、ティータイムの準備を終えたルゥが、元気よく笑顔で宣言した。
「お茶とお菓子をお持ちしました!」