「お手!」
「お座り!」
「伏せ!」
「どうして僕の時は、言うこと聞いてくれないの?」
優(ゆう)太(た)君は意気消沈しているようだったワン。すると健太(けんた)パパがぶっきらぼうに言ったワン。
「そりゃそうだとも! 犬って生き物は、群れ社会だ。お前は、その群れの中で、チャーリーには下に見えている。だから言うことを聞かねえだよ」
隣で徹(とおる)兄さんは、優太君の顔を見ながら笑っていたワン。すると健太パパは、僕に命令したワン。
「お手」
僕は右前足を挙げたワン。
「よーし。よし。偉いぞ、チャーリー!」
健太パパは優太君には決してしないハグを僕にしてきたワン。尻尾が反応したワン。
「ほら見ろ、優太! 尻尾だって反応しているだろう」
なおも健太パパは優太君に得意げに言ったワン。優太君は悔しがり、拳を握り締め、僕の頭をぶったワン。
「ワーン。ワーン。ワーン。痛いワン」
思わず僕は吠えたワン。どうしてワン? 僕は優太君のことも弟のように大好きなのにワン! 次の瞬間、健太パパは優太君にげんこつ二発をお見舞いしていたワン。倍返しだったワン。健太パパは小柄だが筋肉質で、髭ぼうぼうのパンチパーマをかけた職人で、短気だったワン。
「二度とするな、優太!」
「えーん。えーん。えーん」
優太君は泣き叫んだワン。すると台所で夕ご飯の支度を終えた、健太パパの愛妻であり、徹兄さんと優太君のママ志保(しほ)は咳払いをしたワン。
「もうその辺にして、お夕飯食べましょう」
志保ママは誰を責めるでもなく、その場を丸く収めようとしていたワン。
「お前が子供を甘やかすから、ガキはすぐつけあがる。しっかりしつけろ!」
健太パパはなおも怖かったワン。
「あら、あなたが厳しいのだから、私まで子供に厳しく𠮟ったら、あの子の居場所がなくなってしまうわ」
ママは優太君をかばっているようだったワン。

 僕の名前は、チャーリー。ゴールデンレトリーバ。〇歳ワン。僕が浅野家に来たのは生後間もない一九九〇年の春だったワン。僕には、健太パパ、志保ママ、徹兄さんと弟の優太君がいるワン。徹兄さんはいつも笑っているワン。だから僕はお兄さんが大好きだったワン。弟の優太君はというと、いつも寂しそうだったので、よく遊びに誘ったワン。

「優太君、ボール遊びしようワン!」
僕は優太君を誘うも空振り。それどころかこう言われたワン。
「どうしてチャーリーは、僕のお手、お座り、伏せの合図に従わないくせに、僕と遊びたいなんて、図々しいよ!」
だって優太君は僕の弟ワン。僕は心の中で思ったワン。
「だいたいお前のせいで、父さんからげんこつ二発も食らったぞ! お前なんて……」
次の瞬間、徹兄さんは優太君の顔を見て吹き出したワン。
「はははー」
「兄貴だからって、人の不幸を笑うなよ! 何がおかしい?」
優太君は激怒しているみたいだったワン。すると徹兄さんは、優太君の代わりに僕と遊んでくれたワン。優太君はまだ何か言いたそうだったが、別の部屋に行ってしまったワン。

 健太パパは、生粋の職人気質の人だったワン。雨の日は仕事がなく、いつも家にいたため、僕をよくかわいがってくれたワン。もちろん怒ると怖いので、僕なりに機嫌をとっていたワン。志保ママは、おっとりしていて、僕はいつもママには癒されているワン。特になでてくれる時は、至福の時間ワン。徹兄さんは、どこか他の家族と違うものを持っていたワン。それは奇異ではなく、不思議な力だったワン。そしていつも僕が心配しているのが、弟の優太君だったワン。優太君は、内気で、人と接するのが苦手。だからぼくと遊んでくれれば少しは違うのにと思い、いつも遊びに誘うも嫌われるワン。