2人で部屋の端の方に並んで座った。
実里さんは、自分の膝に手を置いた。その手に力が入る。話すのを少し躊躇うように息を吐いたあと、私のほうを見て言葉を放った。
「私は、性被害の記憶を消すためにここに来たの。当然記憶は綺麗に消せて、ここで新しい一歩を踏み出そうって頑張ってきた」
「…はい」
「しばらくして、萌香ちゃんの親友の広菜ちゃんがここに来たの。私は、新しい人を迎え入れる案内のようなことをここでやっていて、彼女は解離性同一症に悩んでいた。
そのことは知ってた?」
「…広菜の中にもう1人の人格があることはたぶん当時の私は気づいていなかったんだと思います。
苦しんでたことも、気づいてあげられてなかったんだと、思います」
「…大事な人だからこそ、気づかないように振る舞っていたんだよ、広菜ちゃんの気持ち分かるなあ」
そう言って、頭を壁に預けて涙を堪えるように上を向いた実里さん。
今、泉さんのことを考えているんだろう。
私は、自分が広菜へ当てた手紙を思い出した。
ーーーカヨラの中の人で、同じような気持ちを持っている人もいた。
ーーー広菜と仲良かったんだね。
ーーー託していたものを、受け取ったよ。
広菜は、実里さんに何かを託していた?
「広菜ちゃんは、もう1人の自分との決着をつけたいって何度も言ってた。でも、お金をかけてもかけても治らなかった、そしてそれだけじゃない」
「売春の記憶も、消えなかった」
「…そう。私は、自分がそんな仕事をしていたのすら分からない、手を出していないかもしれないし、うまく利用されて、記憶を消されたのかも分からない。
広菜ちゃんの話をきいてこわくなった、でもこのままじゃダメなことも分かってたの」
だから、実里さんは。
「広菜の告発に、協力したんですか」
実里さんは、頷きも否定もしないまま困ったように笑った。
「表立って協力はできなかった。広菜ちゃんは記憶は消えないけど、私は気づかれれば記憶を消される」
確かにそうだ。今ここに実里さんがいて、私に話をしてくれているということは実里さんは広菜との記憶は消されておらず、協力していたこともカヨラにバレていないということになる。
「カヨラの闇を暴くために売春の顧客情報を盗み出した。そこまでは私も協力して、広菜ちゃんはここから外に出た」
「っ、でも」
「これは私の憶測なんだけどね」
実里さんは、せつなげに笑って言葉を続ける。
「広菜ちゃんは、カヨラに追われるうちに1人じゃどうしようもないって思っちゃったんじゃないかな。
もちろん、カヨラに殺されたっていう可能性はあるけど、そうなれば、カヨラはなんとしても闇の証拠を持ち帰ってくるはずでしょ」
「カヨラは、まだ…」
何かを思い出したら共有してと私にいった、久松先生と原島先輩。
それから、記憶を失ったあと私のそばにいたサラ。
彼らは私を監視していた。
「カヨラは広菜ちゃんが持ち去ったものを、探しきれていないの」
実里さんは、泉さんのように不適な笑みを浮かべた。
「広菜ちゃんがいなくなってしばらくして、萌香ちゃんがここに入ってきた。
友達がもしかしたら自殺したかもしれなくて、つらい、その記憶をなくしたいって。
案内をした時に思ったの、この子は広菜ちゃんの意思をついでここに来てるって。
だから、私はバレないように萌香ちゃんに近づいて真実を全て話した」
やっぱり、そうだったんだ。だから、同じ気持ちの人もいると手紙に残していた。
「萌香ちゃんは広菜ちゃんの記憶を失う覚悟していたけれど、その前にやるべきことはやりとげるって言ってた。
復讐をし終えて、そのあと、証拠を見つけ出して公表するって言ってたの」
「復讐…」
「そのことに気づいたカヨラは、復讐に向かった萌香ちゃんを追いかけた。そして、連れ戻された萌香ちゃんは記憶をなくした」
「これが私の知っていること」と語った実里さん。
私は深くため息をついて、身を縮めた。
陽炎の中に、証拠はある。
伝えないと、誰かに。
泉さんの顔が思い浮かぶが、泉さんの私に向けられた復讐心を忘れられない。
「あの犯行文は、私が書いたものなんですよね、あれの意味を教えてください」
ーーー「あの紙は、お兄ちゃんに渡してくれた?」
私の考えが正しければ、あれは私たちを動かすための保険のようなものだ。
「萌香ちゃんが復讐に向かう前、書いたものよ」
「それって」
「記憶を失って、何もなかったことになった場合、私のお兄ちゃんを動かそうって2人で話したの。兄は、その1枚ですぐに動きはじめる。
そして、失踪した萌香ちゃんに辿り着くだろうって」
「…陽炎に眠るっていうのは、たぶん、記憶をなくす前に私はカヨラの闇の証拠がどこにあるか気づいていたということなんですよね」
「うん。広菜ちゃんが言っていたことを私は萌香ちゃんにそのまま伝えたの『私何かあっても大事なものは陽炎の中にあるから』って」
「陽炎の、中」
黒い中から透明の炎のようなものが湧き上がる。
こわくて、その中に入ったら自分も燃えてしまうのではないかと恐怖。
手を離さないでいてくれてありがとうと彼女は私に言った。
「萌香ちゃんは記憶を失っても、自分がすぐ気づけるように、『陽炎の中に眠る』って。そして、復讐に向かう前にお兄ちゃんに届けてくれた」
「っ」
「気づいてくれて、ありがとう、萌香ちゃん」
溢れた涙が自分の手の甲に弾ける。
そして私の背中を撫でながら実里さんは、「でも」と言葉を続けた。
「証拠に気づいたとしたら、なんでもう一度カヨラに来てしまったの?まさかお兄ちゃんに頼まれて私を救いに来た?」
そう言った実里さん。
こうやって捕まる形で連れてこられたのは、実里さんは知らなかったみたいだ。
すべてに気づいたあと、どちらにしろ私か泉さん、もしくは一緒に実里さんを救い出しにきていたのは確かだけれど。
と、私はドアに目を向ける。
その瞬間、複数の足音がきこえてきた。
咄嗟に実里さんの手を掴み、背中にまわす。
実里さんを泉さんのもとに返すまで、実里さんに危害を加えさせてはならない。
「実里さん、私に何があっても泉さんのもとに帰るまで諦めないでね。泉さん待ってるから」
「っ、萌香ちゃんだめだよ、一緒に」
勢いよくドアがあく。
現れたのは複数の白い服を来た人たちと、
原島先輩、サラ、そして、久松先生だった。