それからアデル達は噴水の前で話し込んでいた。
 話し込んでいたと言っても、アーシャの作ったクッキーを摘まみに、彼女の話を聞くだけだ。彼女はその美しい声色で、彼女の身の回りに起こった事をただ楽しそうに話していた。
 座学ではどんな事を学んでいるのか、そしてそれがどれだけ退屈か、退屈過ぎて教育担当の教師の白髪を数えて時間を潰しているか等を話してくれる。また、侍女との会話や噂話、或いは近衛騎士のシャイナについてもアーシャは楽しそうに話す。
 アデルはそんな彼女の会話を聞いているだけで心が癒されていくのを感じた。
 無論、住む世界が違うなと感じる事は多かった。だが、それはもはや生まれた時点での身分が異なるのであるから、仕方のない事だ。
 むしろ、「王族はそういった生活をしているんだな」くらいの感覚で聞いていた。他人事として聞いてみると、それは結構面白い話だった。冒険者をしていては絶対に知り得ない情報だったからだ。
 アデルの話も聞かせて欲しいと言われたが、「俺のは殺すだの殺されるだのの話ばかりだから」と断った。
 この純粋無垢な王女様に、冒険者の汚い話等聞かせたくなかったのだ。ただ、アーシャは残念そうに眉を顰めていた。
 彼女にはただ、世界の綺麗なものだけ見ていて欲しいし、彼女に汚いものを見せない為に自分の様な兵士がいるのだ。アデルはここヴェイユ王国で過ごす様になってから、そう考える様になっていた。
 この王国はアデルが歩いてきた大陸の国よりも遥かに平和で、優れている。無論賊の様な類はいるが、国だけで治安が維持できる規模だ。それだけ国力も強い。
 アーシャ王女が王位を引き継ぐのか、はたまたアーシャ王女の将来の夫がこの国の王になるのかはわからない。だが、彼女の代まで幸福に過ごせる様に、この国の平和を守りたい。それが、自分の命を救ってくれたアーシャ王女への恩返しだと考えていた。

「今日はアデルとたくさん話せて嬉しかったです」

 そろそろ日が傾いてきて、会話のネタも尽きてきた頃合いだ。アーシャ王女が唐突に切り出した。

「クッキーを作った甲斐がありました」

 王女は目を細めて、嬉しそうにはにかんだ。

「え? 作った甲斐って……侍女から貰ったんじゃないのか?」
「すみません、そう言わないとアデルが食べてくれない気がしたので」

 嘘を吐きました、と王女は微苦笑を浮かべて言った。
 何という事を、と心の中で呟きながら、アデルは眉間を指で摘まんだ。本当は頭を抱えて蹲りたくなった程だった。
 王女殿下が作ったものを何の感謝もなく、一介の兵士風情がパクパク食べてしまったのだ。しかもそれを食べさせてもらっていたというのだから、もう殻にこもりたい気分だ。
 ただ、それと同時に彼女の推測もなかなかに鋭いな、と思わされた。確かに最初から王女が作ったお菓子だと言われていれば、アデルは食べなかっただろう。

(何でこの子はこんなに身分の差を気にしないんだろうな)

 アデルはふとそんな事を思った。
 では、彼女が誰彼問わず身分の差を気にしないかというと、そうではない。()()()()()()()()()()()はしっかりと区別はつけているし、アデルが初めてこの王宮に来た日も兵長に対して『王女の()()と近衛騎士の()()()()のどちらを守るつもりだ』と威圧していた。あれが()()()()()()()()()()()だったとしても、ここまで一介の王宮兵士に対して同じ目線で接してくる意味が彼にはわからなかった。

「あの……嘘を吐いた事、怒ってますか?」

 アーシャがおずおずと訊いてきた。
 アデルが言葉を発せず眉間を押さえていたので、気に障ったのかと不安だった様だ。

「いいや、怒ってないよ。どんな良い子だって、ママに言えない悪い事をたまにはするもんだ」

 アデルは笑みを浮かべてそう言うと、アーシャは「お母様にちゃんと報告できますよ?」と反論した。そして、御互いに噴き出す。確かに、この程度の可愛い嘘なら母親にも言えるだろう。
 それに、その嘘はアデルが遠慮する事を見越した上での嘘だ。彼が遠慮なくお菓子を食べてられるようにする為の、優しい嘘であるとも思えた。

(この子は……本当に優しい子なんだな)

 アデルは改めて、彼女の持つ優しさに触れた気がした。