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 その翌日、校門を出ようとした時、いきなり寒田が現れて腕を掴まれた。
「待ちなさいよ。なんで公園に来ないの?」
 答えなかった。
「今日は来なさいよ」
 首を横に振った。
「逆らう気? そんなことできないからね。あんたは家来なんだからね」
 寒田と黄茂井がわたしの腕を掴んだ。無理やり連れて行かれそうになったので、わたしは腰を落として踏ん張った。しかし、体の大きな2人に勝てるわけがなかった。
「あんたの場所はここ」
 引きずられるようにして連れて行かれた公園のベンチに座らされた。
「私たちが帰るまでここを動いたら!」
 寒田がわたしの顔を平手打ちする仕草をした。黄茂井がわたしの足を蹴る仕草をした。恐ろしくて体が固まった。やっと逃れられたと思ったら地獄の日々が再びやってきた。当然のように学校のある日は図書館へ行けなくなった。図書館という親友に会えるのは日曜日だけになった。わたしは指折り数えて日曜日を待つようになった。
 日曜日には限度いっぱいまで本を借りて家に持って帰るようになった。今日も10冊借りた。ヨーロッパに魅せられたわたしは、いろんな国の美しい街並みと美術品の虜になった。どの国のどの都市も素晴らしかった。特に落ち着いた古い街並みと歴史的な建物には目を奪われた。ローマ、フィレンツェ、ウイーン、パリ、ニース、コルマール、グラナダ、リスボン、ポルト……、美しすぎる旧市街にため息をつきながらページをめくり続けた。すると、目を瞑っても美しい街並みや美術品が思い浮かぶようになった。いつでもどこに居ても心を憧れの地へ飛ばすことができるようになった。
 昨日、わたしはフィレンツェを旅した。美術館や博物館を巡った。ウフィツィ美術館、ピッティ宮殿、アカデミア美術館、サンマルコ美術館、ヴェッキオ宮殿とシニョリーア広場、バルジェッロ国立博物館、そして、大聖堂付属博物館。素晴らしい彫刻と絵に圧倒された。特に、2つのダビデ像に目を奪われた。ミケランジェロが作ったおっきくて逞しい彫刻とドナテッロが作った優しくてしなやかな彫刻、どちらも素晴らしかった。でも、彫刻以上に絵に目を奪われた。ボッティチェリの『(プリマヴェーラ)』と『ヴィーナスの誕生』。その優しい色使いに心が酔った。余りの美しさにため息が出た。それから、ラファエッロの『小椅子の聖母』。素敵すぎてため息も出ないほどだった。愛情に満ちたその眼差しに見つめられると、心の中に安らぎが広がった。
 今日はローマを旅した。コロッセオ、トレヴィの泉、ナヴォーナ広場、パンテオン、スペイン階段、そして、バチカン市国のサンピエトロ大聖堂を巡った。明日はベネツィアに行く。その次はミラノやシチリアを旅するつもりだ。
 そんなことを考えていたら、お母さんが『ローマの休日』という映画をレンタルショップで借りてきてくれた。晩ご飯のあと一緒に見た。白黒映画だった。オードリー・ヘップバーンという女優が可愛かった。その夜、オートバイに乗ってローマを駆け巡る夢を見た。ヨーロッパへ行きたい、この目で実物を見たい、そんな夢がどんどん膨らんでいった。
          
 夏休みになった。わたしは毎日図書館に通った。寒田と黄茂井の顔を見ないで過ごす日々は穏やかで安らかだった。
 図書館にある旅行本をほとんど読み終えたわたしの興味は歴史に移っていた。特に、ヨーロッパの歴史に。美しい街並みや芸術作品が生み出された背景を知りたくなったのだ。フィレンツェを支配し、黄金時代を築き上げ、ルネサンスを開花させたメディチ家。歴代の王が600年に渡って芸術家を庇護(ひご)し、多くの作品を収集し、ウイーンを芸術の都として開花させたハプスブルク家。わたしは夢中になって、それらの本を貪り読んだ。