「やれやれ、完全に振られてしまったな」

 ヴェイユ解放軍の代表にして〝亡国の王子〟クルス=アッカードはそう呟いて、去り行く白銀髪の女性の後ろ姿を眺め見た。今しがた、彼はその女性に告白じみた事を言って、真正面から振られたばかりなのである。
 その女性の名は、アーシャ=ヴェイユ。ヴェイユ王国の王女にして〝ヴェイユの聖女〟の異名を持つ美しい少女だ。
 彼女とクルスは、一応は幼馴染という関係だった。およそ十年近く前、今は亡き彼の父・アルセイム=アッカードと共にヴェイユを訪れた時に、遊んでやった事がある。
 当時から可愛らしい女の子だなという印象をクルスは抱いていたが、十年の月日を経て見間違う程に美しく成長していた。彼女と再会した瞬間に恋に落ちたのは、言うまでもない。

(うーん……いい感じの再会の仕方だったと思ったんだけどなぁ)

 クルスはアーシャが砦の中に入ったのを確認してから、大きな溜め息を吐いた。
 クルスとアーシャの再会は、つい数週間前の事だった。
 彼は大陸に戦火を振り撒くゾール教国に母国ミュンゼルを滅ぼされ、同盟国である海洋国家・バルムス王国に逃げ延びた。以降は、大陸六英雄〝海賊王〟バハヌスと共に、約一年間ゾール教国と徹底抗戦したが、その抵抗虚しく狂信兵によって防衛線を打ち破られ、敗戦。生き残った僅かな部下と共に海へと逃げ延びて、ヴェイユ王国へと辿り着いたのである。
 クルスの父アルセイムとアーシャの父ロレンスは共に大陸六英雄として名を馳せており、親友関係でもあった。ヴェイユの力を借りて、大陸の西側からゾール教国を打ち崩していこうという考えであったクルスであったが、そのヴェイユ王国は半年前の『ヘブリニッジ戦役』で国王の行方がわからなくなって以降、一気に廃れたそうだ。グスタフ宰相が覇権を牛耳り、好き放題し始めたのだ。
 それを見兼ねて遂に王妃が蜂起を促す密書を娘のアーシャに託して、彼女がルベルーズ伯のもとへ向かっていた時、彼らは再会したのである。
 アーシャとその近衛騎士シャイナがグスタフ宰相の追手に追われていたところに出くわしたクルス達ミュンゼル王国残党は、彼女らを救出。そこで、その追われていた女性が幼き頃に遊んだ事のある小さな王女だと気付いたのだ。
 彼女から事情を聞いたクルスはアーシャ達解放軍側の助力を約束し、ルベルーズまで彼女らを案内したのである。
 再会の仕方としては、思わず何かの恋愛劇かと思う程浪漫に溢れていた。
 クルスとて敗戦に次ぐ敗戦で心身疲弊していたが、美しく成長していた王女との再会は心に希望を齎した。そして、彼女との会話はその疲れた心身を癒してくれて、恋に落ちたと自覚したのはそれから間もない事だった。
 二人が会話をしていると、部下達だけでなくヴェイユ解放軍の兵士達もアーシャと王子はお似合いだと言い、何となくクルスは自分達が結ばれるであろう未来を想像していた。だからこそ、彼はこの解放戦争後を見据えて、ゾール教国から大陸を救う為の同盟にアーシャを誘ったのである。
 無論、それは〝ヴェイユの聖女〟としての影響力やその強力な神聖魔法を加味しての事ではあるが、クルスは彼女と共に戦い、この世界を救いたかった。
 しかし──

『私の為に……命を懸けて戦ってくれている人がいます』

 彼女は先程、そう切り出した。

『私と一緒にこれからを過ごす為に、命を懸けてくれてる人がいて……私は、自分の役目や役割よりも、その人と一緒にこれから先を過ごしたいって、思ってしまっています』

 そして、この国の誰かと恋をしている事を激白し、こう締めくくったのである。

『彼を……愛して、いるんです』

 こうまで言われては、もはやクルスにはどうしようもない。心に決めた人がいるのに略奪しようなどとは彼は思わなかったのである。
 父王が失踪してから今日までの間、アーシャが如何に辛い想いをしていたかは想像に容易い。そんな彼女を支えていた男がいて、その男がいたからこそ彼女は今も強くいれるのだろう。先程の王女の瞳を見ても、そこに自分の入れる余地がない事は明らかだった。
 しかもそれでいても、彼女は敢えて汚い言葉を遣う事で自分を『汚い冗談を考えて一人で笑ってしまう残念な女』と下げ、更にはクルスの感情を気の迷いだと流して『振ってなどいない』と彼に伝えたのである。相手の自尊心をも気遣って、更にはしっかりと断るというクルスからすれば文句の一つも出てこない様な断り文句を突きつけられ、笑うしかなかったのである。

「おや、クルス様。こんなところで何をしているのですかな?」

 幼き頃からクルスを知る老騎士ガルロスが、王子の背後に立っていた。立ち尽くしてぼんやりとしていたので、心配を掛けていた様だ。

「先程アーシャ様ともすれ違いましたが……もしや、内戦終了後に王都をデートする約束でも取り付けていたのですかな? それはそれは、私がお邪魔してしまったならば申し訳ない!」

 はっはっはっ、と老臣が笑う。
 本当に余計な事を言うな、とクルスは内心で呆れながらも微苦笑を浮かべた。
 この男は騎士としては優秀で、戦場ではこれまでクルスや若い騎士達を助けてくれていた。しかし、こうして人の気持ちに鈍かったり空気を読めなかったりするところがあるのが玉に瑕だ。
 とはいえ、彼はクルスの教育係でもあって、幼き頃からずっとこんな感じだった。今更それを咎めても変えられるものではないだろう。

「残念ながら、振られてしまったよ。アーシャには心に決めた人がいるそうだ」

 クルスは肩を竦めて、老臣に向かって笑みを作って見せた。
 今後の関係を期待をされて場を作られても面倒だと思ったからだ。このおせっかい老臣は、変に気を回してアーシャと二人きりにしようとするなどの策を施す可能性がある。実際に先程も「アーシャ様がお疲れの様子でしたぞ」とクルスに教えてきたのもこの老臣だ。
 その話にまんまと乗って出てきて振られてしまったのだから、情けない事他ならない。

「な、なんと! 傍から見ていると仲睦まじい様に見えていましたが……」
「僕もそう思ってたんだけど、それはアーシャが優しかっただけみたいだね」
「う、ううむ……」

 そこで、老臣も話題の選択を誤った事を悟ったのだろう。気まずそうにしている。

「ま、まあ、今はクルス様も色恋に(うつつ)を抜かしている時ではありませんからな! ゾール教国を打ち滅ぼした大英雄ともなれば、父君アルセイム様よりも更に名を馳せる事は間違いありませぬ。そうであれば、大陸中の女全てがクルス様に夢中になりましょうぞ!」

 がっはっは、ガルロスが再び豪快に笑って明るく振舞った。
 自分のミスを、こうして勢いで誤魔化そうとするのもこの老臣の昔からの癖だった。

(例え僕が父上を超える大英雄になったとしても、アーシャの心は変わらないだろうね)

 クルスはガルロスの言葉に「そうかな」と同意しながらも、内心では彼の言葉を否定していた。
 アーシャが身分や肩書だけで男を判断する女性でない事は明らかだ。彼女は賢い人間だ。その男の本質というものをしっかり見抜いた上で、想いを寄せているに違いない。
 そして、相手の男をぼかした時点で、それはその男が彼女に相応しい身分の者ではない事を暗に示していた。
 解放軍の主力でもあるルベルーズ伯の養子〝亡命騎士〟エトムートがアーシャの婿候補であるという噂をクルスも少し耳にしたが、エトムートがその相手であれば、おそらくアーシャも先程そう言っただろう。エトムートとは軍略会議でいつもクルスと意見を交わし、更には酒も飲み交わしているので、二人がそれなりに親交がある事も知っているはずだからだ。
 しかし、彼女は相手についてはかなりぼかした表現をした。そして、それはこの場にいない男である。

(エトムートをも超える男って、一体どんな男なんだよ、そいつは)

 クルスはガルロスの慰めにならない慰めに耳を傾けながら、小さく溜め息を吐いた。
 エトムートとて、武勇・容姿・智略どれをとってもかなり優秀な男だ。しかも伯爵の養子であるならば、身分に於いても問題ない。更には、アーシャとも話しているところをこの従軍中に何度か目にしていたので、それなりに仲も良さそうだった。この男と競うのは大変だな、とクルスは内心悩んでいた次第なのである。
 しかし、そのエトムートをも超える男がどうやらアーシャの中にはいるらしい。どんな男なのか、想像もつかなかった。

(まあ……それは、会った時の楽しみにしておこうか)

 クルスはそう結論付けると、ガルロスと共に砦の中に戻るのだった。
 確かに、彼には色恋に(うつつ)を抜かしている余裕はない。彼には大陸を救うという、大義があるのだから。