顔を上げれば、鬼の形相の泉さんが立っている。
後ろで母が泉さんの腕を掴んだ。


「誰ですか、警察呼びますよっ!」


大きい声を出し慣れていない母の裏返った声。泉さんはその言葉に怖気付く様子もなくその手を振り払う。
母に向かって怒鳴り散らそうとするその人を「待って泉さん」と声で制した。


「お母さん、知り合いだから大丈夫だよ。ちょっと話したいから下に降りててくれる?」


そう言った私に、母は「でも」とその場を離れようとしない。
すると泉さんが部屋の戸を全開にした。


「部屋のドアは閉めねえから、それでいいだろ」


母が私を見つめる。小さく頷けば母は「何かあったらすぐに言いなさい」と言って部屋を出ていく。
ややあって、静かになった空間。
泉さんが舌打ちをして、私の前に座った。


「昨日の、メッセージはなんだ」


再度、私にそう問う泉さん。
昨日の日付が変わる間近、泉さんにメッセージを送った。
泉さんが自分のスマホを取り出し、画面を私の前に見せる。


「『私が、満尾広菜さんを殺した』って」


昨日のサラとの出来事が思い出されて、私は手のひらで口を覆う。
息が荒くなる私に、泉さんは少し慌てたように私に手を伸ばすが、それは振り払った。私は優しくされる権利なんてない人間だ。


「せめて、何があったくらい言えや」


「言葉の通りです、私は満尾広菜さんを殺した」


「自殺だろ、高橋もそう言ってた」


「そこまで追い詰めたのは私だと言っているんです!」


くしゃりと自らの髪を掴んで私は何も見えないように膝に顔を埋めた。
何も見えないように、考えないようにしていればもうすべてが終わりを迎えてくれるのではないかとそう思った。
きっと私は、彼女が死んだあと同じように思ったんじゃないだろうか。自己保身にはしって、人のことなんて考えず罪悪感を消すために、自分のことだけを考えて記憶を消した。


「私は、彼女をいじめていました。彼女がカヨラを頼ったのは、いじめられていた辛い記憶を消すためかもしれない。そこまで自分を追い詰めて、苦しんで、死んでいったんです」


静かに私の言葉をきいていた泉さんが、小さく息を吐く。


「…で、お前はもうやめんのか、調べるの」


「…やめたい」


今すぐにでも真実から逃げ出したい。
何度も思ったそれに、今回は立ち直れそうにないと思った。すべてを知ることは絶望につながるんじゃないか、いや、私の場合はそれが確定となった。


「前に俺、言ったよな。自分の記憶を思い出すんじゃなくて調べろって。いじめをしていたっていう証拠はあんのか」


「私には、記憶がなくて、サラには、記憶がある」


「それだけかよ」


「でも、そうなれば真由や晴美が満尾広菜さんのことを私に黙っていた辻褄が合います。

失踪中に私はサラを美術室に呼び出して、彼女を脅したそうです」


「脅した?」


「満尾広菜さんのことを、存在ごと消してほしいって。そして私は失踪中にカヨラを頼って記憶を消した。

サラの言っていることは筋が通ってます」


「満尾広菜は金が必要だから、サラに頼るしかないって話は」


「そ、そもそも、満尾広菜さんが関わっていた手紙かどうかも怪しいです」


そう言えば、泉さんは何度目か分からない舌打ちをして「クソ」と呟く。
私は、せめて最後に、という気持ちで自分のスマホの画面をつけて泉さんに差し出した。


「でも、サラは売春のことについて否定はしませんでした」


あの時、ポケットに入れていたスマホの録音機能をオンしていた。
戸の隔たりがないため母に聞こえないように私は音量を少し小さくした後、再生ボタンを押す。
泉さんは、怪訝な顔をしてスマホに耳を近づけた。



ーーー「なに、これ」


ーーー「カヨラっていう宗教団体へ多額の寄付をしてる人たちの名簿。サラのお父さんの名前も入ってる」


ーーー「…だから何」


ーーー「あなたたちは、カヨラと繋がっていて、カヨラは『売春』に手を染めている。そして、」


ーーー「そして?」


ーーー「あなたは、満尾広菜さんとカヨラの斡旋をした」


ーーー「あはははっ!」


ーーー「何がおかしいの」


ーーー「そこまで調べて、自分のことは思い出せてないの!?」


ーーー「っ、どういう意味」


ーーー「だいたい

あんたがいなければ、」



停止ボタンを押した。
しばらく黙ったままだった泉さんが「なるほどな」と小さく言葉を放つ。


「ぶっちゃけ、俺にしちゃお前の裏の顔なんてどうでもいいよ。失踪者の居どころさえつかめればいいんだから」


「っ、な」


「俺は、俺のみたままのお前を信じるし、そんな女の言ってることお前が簡単に信じるのがよく分かんねえわ。売春の斡旋してるようなイかれた女だぞ」


泉さんは、私のスマホの画面を人差し指で軽く突く。
そしてその人差し指を私に向けた。


「色々調べることはあるが、サラとカヨラの関係に関してまだ情報が薄いだろ、この音声だって否定こそしてねえが、はっきりと肯定もしてねえ。まだ探らねえと」

「で、でもっ」

「憶測を飲み込んで勝手に闇に沈んでんじゃねえ、気になるなら調べるのを手伝ってやる」


ニヤリと笑った泉さんが、スマホを耳にあてた。


「高橋、ちょっと調べてほしいことがある」


しばらく泉さんは高橋さんと電話で話したあと、まだ電話越しで何かを言っている高橋さんを無視するかたちで「じゃ、頼んだぞ」と通話を切った。やっぱりこの人は自分勝手。
だけど、絶望背負っている人に「くだらねえ」となんてことないように言葉を投げかけて、良くも悪くも人を巻き込んでいく人だ。

そんなことを思いながら、私は泉さんに気になっていることをおそるおそるきいた。


「私や満尾広菜さんが、カヨラと関係があると思うのは分かりますが、泉さんはなぜ、実里さんがカヨラと関係があると思ってるんですか?

全く違う事件に巻き込まれている可能性だってあるじゃないですか」


もしカヨラに実里さんがいるとして、売春のことを隠したいなら、わざわざあんな犯行文なんて送ってこないだろうに。


「…最初は半信半疑でお前の記憶と結びつけてた。何も手掛かりが掴めず、似たような失踪者を探して調べて。まあ、勘みたいなもんだよな」


「勘、ですか」


ここまで私のことやカヨラのことを調べて、実里さんのことが何も掴めなかった場合、泉さんはどうなってしまうんだろうとふと思った。それくらい、実里さんとカヨラとの繋がりは薄い。


「けどよ、パンフレットみただろ、記憶のページ」


「…はい」


「俺たちは親に捨てられて2人で生きてきて、そりゃあ高橋みたいないいやつに出会えたりもしたけど、まあそこそこつらい人生歩んできてんだ。

大人になってせっかくそれぞれ好きなことやって好きに生きていこうって時に、実里は」


泉さんが、言葉を詰まらせた。
そして、両手で顔を覆う。


「…性被害にあった」


「え…」


「もちろん犯人は捕まった。俺が犯人を殺しにいくって家を出た時も俺のことを必死に止めてた」


「優しいやつなんだよ」と消えいるようにそう言った泉さん。
そして手を下ろした時の泉さんの表情は憎しみに溢れていた。


「だが、実里はそれ以降外に出られなくなった。外に出ると恐怖が蘇ってきてパニックになってた。

なんとか改善に向かうように実里自身ももがいていた中で、失踪した」


「っ、まさか」


「そうだ。カヨラのあの記憶のページに書いてあった過去のトラウマやPTSDへの治療としてってやつ。実里はそれをみてカヨラに向かったんじゃないかって、そう思った」


だとすれば、あの犯行文は誰が書いたものなのだろう。カヨラなの中の人物の誰かからなのか、外部の人間からなのか。


「あの手紙、実里本人からだと願ってるんだがな」


泉さんは、そう言って泣きそうに笑う。
実里さん本人から、あの手紙。


「お前の妹は、殺した。あれは、もう俺の妹っていう辛い過去が伴うレッテルを剥がして、新しい人生を始めますってそういう意味なんじゃねえかって」


「泉さん…」


「まあ、そうなると、陽炎に眠るって言葉の意味が分かんねえんだけどよ」


投げやりにそう言った泉さん。『陽炎』という言葉は、夢の中で少女が言っていた言葉だ。もしかしたら、カヨラと何か関係をしているのかもしれない。

そして、実里さんは生きてると信じている背景にはそういう思いがあったんだと初めて気づく。
荒々しい人だけど、本当は不安や恐怖を紛らすために強く見せているだけなのかもしれない。


「…立見萌香」

「はい」

「つらいだろうが、踏ん張れ。お前は勝手にいなくなるなよ絶対」


泉さんは、真っ直ぐ私を見つめてそう言った。