しばらく走って、校舎の中に入り渡り廊下のところまで来て追ってきていないことを確認して、ようやく手を離した。2人とも肩を上下に揺らして疲れを分散させるように両手を膝に置く。


「だ、大丈夫、ですか」


顔を地面に向けて気がついた。私たちの学校は上履きの先端の色により学年が分かるようになっている。
緑色ということは、3年生、先輩である。

「大丈夫、です」と言いながらその場に座り込んだその人。私も耐えきれなくなってしゃがみこむ。


「また助けてくれてありがとう」


『また』
ひっかかったその言葉に、私はその先輩の顔を凝視するが一度も話したような記憶はなく、彼とは今日が初対面だ。
混乱する中、私はぎこちなく「いえ」と言葉を放つ。

しばらく沈黙がはしり、私はやはり耐えきれなくなり拭いきれないものを彼にぶつけた。


「以前、話したことがありますか、私たち」


「え?」


「さっき『また』って」


そう言えば、彼は戸惑ったように瞳を泳がせたあと「えっと」と声をもらす。


「前にも、同じ場所で助けてもらったことがあって」


私が、この人を助けた。もう一度彼の顔を見るがやっぱり見覚えはない。
失ったのは失踪直前、失踪中の記憶じゃないんだろうか。
自分自身が分からない。なんで、思い出せないの。
私の表情を見て感じとったのか彼は片手を軽く横に振る。


「覚えてなくていいよ、後輩に2度もこうやって助けられてるのもなんだかみっともないし」


「いつも、あんな嫌がらせを受けてるんですか」


「いつもじゃないよ、日頃の鬱憤が溜まった時の標的が俺ってだけで」


「そんな」


「あと数ヶ月我慢すれば卒業だし、耐えるよ」


制服についた汚れを手で払いながら、つらさをなんとか耐えながら笑ってみせた彼に私は唇を噛み締める。
なんで、彼が耐えないといけないんだ。
あんな金銭を要求したり、暴力を振るうなんて犯罪まがいではないか。


「あの、絶対次も助けます。1人で抱え込まないでください」

「ははっ、ありがとう。前にも君たちに同じこと言われた」


『君たち』ということは。


「前は、私1人じゃなかったんですか?」


「うん、もう1人いた。その子と一緒に暴力振るわれてる俺を助けてくれたよ」


サラ、真由、晴美を思い出す。彼女たちの中の誰かが私の隣で一緒にいじめを受けている人を助けた。
なぜかイメージをしても抜けたピースがはまらない気がした。しかし一緒にいる友達ってあの3人くらいしか思いつかない。

ますます混乱しているが、私は自分を落ち着かせるように息をはく。脳内に次から次へと浮かぶ疑問を1つずつ、1つずつ、だ。


「もう1人いた子の名前や特徴とかって分かりますか」

「君のことしかりもう1人の子も名前は分からないよ。えっと、特徴は髪は肩よりつかないくらいで黒髪で、片方の髪を耳にかけてたかな」


3人とも特徴には当てはまらない。
サラは茶髪で胸あたりまでの髪を緩く巻いているし、真由は黒髪で腰ほどあるストレート。晴美は髪を二つに結び、そして特徴をあげるならば眼鏡をあげるだろう。
ふと、夢の中の少女を思い出した。

視界は歪むほど揺れてたけれど、髪は長くなかった気がする。
ーーー私は、やっぱり何か大事なことを忘れているんだろか。


「あのっ」

もう少し話を聞こうとしたところで休み時間を終えるチャイムがなり、彼は慌てたように動き出した。


「もうそんな時間か、俺推薦狙ってるから授業だけはサボれないんだ、ごめんね、行くね」


「…はい」


「本当にありがとう。俺も君みたいに強くなりたいよ」


そう言って背を向けて走っていった彼に私は何も言えず立ち尽くした。
強い?私が?
偽善だと言われればそれまでだ。
だけど、失踪してからというもの凝り固まっていた岩のような不安や緊張が、彼の言葉によって少し溶けたような気がした。

そして、何もない隣を見つめる。

私の隣には、一体誰がいたんだろうか。