――外に出てから、より一層深刻度が増した。
 家なんて所詮小さな世界だったと……。
 一歩出れば、見慣れた通学路、看板、信号、街の景色、太陽の方向、今まで見慣れていたものが全て反対の向きになっている。
 それが目に映った途端、本当の試練はここからなんだと察した。
 幸い通っている学校は徒歩圏。
 スマホの地図アプリを見ながらの登校すれば問題ないのだが、キーの位置や文字が逆さになっているから学校に到着するまで少し時間がかかった。


 そして、やっとの思いで教室に到着。
 昨日から積もり積もっている不満を吐き出す為に、席でスマホを操作している心葉の傍へ行って声をかけてみたのだが……。

「心葉、おはよ〜。聞いてくれる? 困ったことがあったんだけどさ……」

 一瞬目が合ったはずが、彼女はフイッと目線をそらして再びスマホ操作を始めた。
 普段なら元気な声で「おっはよぉ〜」と声をかけてくれるのに、あまりにもそっけない態度に体が氷のように固まる。
 
 いま、目が合ったよね。
 私が呼んで気づいたからこっちを見たんだよね。
 それなのに……、無視??
 妙な違和感に奮闘しながらも、上目遣いでそろりと聞く。

「心葉、なにか怒ってる?」
「別に」
「今日は様子が変だよ。私が何か嫌なことでも言ったかな」
「なにも」
「身に覚えがないんだけど、もし変なことを言ってたらごめん」

 恐る恐る表情を伺いながらそう伝えると、彼女は話に区切りをつけるかのように膝裏で椅子を押し当てて席を立つ。

「なに? 言ってることがわかんないし、馴れ馴れしいんだけど」

 冷めたくそう言い返された後、彼女は席を離れて行った。
 普段とはまるで違う様子に気持ちがついていけないまま焦って彼女の背中に言う。

「馴れ馴れしいって、どーゆーこと? 私たち親友じゃないの?」
「親友? 私、堀内さんとは1日たりともそんな日はなかったけど」
「ちょ……ちょっと待って。昨日まで”皐月”って呼んでくれたのに、どうしていきなり名字呼びに? 心葉ったら一体どうしちゃったのよ」

 願いとは裏腹に、彼女は反論したり足を止めることなく教室を出ていく。
 ぽつんと取り残された私は、彼女の背中を眺めたまま心の葛藤が始まった。

 昨日まで普通だったのに、今日の心葉はまるで別人のよう。
 私、自分でも知らない間に傷つける言葉を言っちゃったのかな。
 あぁっ……、全然身に覚えがないよ〜〜っ。
 肩を落としたまま自分の席に向かうと、あの桐島くんが私の席に座って机に寝そべった。

 ……あれ、桐島くん、自分の席を間違えてる。
 桐島くんの席はそこから横二つ先なのに。
 でも、本人にいま座ってるところが私の席だなんて言えない。
 話しかけただけでも怒鳴りそうで怖いからどうしたらいいかわかんないよ……。
 ただですら心葉の件で落ち込んでるのに、桐島くんまで。
 トホホ……。
 なんかとことんツイてないかも……。

 もどかしい気持ちのまま立ち尽くしていると、後ろから来た萌歌がすれ違いざまに呟いた。

「桐島が座ってるところから左二つ横だよ」
「えっ」
「あんたの席。この世界は全て左右反転しているなら多分正解だと思う。早くこの世界にいることを受け入れなきゃやっていけないよ」
「萌歌……」

 少し驚いた。
 あの萌歌が困ってることに気づいてくれたなんて……。
 ……なんか、意外。

「あっ、ありがとう! そっかぁ〜。普段通りの並び方で考えてたから自分の席を勘違いしちゃったんだね。萌歌に指摘されるまで気づかなかったよ」
「……」

 感謝を伝えようと思って背中に向けて大きな声で言った。
 返事はしてくれなかったけど、きっと気持ちは届いてるよね。

 確かに彼女の言う通り、パラレルワールドに来てしまったからには一刻でも早くこの環境に馴染まなければならない。
 帰れるかどうかもわからないしね。
 あぁ、勉強どうしよう……。
 ノートも全部逆向きで書かなきゃいけないんだよね。
 はぁぁぁ……、頭ではわかっていても気持ちがついていけてないな。
 ……あれ? もしかして、全て反転してるということは、心葉の性格も反転してたのかな。
 普段は仲がいい分、いまはその逆で仲が悪くなっているとか? 
 それなら納得がいくかも。

 環境に少しずつ慣れ始めて気持ちが安定してくると、ふと名案が思い浮かんだ。
 もしこの世界が本当に全て反転しているのなら、三井くんは私の告白をOKしてくれるかも。
 向こうの世界でアタックしてもダメだったということは、ひょっとしたら…………むふふ……。
 そう考えた途端、笑い声をこらえて揺れた肩が止まらなくなった。


 善は急げと思い、ハッピーな気分のまま三井くんを体育館裏へ呼び出す。
 そして、躊躇いもせず「好き」だと告白するが……。

「ごめん、先日も言ったけど、いまは堀内と付き合いたいとかそーゆー気持ちにはなれなくて」

 あっさりとフラれた。
 元の世界でフラれ、このパラレルワールドでもフラれるなんて。
 パラレルワールドは人間の性格も逆って言ってなかったっけ?
 ……でも、もしかしたらという思いがあり、念の為にもうワンプッシュしてみた。

「……どうしても、だめ?」
「うん。いまは他の女と遊んでた方が楽しいんだよね」

 ……ん?
 断る理由がなにかおかしくないかい。
 先日は「勉強が忙しいから」と断られたけど、「他の女と遊んでた方が楽しい」って……。
 真面目な性格だったのに、どうしていきなりクズ男に……。

 あ、そっか!
 この世界は性格も真逆だから、ここの世界だと真面目な人はチャラくなるのか……。
 だけど、好きな人がここまで落ちぶれるなんて思わなかったよ。
 しかも、どっちにしてもまたフラれてるし。

 私は虚しさの吹雪に巻き込まれながら、その場を離れて行く三井くんの背中を見つめたままひとりごとを呟いた。

「うっ、うっ、うっ……。この世界は全て逆だから三井くんへの告白がうまくいくと思ったのに。しかも、恋が一瞬で覚めるくらい最低男に変貌してしまうなんて聞いてないよ。なにがパラレルワールドよ。人間の性格や建物の形状が反転してるんじゃないの? ってか、何が基準なのよ。中途半端に反転させないでよ」

 すると、体育館のすぐ横から「ぶわぁ〜っはっはっは!!」と大きく笑い出す声が聞こえる。
 失礼な人だなぁと思いながらそこに移動すると、花壇のレンガにごろんと横になって腹を抱えている桐島くんの姿があった。

「だっせぇえ〜っ!! 三井にフラれてやんの。しかも、振った理由がパンチ効いててウケるんだけど」
「桐島くん。……もしかして、そこで全部聞いてたの?」

 これが彼とファーストコンタクトだったが、失恋のショックが勝っていたせいで彼が怖いとは感じなかった。

「人聞きが悪いな。聞いてたんじゃなくて、聞こえてきたの! 人がここで寝てんのに、勝手に堀内の告白が始まったから」
「うっ……。誰もいないと思ってたのよ」

 恥ずかしさと情けなさで赤面したまま拳を握っていると、彼は上半身を起こして座り直す。

「ちょっと気になることがあったから聞いてもいい?」
「あ、うん。いいけど……」
「さっき、『この世界に来てから人の性格や建物の形状が反転してる』言ってたけど、堀内は別の世界から来たってこと?」
「そっ、そうだけど……」
「ちょっとその話を詳しく聞かせてくれない?」

 それから私はパラレルワールに来た経緯を伝えた。
 父親が再婚して萌歌と姉妹になってから鏡の前でケンカをしていた時に異変が起きて、目が覚めたらこの世界に倒れていたということを。
 すると、桐島くんも私たちと同じように元の世界から来たことをカミングアウトした。
 ここへ来たのは自分たちだけだったと思っていた分、驚きが半端ない。

「俺たちは同士ってことだよな」
「うん。少なくとも、私と萌歌、桐島くんの三人は同じ世界からやってきたことになるね」
「堀内はいつ来たの?」
「昨晩。桐島くんは?」
「俺も昨日の夜中。鏡に吸い込まれた感覚があって、気付いた時には床に倒れてた。目を覚ましたら家具の配置や家の形状が全て逆になってたし」
「私と同じ。きっとなにかきっかけがあってこのパラレルワールドに連れてこられてしまったんだよね」

 そう言った途端、桐島くんは何かを考えているかのように瞼を軽く伏せて人差し指を顎に触れさせる。

「……パラレルワールド? それって、先日佐神が授業で話してた……」
「うん。現実と並行しているもう一つの世界。きっと間違いない。私たちはパラレルワールドに来ちゃったんだよ」

 正直な話、桐島くんも同じタイミングでやって来たと知ってホッとした。
 私と萌歌じゃマトモな話し合いが出来ないと思うし。

「つまり、俺たちは縁があってここへ来た。なら、ここで暮らしていく意味があるかもな」
「えっ! ここで暮らしていく……? 桐島くんは元の世界に戻りたくないの?」
「別に。元の世界に不満があったことは確かだから。状況が逆転すれば俺の問題は解決するし、未練もないし」
「そ、そんなぁ……。だって、昨日まで仲良くしてきた友達が他人のように仲が悪くなってるんだよ? それでもいいの?」
「友達なんていないよ。俺の顔を見るだけで逃げてくじゃん。それに、卒業まであと1年もないし」
「そんなぁ」
「じゃあな。お前も頑張れよ」

 彼はそう言うと、校舎の方に向かって行った。

 元の世界に帰りたいと思っている私とは対称的に、彼はこの世界に残ろうとしている。
 それに加えて、私のせいでここに連れてこられたと文句を言ってきた萌歌には責任を丸投げされてしまったし……。
 誰も味方がいない状況で元の世界に戻れるのかな……。
 せめて一人でも味方がいてくれれば心細くないのにな。