「動物はね、可愛く描こうと思ったら正面で顔だけでいいのよ。ほら」

「確かにそうですね」

「でも萌香ちゃんの猫ちゃんもかわいいわよ」

どうやったらこんな化け物が可愛くみえるのかは不思議だが、久松先生なりに距離を縮めようとしてくれているのだろう。「ありがとうございます」と笑っておいた。

「久松先生は、他にどんな人をカウンセリングしてるんですか?」

砂糖をたくさんいれてくれたのだろう。アイスココアは頭が痛くなるほど甘かった。
一口飲んでカップを置いて、私は久松先生を見つめる。


「あら、私に興味持ってくれたのね嬉しいわ」


目を細めてそう言った久松先生。
本当に嬉しいのか疑わしいところだが、本心を見せないのも職業病なのだろう。患者より下になってはならない。
久松先生は「あまり詳しくは話せないけど」とつぶやいた後、言葉を続けた。


「自分が自分じゃなくなって、不安になっちゃった人とか」

「自分が自分じゃない…?」

「そう。爆発する前にここに来るの」


そう言って、コーヒーを飲む。
爆発する前にここに来る。

私は、いつか爆発してしまうのだろうか。
自らのことを知って、自分が自分じゃなくなって、そしたらどうなるんだろう。
何も分からない暗闇だ。


「…夢に、顔もよく分からない女の子が出てくるんです」

「女の子?」

「はい。たぶん同じ歳くらいの子だと思うんですけど、何か言いたそうにこっちに来るんですが視界がゆらゆら揺れてて、何も分からなくて」


気づけば、話していた。
不安を払拭したかったのだと思う。
自らの手をぎゅっと握りしめる。


「私は、いつもその子から逃げるんです。だって怖いから…」


「そっか」


先生の手が私の手に重なる。
暖かくて少し安心した。


「夢ってね、無意識の中に潜んでるの」

「…無意識?」

「そう。自分が日頃意識していない、奥底にある無意識の領域が夢にあらわれる」


先生の言葉で私はテーブルにむけていた顔をあげる。
じゃあ、私の場合、


「その女の子は失われた記憶の中にあるってこと?」

「一概にはそう言えないけれど、その可能性はあると思うわ」


私は、新しい記憶で、楽しい記憶で頭の中をいっぱいにして夢の中の彼女を消すことはできるんだろうか。
一生闇に沈めて2度と出てこないように。

できないのだとしたら、私は失った記憶を取り戻さない限りあの悪夢に一生取り憑かれたままなのかもしれない。
そう考えただけでぞっとした。

私の気持ちを読み取ったのか先生が安心させるように私の手の甲を一定のリズムで触れた。


「大丈夫よ、無理に思い出そうとしなくていいの。過去に縛られて前に進めないのはダメよ

今は、自分がやりたいって思うことを存分にやって楽しく過ごしていれば時間が解決してくれるわ」


そう言われ、私は「そうですよね」とぎこちなく笑みをこぼした。
脳裏で先ほどの男の言葉が蘇ってくる。


ーーー「お前の記憶が妹の手がかりになるかもしれないんだ」

正解なんて分かっているはずなのに。
なんで私はずっと迷っているのだろうか。