年が明け、新年がやってきた。
川内わかば園で1人年越しをした私は、特にやることも無くテレビで放送されている特番を眺める。ギャーギャーと騒がしい芸能人たち。楽しそうで何よりだね……と。ついそう思ってしまう私は、どこか冷めている。
佐藤先生とは年末に会って以降、特に何も無い。
悲しそうな様子が脳裏に焼き付いて離れない——……。ただ、それだけだった。
考え事をしながらテレビを眺めても、内容が一切入ってこない。
次は何をしようか……そう考え始めた時、静かに扉をノックする音が聞こえてきた。
「……はーい」
「渡邊です。入るね」
「……」
静かに扉が開き、ゆっくりと入って来た私服姿のナベ。
ナベは「あけましておめでとう」と一言呟き、軽く頭を下げて部屋に入ってきた。
「……おめでとうございます」
「未来ちゃん、まだ怒ってる?」
「……」
実は戸野くんの件でナベの診察室に乗り込んで以降、なかなか顔を合わせる機会が無かった。検診も無いし、ナベには用も無い。それで私からも近寄らなかったものだ。
「用事は何? ただ挨拶に来ただけなら帰りなよ」
「未来ちゃん……」
やっぱり、苛立ちは隠せなかった。
ナベの方を見ずに冷たい言葉で突き放すも、当の本人は部屋を出る気配が無い。
「……ナベ」
「未来ちゃん。戸野くんの件は本当にごめん。僕、戸野くんとの話の中で、未来ちゃんが学校の体育の先生と仲が良いと聞いて。不味いと思ったんだ」
「…………」
「未来ちゃんと仲の良い佐藤先生。彼の主治医も、僕だ」
不意に込み上げてきた涙を隠すように拭い、窓の外に目を向ける。絞り出すように言葉を発するので精一杯だった。
「……だ、だから何。何が不味いの。それと戸野くんに話した件、何が関係あるって言うの」
小さく溜息をつく音が聞こえた。
ナベは私の隣に置いてあった椅子に座り、また溜息をつく。私の部屋には、重たい空気が流れていた。
「佐藤先生から聞いた? 」
「……」
言葉は発さずにそっと首を縦に振り肯定すると、「そう」と呟いてまた溜息。溜息ばかりのナベにそろそろ物申そうかと考えると、小さな声でまた言葉を継いだ。
「僕ね、未来ちゃんが決めたこと。高校で友達を作らないっていうやつ、別に悪いとは思わない。未来ちゃんが決めたことだから、深くは何も言わないようにしようって思っていた。だけど、その一方で先生と仲良くなるのは違うと思う。未来ちゃんには、年相応の生き方をして欲しい。……ましてや、駄目だよ。後付けとは言え、“記憶能力欠乏症”の患者と仲良くなっては駄目なんだ。……段々と記憶が無くなるんだから。辛いのはお互いだよ」
「……」
「しかも、後天性は先天性よりも進行が早い。……だから多分、佐藤先生の方が先に————……」
「やめてっ!!」
「!」
「やめて、やめてよ。ナベの馬鹿!!」
ダンッと力強く机を叩き立ち上がる。酷く睨みつけて「ナベ大嫌い」とだけ一言残し、部屋を飛び出す。その様子に驚いたナベは大きな声を上げるが、追い掛けては来なかった。
廊下で作業をしていた夏芽さんも「未来ちゃん!?」と名前を呼んだ。しかし、それすらも無視をして歩き続けた。
同級生に友達を作らず、先生と仲良くなっていた私。
しかもその先生が同じ病気で、先に亡くなってしまう可能性がある。
だからナベは、私を佐藤先生から引き離そうとしていたのだろう。戸野くんに私と接触するよう促し、気をそちらに向けさせる。そうして、“記憶能力欠乏症”である先生とは距離をおかせる。
私が傷つくから。
私が……希望を失ってしまうから。
ナベの考えることだ。大方そんなことだろうとは、何となくだが想像はつく。
「……分かっては、いるんだけど」
目を閉じれば思い浮かぶ、佐藤先生の笑顔。
最初こそやたら絡んでくる教師、くらいにしか思っていなかったけれど。何かと関わり、沢山の話をする中で……。
「いつの間にか私、先生のことを好きになっていたんだろうな」
そう呟き、溜息を零す。
わかば園の正面玄関から外に出て、その前で立ち尽くした。静かに舞い降りている小さな雪の粒が、そっと私の体を濡らしていく。防寒具も持たずに飛び出したものだから、あっという間に手が赤くかじかんできた。
行き場もない。所持金もない。
無謀に飛び出したことを後悔していると、後ろから私の名を呼ぶ声が聞こえて来た。
「ねぇ、未来ちゃんっ! 風邪ひくよ!」
「……」
玄関の扉が開いて飛び出て来た人物は、そのままの勢いで私に抱きついた。そうして自身の首に巻いていた青いチェック柄のマフラーを私の首に巻いて、再度力強く抱きしめる。
その人物————ナベは、涙を浮かべて目を真っ赤にしていた。
「未来ちゃん、ごめん。僕は君に意地悪をしたいわけじゃないんだ」
「……」
「同じだよ。未来ちゃん自身が、先に立つ自分のことで悲しませたくないから友達は作らないと言っていたじゃない。それと同じ。未来ちゃんと仲良くなった人が先に立つと、未来ちゃんが悲しむ。だから……佐藤さんとは距離を置いて、事情を知っている戸野くんと仲良くなって欲しかったんだ」
「……事情を知っているって。ナベが勝手に話したくせに」
ありったけの力を振り絞って、ナベの抱擁から抜け出す。たったそれだけなのに息切れをしてしまい、自分の体力の衰えを感じる。確実に近付いている死期。それを思わぬ所で実感してしまい、少しだけ笑いが零れた。
一方、ナベはまた泣きそうだった。医者であるナベから見れば、今の行動1つであらゆることが分かるのだろう。
「ねぇ、ナベ。私、佐藤先生と一緒に死ねるかな」
「……えっ?」
「私、いつ死ぬの? 春、夏、秋、冬。いつ? 明日なの、来年なの?」
「未来ちゃん……」
「……私ね、後天性である佐藤先生が先に死ぬかもって分かっていても、距離を置くなんてできない。佐藤先生は、運動が苦手な私のことを褒めてくれた。ひとりぼっちの私を気に掛けてくれた。気が付けば、いつも傍に居てくれた佐藤先生のこと、多分私は……好きになっているのだと思う」
「……」
「佐藤先生にはね。私が死ぬ時、傍に居てねって話しているの。だけどそれが叶わないと言うのならば、一緒に死ぬ未来も有りだよね」
思ったよりもスラスラと言葉が出てきて、自分でも酷く驚いた。何なら自然と口角まで上がっているようで、そこまで悲観せずに今の状況を受け入れられているということなのだと思う。
ナベは良い大人だと言うのに大号泣をしていた。嗚咽を漏らしながら零れ落ちる涙を拭いもせずに、ただ流れに任せている。
ビューッと冷たい風が吹き、舞い降りていた雪が風に乗ってブワッと飛んでいった。新年早々、こんなにも重たい話をしなくても良いのに。最初に話題を切り出したナベが悪いのだと心の中で思い、自分を正当化させた。
泣き止まないナベは、その後何も言わなかった。
そうして私をわかば園の自室まで送り届けて、足早に帰って行ったのだった。
「……」
「……未来ちゃん、入るよ」
「……」
部屋で何もせずに窓の外を眺めていると、静かに夏芽さんが入ってきた。両手で小さな花瓶を持っていて、その中には真っ赤なお花が生けられている。
「これ、椿。うちの庭から取ってきたんだ。未来ちゃんのお部屋に飾らせてね」
飾り棚に花瓶を置いて「良い感じ」と呟いた夏芽さんは、入口の近くに置いてある椅子に座った。夏芽さんは何か言いたげに一点を見つめていたけれど、何も言わずに口を閉ざしたまま……。
「……夏芽さん、どうしたの」
「いや……。あの、さっき。渡邊先生と一緒に後を追っていたからさ。聞いちゃったんだ、会話。悪いと思ったけど……」
1つだけ言わせて……。そう言った夏芽さんは、目に涙を浮かべながら言葉を継いだ。
「死ぬなんて、簡単に言わないこと……っ!!!! 今年もまた、短冊に願い事を書くのでしょ……!?」
それだけを言って立ち上がり、強く私の体を抱きしめた。
夏芽さん越しに窓を眺め、先程よりも強くなった雪を見る。死ななくて良いなら、死にたくない。佐藤先生だって、死ぬ必要が無い人。
「……死ぬって分かっているのに、死にたくないって願うのは、馬鹿馬鹿しくない?」
「……え?」
「それよりも、好きな人と一緒に死ねる方法を考えた方が建設的だよ」
「未来ちゃん……」
「だって。私も相手も、余命宣告されてるんだから」
意気消沈したように俯き唇を噛んでいた夏芽さんは、そのまま黙り込んでしまった。申し訳ないと思いつつ、今度は夏芽さんが置いてくれた椿を視界に入れた。
凛と咲く一輪の椿。
その力強い佇まいに、私もそうで無ければならないのに……と、客観的に自分を見つめてしまい、思わず笑いが零れた。