「こんちゃーっす、ジルベットさん」

 翌朝、武器屋に行く前に俺とフランはジルベットさんの家を訪問した。
 以前会った時よりも顔色が良く、表情はどこか幸せそうに緩んでいる。
 きっと、朝から一発キメたのだろう。実にいいことだ。

「あら、クレハさん。それに、討伐隊の方でしたっけ。確か、お名前は……」
「フランと呼んで下さい」
「そうでした。あだ名で呼んでほしいって話でしたね」
「はい。宜しくです」

 フランはにこにこしてジルベットさんにお辞儀する。
 彼女は俺と違って宿主の名前が知れ渡っているが、自らのあだ名として『フラン』と呼ぶように町民達に呼び掛けているそうだ。
 それでも、元の名前で呼ばれている場面などに遭遇しているところを見ると、色々頭の切り替えが面倒そうだなぁと思う。
 そういった苦労がない分、俺は案外楽なかもしれない

「それで、こんな朝早くからどうされたんですか?」
「あー、そうそう。前にさ、色々旦那さんの物貰ったじゃないっすか。あれ、思ったより高値で売れたんで、追加でハッピーパウダー持ってきたんすよ」
「あら、そうなんですか!? 何だか悪いですけど……頂きますね」

 ハッピーパウダーの小瓶をふたつ鞄の中から取り出してジルベットさんに手渡すと、彼女は顔をこれでもかというくらい輝かせた。
 うん、ハッピーになってくれている様子だ。さすがハッピーパウダー。

「実は……私、あれから内職のお仕事を始めたんですよ。結婚してから働いたことなんてなかったから、まずは自分ができそうなことから始めようって思って」
「マジっすか! いいっすねぇ」

 これには驚いた。
 助言はしたものの、まさか本当に働き始めるとは。
 これもハッピーパウダーで前向きな気持ちになれたからだろうか?
 さすがに内職だけでハッピーパウダーを買えるだけ稼げるとは思えないが、それでもそうした一歩を踏み出せたのは大事なことだ。

「まあ、追加で欲しくなったら俺かフランに声掛けて下さい。こいつも持ってるんで」
「今はフランさんと一緒にお仕事を?」
「そっす。一緒にグリフォン馬車サービスで働いてるんで、もし足が必要になったら俺らに連絡下さい」
「仲が良いんですね。じゃあ、その時は連絡しようかしら」
「おねしゃーす」

 軽い挨拶をしてから、俺達はジルベットさんに一礼してその場を後にした。
 そして、ダガーを見繕ってもらうべく、武器屋に向かったのだが……隣のフランが、妙にこちらを訝しむように見てくる。

「何だよ」
「いえ……ボス、人妻に手を出したのかなって」
「出してねーわ! 旦那の浮気で傷心中の奥さんをハッピーにしただけだっつの」
「それはそれで結構ゲスい気がする」
「やかましい」

 俺はジルベットさんの御蔭で宿に寝泊りできるようになったし服も新調できたんだ。なんだかんだ言って結構感謝はしているし、彼女には安値で売りたいと思っている。
 無論、需要と供給によって値段は上下することになるだろうが。

「切っ掛けはどうであれ、ハッピーパウダーの御蔭で前向きになれて働こうってなったんなら、そりゃもうハッピーだろ」
「あはははっ! うん、それはそう。あとは、副作用がどのくらいかなぁ」
「散々吸いまくってたこの身体が無事なところ見ると、多分そんな強い副作用ないと思うんだけどねー……」

 ひとつ不安なのが、そこである。
 まあ、俺達は医薬品を売っているわけではなく麻薬を売っているわけだから、使用者にどんな副作用が生じるかなんてどうでもいいんだけど。それでも、予期していない副作用なんかで死なれたりしたら、やっぱり寝付きは悪い。

「どんな感じなんだろう? 一回私も吸ってみようかな」
「ハッピーはやめとけ。変に依存しちまったら仕事にならねーだろうが」

 基本的に、俺達〝レガリア〟はヤクを売ってはいるが自分達がやることはほとんどなかった。
 新薬開発の時は実際自分で使ってみるのだが──まさしく今の俺がそうだが──娯楽ではやらないのが基本のルールだ。
 たまに吸うことはあっても、それがなかったら何もできないとなったら仕事をする側としてお仕舞いである。
 ただ、日本版ハッピーパウダーに関しては、たまに四人で吸って遊んではいた。今となっては最後となってしまったあの取引の直前も、景気付けに四人で吸って挑んだのだ。
 まあ、あの時はこれで足を洗うと決めていたから、最後のつもりで乾杯代わりに吸ったのだけれど。
 まさか本当の意味で最後になるとは思ってもいなかった。

「確かに確かに。吸った感じはあっちのハッピーパウダーと同じ?」
「ほぼ同じ感じだったかなー。空腹を満たせる効果が付与されてたくらいか?」
「じゃあ、お腹減った時に吸うのはアリ?」
「非常食があるならナシ。食い物が何もなくてやばいって時の超非常食ならアリ」
「了解~」

 そんな危ない会話を、衛兵が横を通っている中交わす。
 日本だったら職質で一発アウト案件だ。

「あ、ボス。ハッピーパウダーをタバコにするとかはできないの? タバコでハッピー吸えたら多分売りやすいと思うんだけど」
「タバコか。その発想はなかった」

 日本だと当たり前にありすぎてそもそも頭から抜け落ちていたが、タバコにできたら強い。
 フラン曰く、貴族なんかは葉巻を吸っている人も多いそうだ。
 そのあたりを大口の顧客にできれば、こちらとしても強いだろう。卸し先にもなるかもしれない。

「タバコの開発は要検討だな。つかそもそも作り方がわかんねーし」
「ㇾクスが自作の葉巻作ってなかったっけ?」
「あー……そういえば作ってたな。ただ、あれヤバすぎるぞ。肺が死ぬ」

 ㇾクスは〝レガリア〟の中では一番のヘビースモーカーだった。
 そのうち、市販のものでは刺激が足りない、とか言い出して自作のタバコに走っていた。
 一本だけ貰ったけども、とてもではないが常人の肺で耐えられる代物ではなかった。
 そこで、ふと彼女もㇾクスを思い出したのだろう。
 俺とフランの間に、どこかせつな気な空気が漂った。

「ㇾクスも転生してたらいいんだけどな」
「……うん」

 フランが寂しそうに笑って、小さく頷く。彼女と再会できたのは嬉しいが、やっぱりㇾクスとメルヴィもいてほしい。
 嫌でもそう思ってしまった。