拝啓 森野 未来様
記憶が無くなってからでは、何もかも遅いから。俺の記憶がまだあるうちに、この手紙を書き記しておきます。
森野は最初、変わった子だなと思っていました。クラスメイトと打ち解けずにひとりぼっち。どうしてなのだろうかと考えていた矢先に、運動が苦手なことが発覚しました。
あの頃から余命宣告されて居たと知っていれば、俺も森野に対する思いが違ったかもしれないのに。無理して運動をさせてしまってごめんなさい。だけど、こうやって謝ると「惨めに思える」と言って怒られるのでしょうね。
今となっては、あの頃の森野が懐かしいです。
俺が記憶能力欠乏症だと診断される前、その疑惑があるということを、真っ先に森野に話したいと思いました。病気の共有というわけでは無いけれど、1人よりは2人だという思いからです。
なのに、いざ言おうとすると、言えませんでした。あまりにも勇気が必要で、伝えることが怖くて。結局、診断が下されてからとなりました。意外と弱虫な俺です。
あの日のポインセチアの赤が今でも脳裏に焼き付き、その時の森野の様子も芋ずる式に蘇ります。この記憶も無くなってしまうことに悲しみを覚えますが、ここに書いておけば、例え記憶が無くなったとしても永遠に残る。そう思える気がしています。
森野は、強い人。
その強さに、俺自身はかなり助けられました。
森野に出会えて良かった。
2人のミライに涙を零し、お互いに名前を憎んだこともあったけれど。
俺は、良かった。
最期の最期に、自分の名前を好きになれたから。
森野がこれを読む頃には、もう俺は居ないかもしれない。だけど、これだけはどうしても伝えたい。
森野未来。
俺は貴女を愛しています。
もし、これから向かう先で
いつか貴女と再会できるのであれば。
その時は俺と、結婚してください。
本当は死ぬ前に言えたら良かったのですが、さすがに高校生に伝える勇気はありませんでした。
森野が高校を卒業するまで、俺も生きられたら良かったけれど、運命には逆らえませんからね。どうか許して下さい。
佐藤未来と佐藤未来。
同じ名前の夫婦になってしまいますが
それもまた、幸せのひとつだと。
俺は心の底から、そう思っています。
最期に。
愛する、未来。
俺は君に出会えて、本当に幸せでした。
ありがとう。
ありがとう。
敬具
佐藤 未来
「————馬鹿じゃん。未来ちゃんも、佐藤さんも……。こんなの、大馬鹿だよ……2人共……」
微かに聴こえていたか細い心音が消えた時、私自身の心音も消えていく気配がした。
もう痛みすら感じない。
遠くなる意識に、一段と最期を実感する。
ヒューっと吹き抜ける風と共に、徐々に遠くなる意識の中で聞こえた誰かの声。懐かしく感じる声色に一筋の涙が零れた時、突然目の前に沢山の花々が現れた。
桜、菜の花、紫陽花、向日葵。
秋桜、ポインセチア、パンジー。
ノコンギク。
他にも沢山の花が、季節感を無視して一堂に会している。
その先で優しく微笑む、筋肉質の男性。
「一緒に行こう。未来」
「……はい。未来さんと私。2人一緒なら、どんな“未来”も怖くないと思うのです————」
差し出された手を握り、放たれる光に涙が滲む。
「2人で、1人を救ったな」
「……」
「未来……泣くなよ……」
「そんなの、未来さんこそ」
「俺は泣いてないし。てか、手紙読んだ?」
「……ふふーん」
涙を拭い合い、そっと微笑む。
そして、ポケットに入れていた未来さんからの手紙を取り出した。
「読めなかったから、持って来ました」
「……あぁ!? お前なぁ〜!! 持って来るな!! 恥ずかしいじゃん!!」
「そういう未来さんだって、持ってるでしょ? 私からの手紙」
「……バレた?」
「バレますよ」
あの頃と同じように、意地の悪そうに舌を少し出した未来さん。私と同じようにポケットから手紙を取り出した。
2人の想いが詰まった2枚の紙を、大切にそっと重ね合わせる。すると、放たれていた光が更に強まった。
眩しいくらいに感じる輝きに目を細めると、未来さんは優しい声色で囁いた。
「……もう、楽になれる」
「はい。ずっと、一緒です」
「離さない」
「……離れない」
ふわっと舞い上がった風に乗って、沢山の花びらが舞い散る。
花の良い匂いに包まれて心満たされる中、不意に土筆が視界に入ってきたりして。土筆の天ぷらを食べたがっていた未来さんを思い出し、また涙が零れた。
無くなっていた記憶が、次々と蘇る。
それは未来さんも同じだったみたいで、走馬灯のように駆け巡る数々の記憶達に、頭を抱え大粒の涙を零し続けた。
「そういえば俺、高校の体育教師だった」
「……そうです。未来さんは、“佐藤先生”だったのですよ」
グラウンドに響き渡る、大きな“佐藤先生”の声。
誰よりも遠く響く、明るい声色が……私は、何よりも大好きだった。
私の記憶の中に残る。
赤い笛を首から下げた、明るくて無邪気な笑顔。
「——ねぇ、未来。愛してるよ」
「……未来さん。私も、愛しています」
溢れ出しそうな記憶に潰されそうで、自身の存在が消えてしまいそうだと実感した私たち。2人手を繋いで、最期の力を振り絞り、互いの名前を呼び合う。
お互い見つめ合い
愛の言葉を囁き合って。
そうして
顔を静かに近寄せて
お互いの涙を拭い合いながら
優しく、優しく。
唇を重ねた。
光に包まれ、消失していく私たちの意識。
季節感を無視した沢山の花たちが、僅かな風に揺れている。
真っ暗闇の中、最期に聞こえたサーッという音。
それは、私たち2人の“未来”を願い、見送りをしてくれているような気がした————……。
拝啓 佐藤先生へ
私にとって2枚目の遺書となります。
1枚目は【まだ見ぬ『誰か』様】向けて、高校入学時に書きました。
ですが今回は、佐藤先生に向けて書きます。
渡邊先生に『高校を卒業できる確率は10%未満』と言われて望んだ入学式。
どうせ死ぬのならば、同級生とは関わらない。そう決めて過ごしていました。
ひとりぼっちの日々を過ごす中。
今でも思い出す、佐藤先生の言葉。
「森野未来、奇跡の足だ」
先生自身は、覚えていますか。
私はこの言葉を言われた時、非常に苛立ちを覚えたものです。
馬鹿にされたと思いました。
昔からそうでした。
運動ができない私のことを同級生、体育教師、色んな人が馬鹿にしてきました。
だから、佐藤先生も同じなんだと率直に思いました。
でも、違いました。
佐藤先生はその後、運動が苦手な私を褒めてくれました。
腹筋2回でも、ボール投げがそこそこでも。先生は褒めてくれました。
それが私は、物凄く嬉しかったです。
そして佐藤先生が私を気に掛け、話し掛けてくれたこと。
本当に、本当に嬉しかったです。
同級生と関わらないと言いながらも、本当は寂しかったが故の感情だったと、今なら思います。
いつも私の傍に居てくれて、支えてくれて。
ありがとうございました。
これから行く先が、どのような場所なのか分かりません。
ですが佐藤先生と一緒なら、例えそこがどんな場所でも怖くないと思うのです。
佐藤先生。
これまでも、これからも。ずっと先生のことが大好きです。
願わくは、“記憶能力欠乏症”と戦った先でも。
沢山の花と共に。
いつまでも、佐藤先生の隣で。
敬具
森野 未来
花と共に、あなたの隣で。 終