夢を見た。ゆらゆらと視界の先が揺れている。
何度も何度もみたそれに、今日は倒れないようにと必死に足に力を入れて歩き出そうとするが、地面からなかなか離れてはくれない。
真っ暗な視界の先には、少女が佇んでいる。
ねえ、聞きたいことがたくさんあるの。
「う、あ、」
あなたは誰で、私の記憶にどう関わっていて、何を訴えかけているのか。
言葉を絞り出そうと自らの喉に手を当てて声を出そうとするが、いつもように息苦しくなって地面に倒れ込んだ。
ーーーまた、だ。
少女は、こちらを振り向く。
口を動かして何かを訴えかけようとしている。
逃げたかった。恐怖心が体を包み込む。私は少女からいつも目を逸らしてきた。
しかし消したいと願う記憶に立ち向かわないかぎり、私は誰も救えない。全身に力を入れてゆっくりと立ち上がる。
顔は分からないその少女は、後ろからひっぱられるような圧力から逃れようとこちらに手を伸ばした。
その手を掴もうと私も必死に手を伸ばす。
だがその手が届くことはない。あと数センチで手が届くというところで彼女は消えていこうとしていた。
「っ」
待って、消えないで。
顔は分からないものの、口元だけはなんとか見える。
彼女の唇が必死に何かを訴えかけていた。
私はその動いている唇を必死に私は見つめた。
ゆっくりと、スローモーションのようにみえた。
『陽炎』
「待って!」
目をあければ、私は天井に向かって手を伸ばしていた。力なくベッドに腕を下ろす。
汗ばむ額を甲でぬぐって、時計目をやると朝の6時ちょっと過ぎだった。
失踪前は家を出るギリギリまで寝ていて、母からよく起こされていたが、それも今ではなくなり夢見の悪さにより早い時間に目が覚めるようになってしまった。
体を起き上がらせて、両手で顔を覆い息を吐く。
彼女が最後に放った言葉が脳内に響く。
「陽炎」
確かにそう言った。
夢の中の少女が必死に伝えていたのはそれだった。
泉さんに届けられた犯行文の『陽炎に、眠る』という言葉。
誰かに教えてもらった、陽炎という現象。
わけがわからず私は朝から2度目のため息がもれた。
外では、微かにセミが鳴き始めており私はカーテンをあけて窓の外を眺める。
今日は、夢から逃げなかった。
それだけで、少しだけ、ほんの少しだけ自分の背中を押してくれたような気がした。
「行ってきます」
学校に行く準備を終え、玄関に向かう私を今日も母が心配そうに着いてくる。
「今日は、久松先生のところに行ってくるのよね。遅くならないでね何かあったら迎えに行くからすぐ連絡するのよ」
「分かってるよ」
いつものやりとり。私は目を合わせないまま返事をして玄関の戸に手をかける。
いつも通り、家を出ようとしたがふと足を止めた。
そして母の方を振り返る。
「ねえ、お母さん」
「ん?」
「何か、私に隠してること、ない?」
母の目が大きく開かれる。
心配してくれている家族を疑うことは心が痛かったけれど、何か隠しているのなら正直に言って欲しかった。サラや真由、晴美は何かを隠して私に嘘をついているように感じている、じゃあ、失踪前のことを1番よく知っている家族は?
そんな疑問がよぎった。
「失踪前、私普通だったって言ってたよね。それって本当?」
母は、少し息が荒くなったのを誤魔化すようにへらりと笑ってみせた。
「ええ。普通だったわ、だからその日まさか帰ってこないとは思わないもの、どうにかなりそうだった」
「警察には通報したんだよね」
「もちろんよっ、でも」
「でも…?」
「っ大変、こんな時間よ、はやく行きなさい」
母が待っていた続きの言葉を放つことはなく、私の背中を押した。
私はひっかかる何かを母にぶつけようとしたけれど、それは叶わなかった。
母にも、何か隠したいことがあるんじゃないだろうか。
なんで、みんな私の記憶を教えてはくれないんだろう。
「あなたは、今、元気に、楽しく生きてくれていればそれでいいのっ」
母は、私の背中をおしてそう言った。