「はいはいいらっしゃい、今は誰もいないから好きな席に──って、アーシャ様!?」

 気怠そうに安料理屋の店主の男が出てきたかと思うと、アーシャを見るや否や、吃驚の声を上げた。今は慌ててひれ伏して地面に頭をこすりつけている。
 町人が王女殿下に気付いたら、普通はこういった対応になるだろう。

「あ、あの……頭を上げて下さい。困ります」
「お、お、お、王女殿下が一体うちに何の用事で!?」

 アーシャの声など聞く様子がなく、ただ店主は震えていた。
 これも仕方がない反応だと思えた。

「えっと……私達は、料理を食べにきました」

 丁寧にアーシャが説明するが、店主は言葉を理解できないと言った様子で、おそるおそる顔を上げた。

「あの……今、何と?」
「ですから、私達は料理を食べにきました。ここは、料理を提供しているお店ですよね?」

 丁寧にアーシャが来店の目的を言うが、店主の頭にはクエスチョンマークが浮かんでいる様子だった。
 料理屋に料理を食べに来るのは至極当然な事なのだが、王女殿下がとなれば、話は変わってくる。しかも、ここは王族や貴族が来る様な店ではなく、大衆向け──しかもかなり低価格な店だ。王女殿下が来る意味がわからない。

「王女殿下が、うちにですか?」
「はいっ」

 アーシャが嬉しそうに頷いた。
 店主が混乱し切った顔でアデルを見てくる。説明を求めているのだろうが、説明のしようがない。アデルは無言で頷くしかないのだった。
 店主はもう一度アーシャへと視線を移して、下から上までもう一度じっくりと見て、ぶるぶると首を振った。

「いえいえいえ! 王女殿下に出せる料理などうちにはございません! うちは平民向けの安料理屋でして! 王女殿下のお口に合うものなどありません!」

 店主は首を横に振ってもう一度ひれ伏した。
 アーシャは困った顔でアデルを見たが、アデルに何か言えるはずがない。店主としては当たり前の反応なのである。自分の料理を出して、万が一まずくて食えぬなどとなって、王女の気分を害したらどんな目に遭うかわからないと考えているのだろう。おそらくどの料理屋に行っても反応は大差ないだろう。
 アーシャはひれ伏す店主を見て暫く考え込んでいると、すぐに何かを閃いたという顔をした。

「えっと、店主さん。私は、その……今、お忍びで殿方とデートをしています」

 アーシャが照れながらとんでもない事を言う。
 彼女のとんでも発言に、アデルは思わず咳き込んで否定しようとするが、王女殿下がそれを手で制す。

「ですから、今はヴェイユ王国の王女ではなく……そうですね、冒険者の御供、という事にして、お料理を提供して下さいませんか? 私、こうしたお店でお料理を食べた事がないんです」

 店主が泣きそうな顔でアデルを見るが、アデルもアデルで額を手で押さえていた。
 言い訳にしては酷過ぎる。わざわざデートと言う意味がわからなかった。

「ダメ……でしょうか?」

 おずおずと王女に店主が訊くが、店主は店主でおそるおそる顔を上げてアーシャを見る。

「いけないといった事はないんですが、その……王女様のお口に合うとは思えません」
「でも、このお店は一般の方もよく利用するんですよね?」
「はい、今日は表通りで出店が出ていますので、この通りからっきしですが、普段は……」
「それなら、皆さんが普段食べているご飯、というのも食べてみたいです。私はその……恥ずかしいながら、ずっとお城の管理下で暮らしていましたから」

 買い食いどころか外食の経験もないんです、とアーシャは微苦笑を浮かべて言った。
 もしかすると、彼女は彼女で外食というものをしてみたかったのかもしれない。