待ち合わせの十分前にアデルは中庭に辿り着いていた。
 カロンがデートなどというので、無駄に緊張してしまった。ただの護衛の任務で、王女様はお買い物を楽しみたいだけである。そう自分に言い聞かせて待ってはいるものの、やはり緊張してしまうのが男の性というものであった。
 そうして王女殿下を待つ事十分。彼女は待ち合わせ時間ぴったりに中庭に現れた。

「……お待たせしましたか?」

 少し不安そうに彼女は顔を覗き込んでくる。
 いつもの王族が着る様な服ではなく、一般市民が着る様な平服だ。おそらく町娘に溶け込もうとしているのだろうが……如何せん、彼女の白銀髪は目立つ上に、平服の上でも彼女の放つ神々しさは隠せやしない。

「いや、さっき来たところだ」
「それはよかったです。それより……どうですか?」

 王女は恥ずかしそうにちらちらとアデルを見た。

「え? どうって──」

 何が、と訊こうとして、既のところで食い止める。
 女がこういった状況で訊く事など、一つしかない。

「ああ、服か。うん、似合ってるよ。でも、さすがに町娘に紛れ込むのは無理があるな」

 そういえば、フィーナの時はそれで叱られた記憶がある。
 一度失敗しておけば、同じ轍は二度踏まなくて済むのである。

「ど、どうしてでしょうか!? 街の女の子達が着ている様なもの、と侍女には言っておいたのですが……何かおかしなところでもありますか?」
「いやいや、そうじゃなくてさ。もうその髪色とか雰囲気で、どれだけ服変えてもこの国の人ならアーシャ王女だってわかるって事さ」

 はっきり言って、洋服が完全に着られている。アーシャ王女の纏う尊さを服が隠しきれていないのだ。おそらく薄汚れた服を着ても、アーシャであればそのオーラが際立ってしまうだろう。

「そういうものでしょうか……」
「そういうものさ。ま、だからあんまりうろちょろしないでくれよ。護衛ができないからな」
「そんなに子供じゃありません!」
「わかったわかった。ともかく、行くぞ」

 ぷりぷりと怒るアーシャを他所に、アデルが歩き出すと彼女は横について歩いてくる。
 怒ってはいるものの、笑顔も漏れている。おそらく彼女は今日という日を楽しみにしていたのだろう。
 アーシャは普段、城下町へは滅多に出ない。いや、出れないのだ。彼女はその人生の大半を王宮か、大地母神フーラの神殿で過ごしている。万が一誘拐等があってはならないし、事件に巻き込まれでもすれば大事だ。その過保護加減が嫌なのだろうが、彼女はこの国にとっては国宝と言っても良い存在だ。万が一があってはならないのである。
 今日もそうだ。アデルが彼女の同伴護衛に選ばれたのは、アーシャのご指名があったからなのである。実際には、アデル以外にも周囲に十人程私服の護衛がアーシャを見張っている。
 カロンはデートなどと言っていたが、これほど見張られていてはデートも何もないだろうとアデルは思うのだった。

「露店がたくさん出ていますよ、アデル! 早く行きましょう!」
「あ、おい──」

 アーシャはアデルの手を引いて、雑踏へと紛れ込んでいく。

「お前な、俺以外にも護衛はいるんだぞ!」
「知ってますよっ!」
「知ってる!? 知ってるのにこんな事してたらお前どうなるか──」
「たまにはいいじゃないですか! いつも閉じ込められて座学や作法ばっかりなんですから。たまには私だって羽を伸ばしたいんですっ」

 言いながら、アーシャは敢えて人混みを選んで、護衛の目を眩ませていく。
 本来ならばアデルは無理矢理にでも彼女を止めて、しっかり護衛の目の届くところに留めておかなければならないのだろう。だが、楽しそうなアーシャの表情を見ていると、それも気が引けてしまい、結局彼女にされるがままになってしまうのだった。
 アーシャは雑踏から抜け出して、路地裏に入ると、壁に凭れて息を整えた。

「どうですか? 撒けました?」
「撒けました、じゃねえだろ!」

 アデルは王女の質問に盛大なツッコミを入れた。

「俺ひとりでどうやって守るんだよ、自分の立場わかってんのか!」
「わかってますよ? だから……こうして人通りの少ないところを選んでるんじゃないですか」

 アーシャは細い路地を見て言った。
 露店と人でごった返している表通りとは打って変わって、路地裏は静かだった。
 人通りも少なく、道も細い。人が近寄ってくればすぐにわかるし、警戒もできる。
 表通りよりも遥かに護衛はしやすい環境だった。