「それならよかったですっ」

 一転笑顔になると、近こう寄れ、と言わんばかりにアーシャはぽんぽんと自分の横を叩いた。
 アデルは軽い頭痛を覚えながらも、そっと身をアーシャに寄せた。
 彼女のスカートの裾がほんの少しだけアデルに触れて、どきりとする。

「それでですね、アデル」
「ん?」

 アーシャは言いながら、小さな袋を取り出した。

「先程、侍女からクッキーを頂きました。一緒に食べませんか?」

 袋の中を見ると、そこにはぎっしりと詰まったクッキーが入っていた。一人で食べるには、確かに量が少し多そうだ。

「え、俺も……?」
「はい。私ひとりでは食べきれないので」
「でも、それはアーシャ王女に献上されたものであって、それを俺が食べるのはまずいんじゃ」
「いえ、これは私が頂いたものなので、私の所有物です。それをアデルと一緒に食べたいと思うのは、ダメな事ですか?」

 そう言われてしまえば、「ううむ」と考え込んでしまうアデルであった。確かにアーシャ王女のものを誰に施そうが、それは彼女の勝手であるし、彼女にはその権利がある。

「……ダメ、じゃないな」
「じゃあ、食べて下さい」

 アデルの答えにアーシャ王女は満足げに微笑むと、クッキーを人差し指で摘まんだ。

「はい、あーん」

 言いながらアーシャ王女は、そのクッキーをアデルの口元まで運んでくる。

「いやいやいや、待ってって! それはまずいって!」

 王女様に食べさせてもらうなどと、さすがにそれは無礼にも程がある。

「私の事、嫌いですか……?」

 しかし、それで引き下がってくれないのもアーシャ王女だ。途端に瞳をうるうるとさせて、捨てられた子猫の様な瞳でこちらを見てくる。

(もしかして、ことあるごとにこれをやられるのか、俺は)

 眉間の奥が割れそうな痛みに襲われるアデルであった。

「嫌いなわけ、ないだろ」
「じゃあ、食べて下さいっ」

 一転笑顔のアーシャ王女。もはや計算しているとしか思えなかった。
 アデルはもう一度周囲を見て誰もいない事を確認してから、小さく息を吐いて、口を開けた。
 アーシャの手から、遠慮がちにクッキーが運ばれてきて、彼の口の中に収まる。彼女の指先がアデルの唇に触れそうになって、それだけでどきりとした。
 彼女の手が離れたのを確認してから、しゃりしゃりとクッキーを食べる。程よく甘く、かと言って甘すぎずに食感もサクサクしていて、とても美味しいクッキーだった。

「どう、ですか……?」

 彼女はその浅葱色の瞳で不安げのアデルを見つめながら、訊いてくる。

「普通に美味しいよ。街の菓子屋で売られてるのより美味いかもな」
「ほんとですかっ!」

 アデルの言葉に、想像以上に喜びを見せるアーシャ王女。
 怪訝そうに彼女を見ると、アーシャは顔を赤らめたかと思うと、照れ臭そうに視線を逸らした。

「どうした?」
「いえ……そのクッキー、私が作ったんです……」
「え!? アーシャ王女の手作り!?」

 王女殿下の手作りお菓子などと、アデルにとっては身に余り過ぎる光栄だった。

「はい……昨日侍女と一緒に作ったんです。その、アデルに食べて欲しいなって思って……」

 今度はアデルが顔を赤くする番だった。
 彼女は王女という身でありながら、一介の王宮兵士にクッキーを作り、振舞っているのだと言う。意味がわからなかった。
 ただ、それを言おうものならまた会話は堂々巡りだろう。アデルは小さく溜め息を吐いて、彼女を見た。

「えっと……じゃあ、それもっと食べていいか? その……美味しかったから」
「……はい!」

 アデルの言葉に、とても嬉しそうに顔を綻ばせて、彼女は頷いた。
 そのままアデルは、王女殿下の手作りクッキーを食べて時を過ごしたのだった。