今、城下町では解放軍が攻め入ってきていた。王都と外を区切る外壁と外門は壊され、解放軍は城下町に雪崩れ込んできている。
 アモットの情報によると、丁度〝亡国の王子〟クルス=アッカードがこのヴェイユに流れ着き、解放軍に加勢しているとの事だ。この流れはもう止められない。解放軍の勝ちは揺らぐ事はないだろう。
 そんな中、ヴェイユ王国王妃・リーン=ヴェイユは相変わらず離れの塔に隔離・軟禁されていた。

「外が騒がしい様ですね」

 リーン王妃が見張りの兵に言った。見張りの兵士は彼女がこうして話し掛けても何も応えない。それがわかった上で彼女はこうして会話をしているのだった。
 今、この部屋には四人の兵士が王妃を見張っている。部屋の外には二人、そして廊下や階段、併せて三〇人程の兵士が王妃の見張りとしてこの塔に配備されていた。今ここに配備されている全員がグスタフ派の兵士である。
 どうしてこれほどの兵力を王妃に割いているか──それは、グスタフが最後の武器として使うのが、この王妃だからである。王妃を人質にし、盾とすれば、解放軍は停められる。その間に逃げ果せる気なのだろう。
 アーシャには自分が人質とされても気にせず進軍せよと伝えているが、心優しい愛娘にその決断ができるとは思っていない。もう一人の解放軍の代表ことクルス=アッカードも、ここヴェイユの兵力を頼る為に解放戦争に加担しているのであれば、王妃を死なせるわけにはいかないだろう。
 そうなってくると、解放軍の唯一の弱点が、自分──即ちリーン王妃となってしまうのである。彼女はこの混乱に乗じて、グスタフの支配から逃れる必要があった。

(……頃合いですね)

 リーンは窓の外をちらりと見て小さく息を吐くと、顔を引き締めた。
 解放軍は城下町を制圧した後、王宮の攻城・制圧を行わなければならない。だが、それではいつまでこの無益な戦いが続くのかもわかったものではない。彼女は可能な限り早く、そして多少無理をしてでもこの戦を終わらせる必要があった。
 というのも、今この国で繰り広げられている戦は、この王都だけではない。王妃の無理難題としか言いようのない依頼を受け、たった独りでこの国の為に身体を張っている男がいるのだ。
 その男は、彼女の愛娘にとって大切な存在だ。そして王妃も彼の事を気に入っていた。この国の為にも、そして愛娘の為にも彼を失うわけにはいかなかった。
 おそらく今この瞬間も男は死闘を繰り広げているに違いない。それは、解放軍が何の問題もなく王都に攻め入っている事が証明していた。
 彼を救う為には、いち早く王宮内部を制圧しなければならない。そしてその役目は、王妃自らが引き受ける気でいた。その為の準備を、アモットと共にこれまで密かに行ってきたのである。

「見張りの方。あなたのお名前は何でしょう?」

 一番近くにいた坊主頭の兵士に訊いた。

「私はヤン=シモンと申します、王妃殿下」

 それとなく王妃は兵士の武器を確認する。彼の手には槍、腰には剣がある。四人全員が同じ装備だ。

「では、ヤン。王妃の名に於いて、あなたに命じます。私を解放し、降伏しなさい。もはや解放軍には勝てない事は、わかっているでしょう? 他の三人の方も同様です」

 見張りの兵士はそれぞれ顔を見合わせ、苦しそうな、苦々しい顔をしている。

「それはできません、王妃殿下……私も、ここにいる皆も、それはできないのです」

 ヤンが悔しそうな顔をして言った。

「どういう事ですか?」
「ここにいる我々は皆、妻子ある身。その妻子をグスタフに人質に取られているのです」
「……そうだったのですか」

 王妃の娘であるアーシャ王女が王妃の命令書を掲げて解放軍の旗を挙げて破竹の勢いで攻める中、どうして多くの兵や騎士がグスタフ宰相に付き従っているか──これに関してリーン王妃は疑問に思っていたのだが、どうやら家族を人質に取っているらしい。

(グスタフ……あなたは、いつからその様な人間に成り下がっていたのですか)

 リーン王妃は小さく溜め息を吐いて、窓の外をちらりと見る。
 解放軍の勢いは凄まじい。ここヴェイユ王宮に辿り着くまで、そうは時間もかからないだろう。
 だが、この国の状況を作り出してしまったのは、グスタフの野望を見抜けなかった国王夫妻にある。彼女はその責任を果たさなければならなかった。今はこの場に居ぬ夫の為にも。

「それでは、ヤン。そして他の方々も、確認させて下さい。あなたは最後までグスタフに従う、というのですね?」

 ヤンを始め、四人全員の兵士達は、悔しそうに顔を伏せただけだった。
 王妃は「そうですか……」と眉を寄せて、テーブルの上にあった羽根ペンを持ち、息を吐く。

「あなた方の家族の生活は、私が保証しましょう。これまでのお勤めと献身、御礼申し上げます」
「は──?」

 リーン王妃の言葉が理解できず、顔を上げた瞬間──ヤンの首には羽根ペンが突き刺さっていた。赤い血しぶきが、その首から噴き出す。
 リーン王妃はそのままヤンの腰から剣を抜くと、すぐさま二閃し、二人の兵士の頸動脈を斬り捨てる。更にヤンの手から落ちそうになった槍を持ち、最後の一人が声を上げる間もなく、その喉をひと突き。四人の兵士を殆ど音を立てる事もなく、一瞬で屠ってしまったのである。

「……腕は、それほど鈍っていない様ですね」

 王妃は頬に着いた血を拭い、呟いた。
 リーン=ヴェイユ──そのお淑やかで気品溢れる立ち振る舞いから多くの人々が忘れてしまっているが、彼女は〝戦乙女(ヴァルキリー)〟の異名を持つ大陸六英雄のひとりだ。現役の武人だった頃は、たった一人で何人もの武将の首を上げた猛者である。
 リーン王妃は動きにくいドレスのスカートを剣で切り破って足の自由を確保すると、すぐさま椅子を窓の外に放り投げた。
 ガラスの砕け散るけたたましい音があたりに響き渡る。これは腹心アモットへの合図だ。これを機に、アモットら王妃派の部隊が塔の正面から突入してくる。無論、彼らも王妃の腹心なので、かなりの強者だ。

「な、何事──」

 ガラスの割れた音で部屋の外で見張っていた兵士達が慌ててドアを開けたが、その瞬間に王妃は槍を投げて、先頭の兵士の喉を貫く。

「ひッ、王妃さ──」
「申し訳ありません。私は、夫が帰る日までこの国を守る義務があります。ここで、あなた達にずっと拘束されているわけにはいきません」

 リーン王妃がそう言い終える頃には、もうその兵士は息絶えていた。
 そのまま剣と槍をそれぞれの手で持ち、リーン王妃は塔を下っていく。
 階段では兵が驚き攻撃を躊躇するが、対して王妃は全く躊躇せず、グスタフ兵を斬り捨てていった。彼らとて家族を選び、売国者に付く事を選んだ。死しても文句は言えないはずである。

「アモット、いますか!」

 王妃が声を張り上げると、階下からすぐに「はっ!」と返事が返ってきた。王妃の合図があってから、彼もすぐさま仲間と共に塔に突入し、見張りの兵を屠ってきたのである。

「彼らは我が国の敵です。手加減や遠慮は無用……殲滅して差し上げなさい」
「しょ、承知!」

 腹が底冷えするかの様なの冷たい〝戦乙女(ヴァルキリー)〟の声に、アモットは戦々恐々としながら返事をした。彼はこの場で唯一、王妃の恐ろしさを知っている男なのだ。
 その塔からグスタフ派が消えたのは、それから間もない事であった。
 二人並んで塔の外に出ると、外には怯えながらも武器を構える兵士達がいた。
 彼らもグスタフに家族や大切な人を人質に取られているのだろう。王妃に武器を向けるなど、申し訳なくて仕方がないという様子で、皆震えていた。

「ヴェイユ王国王妃の名に於いて、あなた方に問います」

 リーン王妃は静かな声で兵士達に語り掛けた。声こそ静かであるが、その瞳は鬼の様に鋭く、威圧的だ。
 気品が溢れており、優しい王妃しか知らなかった兵士達は、体の芯から震えあがっている様子だった。

「私と夫に付き従ってこの国の名誉を守るか、それとも売国奴としてこの〝戦乙女(ヴァルキリー)〟リーン=ヴェイユに斬り捨てられるか……今すぐ選びなさい!」

 そこにいた兵士達がどちらを選んだかは、言うまでもあるまい。
 これを機に、ヴェイユ王宮内では王妃を中心とした新たな()()()がグスタフ派を駆逐して、制圧を開始した。

「アモット、こちらはもう大丈夫です。あなたは早くアデルの救援に向かいなさい」

 王妃はグスタフ派の兵士を斬り伏せながら言った。

「彼は娘にとって大切な殿方です。決して死なせてはなりません」
「はっ、仰せのままに!」

 王妃の命令に、アモットは勢いよく敬礼し、城下町へと向かった。

(アデル……娘の為にも、死なないで下さいね)

 リーン王妃は心の中で、男の無事を大地母神フーラに祈った。
 城下町の制圧ももう間もなく終わる頃だ。戦いの終焉はもうそこまできていた。