吸血鬼族は、『魔王の一族』を憎んでいた――。
 ルゥから話を聞いたヴィクトリアは、夜、一人寝台の上で考え込んでいた。

(もし私が『ヴィンセント』のお生まれ変わりだと知ったら、ヴァージルさんは私のことを嫌うんだろうか。憎むんだろうか)

 少なくとも、好意的な態度は取られないだろうとヴィクトリアは思った。

 彼は今、一族からの期待を一身に受けている。
 もしその彼が『グレイス』に関わりのある者を支持するなら、彼が後ろ指を差されることになりかねない。
 それこそ、圧倒的な力を示して一族をまとめ上げるくらいでなければ、吸血鬼族の中で分断が起きるに違いない――。

(そもそも私を連れ去ったあの日、ヴァージルさんは何のために、あの場所にいたんだろう?)

 ダン・モルガンのこともある。
 吸血鬼族に対して、魔王として何らかの処置が必要なことは間違いないが、ルゥとヴァージルを引き離すことは、ヴィクトリアは避けたかった。
 彼が罰せられる事になり、ルゥがこの場所に一人残されてしまったら、どんな仕打ちを受けるかわからないからだ。

『僕が知っているのは、御主人様がこれまでずっと、花嫁をお選びにならなったということ。そして今、御主人様はルイーズ様ではなく、花嫁様を選ばれたということ。――ただ、それだけです』

 ヴィクトリアは、ルゥの言葉を思い出して頭を抱えた。考えるべきことが多すぎる。

「ああもうっ! 頭の中がぐるぐるする……!」

 一人声を上げていると、枕の横においていた髪飾りから、落ち着いた声が聞こえた。

『ヴィクトリア』
「――……レイモンド!」

 ヴィクトリアは、慌てて髪飾りを手に取った。

『そんなに大きな声を出すな』  

 すると、呆れたような声が返ってきて、ヴィクトリアは思わず髪飾りを前に頭を下げた。

「ご、ごめん。でも、レイモンドから連絡してくれるなんて珍しいね。あの後から何か分かった?」

『まあな。ただ、ことがことだ。デュアルソレイユの人間に、魔族のせいだと感づかれるわけにもいかないから、慎重に行っている。聞いた話によると、事件が起き始めたのは、ここ2ヶ月くらいのことらしい』

「……私がレイモンドたちと再会した頃、ってこと?」

『いや、それよりは少しあとだな』

 ということは、カーライルが(勝手に)ヴィクトリアを魔王にする声明を他種族に送りつけた頃だろうか。

『それで、そっちの様子はどうだ? なにか変わりはあったか?』

「…………ルイーズ・モルガンっていう人に会ったよ」

 ヴィクトリアは沈黙の後に口を開いた。

『ああ。例の『許婚』か』

 レイモンドは当然のように言った。

「……って。え? なんでレイモンドが知ってるの!?」

『情報収集は俺の仕事一つだ。それに、今回のことが分かる前にも、一応俺の方でも吸血鬼族については調べてはいたんだ。カーライルが手紙を出した中で、認めないと最初に言ってきたのはあいつ等だったからな』

「じゃあ、反乱分子のあぶり出しをしてた、ってこと?」

『まあ、そうなるな』

 自分を囲い込むためのカーライルの嫌がらせかと思っていたのだが、それなりに意味はあったらしい。
 ただ、やはり同性ということもあり、ヴィクトリアはルイーズのことが気がかりだった。

「ルイーズさん、今日、私が困ってた時に助けてくれたの。でも、私は今は捜査のためとはいえヴァージルさんの『花嫁』って立場だから……」

 おそらく、ルイーズはヴィクトリアのことを知らない。もし知っていれば、あの場所から逃がすはずがない。
 
(前世で、私はずっと誰かの『敵』だった。今回の人生では、できる限り私は、『敵』を作りたくはないのに……)

 勿論、悪人には罰を与えるべきだとは思う。
 だがルイーズは、言葉こそ悪かったが善人のようにヴィクトリアには見えたのだ。

『それは、アンタが気にすることじゃない』

 ヴィクトリアが一人下を向いていると、相変わらずぶっきらぼうな声が、髪がざりから聞こえた。

『そもそも今の状況は、アンタの意思じゃなく、アイツが作り出したことだろ。だとしたら、アンタが責任を感じる必要はない。それに今正体をあかせないのにも、調査のためという理由があるだろう?』

「ごめん。私、昔のせいで、他人に嫌われるのに敏感になっちゃって。……『ヴィンセント』は、やっぱりみんなに嫌われてたよね』

 昔のせいでどうしても、悪い方にばかり考えてしまう。ヴィクトリアが卑下すれば、沈黙の後に、真面目なな声が返って来た。

『……俺は』

(うん?)

『俺は――嫌いじゃなかった』

(……へ? え。あ。う、うわー! うわあああっ!?)

「れっ、レイモンドがそういうこと言うの、なんだか珍しいねっ?」

 突然のレイモンドの言葉に、思わず顔が火照ってしまう。
 ヴィクトリアは思わず、話をそらそうとそう尋ねていた。

『なんだ。俺にも普段から、あいつ等みたいなことを言ってほしいのか?』

「そういうんじゃないけど……」

 レイモンドの得意不得意は、ヴィクトリアだってわかってはいるつもりだ。
 ただ少し――レイモンドと関わりが薄くなるのが、ヴィクトリアは少し不満だった。

『言葉や態度なら、あいつらで足りているだろ。アンタはまだ敵が多いからな。俺の役目は、今のアンタがこの世界で生きやすいように動くことだ。話をするのが得意というわけでもないしな』

「でも私は、レイモンドとも、もっとちゃんと話をしたいよ」

『…………』

(あれ。なんだか沈黙が長くない!?)
 
 ヴィクトリアは沈黙の中、自分の発言を後悔した。
 話すのが苦手なレイモンド相手に、とんでもなく甘えた言葉を吐いた気がする。

「ごめんなさい。レイモンド。今のは気にしない――」

『………わかった』

 しかし、長い沈黙の後に返ってきたのは、落ち着いた声だった。

『アンタがそう思うなら、俺はその願いを叶える』
 
「レイモンド……」

『アンタの魔法は俺には通じないが、それをアンタが心から願うというなら、俺はそれを叶えよう。――……ヴィクトリア』

(……その言い方は、ずるいよ)

 いつもとは違う、名前を呼ぶ甘く優しい声。
 ヴィクトリアは思わず胸に手を当てた。心臓の鼓動がうるさい。
 『無効化』の力。
 その力を持つレイモンドだからこその言葉は、静かに、けれど確かに、ヴィクトリアの心に刻まれる。

(レイモンドはやっぱり、言葉は少ないけど、私が喜ぶ言葉を選んでくれてるって感じがする)

 それが嬉しくて、胸が高鳴ることは――もしかしたら顔が見えなくても、レイモンドには伝わってしまっているんだろうとヴィクトリアは思った。

(レイモンドは、そういう人だから)

 その感覚が恥ずかしいのに、彼が自分のことを理解してくれているように感じて嬉しくなってしまう。
 すると、ふ、と微かに笑う声が聞こえて、その後に彼はいつもの調子で言った。

『ルーファスに変わるぞ』

 レイモンドの声のすぐ後に、ルーファスの声は響いた。

『陛下!』

 いつもより必死な、高めの声。
 普段にこやかに笑っているはずの彼が、珍しく焦っているようにヴィクトリアには聞こえた。

『陛下。あの男に、何もされてはいませんか!?』

(なんでだろう。カーライルのときにも感じたけど、やっぱり、ルーファスの様子がいつもと違う気がする)

「る、ルーファス……? どうしたの? 私は大丈夫だよ?」

『…………式の、ドレスを選ばれたと聞きました』

 ルーファスは沈黙の後、低い声で言った。
 
「うん。採寸はしてもらったけど……」

(でも別に、本当に着るつもりはないし)

『花嫁姿の陛下は、きっとおきれいなのでしょうね』

「うーん。それはどうかな……?」

(結婚式までになんとか問題を解決して、とんずらしようとは思ってるけど……)

『陛下は、あの男をお選びになるのですか……?』

「……え?」

 感情を押し殺したような声。
 どこか暗い、陰のようなものを感じさせるルーファスの声に、ヴィクトリアは何故かぞくりと背筋が冷たくなるのを感じた。
 そしてルーファスは、ひやりと冷たい色香を感じさせる声で、ヴィクトリアに尋ねた。

『あの男のほうが私より、陛下のお気に召したのですか……?』

 もし『そうだ』と答えたら、まるで薄氷のように壊れてしまいそうな声だった。
 でも、ヴィクトリアは『次期魔王』――ルーファス一人のために、行動を制限することはできない。
 ルーファスの望む言葉だけを口にすることはできない。
 ヴィクトリアは静かに、落ち着いた声で彼に尋ねた。

「……ルーファスは、なんでそんなにヴァージルさんのことが嫌いなの?」

 何故ルーファスがこれほどまでにヴァージルを敵視しているかは知らないが、ヴィクトリアは二人には、出来れば和解してほしかった。
 金色狼と吸血鬼族の仲が良くないことは知っているが、
 ただ、元々リラ・ノアールに集められた子どもたち。だとしたら彼らは、幼馴染と言っても過言ではないはずだから。

「もしかしてヴァージルさんが、『ヴィンセント』の次の魔王候補だったから?」

『違います』

 即答だった。

「じゃあどうして?」

 ルーファスはその問いに、憎しみを込めた声で答えた。

『今のあの男は、手負いの獣とそう変わりません。それに、だって、だってあの男は――……』

「ヴィクトリア!」
 
 だがルーファスのその声は、突然部屋に乱入してきたヴァージルによってかき消された。

「ヴァージルさん?! なんでこんな時間に――」
「夜分に申し訳ございません! 御主人様がお帰りになったので、今日のことを先程報告して……っ」

 ヴァージルの後ろから、ルゥが息を切らしながらかけてくる。

「君は、怪我はしていないか?!」
 
 部屋に入ってくるなり、ヴァージルはヴィクトリアの両腕を掴むと、前のめりになって尋ねた。

「は……はい。私のことは、ルゥくんが守ってくれました」

 落ち着いた様子しか見てこなかっただけに、彼の動揺にヴィクトリアは少し驚いた。

(まさかこんな時間、ノック無しに入ってくるとは……)

 それほど慌てていたということだろう。
 ヴィクトリアの返事を聞いて、ヴァージルは腕を掴んだ手の力を緩めた。

「そうか――……。ルゥ」

 はーっと深く息を吐くと、ヴァージルは自分の背後を見つめて尋ねた。

「お前も、怪我はしていないな」
「はい」
「そうか。……無事なら、それでいい」

 ヴァージルは安堵の笑みを浮かべると、優しい声音で言った。

「君も、ルゥもだ」

(やっぱりヴァージルさんは、ルゥくんに優しい)

 ヴィクトリアはそんな彼が、卑劣な行いをしているとは思えなかったし、思いたくもなかった。

(私、やっぱりちゃんと知りたい。……事件の真相を知るためにも、もっと、ヴァージルさんのこと)

「ヴァージルさん。お願いがあるんです。明日《あした》、私にこの城を案内してくれませんか?」

 目と目が合う。
 ヴァージルは、ヴィクトリアの真剣な眼差しを見て、静かに頷いた。

「――わかった。城の中をまわりたいなら、明日《あす》、私が案内しよう」