◇ 新たな想い ◇

 5年生になった。
 わたしの心は一気に春になった。それは季節のせいではなく、1年間願い続けたことが遂に叶えられたことによってもたらされた。待ちに待ったクラス替えが行われたのだ。今までは2年に一度だったが、今年から毎年クラス替えをすることに変わったのだ。どうしてそうなったかはわからなかったが、寒田と黄茂井と別のクラスになったことを知って天にも昇る気持ちになった。余りに幸せ過ぎて神様に感謝したくらいだった。その上、三文字悪ガキ隊と同じクラスになるという幸運に恵まれた。そのお陰で、寒田と黄茂井は一切わたしに近づかなくなった。だから胸がキュッとすることがなくなった。平穏な学校生活が戻ってきたのだ。
 放課後はなんの心配もなく毎日図書館へ行って思う存分本を読むことができるようになった。ただ、読みたいと思う本は以前と変わり始めていた。ヨーロッパへの関心は冷めていなかったが、同時に、渇望ともいえる新しい何かが芽生えていたのだ。それは、誰かの役に立ちたい、という欲求だった。それは、わたしを救ってくれた三文字悪ガキ隊への感謝の気持ちから芽生えていた。誰かを助けたい、誰かの役に立ちたい、困っている人に手を差しのべたい、わたしにできることは何かないだろうかと心からそう思うようになっていた。でも何をしたらいいのか、何ができるのか、想像することさえできなかった。だから、一生懸命考えた。そして、誰かに助けてもらって嬉しかったことを一生懸命思い出そうとした。すると、あることがふっと蘇ってきた。そうだ、あの時はとても嬉しかった。遠足の2日前に熱を出して病院に行った時、小児科の先生から「このお薬を飲んで、お母さんの言うことをちゃんと聞いたら遠足に行けるようになるよ」と言われたのだ。そして、その通りにしたら、本当に熱が下がって元気になって遠足に行けたのだ。その時、病院の先生って凄いなと思った。それを思い出した途端、病気の人を助ける仕事がいいかも知れないと思った。
 お母さんにそのことを話すと正式な職業名を教えてくれたので、早速図書館へ行って本を探した。あった。『医師という職業』『看護師の仕事』『薬剤師と薬の話』。それらを借りて家で読んだ。しかし、難しすぎて読めなかった。わたしには無理だった。ガッカリして落ち込んでいると、お母さんが1冊の本を渡してくれた。『ナイチンゲール』というタイトルだった。大人用の絵本で、1820年にイタリアのフィレンツェで生まれたフローレンス・ナイチンゲールの物語だった。
 フィレンツェと聞いて、運命の出会いのような気持ちになった。あの憧れのフィレンツェに生まれた人なのだ。何かがわたしに引き合わせてくれたとしか思えなかった。そのことに感謝しながら夢中になって読んだ。
 当時、看護師という職業は劣悪な環境で行われる危険な仕事と思われており、社会的な地位も低かった。だから、その職業に就くことは両親から強く反対された。しかし、彼女はその反対を振り切って看護師になり、更に、戦場という最も危険な現場に(おもむ)く決断をした。祖国のために戦って傷ついた兵士を必死になって看病しなければならないという強い使命感が彼女を突き動かしたのだ。その行動が母国イギリスの新聞に紹介されると、その献身的な働きに称賛の声が上がった。それも数多くの称賛が。それを見て、彼女の両親の考えが変わった。「あなたは私たちの誇り」という言葉を贈ったのだ。しかしそれで満足することはなく、戦場から戻った彼女はロンドンに看護学校を設立した。そして、看護学に関する書籍を執筆した。その結果、看護師という職業の社会的地位向上に大きな貢献を果たすことになった。
 読み終えて目を瞑ると、ナイチンゲールの姿が鮮明に浮かび上がってきた。すると、彼女がわたしに話しかけてきた。
「困っている人に手を差しのべなさい。悩み苦しんでいる人に声をかけなさい。あなたが救われたように誰かを救うのです。勇気を出して一歩踏み出しなさい。救いの手を待っている人たちのために」
 目を開けたわたしは、三文字悪ガキ隊それぞれの顔を思い浮かべた。
 彼らがいなかったらどうなっていただろう? 
 辛い毎日の中で自分の運命を嘆いていただけだったに違いない。もしかしたら死ぬことを考えたかもしれないし、その前に復讐していたかもしれない。どちらにしても恨みや憎しみが心を支配していたはずだ。人の役に立ちたいなんて決して思わなかったに違いない。でも、今は誰かの役に立ちたいと真剣に思うことができる。これも彼らのお陰だ。感謝してもしきれない。いや、そんなものじゃない。命の恩人だと言っても言い過ぎではないのだ。だからその夜、寝る前に3人の顔を思い浮かべて「ありがとう」と言った。そして、これから先も1日も欠かさず「ありがとう」と言い続けることを心に誓った。