「新菜。一度、君の母親の墓参りに行かないか」

鯉黒と午前中の水宮(すいぐう)の庭仕事を終え、揃って昼餉を食べているときに、ミツハは機嫌良さそうにそう言った。新菜が言霊の力で天神(あまがみ)末の神(すえのかみ)への祈りを民に促したことによって、神社や祠は言うに及ばず、手につかめない自然や人が生み出してきた人工物に至るまで、常日頃から恩恵を受けるそれぞれに対して人々はそのありがたみを感じ出し、感謝の念を覚え始めたという。その思いは祈念へと通じ、現在天末(あますえ)の神々は清く豊かなる祈りに力を蓄えているそうだ。ミツハはそのことを新菜の働きによるものだと日々称賛しており、それを新菜の母親に報告したいのだという。

ミツハの提案に、新菜はきょとりと目を瞬かせた。自分はミツハとの約束を巫(かんなぎ)として遂行し、彼の巫女姫として為すべきことを為したまでである、と思っていたからだった。それに新菜から見ても、母親――天雨結(ゆい)――は大変優れた宮巫女で、新菜には遠く及ばない存在だからでもある。偉大なる母親に比べて未熟な新菜が母親に報告することなどない、と思っていると、ミツハは婚姻の報告だよ、と笑みを作った。

「私は君の夫として、君を幸せにすると君の両親に誓わなければいけない立場だ。父親はああいう形になったからもはや報告の義務はないだろうが、結には君との婚姻を報告する義務があるのでね」

結、と、ミツハは懐かしそうにその音を口に載せ、目を細めた。この宮に来た当初にチコから聞いた話と、ミツハ自身から語られた話を総合すると、新菜の母親はミツハにとって久方ぶりに現れた巫の宮巫女だったはず。連綿と続いてきた言葉に責を持たない宮巫女との契約を強いられてきたミツハにとって、それは一条の光でもあっただろう。そう思うと、何故ミツハの選んだ神嫁が、母親ではなく新菜だったのだろう、とは思う。自分にとって大きな存在であった時代に居なくなった母親を、本人を欠いたまま乗り越えることは、新菜にとってかなり難しい。表情が冴えなかっただろうか、ミツハが卓を超えて手を伸ばすと、指の腹で新菜の目じりを綿毛に触れるようにそっと撫でた。

「そんなに心配するようなことはあるまい。結は結、君は君だ。彼女は私に対して為すべきことはしてくれたが、それだけだった。しかし君は違うだろう? 君は私に対して多くを背負い、私を助けてくれた。巫として以上に、私を救ってくれたし、なによりも私は君と出会ってから、時を過ごすことの色鮮やかさを知った。尽きることのない命というものは、凪いだ水面のごとく過ごすものだと思っていたが、そうではないのだと、君が教えてくれたんだ。そんなことはね、新菜。結には出来なかったことなんだよ」

だから、私と正しい契約をしてくれた彼女に、そのことを報告したいし、彼女の娘である君を貰い受けることも、報告する責任があるんだよ。

穏やかな笑みを浮かべたまま、ミツハはそう言った。自分ではどう頑張っても越えられないと思っている母親と自分のことを、そう評してくれるミツハに感恩の思いで頭を下げた。そして、思う。

「……私も、母に報告したいです。ミツハさまと共に、生きていくことを」

言葉にすると、ミツハは破顔して頷いてくれた。