「お見事」と軽く手を叩く原島先輩を睨みつける。なぜ彼はこんなに楽しそうなんだろう。やっぱり私を笑いものにするためにここに連れてきたんだろうか。
そう思うと、怒りがふつふつと湧いてきた。
「そんなに睨まないで。今から僕の仮説を話すから」
そう言って、机から降りた先輩は私の前に椅子を持ってきて、「座ったら?」と笑いかける。
その瞳は私に「拒否権」はないとそんな圧を感じる。ここまできたら、逃げるな、と。
私は用意された椅子に腰を下ろした。
「まず、僕と君は失踪前の接点が特にない」
瞳を地面に落として、小さな声でそう言ったあと顔を上げて私の座っている椅子の周りをゆっくりと歩き始めた。
「僕に興味があるのは、『記憶』についてだけだ」
「きおく…?」
「人間の脳って面白いよね、何かあるとぽーんって」
「っ、」
「簡単に記憶を飛ばせる」
私の前に跳ねるようにしゃがんだ原島先輩は、人差し指で自らのこめかみを軽く弾いた。
「耐えきれないものに直面して記憶をなくすこともあるだろうけど、それは意図的にはできないだろ?
君はつらくて記憶をなくしたんじゃないと僕は考えるよ」
「…どういうことですか」
「何かしらの理由で、人工的に記憶を飛ばされた」
原島先輩の言葉に体が硬直する。
人工的に、記憶を飛ばす。
この人は、何を言っているんだろう。
眉を顰める私を知ったことかと彼は捲し立てるように話を続けた。
「君は失踪前に何かを知ってしまい、その持ち前の正義感で動いていたけれど、上手くいかなくて記憶を消され、ここに帰ってきた」
「…やっぱり、あなたは何か知ってるんですよね」
「言ったろ?僕は『記憶』に興味があるだけだ。僕のように君の記憶を探るために近寄ってきた人もいるんじゃないの?」
そう問われ、先日会った『泉 すぐる』を思い出す。
自分の妹の失踪が私の記憶に何か関わっているかもしれない。そう言われた。
私は、何も知りたくない。
ただ、平凡に、普通に、楽しく生活を送りたいだけ。
「脳にはね、記憶を固定する場所ってのが備わってる」
近くにあった小さな人形を2つ取り出した原島先輩が私の前にそれを持っていき、片方の人形の頭を人差し指でつつく。
「今や、薬剤や光を使って、嫌な記憶、忘れたい記憶をピンポイントで消すことができる」
「…」
「君が混乱しないように、バカでもわかるように説明してあげてるんだよ?
もっとちゃんと話してあげようか、1日ここに拘束することになるけどいい?」
そう言って笑った原島先輩。私は、全力で首を横にふった。絶対耐えられない。
「あと、記憶の改竄」
「かいざん?」
「書き換えること、要は上書き保存ってこと」
片方の小さな人形を隣の人形にぶつけた原島先輩。
「こうやって、嫌な記憶をつくらせたネズミに」
数回ぶつけたあと、隣に並ばせて手を繋がせた。
そして2つを軽く跳ねさせる。
「嫌な記憶の細胞群だけを刺激して楽しい記憶に上書させる実験は、実際おこなわれて、成功してる」
現実味が沸かない言葉の数々に私はただただ唖然としていた。要は、それを誰かが私にしたとそういうことを言いたいんだろう。ありえないと思った。
「人間には、そんな実験できないでしょう」
「さあ、そればかりは闇だよね、この世界は綺麗事ばかりじゃないってこと」
へらっと笑った原島先輩。私はため息をついて立ち上がった。
「もういいです」
「なんで?自分が記憶を操られてるって可能性が出てきたのに気にならないの?」
「私は」
拳をぎゅっと握る。
「過去じゃない、今を生きてるんです」
原島先輩は「ふーん」と間延びしたような声を漏らして人形を地面に転がした。
その姿は誰も相手をしてくれなくてふてくされている子供のようである。
そして、片手を力なく揺らした。
「じゃあ、せめて『今』の記憶は操られないように気をつけなね」