7月の蒸し暑い空気が充満している時期。
 授業が全て終わった放課後、私は教室の窓際の席で一人で課題をしていた。高校になってから課題が増えたので、家だとサボってしまいそうという単純な理由で今日も教室に残っている。
 しばらく課題を進めて時計を見ると、午後4時。程よい時間だし、そろそろ帰ろうかと机を片付け始める。今日は早めに授業が終わったので、課題をしてもいつもより早く帰れそうで嬉しかった。

 そして教室から廊下に出た瞬間、一つのパスケースが落ちていた。

 丁度正面玄関まで行くのに職員室を通るので落とし物として届けようと、私はそっと拾った。しかし、パスケースを裏返すと小さなメモ帳の切れ端が貼ってある。


【このパスケースを持ち主に届けて下さい。ヒントはパスケースの中身全てです。】


「は?」

 
 流石に「は?」と言ってしまう内容である。パスケースの中には一枚の交通系ICカードと一枚の写真。
 写真にはまさに青春!と言う感じの川辺にいる二人の男女が写っている。そして、写真の裏にはまた文字が書かれている。


【ICカードの残高がいま、沢山入っているので頑張って届けて下さい。あ、盗らないでね】


 イラッ。


 いや、イラっとするのは当たり前じゃない!?
 「あ、盗らないでね」って何!?盗らないけど!?
 これは全て無視して、職員室に落とし物として届けてやりたい、のに……写真の裏に書かれているメモの最後には……


【待ってるよ。二年三組、西井 桃乃さん】


 一体、私はどうしたらいいの?


 意味の分からない落とし物を拾ってから5分。私は、パスケースに入っている写真をじっと見ていた。
 パスケースに入っている写真では、川辺で二人の男女が顔を見合わせている。どう見ても、カップルだろう。持ち主はこの男女のどちらかと考えるのが妥当な気がする。

「ていうか、この場所どこだろう? とりあえず、教室に戻ろ」

 私は誰もいない教室にもう一度戻って、自分の席に座った。
 写真にもう一度視線を落としても、この川辺がどこか分からない。多分橋の下にいるのだろうが、橋の名前が見えないので全く場所が分からない。

「じゃあ、まずこの二人が誰か探した方がいいかな?」

 そう思った後に、私はふと我に帰った。
 なんで私がそんなことをしないといけないの? ただ落とし物を拾っただけなのに。
 しかし、写真の裏には……

【ICカードの残高がいま、沢山入っているので頑張って届けて下さい。あ、盗らないでね。待ってるよ。二年三組、西井 桃乃さん】

 自分の名前が書かれているのは、正直気味が悪い。
 このまま職員室に届けてもスッキリしないだろう。誰かのイタズラだと思いたいけれど、少し気味が悪すぎる。
 私はとにかくこの気味悪さを誰かに話したくて、私は同じクラスの親友にメッセージを送った。

奈緒(なお)、今電話しても大丈夫?」

 すぐに既読がついた。

「大丈夫!何かあった?そんなこと言うの珍しいけど……」

 私はすぐに奈緒に電話をかけた。奈緒は同じクラスだけれど、帰宅部でもう家に帰っていた。

「奈緒ー!」
「桃乃、どうした!?」

 私の不安そうな声に奈緒が驚いている。それでも、私は奈緒の声を聞いて安心してしまった。

「実は……」

 私が今の状況を話すのを奈緒が真剣に聞いてくれる。

「うん、それは確かに怖がるの分かるわ」
「でしょ!?」
「ていうか、その入ってた写真の写真を送ってくれない? 写真の写真って意味分からないけれど。もしかしたら、何か分かるかもしれないし」

 奈緒の言葉に私が写真を送ると、奈緒が急に「あ!」と声を上げた。

「この女の人、めっちゃ綺麗!」
「もう!何か知ってるのかと思ったわ!」
「あはは、でも大分気が緩んだでしょ? 大丈夫。私も一緒に考えるから、安心していいよ」
「奈緒、優しすぎない!?」
「そうでしょー!」

 奈緒がそう言って、いつも通り笑ってくれるから、私はどこか緊張していた気持ちが落ち着いてしまった。

「ねぇねぇ、桃乃。パスケースの持ち主ってこの二人のどちらかってことだよね?」
「そうだと思うけど……」
「じゃあ、まずはこの二人が誰か探す所からじゃない?」
「うん。私もそうだと思う。にしても、この写真よく撮れてるね」
「あはは、桃乃って結構写真とか好きだよね」
「まぁね。見るのは大好き。特にこういう雰囲気の写真大好きなんだよね」

 奈緒が一緒に考えてくれたおかげで、私も段々状況が整理出来てきた。

「ねー、奈緒。思うんだけれど、教室の前にパスケースを落とせるってことは絶対にこの学校の誰かってことだと思うんだよね」
「そうじゃん!」
「ちょっと私残ってる部活の友達に写真に写ってる男女を知らないか聞いてくる」
「お、桃乃が急に強気になった」
「だってこんなイタズラするやつ腹が立つもん。絶対に直接文句言ってやる……!」
「おー、いいじゃん。じゃあ私ももう一回制服に着替えて、高校に戻ろうかな」
「え!いいの!?」
「親友のためですからー」
「奈緒様!」
「お礼は明日の購買のお菓子で手を打とう!」

 奈緒との電話を切った後に、私は友達の中で部活でまだ学校に残っている人を探した。部活をしている友達……バレー部と美術部なら仲の良い友達が一人ずついる。確か美術部の友達は今日は早めに部活が終わるって言っていたはず。

「うん、先に美術部の部室から行こ」

 私は教室を早足で飛び出した。私の高校の美術部はそこまで人数が多くないので、すぐに部室の入り口から友達を呼ぶことが出来た。

「桃乃、どしたー?」
「えっと、この写真を見て欲しくて……」

 私は写真を見せながら、「この写真に写っている人、誰か知らない?」と聞いた。

「男の子と女の子、どっちのこと?」
「どっちでも!」
「うーん、知らないなー。何かあったの?」
「ちょっと色々あって……」

 簡単に説明出来る状況ではないので私がそう苦笑いをしながら伝えると、友達はそれ以上は聞かないでくれた。

「桃乃、探偵みたいなことやってるじゃん!」

 そう言いながら茶化してくれたのは、きっと友達の優しさだろう。私はすぐにその友達を別れて、バレー部の友達がいる体育館に向かった。
 バレー部のいる体育館は人が多くて恥ずかしかったが、入り口の近くにいる人に友達を呼んできてもらう。きっと恥ずかしくても聞けたのは、もうどこか気持ちに勢いがついていたんだと思う。
 その友達にも同じ質問をすると、その友達も首を少しだけ傾げた。

「うーん、分からないな」

 「そっか……」と私が答えると、その子が近くにいた部員にも「この写真に写っている人誰か分かる?」と聞いてくれる。しかし、誰も知っている人はいなかった。
 その時、バレー部の先輩らしき人が「なに部活サボってるんだー!」と冗談めかすように笑いながら近づいてきた。私の友達の肩を軽くポンッと叩いて、友達の持っている写真に視線を落とす。

「あ、彩綾(さあや)じゃん。なんで彩綾の写真を二年生が持ってるの? え!ていうか、彩綾って彼氏いたんだ!」

 その先輩の言葉を聞く限り、どう考えても写真に写っている女の人を知っているようだった。

「あの、この写っている女の人って誰なんですか?」
「私の同じクラス……三年一組の水崎 彩綾って子だよ」

 すぐには分からないと思っていた写真の人物がこんなにすぐに見つかるとは正直思わなくて、驚いてしまった。その先輩は、まだ写真をじっと見ていた。

「でも、彩綾って彼氏いたんだ。全然知らなかったな……あれ、でもこんなに髪長いの初めて見た」
「その水崎先輩ってまだ学校に残ってますかね?」
「残ってると思うよ。いつも放課後は図書室で受験勉強してることが多いって言ってたし」
 
 突然の有力な情報に私は、「ありがとうございます!」と大きめの声で言ってしまった。その時、携帯が鳴って、奈緒が高校に着いたと連絡がくる。
 私はバレー部の友達にもお礼を言って、まず正面玄関に向かって奈緒と合流した。

「桃乃、さっきぶりー」
「奈緒ー!来てくれてありがと!それでね……」

 私は写真に写っている女の人が誰か分かったことを奈緒に報告する。

「え!すご!もう解決間近じゃん!」
「でしょ!早く、図書室行こ!」

 図書室に向かうと涼しい冷房の空気が入ってきて、私はスゥっと汗が引いていくのが分かった。図書室に残っている生徒は5人ほどいて、すぐに写真に写っている先輩を見つけることが出来た。
 しかし、静かな図書室では雑談することは難しいだろう。

「あの……」

 私は図書室の外へ連れ出して話を聞こうと、小声で水崎先輩に声をかけた。私の声で振り返った水崎先輩は初対面のはずなのに、私の顔を見て驚いた顔をした。
 それが私にとっては、安心材料で。だって怖すぎる落とし物のパスケースの秘密にこの先輩が関わっていることが確定したから。つまり解決に近づいたということ。そのことに私はひどく安心した。

「水崎 彩綾先輩ですよね?少しだけ廊下に出て、話を聞いてもいいですか?」

 私の問いに水崎先輩は小さく頷いた。
 廊下に戻ると、また蒸し暑い空気に汗が滲んでくるのが分かった。それに心臓も速なっていて、額から汗が流れてくるのを感じる。
 奈緒もどこか緊張しているようだったが、私と目を合わせてぎこちなく笑ってくれる。きっと奈緒も怖いけれど、私を安心させたいと思ってくれているのだろう。

「水崎先輩」

 私は先輩の名前を呼んで、落とし物のパスケースをポケットから取り出した。

「水崎先輩のものですよね?」

 私の問いに水崎先輩は、少しだけ苦しそうな顔をした後に返事をした。


「違うよ。ごめんね」


 その水崎先輩の答えは私と奈緒の予想外で、二人で「え!」と声をあげてしまう。そして、水崎先輩はこう続けるのだ。

「でも、教室の前にパスケースを置いたのは私」
「じゃあ……!」
「ちゃんと書いてあったでしょ?パスケースを『持ち主』に届けて下さいって。『置いた人』に届けて欲しいんじゃないみたい」

 その水崎先輩の言葉の最後の「〜みたい」がどこか他人事につける言葉のように感じて違和感を感じてしまう。

「あの、本当にこのパスケースを拾った時、怖かったんです。名指しまでされて、普通に気味が悪かったんです。だから……!」

 私がこの気味悪さから解放させて欲しいというように伝えると、水崎先輩は申し訳なさそうに言葉を続けた。

「本当にごめんね。もう少しだけ付き合ってあげて。うーん、そうだね。ヒントは『パスケースの中身全て』って書いてあるところ。写真だけがヒントじゃないの」

 それだけ言って、水崎先輩は「本当にごめんね」と謝って、逃げるように図書室に戻っていってしまう。
 奈緒が「ちょっと……!」と呼び止めても、そのまま図書室の中に入ってしまう。図書室の中で会話は出来ないので、水崎先輩の勝ち逃げのようなものだった。
 奈緒が困ったように私と顔を合わせる。

「桃乃、どうする?」
「うーん、シンプルに怖いかな。なんで私なんだろうって、正直本当に怖い。でも、水崎先輩が言った『パスケースの中身全てがヒント』って言葉が気になってきてるのも事実って感じ」
「パスケースの中身って何だろ?写真以外に何か入ってた?」
「普通に交通系ICカードだけ。残高が多めに残ってるらしいけど」
「その残高の情報何!?」

 驚いている奈緒に私は写真の後ろのメッセージを見せた。

「わざわざこんなことを書くってことは、ICカードも意味があるってこと?」

 奈緒の言葉に私はもう一度、ICカードをパスケースから取り出した。奈緒がICカードに視線を落としている。

「うーん、めっちゃ普通のICカードだね」
「そうなんだよね。普通の定期付きのICカード。あ……」
「桃乃?どうした?」
「いや、この定期で行き来してる二つの駅が大事なのかなって」
「どう考えてもその人が通ってる高校と家の場所でしょ。ていうか、水崎先輩がパスケースの持ち主じゃないなら、この写真に写ってる男子がパスケースの持ち主ってことだよね?」
「うん。そうだと思う。ていうか、この男子の定期ならこの二つの駅の最寄りの高校を調べればいいじゃん!」

 私の言葉に奈緒の顔がパっと明るくなった。

「桃乃、めっちゃ冴えてるじゃん!すぐに調べよ!」

 そう言って、奈緒がスマホを取り出して調べ始める。しかし、奈緒がスマホの画面を見ながら「でもさ」と眉をひそめた。

「この二つの駅さ、たまに使うけど近くに高校なんてあったっけ?確かにあるって言ったらあるけど、もっと最寄りの駅あるよね?」
「確かに……え!じゃあ、このパスケースの持ち主が高校生じゃないってこと!?私、同世代以外の知り合いなんてほとんどいないし、本当になんで私が名指しされたか分からなくなってくるよ!?」
「絞り出して、桃乃!何か桃乃に関係あるはずだよ!」
「うーん……私の地元の隣駅?あ、通ってた中学はこの駅の最寄りかも。って、関係あるわけなくない?」
「中学校の同級生でこの定期に書かれてる駅を使ってる友達っていたりした?」
「いない……だって、結構遠いよ?この定期に書かれてる二つの駅!こんなに遠いところから通ってた生徒はいなかったと思う」
「そっかー」

 私と奈緒は近くの空き教室に入って、もう一度、写真と定期を机に並べて頭を働かせた。

「ねー、奈緒。この写真に写っている男子って本当に誰だろ」
「それが分かったら、もう答えでしょ」
「そうなんだけどさ、この写真を撮った場所も分かんないし。川辺の写真だけじゃ分かんないよ」

 私と奈緒は写真を手に持って、隅々まで見てみることにした。

「ペットボトル、手に持ってる本、あとは自転車? ママチャリではないけど、流石に自転車だけじゃ持ち主は分からないしね。ていうか、この写真の水崎先輩、今より髪長いね。最近、切ったのかな?」
「それ、教えてくれたバレー部の先輩も言ってた。『こんなに髪が長いの初めて見た』って。この写真もミディアムくらいだけど、今はショートだもんね」
「ねぇ、桃乃。それさ、ちょっとおかしくない?だって今、水崎先輩って三年生だよ?この写真ってそんなに前なの?」
「あれ、確かに……」
「この高校大きいしさ、クラスも多いし、同じ学年になるまで見たことがないことはあるかもしれないけど、もう7月だよ?流石に同じクラスだったら分かるでしょ」

 奈緒の言葉に私たちはすぐに体育館に戻った。先ほどのバレー部の先輩にもう一度、話を聞く。

「あの、水崎先輩っていつから髪が短いんですか?」
「また急な質問だね。何かのゲームでもしてるの?」
「あはは……ちょっとさっきの写真と髪型が違ったので……」
「あー、確かにね。私は彩綾と三年になってから同じクラスになったから、それより前は知らないけど、三年になってからはずっとショートだったよ」

 つまり、あの写真は少なくとも半年以上前の写真ってことだろうか?

「だから彩綾が高校一年か二年の時の写真じゃないかな? 中学校の頃の彩綾の写真は前に見せてもらったことがあるけど、その時は逆にまたショートだったし」

 バレー部の先輩の言葉に私は奈緒と目を合わせた。奈緒も何がなんだかよく分かっていないようだった。
 バレー部の先輩はそう言った後に、スマホを取り出してフォルダから何か写真を探しているようだった。

「私の友達って結構彩綾と同じ中学の人が多くて、前に集合写真見せてもらったんだよね。あ、あった。ほら、この写真。中学の頃の彩綾の髪、ショートでしょ?」

 その先輩に見せてもらった写真を見て、私は水崎先輩の髪がショートであること以上に驚くことがあった。それは水崎先輩が着ている制服だった。

「私の中学の制服と一緒だ……」

 水崎先輩は私の中学の先輩ってこと?
 生徒数が多い中学だったので、全ての生徒を把握出来ているはずがなかった。何より学年が違えばなおさらのことだった。
 バレー部の先輩と別れた後に、奈緒が「うーん」と(うな)っている。

「水崎先輩と桃乃が同じ中学だとして関わりはあったの?」
「全くないよ。ていうか、同じ中学ってことも知らなかった」

 私の言葉を聞いてしばらく考えていた奈緒が急に「うん!」と立ち上がった。

「奈緒?」
「よし!桃乃の出身中学に行こ!」
「今から!?」
「大丈夫、夏だしまだ日は出てる!だって今のところヒントっていうか、共通点自体それしかないんだし!」
「でも、私の出身中学に行って何をするの?」
「とりあえず、水崎先輩の中学時代のことを知っている人に聞く!何か桃乃と共通点があるかもだし!」

 そう言って、奈緒が廊下を走って正面玄関に向かう。

「ほら、行くよ!桃乃!急がないと、日が暮れちゃう!それに丁度次の電車まであと10分!」

 奈緒に急かされるように私は急いで高校を飛び出した。

 私の出身中学に着く頃には、もう夕陽が沈みかけていた。私は中学校のチャイムを鳴らし、久しぶりに母校を訪れた感じを出した。
 奈緒はこの中学の卒業生ではなくて入ることは難しいので、近くのカフェで時間を潰してもらっている。職員室に入って、中学三年生の時の担任に話を聞いた。

「あの、水崎 彩綾先輩って知ってますか?」
「ん?この中学の卒業生だろ? 俺が担任だったよ」
「そうなんですか!?」

 偶然の奇跡に私はついテンションが上がってしまった。

「あの、水崎先輩のこと教えてもらえませんか……!?」
「急にどうしたんだ?」
「あ、えっと……部活とか知りたくて!」
「確かテニス部だったと思うが……」

 その後も当たり障りのない水崎先輩に関する情報を教えてもらったが、ピンとくるものはなかった。
 奈緒を待たせているのですぐに帰ろうと思ったが、折角ここまで来たので仲の良かった先生の顔だけ見ることにした。

「あの……平賀先生ってどこにいますか?」

 三年生の時の担任にそう聞いた瞬間、担任の顔色が急に変わった。

「西井、お前知らないのか?」
「え?……あ、そっか!もう一年以上経ってますもんね。平賀先生って別の学校に異動になったんですか?」
「そうじゃなくて……」
「はい?」

 私の言葉に担任は本当に私が何も知らないと分かったようだった。

「そうか。西井が卒業した後だったもんな」
「あの……何かあったんですか?」




「亡くなったんだ。交通事故で」




「え?」




「一年位前に……あ、丁度、今日が一周忌か」





 正直、意味が分からなくて、その後どうやって奈緒と合流したかよく覚えていない。


 そして、その平賀先生の死がこのパスケースに大きく関わっていて、謎のほとんどが解けてしまうほどの重要なピースだとも知らずに。


「桃乃?顔真っ青だけどなにかあった?」

 合流した奈緒が心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
 私が仲の良かった先生が亡くなったことを伝えると、奈緒が悲しそうに私を見ている。

「そうなんだ……桃乃、仲良かったの……?」
「写真を撮るのが好きな先生だったの。それで良く見せてもらってたんだ」

 私は奈緒と話して、少しだけ気持ちが戻ってきたのが分かった。それでも、奈緒はまだ私を心配してくれているようだった。

「ねぇ、桃乃。今日はもう帰ろ。ね?」

 奈緒が優しくそう言ってくれたので、私は奈緒と駅の方面へ歩き出した。歩きながら、奈緒が明るく世間話をしてくれる。きっと私を気遣ってくれているのだろう。

「それでね、今日の課題がめっちゃ難しくてさー」
「わかる」
「でしょ!うん、数学が超難しくて……」

 その時、急に奈緒の話が止まった。

「桃乃!あの自転車、写真に写ってた自転車と似てない!?」

 奈緒の視線の先には、あの写真に写っている自転車と同じ自転車が停まっている。
 私と奈緒は慌てて、自転車に駆け寄った。写真と見比べても、どう見ても同じ自転車だった。
 そして、その自転車が停まっていたのは……

「墓地の前……?」

 先ほどの先生の話もあって、私と奈緒は自然と墓地に足を踏み入れていた。
 墓地に入ってすぐに、自転車の持ち主が分かった。


 だって、写真に写っていた男子があるお墓の前に立っていたから。


 そのお墓には「平賀家」と書かれている。亡くなった先生の苗字と同じだった。


 その男子は私と奈緒に気づいて、パッと視線を向けた。


「こんにちは。どちらが『西井 桃乃』さんですか?」


 その言葉は、きっとこのパスケース事件の答え合わせが始まる言葉だった。

「私が西井 桃乃です」
「そうですか。初めまして、平賀 雄星の弟の大史です」

 その平賀 大史と名乗った男子は、私たちに向けていた視線を前のお墓に向けた。そして、ポツポツと話し始めた。

「僕が彩綾に頼んだんです。『兄』のパスケースを西井 桃乃さんが拾うようにして欲しい、って。彩綾は僕に巻き込まれただけで何の関係もありません」

 大史さんの話を私と奈緒はただ静かに聞いていることしか出来なかった。

「一年前の今日、兄は亡くなりました。そのパスケースに入っている写真を撮った直後です。僕の誕生日に『アルバム』をプレゼントするために二枚目の写真を撮りに行く道中で亡くなりました」

 その「アルバム」という言葉が、「誕生日プレゼント」という言葉が、私の記憶を呼び起こした。小さな思い出。たった1分ほどの平賀先生との会話。
 それは中学卒業が迫った中学三年の三月の会話。

「なぁ、西井。今の若者って何が欲しいんだ?」
「平賀先生だってまだ若いでしょ」
「弟の誕生日プレゼントで悩んでるんだよなー」
「弟さんの誕生日っていつなんですか?」
「うーん、7月」
「遠っ!」
「準備は早い方がいいだろ?弟には喜んで欲しいし」
「うーん、平賀先生って写真上手だから、弟さんのアルバムとか? 個性あって良さそう」
「おお、とっても良いアイデアだな。弟にも最近、彼女が出来たらしいし、お兄ちゃんが写真撮ってやるかー」

 その思い出が頭をよぎって、気づけば頬に涙が伝っていた。その私の涙を大史さんが静かに見つめていた。

「彩綾と僕は違う学校だったけれど、知り合いを通じて付き合った直後だったんだ。兄はまさか自分の教えている中学校の卒業生に僕の彼女がいるとは知らなかったみたいだけど。兄とは結構歳が離れていたけれど、仲が良くて……」

 そう話す大史さんは、思い出に浸っているようだった。
 
「ずっとなんで兄が俺らの写真を撮りたいって言ってるのか分からなかった。兄はサプライズにしたかったみたいで『写真の練習!』って嘘をついてたから。だから半年前に兄の日記を見つけた時、ドッと心臓が速くなりました。『懐いてくれる生徒が誕生日プレゼントについて良いアドバイスをくれた』って嬉しそうに書いてあったんです」

 大史さんの目には涙を溜まっていた。

「だから、彩綾に中学の後輩に誰が仲が良かったか聞いてもらったんです。そうしたら『西井 桃乃』さんっていう後輩の名前が出てきて。兄の日記に書かれている特徴と一致していました。その時、暗い最低な気持ちが湧いてしまったんです」

 大史さんが私と目を合わせた。

「なんで僕の誕生日プレゼントにアルバムなんて言ってくれたんだろうって。西井さんがそう言わなければ、兄は死ななかったのにって」

 その言葉を聞いた瞬間、私の隣にいた奈緒が声を上げた。

「そんなの桃乃のせいじゃないでしょ!!!」

 奈緒の言葉に大史さんは優しく笑った。

「ええ、もちろん分かってます。それに日記を最後まで読んで、西井さんがちゃんと兄を慕ってくれていたことも、先生として尊敬してくれていたことも。それでもどこか少しだけ気持ちが整理出来なくて、こんな意地悪をしたんです。『持ち主が亡くなって届けられない』落とし物を『持ち主』に返して欲しいという意地悪を書いてしまった」

 大史さんは先生のお墓に花をそっと添えた。

「本当は西井さんに兄の一周忌のお墓参りに来て欲しいと素直に言えば良かっただけなのですが、どうしても言えなかった。それでもどうやってここに辿り着いたのか分かりませんが、結局あなたは兄のお墓まで来て下さった。正直、辿り着いても兄が亡くなったところまでだと思っていました」

 私たちは今までの経緯を軽く説明する。大史さんは私に向き直って、頭を下げた。

「本当に申し訳ないことをしました。兄を慕ってくれてありがとうございました。当たり前ですが、兄の死にあなたは何も関係ありません。それに僕も兄も西井さんには感謝しかありません。本当に」

 大史さんはそのまましばらくずっと頭を下げ続けた。

「頭を上げてください」

 私の言葉に大史さんはそっと頭を上げた。

「私からのお願いは一つだけです。平賀先生に挨拶をさせて頂いてもいいですか?」

 私の言葉にそっと大史さんは頷いた。
 私は先生のお墓の前で手を合わせた。伝えたいことがありすぎるはずなのに、何故かすぐには言葉が出てこなくて私はただただ静かに手を合わせ続けた。
 顔を上げた私を奈緒が心配そうに見ている。

「桃乃、大丈夫?」
「もちろん。気にしていないよ。平賀先生はそんなことを願う先生じゃないしね。それにね、先生の口癖があってね」

「『課題が終わらない時は、教室で残ってやりなさい』って。先生っぽいこと言うでしょ? だから、今日も私は残ってたの。だから、水崎先輩も私がいつも残ってるからパスケースを教室の前に置くことが出来た。先生の言葉がこのパスケースを繋いんだんだと思うの。綺麗事だけどね」

 私はパスケースをから写真を取り出して、「パスケース」だけをお墓の前に置いた。そして、写真を大史さんに渡す。

「これは大史さんのものです。先生からの誕生日プレゼントです」

 大史さんは写真を受け取って、ただ静か見つめていた。そして、しばらくしてそっと口を開いた。

「上手く撮れてますね」

 その言葉が少しだけ震えていて、私と奈緒は何も言えなかった。

 7月の墓地は、日が暮れても暑いままで。それでも暑いままのはずなのに、どこか暑さを忘れてしまうような想いがある気がした。


fin.