ある日の学校の帰り道、颯介(そうすけ)は夕日に照らされた道の向こうをじっと目をすがめて見つめ俺に話しかけた。

「さっきカラオケに入っていった二人、顔はよく見えなかったけどうちの学校の制服着てたな」

「ふーん、放課後カラオケデートってやつか」

 俺はその二人を見てもないし特に興味もなかったので、適当に相づちをうった。
 だが年頃の男子高校生らしく異性と交際したがっているらしい颯介は、悔しそうに肩を落とす。

「女子はちょっと可愛かったかもしれないが、男の方は俺たちとそう変わらない雰囲気に見えたのに……」

 颯介と俺は自分たちが人に不快感を抱かせるほどの醜男ではないと信じているが、顔面偏差値が女子の関心を惹くようなレベルではないことは否定できない。
 だが女子たちが夢中になっているらしい男アイドルを見ていると、別に彼らのほとんどが美形というわけではないようにも見えるので、最近はもう大事なのは顔の造形ではない可能性もある。
 何にせよ、不細工ではないもののぱっとしない、規定通りの学生服を着た画一的な男子高校生である颯介は、髪がやや天然パーマ気味であるくらいの個性しかない俺の隣をとぼとぼと歩いて、カラオケ店の入った雑居ビルを何度も振り返った。

「カラオケで女子と二人っきりになれる人間に、どうやったらなれるんだろうな」

「さぁ……。でもとりあえず、カラオケ行くってことは音楽は好きなんじゃないか」

 颯介はどうしても女子とカラオケに行きたいらしく、そっと願うように問いかけた。
 それほど颯介に共感することができない俺は、その質問を雑に受け答える。
 すると颯介は、深いため息をついてわざとらしく俯いた。

「音楽なら、俺も好きなんだけどなあ」

 それは予想通りの反応で、颯介が通ぶった音楽好きであることを俺はよく知っている。

「じゃあもし女子に『大山くんって普段どんな音楽聴いてるの?』って聞かれたら、お前は何て答えるんだ?」

「最近よく聴いてるのは、エマーソン・レイク・アンド・パーマーやエイジア、あとはジェネシスとかだな」

 俺がからかい半分で訊ねると、颯介は屈折した態度を崩さないまま、しかし妙に誇らしげに答えた。
 颯介がいくつか並べたのは、すべて七十年代から八十年代にかけてプログレッシブ・ロックというジャンルで活躍した海外のバンドの名前で、今流行している曲を歌っている歌手の名前は一つもない。
 つまり颯介は、洋楽を聴いている人間が格好良いと考えているタイプの、陰キャの音楽好きの男子高校生なのである。

「それは絶対にモテない返答だろ。女子相手にマウント取りに行ってどうすんだよ」

 同世代にはなかなか通じない昔の洋楽のバンド名を女子に伝えても「へぇー、何かすごいね」としか返ってこないことをわかっている俺は、颯介のずれた答えを遠慮なく笑った。

「じゃあやっぱり、邦ロックが無難かあ」

 颯介は自虐めいた表情で肩をすくめて、本人としては世間受けを踏まえた選択肢を選ぶふりをする。
 しかし邦楽ロックについて話したとしても、どうせ颯介は古めかしくて気取った趣味を披露して、女子を遠ざけるのだろうと俺は予想した。

 五月中旬の夕方でも令和の初夏はそれなりに暑く、橙色に傾いた太陽はコンクリートで塗り固められた田舎の街の道路をぬるく温めている。
 やがて繁華街を通り過ぎて最寄り駅につけば、二人は別の路線の電車に乗って別れることになるはずだった。
 改札をくぐって会話の終わりが近づいてきたところで、颯介は俺の方を見て何となしにつぶやいた。

侑洋(ゆきひろ)みたいな趣味の合う女子なら、別に困らないのに」

 その言葉に深い意味はまったくなく、颯介はおそらく俺のように自分の趣味への理解のある架空の女子を思い浮かべている。
 そう考えた瞬間、俺は思ったよりも腹が立っていて、気づいたときには少々きつく言い返していた。

「だったら俺みたいな、じゃなくて俺で良くないか?」

 思わず発した一言が意外と重いことを、俺は自分が言った内容を聞いてあらためて知る。
 これでは俺が颯介と付き合いたいことになってしまうと、慌てて平然を装って取り繕いつつ颯介の様子を伺った。

「俺はお前が、女子と二人でカラオケに行ったら寂しいけど」

 フォローになっているかどうか定かではないが、俺はあくまでこれは友情であることを強調しようとする。
 だが颯介の方は真面目に俺の言う事を聞いているのかいないのか、わずかに考え込んだ様子を見せてから頷いた。

「うん。まあ確かに、侑洋でもいいのかもな」

 言った本人もどんな意味でいったのかわからない発言を、颯介は何も考えていない表情で朗らかに肯定する。
 そのとき俺は、もしかすると俺は本当に颯介が好きなのかもしれないと、友達以上の存在として目の前の同性を初めて意識した。
 だがそれは二人の良好な友人関係を続けるには不都合なものだったので、俺は気づかなかったふりをする。

「……それじゃ、また明日」

「ああ、またな」

 若干の沈黙の時間があったことを気にしているのは俺だけで、あとは普通に二人別々のホームへとつながる駅の階段を上がる。
 お互いの姿が見えなくなる寸前に颯介に手を振り返されると気恥ずかしく、今までと違って妙な気分だった。

 それからちょうどよいタイミングで乗って座れた帰りの電車の中、俺はスマホでサブスクのアプリを開いて、流行りの邦楽ではなくジェネシスが1986年6月6日に発表した名盤インヴィジブル・タッチを聴いた。
 ボーカルのフィル・コリンズの魅力的な声が映えるアップテンポな一曲目の歌詞の内容は胸キュンで、これなら意味を伝えれば女子受けも良いかもしれないと俺はぼんやりと思った。