「なッ──」

 そこから、アデル達には止める暇すらなかった。
 待ってましたと言わんばかりに配下の兵士達は武器を抜き、教会内に立て籠っていた人々を処刑していく。教会のステンドグラスは赤色へと染まり、大地母神フーラの石像が血の涙を流していた。

「な、なんという事を!」

 ティクター伯爵が膝から崩れ落ちて、頭を抱えた。

「ひど過ぎるぞ、貴様ら!」
「彼らは降伏勧告を受け入れ、抵抗もしていなかったのに……許せません!」

 ルーカスとカロンがそれぞれ怒りを示して剣を抜く。

「将軍さんよ……糞は便所でするもんだ。そうだろ?」
「何が言いたいんだ、冒険者風情」
「人としても武人としても、越えちゃいけねえ一線ってのがあるだろうって事さ……!」

 沸々とアデルの中で怒りが満ち溢れていく。自然と背中の大剣を掴んでいた。
 ドルフィー将軍のこの行き過ぎた行動そのものに腹が立っていた事もある。しかしそれよりも、自分が憧れ、そして自分の居場所となってくれたこのヴェイユ王国でこの様な惨劇が繰り広げられている事そのものに腹が立って仕方なかったのだ。

(俺は……こんな事をする国の為に仕えてるんじゃない。アーシャが愛していた国だから、平和だったから仕えたんだ。それを……それを!)

 許せなかった。
 ただ彼女が望んでいない世界が彼女の世界で繰り広げられている事がただただ許せなかった。

「くくく……ようやくならず者の本領発揮か? 面白い、〝漆黒の魔剣士〟よ! 貴様とは一戦交えてみたかったのだ!」
「ケツの拭き方も知らねえ蛮族が、吠えてんじゃねえ!」

 ドルフィーが槍を構え、アデルも大剣を抜いた時である。誰かの駆け寄る足音と共に少女の声が響いた。

「やめて下さい! 二人とも、何をやっているのですか!」

 驚いて声の主の方を見ると──教会の入り口には、二人の女性が立っていた。
 アーシャ王女と近衛騎士・シャイナだ。

「アーシャ王女……!?」

 彼女は民を元気付ける為に、最近よく町に顔を出しているという。おそらく、今日は偶然町に出ていた時に、騒ぎを聞きつけて駆け付けたのだろう。

「国を守護すべき立場の者同士が争うなど、私もお母様も、そしてお父様も許した覚えはありません!」

 アーシャ王女は怒りに満ちた表情で、アデルとドルフィー将軍を睨みつける。
 だが、それは怒りを通り越して悲しみに満ちている表情とも思えた。その証拠に、その浅葱色の瞳には涙がうっすらと張られている。

「これはこれは王女殿下。失礼致しました」

 ドルフィー将軍は槍を部下に渡して戦意がない事を示し、恭しく頭を下げた。
 アデルもそこで武器を収める。

「しかし、王女殿下。御父上はもはやお亡くなりに──」
「口を慎みなさい、ドルフィー!」

 将軍の言葉を遮って怒号を飛ばしたのは、近衛騎士のシャイナだ。

「それでなくても、あなた達の行き過ぎた粛清行為は再三王宮内でも問題となっています。これ以上トラブルを増やすと、如何にグスタフ宰相の力を以てしても庇え切れなくなってしまいますよ!」
「はっ! 王女の子守り役の分際でぬけぬけと……まあ、今回は王女殿下の面前なので、我々も控えましょう。ただし、こちらの貴族だけは頂いて行きますぞ」

 そう言い残してアーシャ王女に一礼すると、ドルフィー将軍は崩れ落ちたままのティクター伯爵を引きずる様にして連行して行った。

「……糞!」

 アデルは怒りに任せて、教会の椅子を蹴り飛ばした。木製の椅子がバキッという音を立てて折れる。

「耐えてくれてありがとうございます、アデル……」

 アーシャはそんなアデルの手を取って、笑顔を浮かべた。
 ただ、その笑顔はいつもの彼女の美しい笑顔とは全くの別物で、泣くのを必死に堪えている表情だった。

「これが夢であったらどれだけ良いか……そんな事を毎日思ってしまいます。でも、この光景こそが、今のヴェイユなんですよね……?」

 アーシャは教会内に転がる肉塊に視線を見てから、眉を顰める。その刹那、浅葱色の瞳から雫が漏れて、その美しい頬を伝った。
 本当は顔を覆って泣き崩れたいに違いない。しかし、カロン達の手前、それもできない。彼女は必死に強くあろうとしているのだ。
 そしてこの時こそ、彼女が母の願い──密使、そして王女としての役割──を聞き入れる覚悟をした瞬間でもあった。アデルはその横顔から、その覚悟を垣間見た気がした。
 それからアーシャ王女と共に、亡くなった者達の埋葬と供養を行った。

(〝ヴェイユの聖女〟にして〝大地母神フーラの生まれ変わり〟の彼女に供養されたなら、彼らの悲惨な最後も少しは報われるだろうか?)

 アデルは彼らの墓を見て、そんな事を思うのだった。