「本当は……アデルとお話する為に、クッキーを作りました」

 アーシャ王女が驚くべき事を言った。
 これは、アデルが「どうしてそんな嘘を吐いてまでクッキーを作ったんだ?」と訊いた時の彼女の答えだった。

「俺と話す為って……どうして? そんな事しなくても、話くらいならいつでも──」
()()()()()しないと、アデルの事だからすぐにぴゅ~って逃げていっちゃうじゃないですか」

 アデルの言葉を遮って、彼女は言った。
 これもまた、彼女の推測通りだ。アデルも王女と話すのは好きだが、周囲に気を遣うのと、万が一誰かに見られた時の事を考えると、あまり長く話すのは良くないと思っていたからだ。
 幼い頃から色んな人を見ているからなのか、アーシャ王女の洞察力は並大抵ではなかった。

「私はお友達として話したかったんです」

 アーシャはぷりぷり怒って言った。
 その表情があまりに可愛くて、アデルは思わず噴き出してしまった。

「あ、笑う事ないじゃないですか。アデル、ひどいですよ?」
「ごめんごめん、可愛くて、さ」
「か、かわ……!?」

 可愛いという言葉に反応してか、アーシャ王女は言葉を詰まらせて、一気に顔を真っ赤に染めた。

(あ、やべ。やっちまった)

 アデルは言ってから後悔した。
 すんなり心の声を出してしまったのだが、色々とまずかったかもしれない。王女殿下に可愛いなどと、無礼にも程がある。

「……私、可愛い、ですか?」

 顔を赤らめながら、上目遣いで遠慮がちに訊いてくる。
 その表情は、嘘偽りないほどに、可愛らしかった。

「あ、ああ。もちろん。可愛いよ」
「ありがとう、ございます……」

 気まずい沈黙がそこで二人の間を包む。
 二人は互いに視線をあちこちに移しては互いをちらちら見て、目が合うとどうにもこそばがゆい。
 このままいても気まずいので、別れを告げようとすると、アーシャは思いもよらぬ言葉を放った。

「あのっ。来週、闘技場で競技会が開催されるのは知っていますか?」
「競技会? ああ、噂程度には……」

 闘技場に出向いた際に、壁に書いてあった事だ。
 競技会とは、町民・剣闘士・兵士や騎士までもが身分を問わずに実力を競い合うトーナメント形式の大会だ。木製の武器を用いて、誰がヴェイユ王国最強の戦士かというのを決める大会だそうだ。エントリー期間は終わっていて、もうアデルは出る事はできないが、この国の大きな祭りでもあるらしい。
 色々な出場者がいるようだが、もっぱら優勝候補はベルカイム領のロスペールとルベルーズ領エトムートの二人らしい。
 ベルカイム領のロスペールはこの国唯一にして最強の聖騎士と呼ばれる戦士で、一方のルベルーズ領のエトムートは大陸からの亡命者で、ダニエタン伯爵の養子になったそうだ。詳しくは知らないが、亡国の騎士だとか。ちなみに、そのエトムートであるが──これはまだ噂の域を出ないが──アーシャの将来の婿候補、とまで言われている。
 ヴェイユ島の西側を統治するダニエタン伯爵の養子であれば、国としても安泰だろうとの見解だそうだ。アーシャがその噂を知っているかどうかはわからないが、アデルにとっては面白くない話だった。

「それで、その競技会がどうした?」
「えっと、その……」

 アーシャが顔を赤くして、途端にもじもじとし始めた。

「どうした?」
「あのっ……私と一緒に、見に行きませんか?」

 何を言い出すのかと思っていれば、ただの同行の誘いであった。

「護衛か? それなら別に俺でなくても」
「いえ、まあ、その……護衛という形にはなってしまうんですけど、アデルと一緒に行きたいなって……ダメですか?」

 おずおずと、相変わらずの上目遣いで訊いてくる。顔は赤いままだ。

「いや、それなら全然……俺に別の仕事が回ってこなければ、だけど」
「それなら大丈夫です!」

 何故かアーシャが自信満々に答える。

「そうなのか? それなら……まあ、俺でよければ」

 アデルの返答に王女したのか、アーシャは嬉しそうにはにかんだ。

「じゃあ、競技会の日の朝十時に、ここで待ち合わせですよ?」
「王女殿下の御心のままに」

 アデルは肩を竦めてそう言うと、アーシャはくすっと笑って、少しだけ首を傾けた。

「──アデル」

 そして柔らかい笑みを浮かべたまま、彼の名を呼んだ。

「ん? 何だ?」
「えっと……クッキー、美味しいって言ってくれて嬉しかったです。また、作りますから、今度も食べて下さいね?」

 彼女は少し恥ずかしそうにそう言うと、アデルの返事を聞かないまま城内へと戻っていった。
 アデルはそんな彼女の後ろ姿を、頬を緩ませながら見送っていた。

「……バカか俺は。何をへらへらしてるんだ」

 自分の頬に触れて、思わず溜め息を吐く。
 アデルは自分が思っていた舞い上がってしまっていた事に気付いてしまったのだ。
 自分がそうなってしまう理由にも彼は薄々気付いていて、その理由を考えると彼の胸の奥はちくりと痛むのだった。