昼休みの教室に、かろやかなクラシック音楽が流れている。

生徒による放送は来週からはじまるらしく、今日は音源を流しているようだ。バイオリンの音が眠気を誘い、あくびがポロポロとこぼれてしまう。

「遅刻したのにまだ眠いわけ?」

梨央奈が(あき)れ顔で、玉子焼きを口に運ぶ。

「遅刻じゃないもん。先生に見つからなかったからギリギリセーフ」

お弁当のフタを開けてみるけれど、食欲がまるで湧かない。昨日の夜からずっとそうで、さらに寝不足。ぜんぶ、陸さんのせいだ。

「あのね、さっきの話の続きだけど――」

言いかけるのと同時に、梨央奈が「ストップ!」と制した。

「その話はやめて。幽霊とかゾンビとか、あたし信じてないから。実月も、『特売』とか『セール』みたいに現実的なものを信じなくちゃ」

今朝から何度も話そうとしてるのに、梨央奈はまるで聞いてくれない。

お母さんもそうだ。最初は真面目に聞いてくれていたけれど、途中からはニヤニヤして、『そういう夢を見たのね』と取り合ってくれなかった。

当然、私だって陸さんが幽霊だなんて信じていない。上級生にからかわれたことが悔しくて、愚痴りたいだけなのに。

ブスっと下唇を(とが)らせていると、十秒くらい経ってから梨央奈がわざとらしくため息をついた。

「じゃあ、話を聞く代わりに推理してあげる」

「推理?」

「こう見えてあたし、推理ドラマが大好きなんだ。それも名探偵が出てくるやつ」

梨央奈は生えてもいないヒゲを触るかのように、ツンと尖ったあごをひとなでした。

「だいたいの内容はわかったけど、最初の謎は青い月だね。昼に月が出てることはあるけど、青色の月なんて見たことがない。写真も撮ってないんでしょ?」

グッと言葉に詰まる。撮影する前に黒猫が現れてしまったので、撮り損ねてしまった。

「でも、伝説に書いてあった内容と同じことが起きたんだよ」

「どういう伝説なの?」

周りの男子生徒は違う話で盛りあがってるけれど、ふたつ隣の席の小早川さんはじっとうつむいている。

聞こえないように梨央奈の耳に口を寄せた。

「あのね、『青色の月が輝く日、黒猫がふたりを使者のもとへと導く。青い光のなかで手を握り合えば、永遠のしあわせがふたりに訪れる』っていう伝説なの」

「昔、本で読んだって言ってたっけ?」

「中二のときに図書館で。外国の絵本みたいな感じでね、碧人も一緒に読んだんだよ」

一年生の一学期まで廊下で碧人とよくしゃべっていた。梨央奈にも紹介したことがある。

奇妙な沈黙が訪れた。見ると、梨央奈は両腕を組んで考えるポーズを取っている。

「伝説には幽霊なんて出てこないじゃん。しかも、実月は主役じゃなくて『使者』なんでしょ?」

「でも、あの伝説のことを知ってる人はこれまで碧人以外いなかったんだよ。それに、自分のことを幽霊だなんて冗談でも普通、言う ? なんだか怖くなっちゃって……」

梨央奈は片目だけ開き、私を観察するように見てきた。

「だから逃げて帰ってきた、と?」

「……そう」

まさかの幽霊発言に怖くなり、気づけば逃げ出してしまった。

「簡単だよ」と、梨央奈が人差し指を立てた。

「その伝説が頭のなかにあり過ぎて錯覚したんだよ。黒猫はただの偶然で、その陸って男子生徒は実月をからかっただけ。これで謎はすべて解けた」

すっかり解決した気になっているけれど、私はたしかに青い月を見た。黒猫だって私を案内するように先導していたし、どうしてもあの伝説に重ね合わせてしまうよ。

それでも、陸さんが幽霊だったなんて信じられるはずもなく……。

「やっぱり、からかわれたのかな」

「幽霊が頼みごとをしてくるなんて本に書いてなかったんでしょ? まさか、幽霊を信じてるなんて言わないでよね」

「信じてない。でも……」
いくら偶然で片づけようとしたって、あの青い月については説明できない。

「しょうがない。実月が納得するような解決をしてあげる。タダじゃないよ。購買でジュースをおごること。いい?」

「うん」

解決してくれるならジュースくらい何本でも買う。

「交渉成立。じゃあ、行こう」

「え、どこに?」

席を立ち歩きだす梨央奈について行った。教室を出た梨央奈が、迷うことなく階段をおりていく。

「ひょっとして立花涼音さんに会うの?」

歩きながら梨央奈は視線だけ私に向けた。

「いきなり元カノに会いに行くのはちょっとね。陸って人も三年生になったんだよね? クラスは変わったかもしれないけど、とりあえず三年三組に行って陸さんを探してみよう。『そういう冗談笑えないんだけど』って言ってやるんだから」

鼻息荒く梨央奈は言った。

三組の教室の前まで来たとき、うしろの戸からひとりの男子生徒が出てきて梨央奈にぶつかりそうになった。

「うわ! びっくりした」

驚く男子生徒に梨央奈は、

「すみません。遠山さんってこのクラスにいますか?」

と、いきなり尋ねた。

「は?」

眉をひそめた男子生徒は大柄で、運動部に所属しているのだろう、碧人よりも肌が黒く焼けている。短めの髪に鋭い目つきの持ち主で、同じクラスだったとしても私は話しかけづらいタイプ。

「遠山って生徒はたぶんいないと思うけど、一応聞いてみるわ。下の名前はなんて言うの?」

「梨央奈です。あ、違う。遠山さんの下の名前ですよね。……なんだっけ?」
 
さっきまで話してたのに、梨央奈は忘れてしまったみたい。

不機嫌そうに顔をしかめる男子生徒が「んだよ」とボヤいた。

「名前も知らねえのに会いに来たわけ?」

なんだか不機嫌そうだ。勇気をふり絞って一歩前に出た。

「すみません。遠山陸さんという方です。去年まで二年三組で――」

男子生徒のこめかみがピクッと動いたかと思うと、

「おい!」

と急に顔を近づけてきた。突然の出来事に思わずあとずさる。

「なんでその名前を知ってんだよ」

ドスの利いた低い声に、足がすくんでしまう。ヘビににらまれたカエルみたいに一歩も動けないし返事もできない。

周りの生徒が興味津々なことに気づいたのか、男子生徒は私たちを廊下のはしっこへ移動させた。

窓に背をつけた男子生徒は、なにか考えるように拳を口に当てている。数秒の沈黙のあと、彼は言った。

近藤(こんどう)海弥(かいや)

さっきよりも少しだけやわらかい声になっている。

「俺の名前、近藤海弥。陸とは中学からの友だち」

「じゃあ、陸さんをご存じなんですね?」

海弥さんは、わずかにうなずいた。

やっぱり陸さんは存在しているんだ。クラス替えで違うクラスになったのだろう。

「近藤と遠山、陸と海弥。なんだか似ている名前ですね」

ふむふむと梨央奈はうなずいている。

「最初は名前がきっかけで仲良くなったから」

ぶっきらぼうに言うと、「で」と海弥さんは私たちをにらんだ。

「陸になんの用?」

「何組にいるのか教えてほしいんです」

梨央奈がかわいらしい声で首をかしげるけれど、海弥さんには通用しないらしく、さらに(ぶっ)(ちょう)(づら)になってしまう。

「なんで教えないといけないわけ? ていうか、お前らなんなの?」

「この子が、昨日陸さんに会ってお願いをされたんです」

グイと私を手で押す梨央奈。海弥さんの冷たい視線が私に向く。

「あの……そうなんです。私……空野実月と申します」

「陸がお前にお願いをした? どこで?」

「旧校舎の二年三組のきょうし――」

「ふざけてんのかよ!」

これは……かなりまずい状況だ。ひょっとしたら陸さんと海弥さんは昔と違って仲が悪いのかもしれない。
よりによってそんな人に聞いてしまうなんて。

ポンと梨央奈がひとつ手を打った。

「そういえば、チャイム鳴らないんだった。そろそろ戻らなきゃ先生が来ちゃう。どうもありがとうございました」

「ありがとうございました」

ゴニョゴニョとつぶやき頭を下げ、もう歩きだ出している梨央奈に追いつく。

怖かった。やっぱり上級生って苦手だ。しばらくこの階には近づかないようにしよう。

「あのさ」

と、海弥さんが呼び止めた。

「よくわかんねえけど、そいつ、(ニセ)(モノ)だから」

「え?」

視線が合う。その瞳は怒りと悲しみと動揺が混在しているように見えた。

「遠山陸は去年まで二年三組だったよ。でも、もう違う」

ふいに悪い予感が足元から()いあがってきた。なにか、違う。なにかが、おかしい。

海弥さんが深いため息をついた。

「一年前……二年生の始業式の日。君らの入学式の前の日だ。俺と陸は二年三組になってさ、また同じクラスになれたことをよろこんでいた」

悔しげな表情で海弥さんは続けた。

「あいつは部活してなかったから始業式が終わったら帰っていった。そのとき、事故に遭ったんだよ」

「あ……」

知ってる。たしか入学式のときに新聞記者の人が来ていた。信号無視をした車に()ねられたうちの生徒がいるって耳にした……。

「陸はその事故で亡くなった。だから、お前……空野さんの前に現れるはずがない」
 
そう言うと、海弥さんはスマホを取り出した。しばらく操作してから、私に画面を見せてきた。

「これが陸の写真。そいつが幽霊でもない限り、別人だろ?」

そこには昨日会った陸さんがにこやかな笑顔で映っていた。