彼女が何気なく言った言葉に、俺は思わず絶句した。
 ……は?
 今、なんつった?
 ()()()()()()、だって?
 彼女の表情を盗み見てみるが、彼女は相変わらず何かを懐かしむような目で、どこか寂しげな表情を浮かべているだけだった。
 そこで、先程から抱いていた違和感の正体に、指先が触れた気がした。
 もしその予想が正しければ、これ以上嬉しいことはない。
 まさか、お前もこっちに来てた、のか……?
 そんな願望にも似た感情と疑問が、俺の中に湧き上がってくる。
 また仲間と一緒に笑い合えるのではないか。
 俺の置かれた状況を理解してくれる奴と、面白おかしくまた悪さができるのではないか。
 本来ならば、そんなことは有り得ない。なぜなら、俺は彼女が息絶えるその瞬間を目の当たりにしている。
 チャカ一丁で最後まで希望を見出そうと最後まで足掻いたものの、サブマシンガンの弾で全身を撃ち抜かれた姿が、脳にこびりついている。
 そしてその直後に、おそらく俺も同じ末路を辿っているはずだ。それはきっと、間違いない。
 でも、その後俺の身には不可解なことが起きた。
 この意味のわからない世界への、転生。そして自分ではない誰かの身体。
 俺の身に起きているのであれば、もしかすると彼女にも起きていたのではないだろうか?
 そして、先程漏らした彼女の『()()()()()()』という単語は、それを意味しているのではないだろうか。
 そんな希望と願望に、鼓動が嫌でも速まった。
 だが、喜ぶのはまだ早い。ただ夢見がちな不思議ちゃん女が偶然、たまたまそんな言葉を発しただけの可能性もあった。

「……お客さん、ちょっといいっすか?」

 俺は声が震えそうになるのを堪えて、小さく深呼吸をした。
 それから馬車を停めて、手綱を握る手の震えを、ぐっと抑えつける。

「はい、何ですか?」

 荷馬車にいる彼女が、きょとんとした様子で首を傾けた。

「もしかしたら、俺今から意味不明なこと訊くかもしんねーっす。もし意味わかんなかったら、テキトーに流して下さい」
「はあ……それは、構いませんが」

 俺は、異世界の女に何を尋ねようとしているのだろう?
 そう思いつつも、彼女の存在について、ある仮設を否定できなかった。いや、確信に近い気持ちをどこかで抱いてしまっていた。
 どうして俺が彼女に惹かれ、そしてどこか懐かしさを感じてしまうのか。
 俺の中の仮説が正しければ、全て説明が付く。

()()()()()()とこっちの世界は、どう違いました?」

 勇気を出して、訊いてみた。
 心臓が高鳴ると同時に、ぎゅっと締め付けられた。
 俺の仮説が正しかったら、と思う期待と、違ったらどうしよう、という不安。
 そんなものが入り混じって、思わずぐっと自らの胸のあたりを掴む。

「……何もかも、ですかね。文化も、世界観も、全部違っていて──って、ごめんなさい。こっちも意味不明なこと言ってますよね。すみません、忘れて下さい」

 騎士風の女は力なく笑うと、肩を竦めてみせる。
 そして、遠くを見つめて、こう独り言ちた。

「はあ……()()()こっちにいたりしないのかな。そしたら、寂しくないのに」

 その独り言を訊いて、俺は彼女にバレないように、小さく息を吐いた。
 やっぱり、俺の予想は正しかった。
 そして、どうして初めて会った彼女に懐かしさを感じてしまった理由にも、説明がつく。
 彼女と会うのも、話すのも、もちろん初めてだ。
 だが、俺は彼女を知っている。そしてきっと、彼女も俺を知っているはずだ。

「お客さん」
「はい?」
「隣に布掛けてある荷物、あるじゃないですか。ちょっとその布取って貰えません?」
「……? これですか?」

 彼女は自らの隣にある布のカバーを遠慮がちに掴んで、するっと引いた。
 すると、もちろんその下にあるものが顕わになる。

「えっ……?」

 彼女から、困惑の声が漏れた。そして、何かに驚いたように身体を強張らせている。
 そこの下にあったのは、粉が入った小瓶が詰まったケース。
 俺の予想が正しいなら、()()()()、それが何なのか、もうわかっているはずだ。

「あ、あの。これって、まさか……?」

 わなわなと震えて、彼女が俺を見る。
 彼女もそれが何かを察してはいるのだろう。そして、俺が誰であるかも。
 それを証明するかのように、その瞳には、うっすらと膜が張られていた。

「ちょっとそれ、嗅いでもらっていいですか?」

 俺はまだ何も言わず、彼女にそう促してみる。
 まだ判断するのは早い。彼女がその粉の正体に気付いたら、それでようやく確定だ。
 彼女は黙って頷くと、一番上にあった小瓶を手に取った。
 蓋を慎重に開けて鼻を寄せると──信じられない、と愕然とした表情を浮かべた。
 案の定、それが何かがわかったようだ。
 ()()()()()()でそれを知っている者はいない。もしいるとしたら、それは──

「お客さん、それ何かわかります?」

 俺は荷馬車の方を振り返ると、にやりと口角を上げた。
 速まる鼓動と溢れんばかりの喜びを必死に抑えつけて、敢えてクールぶる。
 彼女は何も答えなかった。
 その代わり、先程の哀愁に満ちた紅い瞳に希望の光を募らせて、歓喜の涙にその瞳に滲ませる。

()()……ですか?」

 ひっくとしゃくり上げつつ、そう尋ねてくる。
 しゃくり上げた拍子に、目尻から雫が零れ落ちていた。

「この粉作れる奴が、そう何人もいるわけねえだろ? なあ、()()()?」

 御者席の俺に彼女が抱き着いてきたのは、それから間もないことだった。