◇ 三文字悪ガキ隊 ◇

「横河原君は誰が好きなの?」
「当然、本多(ほんだ)。カッコいいんだよな」
「本多選手が好きなんだ」
「サッカーやってる奴で本多が嫌いな奴はいないよ」
 ふ~ん、本多選手か……、
 図書館へ行って、本多選手のことを調べてみた。高校の時、インターハイで優勝して、Jリーグのチームに入団し、20歳の時にイギリスへ渡った。それから、ドイツのチームに移籍して、更にスペインへ行って、その後移ったイタリアのチームではキャプテンという大役を務めた。今はオーストリアで活躍している。おまけに、世界各国でサッカー教室を開催しているらしい。
 凄い!
 サッカー選手として活躍するだけでなく、次世代の育成に力を入れている。それに、英語がペラペラらしい。ドイツ語とスペイン語、イタリア語も話せるらしい。
 凄すぎる!
 わたしの想像を超えていた。でも、これが使えるのではないかと思った。早速翌日、このことを横河原に教えた。
「本多選手って英語ペラペラらしいよ」
「ふ~ん」
「本多選手みたいに海外に行きたい?」
「当たり前だよ。プロになって海外へ行くのが夢」
「だったら英語を話せるようにならないと」
「う~ん……」
 彼の顔が一気に曇った。
「授業つまんないから、やる気出ないし、だから、覚えられないし、無理だよ」
「そんなことないよ。横河原君ならできるよ。そうだ、わたしと英語で話そうよ」
 5年生の時から英語の授業が始まっていた。海外への興味を募らせていたわたしは必死になって勉強した。それだけでなく、お母さんが買ってくれた英会話の本とCDにも夢中になった。NHK教育チャンネルの英語番組もできるだけ見るようにした。すると、簡単な日常会話ならなんとなくわかるようになった。だから英語にはちょっと自信があった。
「貴真心と?」
「そう。わたしが海外のチームの監督で、横河原君が移籍してきた選手よ。今日初めて会ったの。監督に挨拶しなきゃダメでしょ。わたしを監督だと思って挨拶してみて」
「『こんにちは』ってなんて言うんだっけ」
「ハローよ」
「へへへ、ハロー」
「へへへはいらないの。もう一度」
「ハロー」
「その次は、『初めまして』って言うのよ」
「そんなのわかんないよ」
「『ナイス・トゥー・ミーチュー』よ」
「ナイス……、チューチュー♪」
「もう、真面目にやって!」
 彼は、へへへと笑って頭を掻いた。
「もう一度言うわよ。ナイス・トゥー・ミーチュー」
「ナイス?」
「トゥー」
「ナイス・ツー」
「ツーじゃなくて、トゥー」
「トゥー」
「そう」
「ナイス・トゥー?」
「ミーチュー」
「ナイス・トゥー・ミーチュー」
「ナイス・トゥー・ミーチュー・トゥー」
 わたしは思い切り拍手をした。
「横河原君は頭いいんだから、すぐ英語喋れるようになるよ」
「そうか~」
 彼は照れて頭を掻いた。でも、めちゃくちゃ嬉しそうだった。
 翌朝学校に着くと、校門の裏手の陰になっているところに横河原がいた。わたしに向かって手招きをしたので何かと思って近づくと、
「へへへ、ハロー。ナイス・トゥー・ミーチュー」
 得意げな顔をした途端、彼は教室の方へダッシュした。その後姿を目で追いながら、お母さんが言っていたことを思い出した。「興味のあることから始めてみたらど~お」。その通りだった。わたしは大きく頷いた。
 その週の日曜日の午後、お母さんに頼んでサッカーの月刊誌を買ってもらった。その中に写っている選手の写真を切り抜いて、大きな封筒の表紙に貼り付けた。メッスとロナウデがシュートを決めた瞬間や、笑顔で握手をしている写真だった。その封筒の中に英会話のCDと本を入れた。
 翌日の放課後、彼に封筒を渡した。
「英会話のCDと本が入っているの」
 横河原は一瞬、ん? というような顔をしたが、写真を見て瞳を輝かせた。
「メッスとロナウデだ」
 写真に手を這わせた。
「憧れの選手と話ができたら嬉しいでしょ?」
 彼はすぐに頷いた。
「メッスやロナウデの写真を見ながら毎日10分でいいからCDを聞いてみて」
「10分?」
 彼は、どうしようかな、というような表情になったが、「聞くだけでいいのか?」と疑わしそうな声を出した。
「うん、聞くだけよ。1日に10分聞くだけ」
「ふ~ん」
 口をとんがらかせて考えているようだったが、〈まあ、いいか〉という感じで自分を納得させるように頷いた。
「で、ね、聞いて覚えたらメッスやロナウデに話しかけてみて」
「話しかける?」
「そう。ハローとか、ナイス・トゥー・ミーチューとか、話しかけるの」
 彼は写真に向かって小さな声で話しかけた。しかし、当然のことながら写真が返事をするわけはなかった。彼は渋い顔をしたが、わたしにとってはチャンスだった。
「わたしがメッスやロナウデになってあげる」
 ランドセルからお面を2つ取り出した。メッスとロナウデの顔写真を貼り付けたお面だった。寝る前に急に思い付いたので上手には作れなかったが、それを被って、目のところに開けた小さな穴から横河原を見た。
「わたしがメッスやロナウデだと思って話しかけてよ」
 彼は吹き出しそうになったが、真剣なわたしの想いが伝わったのか、「わかった」と言って、「ハロー、ナイス・トゥー・ミーチュー」と大きな声で話しかけてくれた。そして、宝物のように封筒を胸に抱いて、「サンキュー・ベリ・マッチ」と言うなりコクンと頷いた。「ユア・ウェルカム」と返すと、日本語で「ありがとう」と言いながら走り去っていった。その後姿は未来への希望が満ち溢れているように見えた。
 その後の彼の英会話の上達には目を見張るものがあった。驚くほどの速さで上達していった。それは、はっきりした目標があるからだと思った。
「メッスやロナウデと同じチームになって英語で話している自分を想像したら、楽しくて楽しくて、毎日1時間以上CDを聞いているんだ」
 スポーツマンの集中力と持続力は凄いと思った。でも、上達の原因はそれだけではなかった。建十字と奈々芽に英語を教えているところを見たのだ。
「球人は大リーグに行きたいんだろ。メジャーで活躍するためには、監督やチームメイトの言うことがわからないと困るだろ。だったら、英会話できるようにならないと」
「速人はオリンピックに出たいんだろ。金メダル取りたいんだろ。だったら、日本を出て強い外国人と勝負しないと。そのためには英会話ができないと」
 横河原は自分が覚えた英会話のフレーズを建十字と奈々芽に毎日話しているようだった。そして、3人で会話をしているらしい。
 わたしは家に帰って、お母さんにそのことを話した。すると、「良かったわね」と喜んでくれたあと、「自分がわかっていないと他人に教えられないから、一生懸命勉強するようになるのよ。だから、他人に教えるということは、自分に教えるということでもあるのよ」とわたしと目線を合わせるように屈んでニコッと笑った。そして、「よく覚えておきなさい。教え上手は学び上手! って言うのよ」とまた笑った。