♢子ども食堂の日

 アシスタントの鬼山と愛沢にも手伝ってもらい、昼過ぎから準備をする。今日は午後から一般のお客さんをお断りして、貸し切りだ。さっそく中学生の二人がやってくる。緑屋、咲は二人で昼頃に手伝いにやってきた。頼んでもいないのに早めにやってきたのはみくとその妹のゆいだ。空は親が店の仕事が忙しいので、一人でいる時間が長い。退屈を感じて1時間ほど早めにやってきた。塾で忙しい秀才はぎりぎりになりそうだということだ。

 材料の下準備はしてある。午前中に肉を自然解凍しておいたし、食材は切るだけだ。カレールーはいつも使っているものを使用した。隠し味の牛乳やりんごやバナナも忘れずに用意している。野菜はじゃがいも、にんじん、たまねぎ、という一般的なものを用意した。見切り品になる野菜や果物を中心に安く商店街の店から仕入れた。人数が多くないので友人をもてなすような感覚に近い。子ども6人とスタッフ8人合わせて12人分を作る。8人というのは、アシスタントとエイトとナナの他に、園長のレオと恋人の小春もやってくるからだ。おかわりできるように少し多めに用意する。

 ドアから懐かしい声がする。レオと小春だ。二人は晴れてわだかまりが取れて両思いになったと聞いた。心なしか二人の立っている距離は以前よりも近く見える。子ども食堂経験者のレオさんやNPOで子ども食堂事業に詳しい小春さんはよきアドバイザーとして力になってくれた。今回晴れて第1回目を開催したということで応援と手伝いに来てくれたようだ。花束を持ってきてくれたレオは、さながら王子様のようだ。美しい可憐な花束が良く似合う。カスミソウと色鮮やかなポピーを花束としてアレンジしたのは小春だろうか。色彩のセンスが感じられる。

 ピンクと赤と白の彩りは紅白をイメージしていて、お祝いの色合いが強く出ていた。暖色は心を和ませる。花がある暮らしというのは心の隅にぽっと光をくわえるようなものだと思う。花はなくても困らないかもしれない。でも、部屋にきれいな花があれば人々の心は和む。花の力は意外と侮れない。

 今日、食堂に来る子どもたちはお客さんというより一緒に作る仲間という感じとなっている。食育や家庭科の調理実習のような試みもあるのかもしれない。実際に触れて作って感じてみようといったところだろうか。

 実際に作ってみるとじゃがいもの皮むきに悪戦苦闘したり、土のにおいを感じたり、芽がでている場所を取りだしたり、ひとつひとつが経験となる。球の形をしているので皮を剥く際には手を切らないように要注意だ。

 たまねぎが目に染みてギブアップする空は戦闘に敗れた戦士のようだ。料理は戦いなのかもしれない。じっくり見極めて調理をする。肉や野菜の火の通り方を見極め、煮る時間も気を休めずじっと鍋と食材と対面する私たちは立派な戦士だ。

 最初は火の通りにくい肉とジャガイモを中心に炒め、その後他の食材を入れる。たまねぎがあめ色になったら、水を入れて中火で煮る。20分ほど煮るが、この間も気を抜けない。私たちはその間料理する食材と対面する。

 時々かき混ぜながら味見をする。部屋全体に立ち込めるカレールーの香りは食欲をそそる。匂いだけでも食べたような錯覚に陥る。気を抜かずにじっと見つめながらカレールウを入れてことこと弱火で煮詰める。最終対決までやってきた。この時に、牛乳を少々入れる。ゆっくりかきまぜるととろみが出て、カレーに重圧感が生まれる。コクが出て来たような気がする。料理は戦いで、その食材は大切なパートナーでもある。大切に大切に扱う。

 大人がサポートしながらみんなで作る。お皿や水やスプーンの準備はレオと小春がやってくれた。ごはん担当は緑屋だ。真っ白な大きな白いお皿にごはんをよそう。すると、湯気が立ち込めお米の香りが香しい。

 白いご飯粒は一粒一粒真珠のように光っており、よく見ると宝石のように思えてくる。できたカレーをよそうのは咲だ。真珠のような米と戦いの成果である野菜を煮詰めたカレーが混じりあい最上級のカレーができる。

 この地球で最もおいしいカレーを作ったと自負するくらいみんなが愛情を込めて作ったカレー。空腹は最高のスパイスだというけれど、実際戦いを終えた全員が残さずきれいに完食したことは言うまでもない。

 カレーができるころに来た秀才は手伝いはできずだった。彼は模擬試験を受けてぐったりしていた。しかし、食べ終わった後の彼の笑顔は幸福に満ち溢れていた。ここで食べることで元気がもらえたと言う。料理は人を元気にするし、みんなで食事をするという行為は一人で食べるよりも何倍もおいしく元気がでる。それは、誰もが感じたことだった。

 エイトがにこやかに笑顔でいただきますとごちそうさまの音頭を取った。そして、食事中は子供たちの話に耳を傾ける。それはアシスタントのみんなも同じで、そばにいる子どもの話を真剣に聞いた。これは、子ども食堂の大きな特徴であり、使命だった。なにかしら生きていて辛いことや困ったことがあれば聞いてあげる。解決できそうなものは一緒に解決に導く。そういう場所であり存在でいたいとエイトは言っていた。普段の食堂ではできない行為でもある。来てくれた子供たちの心の中を見せてもらうことが対価なのかもしれない。

 各々が悩みを抱えている。それは、受験へのプレッシャーだったり、人間関係だったり様々だ。大人たちは親がどの程度家にいないのか、その理由は仕事なのかどうかなどもちゃんと把握できた。本当に困った子供を見つける手段として対話は有効だと小春が教えてくれた。

 私は実際に寿命が半分になっている。だから、とても暗い闇の中をさまようような気持ちになることがある。どの程度生きることができるのか。怨念を晴らすこと自体に後悔はない。しかし、生きている者としての自分の存在がなくなってしまうという恐怖は誰にでもあることだ。そして、私はそんな切り札を使ってしまったということに不安と後悔を感じてしまっていた。

 ちらりと横を見るとみくはエイトの隣で談笑していた。思い出話に花を咲かせているのだろうか。エイトは誰にでも優しい。そして、平等に愛を注ぐ。胸がきゅんと痛くなる。裁縫の時に指に間違えて針を刺してしまった時のような不意打ちの痛みが重くのしかかる。まだ結婚しているわけではない。みくが入る余地があるかもしれない。

「ナナ、どうした?」
 エイトが声をかける。
「別に何でもないよ」
 エイトは私の表情をよく見ている。

「今日夜、大事な話をしたいんだけれどいいか?」
 真面目な表情でエイトが声をかけて来た。

 みくは複雑な表情を隠しきれない様子だ。やっぱりエイトを独占したいのだろう。なんだか罪悪感すら感じてしまう。エイトはいつも私のことを気にかけてくれる。とても心強いし、支えられていると感じていた。家族愛というものだろう。これを手放したくない。思った以上にエイトに対する信頼と愛情が深くなっていることに気づく。