夢の中の少女が私に手を伸ばす。
私は掴みかけたその手を地面に力なく落とした。

ごめん、ごめんなさい。

そう伝えたいのに声は出ない。
きっと、この少女は満尾広菜さんだ。
私にこうやって手を伸ばすのは、

「っ」

憎しみをぶつけるためだった。彼女の手が初めて私の首を掴んだ。それでも私は声にならない謝罪の言葉を何度も彼女にぶつける。

届いていない、そう思った。だって、この人はもう死んでいて、私の脳内の残像によって動かされているのかもしれないから。

唯一見えている少女の唇が動く。声は聞こえないけれど、やはり『陽炎、陽炎』と動いていた。

この夢は、私に何度も訴えかけていた。きっと記憶の中の小さなカケラが見せている悪夢だ。

息ができなくなって、私は地面に倒れ込む。
ごめんなさい、ごめんなさい。
真っ黒な地面に額をつけ、心の中で何度もそう言った。許されるわけない、自分勝手に記憶を消して人を脅し、この人の存在ごと消そうとした。

どんな闇深い真実よりも、なにより自分のことがこわくなった。知らない、自分の顔がある。

顔を上げれば、少女はいなくなっていた。
代わりに真っ暗な空間の中に鏡が佇んでいる。

そこに自分の姿をうつした。


「う、あ」


悲鳴すら、言葉に出ない。映し出された自分の姿はひどく歪み、原型をとどめていないほどにゆらゆらと揺れていた。

「あんたは、悪魔だったよ」

鏡の中の自分が、そう言った。



「っ!」


目を開ければ天井ではなく、自分の部屋の真ん中に置いてある小さなテーブルの白が目に入る。ベッドに入ることはなく、小さく縮こまり自分自身の恐怖に怯えているうちに少しの間寝ていたみたいだ。

スマホの画面をつけると起きなければいけない時間は過ぎていた。

階段を登る音が聞こえて、しばらくして部屋の戸がノックされる。


「…萌香、そろそろ起きる時間だけど、大丈夫?」


昨日帰ってからの様子のおかしさを母は感じとったのか、気をつかうような声色が戸の向こうから聞こえてきた。
私は、泣き腫らした掠れた声で言葉を投げかける。


「体調悪いから、学校行きたくない」


失踪後、私は変な強がりをみせて学校には休むことなどなかった。その強がりは、自分の記憶の中で眠る罪悪感をはやくどこかに投げ出して普通の生活を送ろうと必死だったからかもしれない。


「…分かったわ、学校にはお母さんから連絡を入れておくね」


「ありがとう」


母は、知っていたんだろうか。私が満尾広菜さんのことを傷つけていたということ、それが原因で失踪をしたかもしれないということ。失踪前の私が普通だったというのは絶対に嘘だ。

くるまっていたタオルケットをとって、私は戸に近づくが、母の足音が遠ざかっていく。

嘘をつかせているのも私のせいだ。

聞く勇気なんてでなかった、これ以上お前は『悪』だったと突きつけられるのがこわかった。

私は、もう一度小さく縮こまり視界を真っ黒にする。

すると、下からインターホンが鳴りしばらくして大きな物音が聞こえた。


「ちょっと!あなた誰ですか!勝手に上がり込まないでください」


そんな母の声と、荒々しい足音。
それがこちらに近づいてくる。
私は、より身を縮め肩を上げた。

いっそのこと、満尾広菜さんが生きていて私に復讐しにきてくれればいい。そして殺してくれればいいのに。そう思った。

ドアが荒々しく開いて、ドアノブが壁にぶつかって軽く跳ね返る。
それを鬱陶しそうに足であしらったあと、私に近づいてきたその人。



「昨日のメッセージはなんだ、立見萌香」