――それから2日後。
職員室に学級日誌を届けてから体育館の横を抜けて門に向かってる最中、人の話し声の隙間から少し攻撃的な口調で「萌歌」と言ってるのが聞こえてきた。
声の方に目をやると、体育館の横で萌歌のダンスチーム仲間の三人がなにやら噂話をしている。
私はその噂話が気になってしまい、足取りは自然とローペースになった。
「萌歌のダンスってさ、キレがいまいちというか自己流というか。オリジナルを突き通すからみんなと息が合わないんだよね」
「いつも同じところで引っかかっているから間違いを指摘したのに聞いてないどころか文句言うし」
「あいつさ、練習してないんじゃないの?」
「かもね。しかも、最近急に口が悪くなったと思わない?」
「確かに。あいつ生意気だよね〜。顔がかわいいからってなんでも許されると思ってんじゃない?」
三人組はクスクスと笑いながらさらりと悪口を言う。
彼女たちは萌歌の仲間のはずなのに誰も止めやしないし、普段から言い慣れているかのよう。
それが耳の奥を突いた瞬間、拳を強く握りしめた。
萌歌が練習してない?
……そんなの嘘。
あの子たちは、萌歌が夜の校庭で音楽を流しながらダンスの練習していることを知らないんだ。
同じくダンサーの夢を見ている仲間なのに悪口なんて酷い。
萌歌は今回のオーディションに勝ち抜くために人一倍練習してきたのに。
しかし、振り返ればつい先日までの自分も同じ。
萌歌のいいところを見ようともせずに、嫉妬で羨ましさをかき消していた。
それがどんなにみっともないか気づかないままうっぷんを晴らしていたなんて……。
自責の念に苛まれていると、背後から人の気配を感じ取った。
振り向くと、そこにはTシャツとハーフパンツを着用している練習前の萌歌の姿が。
私は噂話が本人の耳に届いてしまったと思い、「萌歌……」と声をかけるが、彼女は唇をぎゅっと噛みしめて反対側の校舎に走っていった。
焦って後を追うと、彼女は校舎の隅の壁に体を向けたまま足を止める。
私は4、5歩後ろで足を止めると、彼女は暗い影を落としたまま小さな声で言った。
「あんたも聞いたでしょ」
「えっ」
「あたしの悪口」
「あ……、ええっとぉ……」
目を泳がせたまま、しどろもどろに返答する。
しらを切るつもりはないが、素直に答えたくもない。
「悪口なんてしょっちゅうなの。この世界に来てからね」
普段はハキハキしているのに、弱気な声が届く。
先ほどの彼女たちの言動を自分と重ねて考えていたこともあって、胸がちくんと傷んだ。
「ひっ、酷いよね! 萌歌が夜遅くに学校へ行ってダンスの練習をしてることも知らないくせに……」
「あんたはそれ、知ってたんだ」
「あっ、えっと……、あーー、うん……。毎日夕食後にどこかに出かけて行ってたからつい気になって……」
「そっか……。実はね、あの子たち幼少期からダンスを習ってたから確かにレベルが高いの。中学からダンスを始めたあたしなんて雲泥の差。あたしなんて足元にも及ばなかったの」
「……」
「……でも、やりたかった。これがあたしの夢だから誰になんと言われようとも諦めたくないの。みんなの実力に追いつけるように日々練習を重ねて頑張ってたところだったのに、どうして……」
萌歌は震えている左手の甲を頬に寄せて左右させた。
後ろからは彼女の表情が見えない。
でも、いまは気持ちを吐き出しているだけでもいっぱいいっぱいなんだと察した。
「萌歌……」
「あたし、負けたくない。もっともっといっぱい練習して今度のオーディションで絶対に勝ち取りたい。でも、誰一人あたしの味方なんていないと思ったら……ちょっと……辛くて……」
私は今日まで彼女の苦しみに気づいてあげれなかった。
自分のことで精一杯だったから、彼女のことは客観的に見ていたせいもあって楽しく練習してると思い込んでいたから。
でも、この世界に来てからアウェイな状態が続いていたにもかかわらず、それを乗り越える為に必死に努力していることを知ったら急に鼻の奥がツンと痛くなった。
私はヒクヒクと肩をゆらしている彼女の背後へ行って背中の方から腕を回して抱きしめる。
「私、ずっと萌歌が羨ましかった。美人だし、男子からは人気だし、ダンスを踊る姿がカッコいいし、人に媚びない性格が素敵だと思ってた。でも、それが素直に言えなかった。こんな私にも女としてのプライドがあったから、悪口を言うことでうっぷんを晴らしてたの」
「……」
「でも、ようやくその間違いに気づいた。この世界に来てから夢への熱意や努力や情熱を見てきたこともあって、それが自分の想像以上に大きなものだと知ったから」
「……」
「いまは夢を応援したい。誰がなんと言おうとも、萌歌の一番の味方でいてあげたい」
「皐月……」
「だから……、だからっ…………萌歌と仲直りしたいよ……」
私はこの世界で思い残しのないように気持ちを伝えた。
ここへ来てから萌歌と向き合う回数が右肩上がりになって度々衝突することはあったけど、夢への熱意を目の当たりにしてきた分、考え方が変わっていたから。
すると、彼女は自分の手を私の手に重ねた。
「……あたしのことをしっかり見てくれてたんだ」
「もちろんだよ……」
「こっちも謝ろうと思ってたの。あんたは悪口を言ったことを謝ってくれてたのに、あたしはあんたの表面的なところしか見てなかったから。あたしたち、もっと会話を重ねればお互いわかり合えたかもしれなかったのにね」
「うん。私もそう思う」
「だから、頑固者同士おあいこってことで仲直りしない?」
次に振り向いた時の彼女の顔は、晴れ晴れしく美しかった。
ずっと伝えられなかった彼女への思い。
古くて固い殻を打ち破った先に待ち受けていたのは、少し大人になれた自分だった。
――ところが、安心したのも束の間。
それから数週間後に、とあることがきっかけで彼女にある大事件が勃発してしまい、元の世界に帰ろうとしていた私の足は再び食い止められることに……。