「カロン、どうし──」
「しーッ」

 物陰に隠れているカロンに声を掛けると、彼は口元に人差し指を当ててルーカスもその物陰に引っ張り込んだ。

「どうしたんだよ」

 不服そうに小声で訊くと、カロンが渡り廊下の方を指を差した。
 その指先を視線で追うと、すぐ目と鼻の先に〝亡国の王子〟クルス=アッカードとアーシャ王女の姿があった。
 このクルスという男もルーカスにとっては気に入らない存在だった。一国の王子でしかも有能、更には六英雄のひとり息子にしてアーシャの幼馴染なのだと言う。ルーカスからすれば、アデルよりも嫉妬する要素が多い人間だった。
 ルーカスの見立てでは、おそらくクルスはアーシャを狙っている。実際、アデルとアーシャの関係を知らぬ兵達は、クルスとアーシャはお似合いだ、二人が婚姻すればヴェイユも安泰だ、などとよく話していた。そして、彼の目から見ても、高貴な二人は本当にお似合いだった。

「……二人がどうしたんだい?」

 ルーカスはむすっとしながら質問を重ねた。

「クルス王子がアーシャ様を口説いてます」
「えっ⁉」

 カロンの言葉に思わず声を発すると、再び彼は「しーッ」と人差し指を口に当てた。

「ご、ごめん。でも、クルス王子はアーシャ様に同盟に参加してほしいとかそんなんじゃないの?」
「確かにそんな感じの会話なんですけど、ちょっと空気感が違うんですよね」

 そう言われて、ルーカスも耳を澄ませて二人の会話を盗み聞く。
 すると、なんと……アーシャは、同盟に参加するかどうかを悩んでいるのだという。
 その言葉には、ルーカスは驚いた。彼女の性格であれば、ヴェイユ解放を手伝ってもらった御礼も兼ねて、同盟に参加してクルスの力添えをしそうなものである。
 しかし、彼女はそれについてかなり悩んでいる様だった。いや、どちらかというと、拒絶したいがその理由がわからない、といった様子だったのだ。

「どういう事なんでしょう?」
「さあ……」

 ルーカス達は二人に視線を送ったまま、そんな言葉を交わしながら盗み聞きを再開する。

「何か、ここを去りたくない別の理由があるって事かい?」

 クルス王子がアーシャに訊いた。

「私の為に……命を懸けて戦ってくれている人がいます」
「それなら、ここにいる兵士だってそうだろ?」
「違うんです。そうじゃなくて……私と一緒にこれからを過ごす為に、命を懸けてくれてる人がいて……私は、自分の役目や役割よりも、その人と一緒にこれから先を過ごしたいって、思ってしまっています」

 王女の口から、更に驚くべく言葉が出てきた同時に、ルーカス達は顔を見合わせた。その人物に、彼らは心当たりがあったのだ。
 吃驚の声を上げたいのを何とか堪え、二人は再度視線をアーシャ達に戻した。

「なるほど……君は、その人に恋をしてるんだね?」

 クルスがアーシャに重ねて訊いた。
 しかし、アーシャは何かはっとして何かに気付いた顔をすると、首を横に振って「いいえ、違います」と答えて、こう返した。

「彼を……愛して、いるんです」

 その言葉を聞いた瞬間──ルーカスはすぐさま立ち上がって、その場に背を向けた。これ以上、聞いていられなかったのだ。

「え、ルーカス⁉」

 カロンが驚きの声を小さく発して、慌ててルーカスを追いかける。

「ちょっと、どうしたのさ」

 渡り廊下から少し離れた場所で、カロンがルーカスの肩を掴んだ。

「……何でも、ないよ。王族の話を盗み聞くなんて、よくないって思っただけだ」

 それは嘘だった。そこに対しての罪悪感はない。
 それよりも、先程アーシャが放った言葉がルーカスにとっては絶望的だったのだ。
 無論、アーシャがアデルに好意を寄せていた事はわかっていたし、二人が結ばれているのではないか、という噂も確かにあった。
 しかし、それはあくまでも噂であったし、実際に兵士と王女が結ばれるわけがないと思っていた。二人が結ばれる事もないと思っていたのだが、ああまではっきりと想いを口にされてしまうと、彼女に憧れて兵団に加入したルーカスとしては、耐えられなかったのだ。

「あー……もしかして、まだ諦められてなかったんですか?」
「……うるさいよ」

 カロンが気まずそうに指摘するので、思わず強い言葉で返してしまった。
 だが、カロンは嘆息して微苦笑を浮かべると、ルーカスの肩にぽんと手を置いた。

「よし、今夜は僕と朝まで飲み明かしましょう」
「何でそうなるんだよ」
「いいじゃないですか。僕らは初陣を共にした仲で、謂わば戦友なわけですし。これからも一緒に戦っていきたいので、ルーカスには早く失恋から立ち直って欲しいんですよね」
「失恋言うな」

 はっきり言われてしまうと腹が立って来るルーカスである。
 しかし、それは事実だ。今、間違いなく彼は失恋したのだから。そして、自分の片思いは決して叶うものではない。
 そうであれば、彼も先を見る必要があった。

「一緒に戦いたい、か……カロンは終戦後も同盟軍に参加して大陸に渡るのかい?」
「そのつもりですよ。ルーカスも一緒に行きませんか? これだけ大きな戦いです。一緒に戦って最後まで生き残ったら、僕らも英雄になれますよ。もちろん、死ねば終わりですけどね」

 戦友からの、思わぬ誘い。
 この解放戦争が終われば、ルーカスは家族のもとに帰ろうかと思っていた。しかし、それではきっと、ただの負け組だ。おそらく余生をどこか敗北感に満ちて過ごす事になるだろう。
 だが、それでは一大決心をして家を飛び出してきた過去の自分に申し訳が立たない。恋は叶わなかったけれど、別の手柄を立てればあの時の自分の決心は無駄にならないのではないか。負け犬になるのも、最後まで足掻くのも自分次第なのである。

「……そうだな。やってやろうじゃないか」

 カロンの言葉に、弓戦士は同盟参加を決意する。
 彼の言う通り、もし大戦を経てこのヴェイユ島に凱旋すれば、それこそ英雄の仲間入りだ。今の自分を変える切っ掛けにはなる。
 無論、戦に参加する上では常に死の危険が付き纏う。それこそ、この解放戦争でさえも命を落とす危険はあるのだ。
 だが、死を恐れていては英雄になどなれない。彼が妬む男達には、勝てるわけがないのだ。

「僕は……英雄になるんだ」
 
 ルーカスはそう呟き、手に力を込める。
 彼が〝剛弓の射手〟という異名で呼ばれる様になるのは、この決意から暫く時を経てからの事であった。