アデルがアーシャ王女達と別れた明朝、アーシャの脱走が城内で発覚した。
 彼女が明確な意図──ダニエタン伯爵に蜂起を促すもの──を持って脱走した事は明らかだ。ルベルーズにアーシャ達が辿り着けば、内戦は不可避。それに慌てたグスタフは、すぐさま追跡部隊を編成し、アーシャ達を追わせた。
 移動力の高い駿足部隊を編成していたので、最悪は追い付かれる恐れがあった。しかし、アデルにはもはやどうしようもなく、ただ無事にルベルーズ領に彼女達が辿り着く事を祈る他なかった。
 その三日後、何やら城内が騒がしくなって、兵士達がやけに慌ただしそうだった。しかしアデルは謹慎中の身故に、誰とも接触を取れず、アーシャが捕まったのではないかと不安な時間を過ごしていた。
 そんな時、寮の部屋がノックをされた。

「……? 鍵は開いてる。入ってくれ」
「失礼」

 その言葉と共に入ってきたのは、明るめの茶髪をオールバックにして、凛々しい顔付きをしている男だった。

「一週間ぶりくらいか、アデル」
「お前は、塔の門兵の……」

 声を聞いて思い出した。彼はリーン王妃の塔で門兵をしていた男だ。

「ああ、すまない。名前を伝えてなかったな。俺はアモット。王妃様とお前の連絡係をする事になった」

 宜しく、と手を差し出したので、アデルもその手を握った。

(こいつ……強いな)

 アデルはアモットの手を握った瞬間に、それを確信した。
 がっしりとした手の他にも、歩く動作に一切の隙がない。戦闘に長けているというよりは、暗殺術に長けていると言った方が良いのかもしれない。
 この様な人間がヴェイユにいるとは思ってなかったので、アデルは感心と共に警戒心を男に持った。

「おいおい、そんなに警戒しないでくれ。俺はあんたの味方なんだ」

 アデルの一瞬の警戒心を察知して、アモットは言った。

(……やりにくい野郎だ)

 アデルとしては、警戒心すら見せぬ様にしていたつもりだった。それほどまでに些細な感情の動きまで察知されるとなると、本心を見抜かれてしまうのも、動揺を取り繕うのも難しそうだ。

「さて、アモットさんよ。俺は謹慎中故に、他の兵士との交流が表立ってできない。何で皆こんなに慌ててるんだ?」
「それを知りたがっていると思っているから、こうしてわざわざ来てやったんだよ」

 アモットは「ほんとは非番なんだぜ」とにやりと笑った。
 軽口が交わせる程度にはとっつきやすい性格な様で、アデルも少し安心をする。硬い口調で深刻な話をされてしまっては、息が詰まってしまう。

「で? 何が起こってる? まさか、アーシャが捕まったとかじゃないよな?」
「アーシャ……?」
「いや、すまない。アーシャ王女、だな」
「ほう?」

 アモットは目を細めて、口角を上げた。

「どうやら、冒険者上がりの王宮兵士ことアデル=クラインが王女様の情夫をやっているというのは本当らしいな」
「殺すぞ」

 大剣の柄を握ると共に、自然と言葉が出てきていた。

「冗談だ。おおよその事は察してる。いいから、そのバカデカい剣に手を掛けながら話さないでくれ。ぶるって息ができなくなっちまう」

 アデルは溜め息を吐いて、大剣の柄から手を離した。

「それで、どうした?」
「ああ。どうやら、グドレアン港の近くでアーシャ王女達が追跡部隊に追い付かれたらしい」
「な⁉ それじゃあ、捕まったのか⁉」

 追跡部隊は騎馬隊一〇騎程で編成されていた。如何にシャイナが優秀な近衛騎士であったとしても、彼女一人で撃退するのは難しいだろう。

「いや、捕まってはいない。追跡部隊を撃退したんだ」
「そんなバカな。近衛騎士シャイナはそんなに強いのか?」

 追手に追いつかれたという事よりも衝撃的な話だった。

「まさか。シャイナさんが強いのは間違いないが、さすがに一〇騎相手に一人で戦うのは無理だろうさ」
「じゃあ、それがどうやって?」
「聞いて驚け。なんと、ミュンゼル王国の若き王子が、このヴェイユを訪れたんだとよ」
「ミュンゼル王国の王子……クルス=アッカードか!」

 アモットは「その通り」と頷いた。
 ミュンゼル王国のクルス=アッカード王子は国を失ってから、同盟国のバルムス王国の〝海賊王〟バハヌスと共にゾール教国と戦っていたが、抵抗虚しく敗走していたそうだ。
 それから彼らは逃亡先──なのかどうかまでは定かではないが──としてこのヴェイユを選び、上陸。グドレアン港に降り立ったところ、騎士団に追われているアーシャ達を発見し、保護したのだという。
 敗残兵と言えども、ミュンゼル王国の騎士団だ。平和惚けをしているヴェイユ王国の騎士団が敵うはずもなく、一網打尽にされたそうだ。

「それで、アーシャ王女達はどうなった?」
「クルス=アッカードに保護されながら、ルベルーズに向かっているとの事だ」
「なるほどな。グスタフにとっては、糞で滑って転んで、その糞が顔面に降ってきたってくらい不幸な話だ」
「もともと馬糞の様な顔だ。大して変わらんさ」

 アデルは軽口を交わしながらも、その情報を素直に喜んでいいのかどうかわからず、何ともすっきりしない気持ちだった。
 アーシャが助かったのは嬉しい。だが、その助けた相手というのがミュンゼル王国の王子というのが彼にとっては面白くない話だったのだ。

「喜べ、アデル。どうやら俺達にツキが回ってきたぞ」

 アデルの気を知らずか、アモットが嬉しそうに言った。

「どういう事だ?」
「アーシャ様とクルス王子は幼馴染なんだ。そのクルス王子がアーシャ様と再会して、解放軍側についた。これまで戦力はグスタフ側が優勢だという見方があったんだが、歴戦のミュンゼル兵が加わったなら話は別だ」
「解放軍側の戦力が一気に上がる、という事か」

 アデルの言葉に「そういう事」とアモットが同意する。
 いくらミュンゼル王国の騎士団がゾール教国に前に敗北を重ねた敗残兵といっても、度重なる激戦から生き残った者達だ。ヴェイユ王国の生温い中で育ってきた兵士達との実力差は歴然だろう。
 王妃の命令書を携えたアーシャの到着で士気が高まって蜂起したところに、ミュンゼル王国の騎士団が兵力として加わったとなれば、戦況は大きく変わる。解放軍の勢いと強さは更に増すだろう。対して、グスタフ陣営にとってはかなり深刻な問題となりそうだ。
 解放軍の戦力や士気が上がる事は好ましいのだが、アデルにとっては別の不安が頭の中を過ぎっていた。