♢半妖と私


 エイトが銀色のオーラにまとわれながら私の手をひく。いつもの優し気な頼りないけだるい雰囲気はなく、いつもとは別人なような研ぎ澄まされたオーラを解き放つ。

 何者も寄せ付けない孤独な光を身にまといながら、絶対的な強さと力を兼ね備えた一人の死神がいた。それは、命を半分いただくという神聖な行為をつかさどる人間が手出しできない領域にいる者。その立場ではなければ絶対に手出しの出来る行為ではなく、一人の人間の人生を左右させる行為を自分自身でしなければいけないさだめを背負った男の背中だった。

 彼はずっと他人の怨みをその手で晴らしてきた。それが、自分が希望することではなくとも、人間に怨みがある限り、彼らが仕事をしなければいけないという寂しくも辛い仕事だ。

 今日、依頼人として私は立ち会う。それは、彼の負の部分を理解して、分かち合いたいという気持ちもあった。ただ愛し合うという資格は私たちにはないような気がした。怨みを背負い、その仕事を理解してはじめて彼と一緒になる資格があるような気がした。それは半妖と一緒になるという意味なのだろうと思う。普通の夫婦とは違うさだめ。

 この行為によって、二人の悲しみが終わるかもしれない、という不確かな希望を持っていた。悲しみが終わることなんてないけれど、自己満足することで事故を一区切りできるかもしれない、そんな薄い希望を持っている自分がいた。

 きっとエイトはそんなことは思っていないだろう。たくさんの人が怨みを晴らした先に笑顔がないという事実を何度も見てきているだろうと思う。笑顔になれなくても、心のつっかえがとれるかもしれない、淡く馬鹿げた期待は私の心の隅にあるからには、仕方ないことだろう。

 人間は愚かで弱い生き物だ。それは私も同じであり、極めて弱く愚かだと自覚している。父親になるかもしれなかった人と一緒になろうなんて思っているのだから。お母さんに顔向けできない。しかも、仇を討つなんてお母さんは生きていたらきっと止めたと思う。それをわかっていて加害者に危害を加えようとしている私は、道徳の時間ならば悪い例そのものだろう。わかっているけれど、もう後には引けない。これは、私の気持ちの問題だ。

 エイトが手をぎゅっと握る。半妖の姿のエイトは裁きを行う人間の元に一瞬で行くことができるらしい。ここは、加害者の高齢男性が散歩しているルートなのだろう。

 細い道路をゆっくり男性が歩いてくる。足を若干引きずっている。普通の人より歩く速度が遅い。普通に見かけたら席を譲ったり荷物を持ってあげたくなってしまうような老いた人だった。でも、それでも私情のほうがぐんと強まる。この人がいなかったら、お母さんは死ななくて済んだ。それ相応の恐怖を与えたい。外傷は与えないけれど、心の恐怖を与えてやる。そんなことを思っている私はきっと鬼だろう。人間の皮を被った鬼だ。

「よお、人を死なせた気分はどうだった?」

 エイトのいつものサディスティックな語調がさらに今日は尚更強く感じる。これは、エイトの怨みが入っているからだろう。個人的感情を挟まないことが鉄則だが、今回は仕方のないことだ。しかし、いつも自分が怨んでもいない他人の怨みを晴らすために人を痛めつけ、半分の寿命を奪う行為は心を鬼にして行わなければ成し得ないことだ。半妖たちはどんなに辛くても、それを誰一人嘆かずに生きている。私は今、彼らを改めて賞賛している。

「お前は誰だ?」

「半妖の死神だよ。寿命を半分いただきに来た」

「わしは80歳を過ぎている。残り僅かな命なんぞくれてやる」

 老人は静かに答えた。驚いているが、受け止めているというようにも感じられた。

「幻想の術」

 エイトが静かで平坦な声でつぶやくと、そこには大型の車が現れ、老人にむかって走ってくる。その速度はとても早く、老人の足ではとても逃げ切れる距離はなかった。老人は立ち尽くして、目の前の大型車を見つめ、動けずにいた。そこには覚悟があったようにも思う。もう、車にひかれて死ぬしかない、あきらめの沙汰だったように思う。

 しかし、幻想の車なので、見えてはいるが実在しないことを私たちは知っている。老人は一瞬のうちに驚きと恐怖から死を覚悟したように思えた。車は非常にリアルで、幻影だとは誰も思わないだろう。そのまま、ぶつかりそうな距離の時に老人は気を失って倒れてしまった。

「これでいいのか?」

「うん、これでいい。気を失っているのかな。放っておいていいかな」

「今、死んだよ」

「え? だって、これは幻の車だし、寿命は半分しかいただいていないはずだよね。外傷もないし」

「寿命を半分もらった。今、この人の寿命が尽きたんだ。元々持病もあったし、精神的に交通事故で参っていたみたいだったからな」


 どこかさみしそうな表情のエイトが問いかける。目的は達成したのにどこか心がむなしく、自分たちがこの人の最後のときを決めてしまったような罪悪感までが私を襲った。

「この人は最近、心を病んで幸せな生活ではなかったそうだ。死亡事故によって家族からだいぶ責められていたみたいだ。免許を自主返納しなかったからだと親戚からも罵声を浴びせられて、夫婦仲も家族の仲も悪くなったらしい。孤独になって死ぬ。これは、この人には決まった運命だったんだよ。さあ行こう。誰かが発見するさ。俺たちに関係のないことだ」

 そういったエイトの背中は氷のように冷たく、私のような罪悪感は微塵も感じられないような気がした。それは、割り切った考えを持たないとこの裁きを行うことはできないのかもしれない。

 遠くから、誰かの声が聞こえる。

「人が倒れているぞ、救急車だ」

 誰かが発見してくれたらしい。怨んだ相手の最期を見た私の心には少しも幸せな気持ちが浮かぶことはなかった。虚無感というのだろうか、何とも言えないすっきりしない気持ちが残った。これは一生味わい続けなければいけないあと味なのかもしれない。これが、怨みを晴らした人間の末路であり、怨みを晴らした分、何かを背負うことがさだめなのかもしれない。

 結果、母親の仇を討ったのだが、それで幸せになった者は自分を含めて誰もいないことに気づいた。自分のための仇討ちとなったような気もする。すっきりした爽快感はひとつもなく、死んだ高齢男性の家族は死を悲しむのかどうかもわからないくらい、亡くなった男性の家庭は既に崩壊していたようだ。

 長生きしたとしても幸せが待っているかどうかはわからない。この人は交通事故を起こしたことによって、最後の最後に不幸な末路だったのかもしれない。いずれ寿命が尽きるときがやってくる。そのときに、幸せなのかどうかは誰にもわからない。今日の事実は自分が背負っていかなければいけない。怨んだら自分に返ってくるというのは、罪悪感や自己に対する憎悪感なのかもしれない。

 見上げたエイトの横顔は冷たく割り切った顔をしていたが、どこか寂しさやむなしさを漂わせているように思えた。エイトの手をぎゅっと握る。彼の手はとても冷たく、血が通っていないかのようなまなざしは私にはどうすることもできない彼の領域なのだと実感した瞬間だった。彼は何度も怨みを晴らすたびに胸糞悪い辛さとわびしさとやるせなさとの葛藤の中で生きてきたのだろう。

 寿命は半分になってしまったが、私は特別な宿命を背負った彼のそばで支えよう、そう決意した瞬間だった。