クルス王子との会話後、シャイナは出来るだけ早くアーシャの元へ帰ろうと近道となる路地に入った。が、それが失敗だったと気付いたのは、それから間もない事だった。
 今、この王都は街全体で戦場となっているはずだ。それにも関わらず、この路地だけがあまりにも静かだったのだ。
 町民達の声もなく、まるで息を殺しているかの様に物音一つしていない。しかし、殺気だけはひしひしと伝わってくる。

(伏兵⁉ こんな所にいるなんて……!)

 シャイナは武器を弩から細剣(エストック)へと持ち替え、来たる攻撃に備えて構えた。
 周囲を注意深く見ていると、所々に争った形跡がある。ここを通った解放軍が伏兵の餌食になったのだろう。近道であるが故に使いたくなる道に伏兵を張るという、土地勘がある者だからこそ有効な一手だ。

(行くか引くか……)

 シャイナはごくりと唾を飲み、息を吐く。
 ここで引いて、アーシャの元までは遠回りしてもいい。だが、ここは解放軍の後方部隊とは距離がそれほどない場所だ。それに、別の味方がここを通って伏兵の餌食となり兼ねない。

(……伏兵の数だけでも把握しておいた方が良さそうね)

 シャイナはそう決意し、前進を決意する。
 まだ見えぬ敵の動きに神経をすり減らしつつ、一歩ずつゆっくり歩を進めていった。
 五歩程進んだ瞬間だった。風を切り裂く矢の音が二時の方向から聞こえた。
 シャイナは上体を逸らしてそれを避けた──が、それと同時に数人の敵兵が雪崩れ込んできた。中には見覚えがある顔もいた。城に常駐していた兵士達だ。

(一、二……五人。一人で相手をするのは無理!)

 瞬時に状況を把握し、シャイナは細剣(エストック)で一番前にいた者を突きさし、後方へと駆け出す。もちろん、アーシャ達がいる方角とは逆の方角である。
 シャイナは走りながら弩に持ち替え、横目で追ってくる兵士の位置を確認して──振り向き様に、矢を放つ。

「ぐわ!」

 狙いは違わず矢は兵士の胸を貫いた。
 慌てて矢筒から新しい矢を取り出して弩に設置しようとするが、走りながらでは上手く矢を装填できない。弩ではなく弓を持っておけばよかったと後悔した瞬間だ。
 敵に追いつかれそうになったその時だった。敵の後方──即ち、アーシャ達がいる後方部隊の方角──から影が見えた。

「シャイナ、伏せて下さい!」

 その時に聞こえた声は彼女もよく知る声、即ちアーシャ王女の声だった。
 何故王女がここにいるのか、屈めとはどういう事なのか、そんな疑問が一気に頭を過ぎったが、考えている暇はない。シャイナは王女の指示通りにその場に伏せた。おそらく、彼女が何らかの力を使うつもりなのだと察知したのだ。

「大地母神フーラよ……(いかずち)を以て、かの者達を貫き給え!」

 シャイナの予想通り、アーシャの詠唱と同時に路地を光の雷が(ほとばし)った。
 眩しさに耐えられず、その雷光に目を瞑る。落雷の様な轟音と、男達の断末魔が聞こえたのは同時だった。そして、次に瞳を開いた瞬間には……真っ黒に焼け焦げた死体が三体ほど転がっていた。
 アーシャが聖魔法<神の雷(サンダーボルト)>を用いて、シャイナを救ったのだ。

「アーシャ様!」

 シャイナは主君の元へと駆け寄った。彼女は馬上で体を震わせていたのだ。
 それと同時に、王女の護衛についていた元王宮兵団ルーカスや、その他兵士達が慌てて駆け付けてくる。周囲を見渡せば、後方部隊が王都の中まで進軍してきていたのだ。
〝亡命騎士〟エトムートや〝聖騎士〟ロスペールなど、解放軍の主戦力は今や王都の奥深くにまで進軍している。あまりそこと距離を空け過ぎると、万が一後方部隊が奇襲を掛けられた時に助けにこれなくなるので、少しずつ進軍していたのだろう。

「アーシャ様、大丈夫ですか⁉」

 馬上から王女を下ろし、彼女を力強く抱き締めた。

「ルーカス、何をやっているの! あなたには王女の護衛を任せたでしょう!?」

 近衛騎士シャイナは、元王宮兵団の弓戦士をきつく睨んだ。彼女はクルス王子の元へ向かう際、ルーカスに王女の事は任せていたのだ。
 ちなみに、彼と同じく王宮兵団だったカロンは、エトムートの部隊と共に最前線で戦っている。カロンはこの解放戦争でその能力を開花させ、解放軍の主力戦士にまでなっていたのだ。

「も、申し訳ありません! 王女がいきなり駆け出したもので……」

 ルーカスが息絶え絶えにして言った。
 おそらく、アーシャは帰りの遅い自分を心配して見に来たのだろう。或いは、彼女の第六感がシャイナの危険を察知して、助けに来たのかもしれない。
 王女は稀に、周囲の危機を第六感で感じる事があるのだという。それも彼女が聖女と謂われる由縁で、何か嫌な予感がふっと頭に降りてくる時があるのだそうだ。その第六感ともいうべき能力で、これまでも何度か事故を予見して未然に忠告することで防いだ実績もある。
 ただ、この予知能力に関しては、彼女自身も確証があるわけではない、と以前アーシャが言っていた事をシャイナは思い出した。何となく嫌な予感がする、という程度の時もあって、外れる事もあるのだそうだ。おそらく今回はそれが当たったのだろう。実際に、アーシャの助力によってシャイナが救われたのは事実だった。

「私は、大丈夫です。でも……」

 彼女はおそるおそる自らの魔法を放った方を見ると、顔を蒼白とさせた。
 そこには、丸焦げになった死体は三つ程転がっていた。もはや顔の判別もできぬほどだ。三つの死体は内臓まで焼け焦げているのか、異臭を放っている。

「人を……殺めてしまいました。それも、国民を……ヴェイユの民を」

 アーシャは自らの体を抱え込む様にして両肘を擦るが、それでも全く効果がない程に体を震わせていた。

「申し訳ありません! 私なぞを守る為に……お手を汚させてしまい、本当に申し訳ありません」

 震える主君の体を必死に擦りながら、シャイナは涙ながらに詫びた。
 彼女は〝ヴェイユの聖女〟と謳われる程、聖魔法の力が突出している。その聖魔法を以てすれば瀕死の傷を癒す事もできる反面、こうして人を殺める事も可能なのである。
 しかし、彼女は争いが嫌いで、人を傷つける力など絶対に使いたくないと過去に言っていた。シャイナは、その力を彼女に使わせてしまったのである。

「手を汚す、ですか……」

 アーシャはシャイナの使った言葉を呟くと、自らの手と視線の先にある死体を眺めた。
 そして、周囲を見渡す。そこには、今アーシャが殺めた死体だけでなく、この解放戦争で戦い命を落とした死体がいくつも転がっていた。怪我を負って苦しんでいる人もいる。
 これは侵略戦争ではない。この戦いで苦しみ、そして命を落としているのは、共にヴェイユの兵であり、民である。

「私は、もう手を汚していたんですね……今、それに気付きました」
「アーシャ様……どういう事ですか?」
「お母様の命令書をルベルーズまで運び、解放軍を蜂起させた時点で、私の手はもう汚れていたんです。私自身が手を下していなかっただけで、この解放戦争で失われた命は、全て私が奪ったようなもの、なんですから……」

 彼女は自分に言い聞かせる様にして呟き、しかしその瞳から涙を零さない様、必死に堪えている。
 シャイナは彼女を自らの胸に抱え込み、そっと背中を撫でた。

「違います! これらは、アーシャ様が促した事ではありません。我が国の為、ヴェイユがヴェイユである為に、必要な戦だったのです! だから、どうかそう自分を責めないで下さい。アーシャ様はご立派です。そのご決断が、多くの民と国を救います。そして、それはもうじき叶いますから……」

 アーシャはシャイナの胸の中で頷き、嗚咽を堪えてた。

「アデルに……アデルに、会いたい……早く会いたいです」

 彼女は小さくすすり泣いて、愛する者の名を何度も呟いていた。
 もう王女の精神も限界だった。解放戦争を蜂起した事への罪悪感、そして奪ってしまった命、どこかで命を張って戦っているであろう彼女の大切な人。十六の少女が背負うには、あまりに過酷な運命だった。
 しかし、シャイナはそれに対して、何も応えてやる事できない。城外戦は解放軍の勝利に終わるだろうが、まだ戦いは終わりではない。
 王都を制圧した後に控えているのは、王宮での城内戦だ。そこでグスタフを討ってこそ、初めて解放戦争が終焉する。
 それが終わるまで、アデルへの救援部隊は送れない。少なくとも、リーンの懐刀ことアモットとコンタクトを取らなければ、彼がどこで戦っているのかさえシャイナにはわからないのだ。

(早く……お願いだから、早くこんな悪夢終わって……!)

 歔欷(きょき)する王女を宥めながら、近衛騎士はそう祈るのだった。