「フフフッ、久しぶりね。シレス」
オレンジのとてもサラサラと艶がある背中まで長く伸ばされた美しい髪に、流れ星のような綺麗な黄色の瞳。
可愛くて小さな黄色のリボンが頭に飾られているテディーベアーをドレスの端につけ、髪色に合わせたオレンジ色のドレス。
それはアーレハ王国の象徴とも言える特別な作りで作成されたもの。
そして、レーミアの手作りであった。
けれど。
「レーミアがやっと帰って来たと思ったらまさかあなたまで一緒にここに来るなんて、予想外で面白いわね」
「お姫様」から少しバカにされたような口調をされたことに、シレスはサラッと風が吹いたように目を逸らした。
「別にあなたに会いに来たわけじゃないわ、ミアが私たちを連れて来ただけよ。勘違いしないで」
随分大人になったようなクールで冷静な態度を取ったシレス。
対して、「お姫様」は。
「へえー、全く会わないうちに変わってしまったのね。まっ、私は別に構わないけれど」
そうは言ってもどこか心の中で悔しそうにとりあえず苦笑いを浮かべた「お姫様」を、リミルは不思議に首を傾げて隣にいるレーミアに質問してみる。
「レーミア王、あの方は誰ですか? シレスと仲が良さそうに見えますが」
「ああ、あの子は僕のいとこのキーリサ。可愛いよね」
「そう、ですね。シレスが俺たち以外の人間と仲が良いなんて珍しいです」
「アッハハ、そうかもしれないね。でも、僕たちから見れば仲が良さそうだけど、実際は違うんだよね」
「え」
違う?
どこもおかしなところは見当たらないが・・・。
初めて会ったリミルからすれば確かにどこもおかしなところはない。
だが。
シレスとキーリサにはそれぞれ全く譲れないプライドが存在していることで今は口ゲンカだけで済んでいるが、これがどんどん上がってしまうと。
「月があなたを照らすなら、私もあなたを照らしましょ。ブルームーン!」
とうとう腹を立てたシレスがさっきと同じように「ブルームーン」を発動させ、同じように軽くサッと避けてドレスを着ているのに何度も動き回って避けるキーリサ。
二人は目が合った瞬間からケンカになって、今までのシレスは花瓶の水をかけたり花びらを散りばめたりしていたが、今は違う。
今のシレスは魔法が使える。
それも「月」の魔法を。
いくら人形魔法を完璧に使いこなせるレーミアでさえも「月」の魔法には絶対に勝てない。
もちろん、キーリサもそのはずだが・・・。
「私に魔法を仕掛けても無駄よ。あなたも知っているでしょう?」
自信満々に自分の強さをライバルのシレスに美しく怪しげに微笑むキーリサ。
当然シレスはその答えを知っている。
だからこそのライバルなのだから。
「ええ、あなたも魔法が嫌い。だから魔法を使わないのよ」
そう。
キーリサもシレスと全く同じで魔法が大嫌い。
使わないし、使えない。
ただそれだけ。
とても簡単でくだらないシレスとキーリサ。
こんなことで自信満々に自分を高く上げるのは他人から見れば呆れてしまうところだが。
「レス、キーリサ。今日はそこまでにして何か食べようよ」
いつもどおり明るく楽しく陽気に笑って二人のケンカをそっと水のように綺麗に受け流すレーミア。
その行動はとても正しく、二人の関係を小さい頃からよく見てきたからこそできる行動、言葉遣い。
シレスがアーレハ王国に来たら必ずキーリサが待ち構えていてケンカをする。
まあ、女の子同士のケンカだから特に他人を巻き込むことはないため、誰も迷惑だとは思っていない。
いや、レーミアがそう思わせないようにしている。
誰であっても、愛するシレスと可愛いキーリサをいつまでも見守っていられるように、レーミアは毎回自分で温かい紅茶とそれぞれが好きなスイーツを作ってあげる。
これを何回も何十回も何千回も繰り返しても、レーミアは一度も怒ったことはない。
怒る必要なんてどこにもないと思っている。
なぜなら。
「二人共せっかく可愛いんだから、もっと笑顔を見せてよ。二人は可愛いがあって僕は羨ましいよ」
毎回毎回
「可愛い」
と言って、一度に二人を褒めるレーミア。
その考えがあるのはある意味天才なのかもしれない。
普通なら一人を褒めるのに時間がかかってしまうのに、レーミアは簡単に一番伝わりやすい「可愛い」という一言でケンカが止まる。
そして。
「分かったわよ」
素直に謝ることなく一回キーリサから距離を置いて負けたように悔しそうに瞳を激しく揺らすシレス。
「レーミア、ごめんなさい」
シレスとは全く正反対で正直に丁寧に頭を下げて謝ったキーリサ。
二人の全く違う態度を見たレーミアはそっと両手で頭を撫でてあげて頷いた。
「うんうん。分かったならそれでいいよ」
レーミアの大人らしいカッコいい姿を見たリミルは。
レーミア王は本当にすごい方だ。
俺はシレスのことばかり考えているせいなのか、それ以外の者など、どうでもいいと思ってしまう。
俺はシレスを愛している。
愛しているから傷つけたくない。
傷ついてほしくない。
でも、違う。
俺もちゃんと他の人間を見るべきだ。
愛するシレスも大切だが、それと同じくらい他の人間のことを考えて行動する。
そう考えると、俺もまだまだ子供だな。
「ハハッ」
子供らしい幼い考えを持っている自分に苦笑いを浮かべたリミル。
「ん?」
その笑みに不思議に思い首を傾げたラーラン。
王子様、何か嫌なことでもあった?
でも、笑っているから違う。
俺が気にすることじゃない。
シレスを奪い合うライバルとして、ライバルが何を考えているのか予想するのは自分が一番上に立つということを意味するのだろう。
一番上に立ってシレスとの時間を増やして二人きりでそういうことをする。
それも男同士の戦いだから力も体力もこれから勝負するかもしれない。
「魔法を嫌うお姫様」
シレスにこのあだ名をつけた人物がいることをシレスは当然知っている。
それは。
「キーリサ。私のあだ名をそろそろ広めるのをやめなさい。あなたはもう二十二歳なんだから、大人のあなたが私の噂を広めてそろそろ恥ずかしくなっているはず、いや、もうとっくになっているでしょ?」
腕を組んで怪しげに笑って死神らしく恐怖を与えるシレスに、キーリサは満面の笑みで首を振った。
「フフッ、別に恥ずかしいとは思っていないわよ。ライバルのあなたが子供でも大人でも関係ない、私がムカついた相手の悪口を噂として広める方が私は嬉しいのよ」
サラッとひどい言葉を次々に話しても笑顔でいるキーリサを、シレスはめちゃくちゃ引いて逆にそれを言わられた自分が恥ずかしくなって顔が真っ赤に染まってしまった。
「くっ」
結構言うじゃない。
キーリサは私と同じ王族なのに、言葉遣いが悪すぎて毎回引いてしまうわ。
同じ王族でも育った環境が違えば言葉遣いも行動も変わってくる。
特にキーリサの場合はとても珍しかった。
両親がとても優しすぎて何でも許して怒られたことは一度もない。
魔法の練習を嫌がっても、キーリサが拒むなら無理はさせない。
失敗しても悪口を言っても両親は笑ってなぜか褒めてくれる。
だから、大人になった今でも他人に悪口を言うのは本当に恥ずかしがっていない、むしろ堂々としているところがすごすぎてシレスが引いてしまうのもおかしなことではない。
だが。
「キーリサ。ちょっと口調が悪いよ。気をつけてね」
力を込めずにポンッと頭を撫でられてレーミアから注意されると、少し落ち込んだように暗い表情を浮かべたキーリサ。
その理由は当然。
「レーミア、ごめんんさい。私、シレスにひどいことを言ってしまって・・・」
本当に心の底から反省して綺麗な瞳から涙が溢れそうになって。
「キーリサ、君がそれをちゃんと分かっているならもうシレスにあんなひどいことは言わないって約束してね」
「えっ! えっと、それは、うっ・・・」
「約束できないのかな? ていうか、君は何度も僕との約束を全部破ったから意味ないね」
最後の一言を強く暗い感情がこもった態度を示したレーミアをキーリサが首を横に振って否定した。
「違うわ、違います! だって私は悪くない、悪いのはシレスよ。シレスが先に私にケンカを売ったから、私は仕方なく乗っただけ。大人の私が子供のシレスの悪口を広めたのはレーミア、あなたのためよ」
「僕のため? 何を言っているのか分からないね。ううん、これ以上は時間の無駄だから、レス、久しぶりに僕の庭で食べよう、ね」
「ダメよ! まだ話は終わっていないわ。私の話をちゃんと最後まで聞いてよ、だって私たちは婚約を結んでいるのだから!」
驚きの言葉をお城全体に窓ガラスが揺れほどに響いたキーリサの最後の一言。
それを聞いたシレスは。
「ミア、あなた、婚約者がいたのね。それも私が一番苦手なキーリサと」
嫉妬なのか憎んでいるのか。
シレスはレーミアを心の底から怒りが溢れて睨んでゆっくり目の前に立って肩を掴んだ。
「あなたは婚約者がいるのに、私を選んだの? 愛する相手が二人いるなんて恥ずかしくないの?」
「・・・・・・」
「あなたは私と同じくらい最低ね生き物だったのね。まあ、いいわ。今はお腹が空いているから食べ終わったらじっくり話を聞かせなさい・・・はあ、腹が立つわね」
そう言って、シレスは表の庭の方へ一人先に歩いて入り、ドレスは着替えるのが面倒なので、そのまま赤薔薇の棘がドレスに引っかかっても全く気にせず四角の透明な椅子に座る。
「はあああっ」
ミア、他に愛する相手がいたならそっちを優先すれば良かったのに、なんで私を選んだのよ?
キーリサとも長い付き合いがあって私がここにいない時はミアの仕事を手伝って一緒に生活して。
「はああ」
私のことなんて放っておけば良かったのに、なんで、私を、選んでしまったのよ?
私は王女だけれど、そんなに気品は高くない、ただのお姫様なだけ。
でも、なぜか胸が苦しい。
まさか、婚約者のキーリサよりもわがまま王女の私を選んでくれたことが嬉しいと思っているの?
あり得ないわ。
私はまだ恋なんて興味は、少しはあるけれど、本気じゃない。
それでも。
「ミアが私を選んでくれたなら、私にできることは最後までやってあげるわよ」
シレスは知っていた。
キーリサがレーミアが好きなことを。
歳は一つ離れていてキーリサが年上だが、親戚の集まりではいつもレーミアにベッタリくっついて離れない。
レーミア・アーレハという完璧すぎる人間を嫌いになる人間はこの世界には存在しない。
するはずがないのだ。
いつでも笑顔で仕事も与えられたものなら全てこなす。
小さい頃から可愛い弟のように可愛がっていたが、お互い大人になったら逆になった。
『キーリサは本当に可愛いよ。天使みたいだね』
会う度に褒めてくれてダメなことはしっかり注意して次に繋げる。
それを何度も繰り返してしまえば、今までの生き方を見直すことは必ずできてくる。
婚約を結んだ時、レーミアはこう言った。
『婚約をしても、僕が君を好きになることはないよ』
その言葉を聞いて、キーリサは大粒の涙を流して首を横に振った。
『嫌! 私、私はレーミアが好き。絶対に後悔させないから、私を好きになって。お願い!』
必死に何度も説得しようとしても、レーミアは何も言わずに目を合わせない。
なぜなら。
『僕が愛しているのはレスだけだよ。他の人間を好きになるほど、僕はそんなに暇じゃないからね』
いつも同じ言葉を繰り返し言って、キーリサの気持ちなど完全に無視して自然と二人の間に大きな穴が空いた。
『どうして、分かってくれないのよ? そんなにシレスが大切なの? レーミアのことを一番知っているのはこの私だけなのに』
自分が好きでも相手が好きじゃないなら意味がない。
相手も自分を好きなってこその恋だと言えるだろう。
キーリサもレーミアに好きになってもらうために色々なことをしてきた。
仕事で疲れたレーミアに紅茶を出したり、慣れないスイーツを何度も失敗しながらも挑戦して上手くできたクッキーを食べさせて。
他にもレーミアのために頑張って工夫しても、レーミアはキーリサを好きになれなかった。
好きになりたいとも思っていなかった。
そして、今もレーミアを傷つけて、シレスを傷つけて。
シレスはイライラして早く料理を待ってレーミアはシレスの反応を見て落ち込んで、料理を作っているのはリミルだった。
レーミアの落ち込んだ様子を見て、リミルはどんな言葉をかければいいのか分からず、隣で作業をしているラーランに話しかける。
「ラーラン、これはどうすればいいんだ?」
「んー、そうですね。王様に婚約者がいたことが俺はまだ信じられないです」
「そう、だよな」
「だけど、別にいいんじゃないんですか?」
「えっ」
「婚約者がいても、王様は自分でよく分かってますよ。本当に愛しているのは王女様だけだって」
「あっ・・・」
ラーランはまだ出会ってまだそんなに時間は経っていないのに、レーミアのことは全てお見通しみたいにドヤ顔で自信満々にそう語った。
リミルもその言葉を聞いてはっきりと頷いて、少し悔しそうに苦笑いを浮かべる。
「ハハッ」
歳は俺よりも下なのに、なぜか時々十歳以上のしっかりした大人に見えてしまうのはなぜだろうか?
・・・分からない、分からないが、面白い。
第二のライバルのラーランは意外と頭が良さそうだ。
常に人の動きを見て何を考えているのか、何を思っているのか。
全てを一瞬で見極めてちょっとだけ軽く話しかけて人を助けたこともあるかもしれない。
人への思いやりというか、ただ暇だからそうしただけなのか。
理由は分からないが、助けたいと思っている人間はとても貴重な存在と言えるだろう。
みんながみんな優しいわけではないとよく聞く言葉だ。
その言葉を言えば自分の気持ちは変わる、無理に変わらせられて後悔することも誰だってあるかもしれないのも事実だ。
だから。
「レーミア王は婚約者のキーリサ様よりもシレスをこの世界で一番愛している。ハハッ、そこは俺も、俺たちも一番譲れないもの、だな」
心の底から納得してレーミアのシレスに対する気持ちと感情がさらにリミルとラーランの心にも強く鐘のように耳が痒くなるようなうるさい音が響いても、それがライバルの強みだとリミルとラーランはお互い笑顔で思い知ったのだった。
「よし、早く作ってシレスの元に行くぞ」
「そうですね。何を作るんですか?」
その言葉を待っていたかのように、リミルは嬉しそうに綺麗に微笑んで。
「サンドウィッチだ!」
「はあっ」
僕、レスに嫌われちゃったね。
まあ、今回は僕本人が悪いから言い訳なんてしないよ。
僕はこの国の王様。
誰よりも一番に上に立ち、誰よりも完璧でなければいけない人間。
それが僕、なんだよね。
僕が王様になったのは・・・もう、忘れちゃったね。
ううん、忘れて当たり前だよ。
あんなことをされて覚えてる方がおかしいよ。
でも。
「僕が王様でいないと、レスの言い訳になれない。僕が今でも王様でいるのは全部レスのためだよ。レスはこの世界で一番可愛い。可愛すぎて泣いてしまいそうになる。それくらい、可愛くて大切で愛おしいんだよね」
雲一つもない太陽よりも爽やかな青空。
もう今は秋なのに、こんなに爽やかな天気に恵まれて気分も上がるはずが、レーミアはシレスに嫌われたショックが大きすぎて下を向いてばかり・・・。
誰もいない、シレスもいない。
ただ一人の空間が一番居心地が悪くてさらに落ち込んでしまうレーミア。
こういう時はいつもどうしていたのかも忘れてしまって、何も気分転換になるものなど持っていない。
持っていたら今頃シレスに謝って仲直りができていたはずなのに・・・。
「どうしたらいいのかな? 僕は確かにレスを一番愛しているよ。愛しているけど、不安も大きいんだよね。今もその時かな。レスが落ち込んでいたら僕はすぐにそばにいて抱きしめてあげられたけど、僕が落ち込んでいたら誰も慰めてはくれない。全部自分でなんとかしないと仕事に影響して失敗してしまう・・・はあ、こんな僕だけど、国民はみんな僕を尊敬して頼ってくれる。でも」
レスがそばにいてくれないと寂しくて苦しくて冷たくて。
自分がダメになる。
「アッハ、独り言を呟いても意味なんて当たり前にないのに、勝手に声に出してしまうのはどうしてだろうね? 僕にも分からないよ、こんなの・・・」
レーミアは気分が下がると独り言を呟く癖がある。
別にそれは悪いことではないけれど、王としては常に緊張感を持って行動するのが理想である。
しかし、レーミアはこういう時は誰かに聞いてほしいというのではなく、ただ純粋に口が動いて声に出してしまう。
それだけなのだ。
「ああ、レスに会いた、あっ!」
何かを思い出して急に立ち上がったレーミア。
理由は。
「レスに早く何か食べさせないと体を壊してしまうよ!」
シレスの体調を気にした瞬間で気分が上がって心も軽くなって楽しくなってきたレーミア。
「アッハハ、何を作ろうかな」
だが。
「あっ、王様、ここにいたんですね」
どこにも見当たらなかったレーミアを見つけて手を上げたラーラン。
その姿に気づいたレーミアは。
「えっ、ラーラン君、ずっと僕を探してくれていたのかな?」
自分のせいで時間を使わせてしまったという不安で重い石が足に乗っかったような感覚になったレーミアを、ラーランがそっと肩を撫でて満面の笑みを見せた。
「いえ、もうできたので呼びに来ただけです。みんなで一緒に食べませんか?」
「え、何を?」
「王子様の自信作サンドウィッチですよ」
そう言って、ラーランがレーミアの手を掴んで奥の方へ進むと、シレスとキーリサがとても嬉しそうに先にサンドウィッチを食べている。
「これは、一体どうなっているの、かな?」
僕がいない間にしかもレスが僕以外のものを食べているなんて・・・アッハハ、リミル君、君も結構やってくれるね。
リミル君の行動の早さ、レスの笑顔全てが完璧に作られていてこれを悔しがらない人間なんてこの世界に存在しな、ううん、存在してしまったら困るね
レスの胃袋を掴めるのは僕だけだって思っていた、けど、違うね。
そんなことを考えるくらいなら僕も何か策を考えて行動する。
それが大優先だよ!
シレスに一番喜んでほしい気持ち、自分だけを見てほしい感情。
その二つが混ざって溶けることなくレーミアは動き出す。
「リミル君、これで僕に勝てると思わないでよね」
真っ先に怪しげに笑いながらケンカを売ってきたレーミアに、リミルはクスッと笑ってちょっと満足している。
「俺はただシレスのために作っただけです。こんなことであなたに勝てるとは全く思っていませんよ。むしろ、こんなことでシレスが毎日喜んでくれるならそうしますけど・・・ハハッ」
意地悪で上から目線の超きつい言い方をされたことを、レーミアは当然腹が立って拳を握りしめる。
「へえー、君も結構言うようになったね。偉い偉い。でも、僕にそんな態度を取ったことは許せないね。ここはアーレハ王国、僕の国。君たちがここにいる限り、必ず僕の言うとおりにしてもらう。その自信と行動力がいつまで続けるられるか、楽しみにしているよ」
そう言って、レーミアは早歩きで調理部屋に行って急いでメニューを考える。
「うーん」
リミル君が作ったあのサンドウィッチは中々手強い。
簡単そうで簡単じゃない、謎の料理。
スーリス王国だったら大人も子供も当たり前に作れる。
「だったら」
アーレハ王国の代表料理ロールケーキにするのもありだけど、これは時間がかかるから今度にしよ、あっ。
何かを思い出したレーミア。
目の前の棚の中に置いてあるロールパンを見つけて手に取り、とても嬉しそうに明るく微笑む。
「そうだったね。このパンはキーリサが好きだから毎日メイドに街のパン屋で買ってきてもらっていたんだよね。僕がいない間もそれをちゃんと守ってくれたこと、後でお礼を言わないとね」
このお城の使用人は皆レーミアに忠実で意志が固い。
当然王のレーミアの言うことは聞くし、すぐに行動して間違いっていたらすぐに報告してどこが問題だったのかをレーミアから直接教わる。
なんとも理想的な関係であった。
「うん、作ろう」
パンの真ん中に切れ込みを開いて卵をお湯で茹でて、棚からイチゴジャムとバターを出して先にパンの中にナイフで塗って。
ちょっと余ったらブルーベリーと甘めのチーズを挟んで、卵が茹で上がったらお湯を切って皮を剥いて今は時間がないのでリミルが残したマヨネーズをもらってそれを混ぜてばパンに挟む。
そして。
「一応これで完成にしておこうかな。時間があればもっとたくさん作れたのに、僕のバカ」
落ち込んでいた時間を自分に向けて文句を言ったレーミアは本当にこの世界で一番理想的な王様と思えるのはみんなそうに違いない。
誰かを尊敬する、従う。
これは誰に対してもできることではない。
嫌いだったり嫌だったら無理でも従うことだってあるかもしれない。
けれど、レーミアは、アーレハ王国は全く別だ。
レーミア・アーレハという絶対的で完璧すぎる人間がこの世界で生きている限り、国民はレーミアを手放すことなんて考えられない、考えるはずもないのだ。
レーミアを傷つけられるのはシレスだけ。
女王でもないのに気に入らなかったことがあればすぐにレーミアのせいにしてどうでも言い訳をする。
他人のせいにして自分は悪くない、悪いはずもない。
それがシレス。
でも、レーミアはいつも喜んでいる。
『レスは僕の権力が大好物なんだよね。僕も分かるよ』
王としての権力を王女のシレスにいつも使っている度にレーミアはとても嬉しそう。
自分だけにしか使えない権力、地位。
その使い方は別に悪いことではないが、他人にばかりそれを使ってしまうのはどうなのかと使用人は皆心配している。
わがまま王女のシレスを使用人たちは嫌っている。
あれをしてこれをしてやっぱりいらない。
「王女だからと言って、あんなわがままに育つなんてカーク様は一体何を考えているの?」
「私たちの苦労を知らないリファン王国は好き放題ではないか」
「少しはレーミア様を見習ってほしいわ」
シレスがお城に来る度に使用人たちは毎回毎回苦労の連続でため息ばかりを吐いてしまう・・・。
「月」の魔法を全く使えないのに自分を偉く思い込んで堂々と歩く。
これは絶対にカークの育て方が悪いのは確実だ。
確実だけれど、リファン王国が適当な限り、シレスのわがままは一生直らないだろう。
直ったら使用人たちはこんなに苦労などしていないのに・・・。
だが。
「早くレスの喜ぶ顔が見たい。早く行かないとね」
シレスの喜ぶ顔を想像しながらレーミアは明るく笑って部屋を出て庭に行ったら
「あっ、ミア、遅かったわね」
と、何か嬉しそうに可愛らしく微笑むシレスがいる。
「ミア、私、あなたと一緒にいる、一緒にいさせて」
「えっ」
「あなたは私を大切に優しくしてくれるじゃない。だから、私もあなたに何か恩返しをさせてほしいのよ」
「うん?」
突然のプロポーズのような驚きの言葉にレーミアは首を傾げて何が起きているのか全く状況理解ができない。
え、レス、何を言っているのか分からないよ。
僕と一緒にいたいっていうのは僕は嬉しいよ。
でも、なんかそれって、誰かに言わされた感じがするのは僕だけかな?
普段のレスならこんなことは絶対に言わないし、言っても言い方がこんなにサラッと軽く言うはずがないよ。
それを考えると、嬉しい気持ちが逆に嫌な気持ちに変わってなんか嫌だ。
だけど。
「ありがとう。レスがそう言ってくれるのは嬉しいけど、今はその言葉は忘れるね」
夢を見させられたように感じたレーミアは一旦現実的にシレスのさっきの言葉は心苦しくも忘れることにしたようだ。
が。
「どうして? 私、こんなにあなたのことが好きなのに、どうしてあなたは私を好きになってくれないのよ・・・」
「えっ」
今、なんて言った?
「どうして」
レスはそんな言葉は絶対に言わない。
「なんで」
っていうはずだよ。
シレスが絶対に言わない言葉を聞いたレーミアはお皿をテーブルに置いてあることに気づいてしまった。
「あれ?」
リミル君とラーラン君がいない。
そう。
さっきまでいたリミルとラーランがいないことに気づいたレーミア。
同時にシレスの姿を見て一瞬で気づいた。
シレスのドレスがオレンジであることを。
全てに気づいたレーミアはシレス? らしき人物のドレスを握りしめて怪しく美しく微笑む。
「ねえ、僕が気づかないとでも思ったのかな?」
「・・・何をよ」
「君はレスじゃないよ」
はっきりとシレスであること否定されたことに、その人物は動揺して瞳を大きく揺らしながら首を横に振った。
「ち、違うわよ! 私はシレス、絶対よ」
「絶対っていう言葉はこういう時にはあまり言わない方がいいよ。一番困るのは君自身なんだからね」
そう言うと、レーミアはその人物の髪をスラッと外してシレスの仮面のような顔も外したらその正体が明らかになった。
「やっぱり君だったんだよ。キーリサ」
正体を破られたキーリサ。
悔しいのか大粒の涙を流している。
「う、ふう、ど、どう、してよ」
「君はよくレスの真似をしているんだよ、今もね」
口調も仕草も何かもをシレスに真似て本当の自分らしさを失っているキーリサ。
魔法が嫌いな理由は少し違うが。
「私はあなたが好き、好きなのに、どうしてあなたは私を好きになってくれないのよ! 私、あなたのためにシレスに負けないように一生懸命考えて頑張って、やっとあなたの好きなシレスの真似ができるようになって少しはホッとしたのに、あなたは私を一度も見てくれない! 私は一度でもいいからあなたを好きにさせたかった、ほしかった! どうして、なのよ・・・」
悔しさが怒りに変わって大声を上げるキーリサ。
それでも、レーミアは。
「ごめんね。僕は君を好きになれない、ならないよ。君がどんなに努力してもダメなものはダメなんだよ。それに、もう君はレスになる必要なんてない、そうしなくていいんだよ。魔法が嫌いな本当の理由は違うよね?」
優しく丁寧にレーミアから手を握られたキーリサはこれからは何も迷うことなくはっきりと頷いた。
「うん。私が嫌いな理由は『魔法を愛しすぎた過去の私』よ。シレスとは全く違う、違って当然ね。だって、私とシレスは全くの別人なんだから」
そう。
キーリサが魔法を嫌っている本当の理由は過去にあった。
それはキーリサが十歳の頃、王族では珍しく遅く魔法の練習を始めたキーリサは始めた時から魔法を完璧に使いこなしていた。
別にキーリサは全く魔法が使えないわけではなかった、あえて使えない振りをしていただけ。
人形魔法の最初の魔法「ピンクドール」を使えれば一人前として、王族として名前を挙げられる。
キーリサは誰よりも思考が早く、敵の位置を一瞬で把握して魔法で攻撃を仕掛けて完全に倒す。
まさに魔法の天才と言っても良いくらいに素晴らしい魔法使いだった。
ただ一つこの頃からある問題を抱えていた。
『はあ、どうして、上手くいかないの?』
始めた頃から順調にできていたのに、十一歳になってからは魔法が全く自分の思うとおりにできなかった。
理由は。
「体の成長と共に体力がどんどん失われている」
これも一つの魔法病。
魔法病には三つの特徴がある。
一つ目は魔法の発動の衝動で体に痕ができること。
二つ目は魔法の発動時に激しい頭痛が襲いかかって意識がなくなって二度と歩けないこと。
三つ目は魔法を使えるようになって一年が経つ度に体力を奪われて悪化すると全身が震えて立てないこと。
キーリサは三つ目の特徴になってしまい、魔法を使うことを諦めた。
『私、もっと魔法を使えるようになりたい、なりかった! ひどい、どうして、こうなってしまったの? 私、何も悪いことなんて一つもしていないのに、何がいけなかったのか教えてよ!』
魔法病は本当に怖い病気だ。
特に若者は大変だ。
いっぱい夢がある一番大切な頃にいつ襲いかかるか分からない謎の病気を恐れて震えて眠れない日々を過ごしている人間もきっといただろう。
誰にも治せない、治させない。
謎であり危険なもの。
もう何百年経っても治療は見つからない。
最初からとっくに諦めている。
医者も王も、全てが。
魔法病にかかってしまったキーリサはこの頃から魔法を使わずに今まで生きてきた。
もし魔法を使ってしまったら立てなくなることを心の底から恐れている。
二十歳を過ぎても治っていない。
魔法使いにとって、魔法を使えないのは命を半分失ったように最悪で嫌で嫌で心がおかしくなる!
でも、キーリサはシレスに同情していた。
魔法が全く使えない自分がもう一人いるみたいで少しだけ心が落ち着いて心の中でいつもこう思っていた。
『シレスが一生魔法が使えなかったらいいのに』
こんなことを誰かに言ったら誰かに怒られてしまうけど、私は心からそう思ってしまう。
喜んでしまう。
必死に頑張っても何十年も魔法が使えないシレスを見ていると嬉しくてホッとする。
私みたいに一生魔法が使えない人生を歩んでほしい。
最低でも何でもいい、魔法が使えない、使いたくても使えない私に味方するのは他でもないシレスだけよ。
まっ、それをシレス本人に言ったら絶対に怒られて嫌われて仲良くするのができなくなるけどね。
魔法病にかかってしまったら悪化しないことを願うしかない。
キーリサもきっと願っていたのだろう。
今も毎日夜空に
「これ以上悪くなりませんように」
と、願い続けて今は毎日笑って生きている。
好きなレーミアと一緒にいられる日々。
国のために一緒に頑張る日々。
時々甘えさせてくれる日々。
色々な日々が重なり合うからこそ、キーリサの人生は太陽よりも眩しいほどの金色に輝く王冠みたいに輝いている。
だけど。
『キーリサ、ごめんね。何度も言うけど、君の気持ちに応えるつもりはないよ』
シレスよりも一緒にいる日々は、時間は多いのにシレスばかりに夢中になってレーミアは一度もキーリサを見ようとはしなかった。
興味がなかっただけなのかもしれない。
いくら毎日一緒にいるからと言って、必ずレーミアはキーリサを好きになることは、愛することは願っても祈っても叶わない。
キーリサのレーミアへの愛は死んでも絶対に叶うことはないのだ・・・。
「分かった。私、もうあなたを好きにならない」
覚悟を決めて真剣な眼差しでそう言ったキーリサ。
その言葉に、レーミアは深く頷いた。
「うん、ごめんね」
「別にいいわよ。私は魔法病で魔法が使えない、何もできないただの普通の人間。私はあなたの特別になりたかった、なってみたかった。でも、もうそれはいらないわね。私が本当に好きになる相手はレーミアじゃなかった。きっとそれだけ・・・フフッ」
今までの自分を振り返ってクスッと苦笑いを浮かべたキーリサを、レーミアは目を逸らしてまた頷いた。
「そう、だね。キーリサ、僕を好きになってくれてありがとう。これからは僕以外の素敵な相手を見つけられるように願っているね」
「うん。そうしてくれると助かるわ、フフッ、これもシレスの言い方ね。はあ、これから私も本当の自分らしさを取り戻すために、どこか旅に行ってみるのもいいわね」
「その時は、僕が何かお守りを作ってあげるよ」
「うん、お願い。なんだか一人で旅をするのも人生の良い経験になるかもしれない。フフッ、そう考えてみたら楽しみになってきた」
「あまり遠くに行ったらダメだよ。心配になるからね」
「フフッ、あら、心配してくれるの? 嬉しい」
「当たり前だよ。僕たちは家族なんだからね」
そっと肩を撫でて瞳を激しく震わせて心の底から心配しているレーミアの姿に、キーリスはどこか嬉しそうに満面の笑みを見せた。
「フフフッ。そうだった、私たちは家族。家族が家族を愛するのはきっと悪いことじゃない。普通のことか」
そう言って、キーリサはスッとレーミアから撫でられている手を離して
「じゃあ」
と言って、一人喜んでお城の中へ戻って行った。
「ありがとう、私の初恋。さよなら、私の愛」
初恋というものは本当に一瞬だ。
その初恋が上手くいく人間もいればそうではない人間もたくさんいる。
最初から何でも上手くいける者なんて少ないのは当然。
自分の得意なことでもさらにその上を行く者もいて当たり前。
上に上を、下に下を。
よく聞く言葉だ。
キーリサが立ち去って、レーミアは。
「レスのところに行こう」
キーリサの気持ちを忘れずに愛するシレスの元にお皿を持って行ったら
「ミア、どこに行っていたのよ?」
と、寂しかったのか、頬を膨らませてずっと待っていたシレス。
レーミアは当然。
「レス、遅くなってごめんね。でも、お前のためにこれを作ってきたんだよ」
リミルが作ったサンドウィッチに負けないくらいの卵とジャムを挟んだロールパンを見せるとシレスは瞳を輝かせてとても嬉しそう。
「ミア、これ、食べてもいいのかしら?」
「もちろんいいよ。遠慮しないで、全部お前のために作ったんだからね」
「ええ、ありがとう」
久しぶりのミアの手作り。
ずっと食べていなかったから嬉しいわ。
大きく口を開けてまずは卵を挟んだロールパンを手に取って食べたシレス。
その味は。
「んむ、フフッ、おいしいわ」
自然と笑顔にさせられるレーミアが作るものはどれもおいしくて優しくてホッとする。
パンは違うけれど、同じ卵で作られているはずなのに、レーミアが作ったこの卵の味は匂いもあまりきつくはなく、本当に優しい味でどんどん食べたくなる最高なものである。
「フフッ」
やっぱりミアが作るものは当然どれもおいしいわ。
小さい頃から食べ慣れているというのもあるけれど、それ以上に、ミアが作ってくれたことを想像するとすごく嬉しくてドキドキす、えっ、私、今何を思ったの?
「ミアに、ドキドキした・・・」
自然と独り言でそう小さく呟いたシレス。
だが。
「ダメよ」
ミアには婚約者のキーリサがいるわ。
婚約者がいるミアにドキドキしても恋をしても。
ミアは最後、私を選ばない、選ぶはずがない。
分かっているわよ。
分かっていても、ミアの作るものがおいしくて、離れてほしくない。
そう思うのはダメなのかしら?
これが恋じゃなくても、私はミアを好きになりたい。
それは変わらないわ。
自分の気持ちに嘘はつかずに、シレスは一度食べているロールパンをお皿に置いてレーミアの手を握り、こう言う。
「ミア、私、あなたに選ばれたい」
心からの本心で勇気を出して真面目にちょっとだけ可愛らしく笑うシレスに、レーミアも同じように明るく笑って。
「うん、僕もお前に選ばれたいかな」
お互いがお互いを選び合う。
恋とはそういうものなのだろう。
自分が選んだ相手でも、相手に恋人がいたら諦めることもきっとある。
逆に自分が選ばれたら喜んで恋人になることもあるかもしれない。
シレスも他の三人もそうだ。
シレスが誰を選ぶのかはまだ分からない。
今分かったら面白くない。
恋にもちゃんと順番がある。
その順番を一つでも間違えてしまったらみんなを傷つけ、自分も傷つける。
何気ない一言のつもりが、実は相手や他人を楽しませたり傷つけてしまうことも十分あり得る話だ。
恋なんて一歩間違えてしまえば思わぬ展開に変わってしまう可能性も十分あり得る。
だから、もっと慎重に。
「私は一応リミルと結婚の約束をしているわ。私がもし、リミルじゃなくて他の人間を好きになったらあなたたちはどう思うの?」
これこそ真剣でしっかりと考えられた言葉。
それを聞いたリミルは少し納得できずに一歩前に出てシレスの肩を掴んだ。
「シレス、何を言っているんだ? 君には俺がいるじゃないか、俺では満足できないとでも言うのか?」
めちゃくちゃ必死に自分以外の人間にシレスを取られるのが嫌で嫌で涙が出そうになるリミルを、シレスは後ろに一歩下がって重すぎて心が引いた。
「リミル、さすがに少し気持ちが悪いわよ。私はそこまであなたに何も求めていないわ」
めちゃくちゃ冷たく低い声ではっきり
「気持ちが悪い」
と、王子なのに王女のシレスから距離を置かれて目を合わせてもらえないリミル。
俺、シレスが言ったとおり「気持ちが悪い」のか?
結婚を約束したシレスから言われた言葉が心にナイフで切られたみたいにチクッと痛みが出て恐怖で顔が青ざめてしまっているリミルを、シレスは特に気にすることなく掴まれた手を退かして代わりにレーミアの手を握った。
「ミア、このパン、とってもおいしいわ。これだけじゃ足りないからもっと作って」
「うんうん、分かったよ。でも、あと少ししたら夜になるから、今日は今作った分だけで我慢してね。明日はもっとお前の満足できる最高なものを作るからね」
「ええ、楽しみにしているわ」
さっきの冷たい態度とは全く逆でレーミアに対しては可愛らしく微笑んでとても楽しそうで。
リミルはまだ心が痛くて元に戻れる気が全くしないようだ。
「ああっ」
シレス、俺はこんなにも君を愛しているのに、君には俺の気持ちが全く伝わっていないようだな。
どうすればいいんだ?
俺は愛するシレスのためにサンドウィッチをまた作ってあげたのに、後から来たレーミア王が作ったパンは俺の想像を十倍超える心からおいしそうに嬉しそうに食べていた。
何が違った、何が間違っていた?
だが、嫉妬は強い。
嫉妬だけがどんどん溢れる。
これがライバルの強さだな。
なら。
沈んだ気持ちをシレスの可愛らしく今よりも百倍楽しそうな笑顔を想像しながらリミルは気を取り直し、次は嫌がられないように頭を撫でてあげる。
「シレス、このパンが好きなら俺も明日作ろう。そしたら、少しは君に触れても構わないか?」
レーミアに負けないようにリミルが本気でガチでそう問いかけたが、シレスはため息を吐いて少し呆れた。
「・・・はあっ。リミル、あなたはミアには勝てないわよ」
「えっ」
シレス、何を言っているんだ?
俺が、レーミア王に勝てない、なぜそれを言うんだ?
シレスはとっくに分かっている。
料理では絶対にリミルはレーミアには勝てないことを。
なぜなら。
「リミル、あなたが作るものはおいしいけれど、ほんのちょっとしつこいくらいに味が強くて口の中で重く残って、正直、嫌だわ」
「えっ! シレス、本気で言っているのか?」
驚きと動揺で瞳が激しく揺れてショックを受けているリミルを、シレスは無表情でまだまだ続けて話す。
「ええ、本気よ。私は味が濃いものは好きじゃないのよ。確かにあなたが作ったこのサンドウィッチはとてもおいしいわ。でも、ミアの作るこのロールパンはとても優しくて濃くはない。口の中でも噛めば噛むほど味が癒やされて口の中に残ることは絶対にない。この違いが大きくあるから、あなたは絶対にミアには勝てないのよ。ほら、一つ食べてみなさい。すぐに違いが分かるから」
正しい説明と作り方ではなく味を高く評価する言い方はシレスを本気でおいしいと言わせられるレーミアのすごさがよーく分かる言葉。
愛情も含まれているもしれないが、作り方を変えたとしても、レーミアのようにシレスへの思いやり、食べてくれる者の好きな特徴を含めてレーミアは食べる者によって毎回毎回味を変えている。
それをリミルはあまり深く考えていなかったようだ。
シレスを愛する気持ち、シレスが今食べたいものを考えて作ることができても、シレスがおいしいと言っても。
レーミアの味には勝てない、誰にも。
料理の経験の差があるのは当然だ。
それも歳が違えば尚更リミルはレーミアには追いつけない。
追いつけるはずがない。
だから、何を改善すればいいのかを知るために、リミルは試しにイチゴジャムを挟んだロールパン、現代で言えばコッペパンを一口食べてみる。
「ん、ん、あっ」
確かに、俺が作った味では勝てない。
こんなに優しくて誰でも食べやすくて食欲がどんどん自然と湧いてくるのはレーミア王の才能だろうな。
「ハハッ、今日は負けたな」
素直に負けを認めたリミル。
とても悔しそうに唇を噛んで涙を精一杯堪えて。
そして。
「レーミア王、あなたはやはりすごい人間です。俺にはできないことを簡単にやれるあなたには今の俺では勝てません」
ライバルとして、ちゃんと負ける時は負ける、勝つ時は勝つ。
それをリミルは一人の人間としてよく分かっている。
自分の弱いところを素直に言えるリミルもカッコよく見えるのは誰だってあるはず。
当然レーミアも自分の弱さを他人に見せる時も時々あるため、リミルの気持ちはよく伝わって。
そっと肩を撫でて明るく微笑んだ。
「僕だって、リミル君に勝てないところはたくさんあるから気にしないで。君は君の得意なことがレスのためにあるかもしれないからね」
完璧な王様のレーミアはいつでも頼りになる絶対的存在。
絶対に存在しなければいけない貴重な人間の一人として常に上に立たなければ完璧にはなれない。
なることすらも叶うはずもなかっただろう。
完璧なレーミアでも必ずとは分からないが、さっきのようにシレスに嫌われたらそれこそ弱った姿を見せる。
まあ、レーミアの弱いところはシレスに嫌われてしまう、これでだけでも弱点と言えるだろう。
シレスを奪い合うライバルとして、三人はこれから自分たちの弱点を必ず思い知ることになる。
その弱点をどう活かすか、それは本人たち次第。
使うも放っておくのも全て自由。
全てはシレスのために動いているのだから。
「さあ、もう夕方になるから残りを食べてしまおう、ね」
「ええ」
「そうですね」
「はい」
残ったサンドウィッチとロールパンを全て四人で分けて食べてお腹いっぱいになった頃、ちょうど夕日が沈み、夜空が顔を出し始めた。
だが。
「ミア、夕食は何を作るのかしら?」
今食べ終わったばかりなのに、シレスが平然と何も食べていなかったかのように夕食のメニューを聞かれたレーミアはいつもどおり嬉しそうに美しく微笑んだ。
「アッハハ! レスは本当に食べるのが大好きだね。いいよ、レスが食べたいものを作ってあげるよ」
少しからかうみたいにレーミアから頬を撫でられたシレスは顔を真っ赤にして照れた。
「べ、別にいいじゃない。いくら食べてもお腹は空いてしまうんだから」
「アッハハ、いいね。何を作ろうかな、うーん、昨日は何も食べていないし、さっき食べたのはパンだから・・・ステーキがいいかな?」
「ステーキ・・・いいわね、それがいいわ!」
好物のステーキに興奮して笑みが溢れすぎて見ているだけで癒やされてしまう三人。
でも。
「フフフッ、ステーキ、ステーキ。楽しみだわ、フフフフフフッ」
久しぶりのステーキ。
厚みのあるお肉。
想像しただけでよだれが垂れてしまいそうだわ。
「フフフッ、楽しみ」
興奮が止まらず顔がニヤけて完全に王女という美しく気品ある姿が崩れてしまっているシレス。
しかし。
「レスのその顔、とっても可愛いね。分かったよ、今すぐ作るから待っててね」
レーミアは何も変わらずいつもどおり調理部屋に戻って行った。
「アハハッ、レスのあの顔は僕のやる気に繋がる最高。はあ、よし、頑張ろうね」
愛するシレスのため、喜んでもらうためにレーミアは気合いを入れて調理を始めていった。
レーミアが立ち去って、シレスは我に返ったようにいつもどおりの可愛らしい微笑みで夜空を見つめる。
「フフッ、綺麗ね」
この世界の夜空は本当に綺麗だわ。
何度見ても飽きない素敵なもの。
幻想的で一度見てしまえばもう二度とそれを知らなかった自分には戻れない綺麗で切ない。
「月」の魔法でもこの夜空のように綺麗なものには届かない。
どんなに強い魔法でも、美しく綺麗でも。
この夜空は誰にも届かない大きくて感情が乱れて争いが起きることもあり得る。
まあ、今はそんなことを心配する必要はないだろうが・・・。
この夜空の下で、リミルはあることをもう一度したいと思った。
それは。
「シレス、もう一度約束してくれ」
「え?」
突然何かの約束を求めたリミルを、シレスは首を傾げた。
「何の約束かしら?」
何も分かっていないシレスの両手を握ったリミルは本気でガチで真剣で同時にいつもどおり綺麗に微笑んでこう言う。
「俺と君の結婚の約束だ」
もう一度だけでいい。
俺が君の特別な人間であるために、どうかもう一度だけ約束したいんだ。
それをシレス本人に全てを話せばいいのに、なぜかシレスもそうだが、みんな自分の気持ちを遠慮して言えない。
全く幼い考えだ。
大人のレーミアでさえも遠慮して自分の気持ち、本音を隠してしまう。
特に今もその時だ。
シレスともう一度結婚の約束をしたいリミルの気持ちはずっと隣で見ていたラーランにもよく伝わっている。
逆に気まずくてずっと苦笑いで自分の弱さにウケているほど、リミルの気持ちはとても幼く、はっきりしていない。
はっきりしない男こそ好きにになれないのをリミルは分かっているのだろうか?
もし分かっていないなら、自分の気持ちをちゃんと言えるように家族でもいいから練習しなければ一生直らなくなる。
それくらい大切でこれから大人になるためにも絶対に必要なことである。
大人になりたいなら、自分の感情表現もできて当然、コントロールできるのも当然。
王子様だからって、こんなはっきりしない人間は必要ない。
このまま国王になんてさせるはずがないだろう。
だけど。
「もう一度結婚の約束をして何の意味があるのよ?」
リミルの本気が伝わった? のか、シレスも真剣で少し怒ったように睨んでいる。
「私は一度約束したものはちゃんと守るつもりよ。当然、あなたとの結婚も。あなたが私と何度も結婚の約束をしてあなたは、あなただけが心の中で安心して、勝手に一人勝ったように自信をつけたいだけなら、それは私じゃなくてもミアもラーランも許さないわ」
めちゃくちゃ正しい言葉を淡々と語ったシレス。
隣にいるラーランも深く頷いて。
「はい。王女様の言うとおりです。自分を安心させるために王女様に何度も約束を求めるのははっきり言って間違ってます。そんなことをして、恥ずかしくないんですか?」
「うっ」
年下のラーランからきつくシレスと同じように正しい言葉を言われたリミルは心にグサッとヒビが入って次第に折れて落ち込んで・・・いた?
「確かに二人の言うとおりだ。俺はシレスをこの世界で一番愛し愛されたいと心の底から思っている。思っているからこそ、勝ちたい。勝ってシレスを俺だけのものにしたい。それの何がダメなんだ?」
今は夜なので、できるだけ大声を出さずに逆ギレしためちゃくちゃカッコ悪い王子様のリミルを、シレスとラーランは呆れて二人共ため息を吐いてばかり・・・。
「はあ」
リミル、本当にあなたは私を何だと思っているのよ。
「はあああっ」
こんなカッコ悪い王子様は初めて見た。
リミルは今自分がスーリス王国の第一王子ということは完全に忘れている。
第一王子ということは当然兄弟がいる。
それも尊敬されている弟が二人。
こんな世界一カッコ悪い兄を見たら弟二人はきっとリミルを嫌って距離を置いて二度と顔を合わせてくれないだろう。
でも。
「シレスを一番愛しているのは俺だ、俺だけだ。たとえ君に嫌われても、俺の愛は止まらない、動き続ける。どうだ、これで俺の愛が伝わったか?」
「・・・・・・」
もう何を言ってもリミルは私への愛を語るだけね。
こんなの私のせいにはされたくないわ。
こうなったのは全てリミルなんだから、リミルが自分で何とかするべきよ。
王女の私が一々他人に構っている暇はないのよ。
ため息も何も吐かずに、シレスは手を離して後ろに下がってもう一度夜空を見つめた時、あるものが目に焼き付いた。
「あ、あれは?」
真っ赤に燃える太陽がコンパクトになった小さな飾りが一瞬だけ現れて一瞬で消えたのをシレスは不思議に思ったが、同時にレーミアが大きく手を上げて呼びに来た。
「おーい、できたよ。早く食べよう」
「ええ、行きましょ」
「はい」
「・・・ああ」
リミルだけまだ何か言いたそうだけれど、シレスとラーランは何も気にせず、ゆっくり歩いてレーミアの元に行き、リミルも仕方ないように少しだけ機嫌悪く
「チッ」
と舌打ちをしてお城の中へ入って行ったのだった。
「シレス・リファン。彼女は危険だ」
「そうだね。シレスちゃんは死神であり人間だもんね」
「我々の元にいれば好きなだけ星の魔法を使ってやれるのに、人間という邪魔な生き物がいるせいでシレスは魔法を制限してしまっている。とても寂しい子だ」
ここはクムシュ国。
その中でもこの三人は一番優秀な魔法使いであり、人間を捨てた別な生き物。
クムシュ国に入った人間は必ずこの三人に殺される。
大魔法使いの三人に勝てる人間はこの世界ではまだ一人もいない。
だが、シレスだけは違うようだ。
「シレス・リファンを手に入れれば俺たちは死神よりもその上を行ける」
「でも、僕たちにできるかなー?」
「やってみなければ全て分からない。まあっ、我々の力を超えられる人間がいない限り、その心配は必要ない」
この三人。
「俺が一番強い」
グレーの髪に黒色の瞳を持つ彼の名前はオーオ・クラウレ。
大魔法使いの中でも一番優秀な生き物。
「でもー、僕もちゃんと頑張るからー」
紫色の髪に薄紫色の瞳を持つ彼の名前はラーリン。
「全く、我の魔法があればこんなのことにならずに済んだのに」
赤色の髪にピンクの瞳を持つ彼の名前はシュースミ。
彼らはシレスを狙う最強の大魔法使い。
クムシュ国のリーダーだ。
今は暇なので、カード遊びをしている。
星を当てれば一瞬で勝てるカードを持っているのは。
「ああ、おい、早く引け」
オーオがめちゃくちゃイライラして頭をかいているのを、次を引くシュースミは慎重に考えすぎてじっと固まってしまっている。
「んー、どうするべきか」
オーオは何も紙を一枚上げたりしていない。
むしろ、早く引いてほしくてシュースミの目の前に出しているのに・・・。
「んー、仕方ないこれを引こう」
やっと一枚引いて当たったのは一番弱いハートだった。
「なっ! オーオ、お前、なんてことを、くっ」
「は? お前が早く引かなかったのが悪いだろう?」
「まあまあ、落ち着いてよ」
今日も三人仲良く遊んでいたら
「大変です!」
と、執事が何かを恐れて冷や汗をかいている姿を見た三人。
「どうした?」
「何かあったの?」
「そんなに騒ぐな」
だが。
「シレス・リファンの行方が分からなくなりました!」
そう。
彼らはまだ知らなかった。
シレスがリファン王国から消えていることを・・・。
「そう来たか」
「じゃあ、そろそろ僕たちも」
「動いてあげようではないか」
ついにクムシュ国が自ら国を出て、死神でも人間でもあるシレスを手に入れる準備がここから始まった。
オレンジのとてもサラサラと艶がある背中まで長く伸ばされた美しい髪に、流れ星のような綺麗な黄色の瞳。
可愛くて小さな黄色のリボンが頭に飾られているテディーベアーをドレスの端につけ、髪色に合わせたオレンジ色のドレス。
それはアーレハ王国の象徴とも言える特別な作りで作成されたもの。
そして、レーミアの手作りであった。
けれど。
「レーミアがやっと帰って来たと思ったらまさかあなたまで一緒にここに来るなんて、予想外で面白いわね」
「お姫様」から少しバカにされたような口調をされたことに、シレスはサラッと風が吹いたように目を逸らした。
「別にあなたに会いに来たわけじゃないわ、ミアが私たちを連れて来ただけよ。勘違いしないで」
随分大人になったようなクールで冷静な態度を取ったシレス。
対して、「お姫様」は。
「へえー、全く会わないうちに変わってしまったのね。まっ、私は別に構わないけれど」
そうは言ってもどこか心の中で悔しそうにとりあえず苦笑いを浮かべた「お姫様」を、リミルは不思議に首を傾げて隣にいるレーミアに質問してみる。
「レーミア王、あの方は誰ですか? シレスと仲が良さそうに見えますが」
「ああ、あの子は僕のいとこのキーリサ。可愛いよね」
「そう、ですね。シレスが俺たち以外の人間と仲が良いなんて珍しいです」
「アッハハ、そうかもしれないね。でも、僕たちから見れば仲が良さそうだけど、実際は違うんだよね」
「え」
違う?
どこもおかしなところは見当たらないが・・・。
初めて会ったリミルからすれば確かにどこもおかしなところはない。
だが。
シレスとキーリサにはそれぞれ全く譲れないプライドが存在していることで今は口ゲンカだけで済んでいるが、これがどんどん上がってしまうと。
「月があなたを照らすなら、私もあなたを照らしましょ。ブルームーン!」
とうとう腹を立てたシレスがさっきと同じように「ブルームーン」を発動させ、同じように軽くサッと避けてドレスを着ているのに何度も動き回って避けるキーリサ。
二人は目が合った瞬間からケンカになって、今までのシレスは花瓶の水をかけたり花びらを散りばめたりしていたが、今は違う。
今のシレスは魔法が使える。
それも「月」の魔法を。
いくら人形魔法を完璧に使いこなせるレーミアでさえも「月」の魔法には絶対に勝てない。
もちろん、キーリサもそのはずだが・・・。
「私に魔法を仕掛けても無駄よ。あなたも知っているでしょう?」
自信満々に自分の強さをライバルのシレスに美しく怪しげに微笑むキーリサ。
当然シレスはその答えを知っている。
だからこそのライバルなのだから。
「ええ、あなたも魔法が嫌い。だから魔法を使わないのよ」
そう。
キーリサもシレスと全く同じで魔法が大嫌い。
使わないし、使えない。
ただそれだけ。
とても簡単でくだらないシレスとキーリサ。
こんなことで自信満々に自分を高く上げるのは他人から見れば呆れてしまうところだが。
「レス、キーリサ。今日はそこまでにして何か食べようよ」
いつもどおり明るく楽しく陽気に笑って二人のケンカをそっと水のように綺麗に受け流すレーミア。
その行動はとても正しく、二人の関係を小さい頃からよく見てきたからこそできる行動、言葉遣い。
シレスがアーレハ王国に来たら必ずキーリサが待ち構えていてケンカをする。
まあ、女の子同士のケンカだから特に他人を巻き込むことはないため、誰も迷惑だとは思っていない。
いや、レーミアがそう思わせないようにしている。
誰であっても、愛するシレスと可愛いキーリサをいつまでも見守っていられるように、レーミアは毎回自分で温かい紅茶とそれぞれが好きなスイーツを作ってあげる。
これを何回も何十回も何千回も繰り返しても、レーミアは一度も怒ったことはない。
怒る必要なんてどこにもないと思っている。
なぜなら。
「二人共せっかく可愛いんだから、もっと笑顔を見せてよ。二人は可愛いがあって僕は羨ましいよ」
毎回毎回
「可愛い」
と言って、一度に二人を褒めるレーミア。
その考えがあるのはある意味天才なのかもしれない。
普通なら一人を褒めるのに時間がかかってしまうのに、レーミアは簡単に一番伝わりやすい「可愛い」という一言でケンカが止まる。
そして。
「分かったわよ」
素直に謝ることなく一回キーリサから距離を置いて負けたように悔しそうに瞳を激しく揺らすシレス。
「レーミア、ごめんなさい」
シレスとは全く正反対で正直に丁寧に頭を下げて謝ったキーリサ。
二人の全く違う態度を見たレーミアはそっと両手で頭を撫でてあげて頷いた。
「うんうん。分かったならそれでいいよ」
レーミアの大人らしいカッコいい姿を見たリミルは。
レーミア王は本当にすごい方だ。
俺はシレスのことばかり考えているせいなのか、それ以外の者など、どうでもいいと思ってしまう。
俺はシレスを愛している。
愛しているから傷つけたくない。
傷ついてほしくない。
でも、違う。
俺もちゃんと他の人間を見るべきだ。
愛するシレスも大切だが、それと同じくらい他の人間のことを考えて行動する。
そう考えると、俺もまだまだ子供だな。
「ハハッ」
子供らしい幼い考えを持っている自分に苦笑いを浮かべたリミル。
「ん?」
その笑みに不思議に思い首を傾げたラーラン。
王子様、何か嫌なことでもあった?
でも、笑っているから違う。
俺が気にすることじゃない。
シレスを奪い合うライバルとして、ライバルが何を考えているのか予想するのは自分が一番上に立つということを意味するのだろう。
一番上に立ってシレスとの時間を増やして二人きりでそういうことをする。
それも男同士の戦いだから力も体力もこれから勝負するかもしれない。
「魔法を嫌うお姫様」
シレスにこのあだ名をつけた人物がいることをシレスは当然知っている。
それは。
「キーリサ。私のあだ名をそろそろ広めるのをやめなさい。あなたはもう二十二歳なんだから、大人のあなたが私の噂を広めてそろそろ恥ずかしくなっているはず、いや、もうとっくになっているでしょ?」
腕を組んで怪しげに笑って死神らしく恐怖を与えるシレスに、キーリサは満面の笑みで首を振った。
「フフッ、別に恥ずかしいとは思っていないわよ。ライバルのあなたが子供でも大人でも関係ない、私がムカついた相手の悪口を噂として広める方が私は嬉しいのよ」
サラッとひどい言葉を次々に話しても笑顔でいるキーリサを、シレスはめちゃくちゃ引いて逆にそれを言わられた自分が恥ずかしくなって顔が真っ赤に染まってしまった。
「くっ」
結構言うじゃない。
キーリサは私と同じ王族なのに、言葉遣いが悪すぎて毎回引いてしまうわ。
同じ王族でも育った環境が違えば言葉遣いも行動も変わってくる。
特にキーリサの場合はとても珍しかった。
両親がとても優しすぎて何でも許して怒られたことは一度もない。
魔法の練習を嫌がっても、キーリサが拒むなら無理はさせない。
失敗しても悪口を言っても両親は笑ってなぜか褒めてくれる。
だから、大人になった今でも他人に悪口を言うのは本当に恥ずかしがっていない、むしろ堂々としているところがすごすぎてシレスが引いてしまうのもおかしなことではない。
だが。
「キーリサ。ちょっと口調が悪いよ。気をつけてね」
力を込めずにポンッと頭を撫でられてレーミアから注意されると、少し落ち込んだように暗い表情を浮かべたキーリサ。
その理由は当然。
「レーミア、ごめんんさい。私、シレスにひどいことを言ってしまって・・・」
本当に心の底から反省して綺麗な瞳から涙が溢れそうになって。
「キーリサ、君がそれをちゃんと分かっているならもうシレスにあんなひどいことは言わないって約束してね」
「えっ! えっと、それは、うっ・・・」
「約束できないのかな? ていうか、君は何度も僕との約束を全部破ったから意味ないね」
最後の一言を強く暗い感情がこもった態度を示したレーミアをキーリサが首を横に振って否定した。
「違うわ、違います! だって私は悪くない、悪いのはシレスよ。シレスが先に私にケンカを売ったから、私は仕方なく乗っただけ。大人の私が子供のシレスの悪口を広めたのはレーミア、あなたのためよ」
「僕のため? 何を言っているのか分からないね。ううん、これ以上は時間の無駄だから、レス、久しぶりに僕の庭で食べよう、ね」
「ダメよ! まだ話は終わっていないわ。私の話をちゃんと最後まで聞いてよ、だって私たちは婚約を結んでいるのだから!」
驚きの言葉をお城全体に窓ガラスが揺れほどに響いたキーリサの最後の一言。
それを聞いたシレスは。
「ミア、あなた、婚約者がいたのね。それも私が一番苦手なキーリサと」
嫉妬なのか憎んでいるのか。
シレスはレーミアを心の底から怒りが溢れて睨んでゆっくり目の前に立って肩を掴んだ。
「あなたは婚約者がいるのに、私を選んだの? 愛する相手が二人いるなんて恥ずかしくないの?」
「・・・・・・」
「あなたは私と同じくらい最低ね生き物だったのね。まあ、いいわ。今はお腹が空いているから食べ終わったらじっくり話を聞かせなさい・・・はあ、腹が立つわね」
そう言って、シレスは表の庭の方へ一人先に歩いて入り、ドレスは着替えるのが面倒なので、そのまま赤薔薇の棘がドレスに引っかかっても全く気にせず四角の透明な椅子に座る。
「はあああっ」
ミア、他に愛する相手がいたならそっちを優先すれば良かったのに、なんで私を選んだのよ?
キーリサとも長い付き合いがあって私がここにいない時はミアの仕事を手伝って一緒に生活して。
「はああ」
私のことなんて放っておけば良かったのに、なんで、私を、選んでしまったのよ?
私は王女だけれど、そんなに気品は高くない、ただのお姫様なだけ。
でも、なぜか胸が苦しい。
まさか、婚約者のキーリサよりもわがまま王女の私を選んでくれたことが嬉しいと思っているの?
あり得ないわ。
私はまだ恋なんて興味は、少しはあるけれど、本気じゃない。
それでも。
「ミアが私を選んでくれたなら、私にできることは最後までやってあげるわよ」
シレスは知っていた。
キーリサがレーミアが好きなことを。
歳は一つ離れていてキーリサが年上だが、親戚の集まりではいつもレーミアにベッタリくっついて離れない。
レーミア・アーレハという完璧すぎる人間を嫌いになる人間はこの世界には存在しない。
するはずがないのだ。
いつでも笑顔で仕事も与えられたものなら全てこなす。
小さい頃から可愛い弟のように可愛がっていたが、お互い大人になったら逆になった。
『キーリサは本当に可愛いよ。天使みたいだね』
会う度に褒めてくれてダメなことはしっかり注意して次に繋げる。
それを何度も繰り返してしまえば、今までの生き方を見直すことは必ずできてくる。
婚約を結んだ時、レーミアはこう言った。
『婚約をしても、僕が君を好きになることはないよ』
その言葉を聞いて、キーリサは大粒の涙を流して首を横に振った。
『嫌! 私、私はレーミアが好き。絶対に後悔させないから、私を好きになって。お願い!』
必死に何度も説得しようとしても、レーミアは何も言わずに目を合わせない。
なぜなら。
『僕が愛しているのはレスだけだよ。他の人間を好きになるほど、僕はそんなに暇じゃないからね』
いつも同じ言葉を繰り返し言って、キーリサの気持ちなど完全に無視して自然と二人の間に大きな穴が空いた。
『どうして、分かってくれないのよ? そんなにシレスが大切なの? レーミアのことを一番知っているのはこの私だけなのに』
自分が好きでも相手が好きじゃないなら意味がない。
相手も自分を好きなってこその恋だと言えるだろう。
キーリサもレーミアに好きになってもらうために色々なことをしてきた。
仕事で疲れたレーミアに紅茶を出したり、慣れないスイーツを何度も失敗しながらも挑戦して上手くできたクッキーを食べさせて。
他にもレーミアのために頑張って工夫しても、レーミアはキーリサを好きになれなかった。
好きになりたいとも思っていなかった。
そして、今もレーミアを傷つけて、シレスを傷つけて。
シレスはイライラして早く料理を待ってレーミアはシレスの反応を見て落ち込んで、料理を作っているのはリミルだった。
レーミアの落ち込んだ様子を見て、リミルはどんな言葉をかければいいのか分からず、隣で作業をしているラーランに話しかける。
「ラーラン、これはどうすればいいんだ?」
「んー、そうですね。王様に婚約者がいたことが俺はまだ信じられないです」
「そう、だよな」
「だけど、別にいいんじゃないんですか?」
「えっ」
「婚約者がいても、王様は自分でよく分かってますよ。本当に愛しているのは王女様だけだって」
「あっ・・・」
ラーランはまだ出会ってまだそんなに時間は経っていないのに、レーミアのことは全てお見通しみたいにドヤ顔で自信満々にそう語った。
リミルもその言葉を聞いてはっきりと頷いて、少し悔しそうに苦笑いを浮かべる。
「ハハッ」
歳は俺よりも下なのに、なぜか時々十歳以上のしっかりした大人に見えてしまうのはなぜだろうか?
・・・分からない、分からないが、面白い。
第二のライバルのラーランは意外と頭が良さそうだ。
常に人の動きを見て何を考えているのか、何を思っているのか。
全てを一瞬で見極めてちょっとだけ軽く話しかけて人を助けたこともあるかもしれない。
人への思いやりというか、ただ暇だからそうしただけなのか。
理由は分からないが、助けたいと思っている人間はとても貴重な存在と言えるだろう。
みんながみんな優しいわけではないとよく聞く言葉だ。
その言葉を言えば自分の気持ちは変わる、無理に変わらせられて後悔することも誰だってあるかもしれないのも事実だ。
だから。
「レーミア王は婚約者のキーリサ様よりもシレスをこの世界で一番愛している。ハハッ、そこは俺も、俺たちも一番譲れないもの、だな」
心の底から納得してレーミアのシレスに対する気持ちと感情がさらにリミルとラーランの心にも強く鐘のように耳が痒くなるようなうるさい音が響いても、それがライバルの強みだとリミルとラーランはお互い笑顔で思い知ったのだった。
「よし、早く作ってシレスの元に行くぞ」
「そうですね。何を作るんですか?」
その言葉を待っていたかのように、リミルは嬉しそうに綺麗に微笑んで。
「サンドウィッチだ!」
「はあっ」
僕、レスに嫌われちゃったね。
まあ、今回は僕本人が悪いから言い訳なんてしないよ。
僕はこの国の王様。
誰よりも一番に上に立ち、誰よりも完璧でなければいけない人間。
それが僕、なんだよね。
僕が王様になったのは・・・もう、忘れちゃったね。
ううん、忘れて当たり前だよ。
あんなことをされて覚えてる方がおかしいよ。
でも。
「僕が王様でいないと、レスの言い訳になれない。僕が今でも王様でいるのは全部レスのためだよ。レスはこの世界で一番可愛い。可愛すぎて泣いてしまいそうになる。それくらい、可愛くて大切で愛おしいんだよね」
雲一つもない太陽よりも爽やかな青空。
もう今は秋なのに、こんなに爽やかな天気に恵まれて気分も上がるはずが、レーミアはシレスに嫌われたショックが大きすぎて下を向いてばかり・・・。
誰もいない、シレスもいない。
ただ一人の空間が一番居心地が悪くてさらに落ち込んでしまうレーミア。
こういう時はいつもどうしていたのかも忘れてしまって、何も気分転換になるものなど持っていない。
持っていたら今頃シレスに謝って仲直りができていたはずなのに・・・。
「どうしたらいいのかな? 僕は確かにレスを一番愛しているよ。愛しているけど、不安も大きいんだよね。今もその時かな。レスが落ち込んでいたら僕はすぐにそばにいて抱きしめてあげられたけど、僕が落ち込んでいたら誰も慰めてはくれない。全部自分でなんとかしないと仕事に影響して失敗してしまう・・・はあ、こんな僕だけど、国民はみんな僕を尊敬して頼ってくれる。でも」
レスがそばにいてくれないと寂しくて苦しくて冷たくて。
自分がダメになる。
「アッハ、独り言を呟いても意味なんて当たり前にないのに、勝手に声に出してしまうのはどうしてだろうね? 僕にも分からないよ、こんなの・・・」
レーミアは気分が下がると独り言を呟く癖がある。
別にそれは悪いことではないけれど、王としては常に緊張感を持って行動するのが理想である。
しかし、レーミアはこういう時は誰かに聞いてほしいというのではなく、ただ純粋に口が動いて声に出してしまう。
それだけなのだ。
「ああ、レスに会いた、あっ!」
何かを思い出して急に立ち上がったレーミア。
理由は。
「レスに早く何か食べさせないと体を壊してしまうよ!」
シレスの体調を気にした瞬間で気分が上がって心も軽くなって楽しくなってきたレーミア。
「アッハハ、何を作ろうかな」
だが。
「あっ、王様、ここにいたんですね」
どこにも見当たらなかったレーミアを見つけて手を上げたラーラン。
その姿に気づいたレーミアは。
「えっ、ラーラン君、ずっと僕を探してくれていたのかな?」
自分のせいで時間を使わせてしまったという不安で重い石が足に乗っかったような感覚になったレーミアを、ラーランがそっと肩を撫でて満面の笑みを見せた。
「いえ、もうできたので呼びに来ただけです。みんなで一緒に食べませんか?」
「え、何を?」
「王子様の自信作サンドウィッチですよ」
そう言って、ラーランがレーミアの手を掴んで奥の方へ進むと、シレスとキーリサがとても嬉しそうに先にサンドウィッチを食べている。
「これは、一体どうなっているの、かな?」
僕がいない間にしかもレスが僕以外のものを食べているなんて・・・アッハハ、リミル君、君も結構やってくれるね。
リミル君の行動の早さ、レスの笑顔全てが完璧に作られていてこれを悔しがらない人間なんてこの世界に存在しな、ううん、存在してしまったら困るね
レスの胃袋を掴めるのは僕だけだって思っていた、けど、違うね。
そんなことを考えるくらいなら僕も何か策を考えて行動する。
それが大優先だよ!
シレスに一番喜んでほしい気持ち、自分だけを見てほしい感情。
その二つが混ざって溶けることなくレーミアは動き出す。
「リミル君、これで僕に勝てると思わないでよね」
真っ先に怪しげに笑いながらケンカを売ってきたレーミアに、リミルはクスッと笑ってちょっと満足している。
「俺はただシレスのために作っただけです。こんなことであなたに勝てるとは全く思っていませんよ。むしろ、こんなことでシレスが毎日喜んでくれるならそうしますけど・・・ハハッ」
意地悪で上から目線の超きつい言い方をされたことを、レーミアは当然腹が立って拳を握りしめる。
「へえー、君も結構言うようになったね。偉い偉い。でも、僕にそんな態度を取ったことは許せないね。ここはアーレハ王国、僕の国。君たちがここにいる限り、必ず僕の言うとおりにしてもらう。その自信と行動力がいつまで続けるられるか、楽しみにしているよ」
そう言って、レーミアは早歩きで調理部屋に行って急いでメニューを考える。
「うーん」
リミル君が作ったあのサンドウィッチは中々手強い。
簡単そうで簡単じゃない、謎の料理。
スーリス王国だったら大人も子供も当たり前に作れる。
「だったら」
アーレハ王国の代表料理ロールケーキにするのもありだけど、これは時間がかかるから今度にしよ、あっ。
何かを思い出したレーミア。
目の前の棚の中に置いてあるロールパンを見つけて手に取り、とても嬉しそうに明るく微笑む。
「そうだったね。このパンはキーリサが好きだから毎日メイドに街のパン屋で買ってきてもらっていたんだよね。僕がいない間もそれをちゃんと守ってくれたこと、後でお礼を言わないとね」
このお城の使用人は皆レーミアに忠実で意志が固い。
当然王のレーミアの言うことは聞くし、すぐに行動して間違いっていたらすぐに報告してどこが問題だったのかをレーミアから直接教わる。
なんとも理想的な関係であった。
「うん、作ろう」
パンの真ん中に切れ込みを開いて卵をお湯で茹でて、棚からイチゴジャムとバターを出して先にパンの中にナイフで塗って。
ちょっと余ったらブルーベリーと甘めのチーズを挟んで、卵が茹で上がったらお湯を切って皮を剥いて今は時間がないのでリミルが残したマヨネーズをもらってそれを混ぜてばパンに挟む。
そして。
「一応これで完成にしておこうかな。時間があればもっとたくさん作れたのに、僕のバカ」
落ち込んでいた時間を自分に向けて文句を言ったレーミアは本当にこの世界で一番理想的な王様と思えるのはみんなそうに違いない。
誰かを尊敬する、従う。
これは誰に対してもできることではない。
嫌いだったり嫌だったら無理でも従うことだってあるかもしれない。
けれど、レーミアは、アーレハ王国は全く別だ。
レーミア・アーレハという絶対的で完璧すぎる人間がこの世界で生きている限り、国民はレーミアを手放すことなんて考えられない、考えるはずもないのだ。
レーミアを傷つけられるのはシレスだけ。
女王でもないのに気に入らなかったことがあればすぐにレーミアのせいにしてどうでも言い訳をする。
他人のせいにして自分は悪くない、悪いはずもない。
それがシレス。
でも、レーミアはいつも喜んでいる。
『レスは僕の権力が大好物なんだよね。僕も分かるよ』
王としての権力を王女のシレスにいつも使っている度にレーミアはとても嬉しそう。
自分だけにしか使えない権力、地位。
その使い方は別に悪いことではないが、他人にばかりそれを使ってしまうのはどうなのかと使用人は皆心配している。
わがまま王女のシレスを使用人たちは嫌っている。
あれをしてこれをしてやっぱりいらない。
「王女だからと言って、あんなわがままに育つなんてカーク様は一体何を考えているの?」
「私たちの苦労を知らないリファン王国は好き放題ではないか」
「少しはレーミア様を見習ってほしいわ」
シレスがお城に来る度に使用人たちは毎回毎回苦労の連続でため息ばかりを吐いてしまう・・・。
「月」の魔法を全く使えないのに自分を偉く思い込んで堂々と歩く。
これは絶対にカークの育て方が悪いのは確実だ。
確実だけれど、リファン王国が適当な限り、シレスのわがままは一生直らないだろう。
直ったら使用人たちはこんなに苦労などしていないのに・・・。
だが。
「早くレスの喜ぶ顔が見たい。早く行かないとね」
シレスの喜ぶ顔を想像しながらレーミアは明るく笑って部屋を出て庭に行ったら
「あっ、ミア、遅かったわね」
と、何か嬉しそうに可愛らしく微笑むシレスがいる。
「ミア、私、あなたと一緒にいる、一緒にいさせて」
「えっ」
「あなたは私を大切に優しくしてくれるじゃない。だから、私もあなたに何か恩返しをさせてほしいのよ」
「うん?」
突然のプロポーズのような驚きの言葉にレーミアは首を傾げて何が起きているのか全く状況理解ができない。
え、レス、何を言っているのか分からないよ。
僕と一緒にいたいっていうのは僕は嬉しいよ。
でも、なんかそれって、誰かに言わされた感じがするのは僕だけかな?
普段のレスならこんなことは絶対に言わないし、言っても言い方がこんなにサラッと軽く言うはずがないよ。
それを考えると、嬉しい気持ちが逆に嫌な気持ちに変わってなんか嫌だ。
だけど。
「ありがとう。レスがそう言ってくれるのは嬉しいけど、今はその言葉は忘れるね」
夢を見させられたように感じたレーミアは一旦現実的にシレスのさっきの言葉は心苦しくも忘れることにしたようだ。
が。
「どうして? 私、こんなにあなたのことが好きなのに、どうしてあなたは私を好きになってくれないのよ・・・」
「えっ」
今、なんて言った?
「どうして」
レスはそんな言葉は絶対に言わない。
「なんで」
っていうはずだよ。
シレスが絶対に言わない言葉を聞いたレーミアはお皿をテーブルに置いてあることに気づいてしまった。
「あれ?」
リミル君とラーラン君がいない。
そう。
さっきまでいたリミルとラーランがいないことに気づいたレーミア。
同時にシレスの姿を見て一瞬で気づいた。
シレスのドレスがオレンジであることを。
全てに気づいたレーミアはシレス? らしき人物のドレスを握りしめて怪しく美しく微笑む。
「ねえ、僕が気づかないとでも思ったのかな?」
「・・・何をよ」
「君はレスじゃないよ」
はっきりとシレスであること否定されたことに、その人物は動揺して瞳を大きく揺らしながら首を横に振った。
「ち、違うわよ! 私はシレス、絶対よ」
「絶対っていう言葉はこういう時にはあまり言わない方がいいよ。一番困るのは君自身なんだからね」
そう言うと、レーミアはその人物の髪をスラッと外してシレスの仮面のような顔も外したらその正体が明らかになった。
「やっぱり君だったんだよ。キーリサ」
正体を破られたキーリサ。
悔しいのか大粒の涙を流している。
「う、ふう、ど、どう、してよ」
「君はよくレスの真似をしているんだよ、今もね」
口調も仕草も何かもをシレスに真似て本当の自分らしさを失っているキーリサ。
魔法が嫌いな理由は少し違うが。
「私はあなたが好き、好きなのに、どうしてあなたは私を好きになってくれないのよ! 私、あなたのためにシレスに負けないように一生懸命考えて頑張って、やっとあなたの好きなシレスの真似ができるようになって少しはホッとしたのに、あなたは私を一度も見てくれない! 私は一度でもいいからあなたを好きにさせたかった、ほしかった! どうして、なのよ・・・」
悔しさが怒りに変わって大声を上げるキーリサ。
それでも、レーミアは。
「ごめんね。僕は君を好きになれない、ならないよ。君がどんなに努力してもダメなものはダメなんだよ。それに、もう君はレスになる必要なんてない、そうしなくていいんだよ。魔法が嫌いな本当の理由は違うよね?」
優しく丁寧にレーミアから手を握られたキーリサはこれからは何も迷うことなくはっきりと頷いた。
「うん。私が嫌いな理由は『魔法を愛しすぎた過去の私』よ。シレスとは全く違う、違って当然ね。だって、私とシレスは全くの別人なんだから」
そう。
キーリサが魔法を嫌っている本当の理由は過去にあった。
それはキーリサが十歳の頃、王族では珍しく遅く魔法の練習を始めたキーリサは始めた時から魔法を完璧に使いこなしていた。
別にキーリサは全く魔法が使えないわけではなかった、あえて使えない振りをしていただけ。
人形魔法の最初の魔法「ピンクドール」を使えれば一人前として、王族として名前を挙げられる。
キーリサは誰よりも思考が早く、敵の位置を一瞬で把握して魔法で攻撃を仕掛けて完全に倒す。
まさに魔法の天才と言っても良いくらいに素晴らしい魔法使いだった。
ただ一つこの頃からある問題を抱えていた。
『はあ、どうして、上手くいかないの?』
始めた頃から順調にできていたのに、十一歳になってからは魔法が全く自分の思うとおりにできなかった。
理由は。
「体の成長と共に体力がどんどん失われている」
これも一つの魔法病。
魔法病には三つの特徴がある。
一つ目は魔法の発動の衝動で体に痕ができること。
二つ目は魔法の発動時に激しい頭痛が襲いかかって意識がなくなって二度と歩けないこと。
三つ目は魔法を使えるようになって一年が経つ度に体力を奪われて悪化すると全身が震えて立てないこと。
キーリサは三つ目の特徴になってしまい、魔法を使うことを諦めた。
『私、もっと魔法を使えるようになりたい、なりかった! ひどい、どうして、こうなってしまったの? 私、何も悪いことなんて一つもしていないのに、何がいけなかったのか教えてよ!』
魔法病は本当に怖い病気だ。
特に若者は大変だ。
いっぱい夢がある一番大切な頃にいつ襲いかかるか分からない謎の病気を恐れて震えて眠れない日々を過ごしている人間もきっといただろう。
誰にも治せない、治させない。
謎であり危険なもの。
もう何百年経っても治療は見つからない。
最初からとっくに諦めている。
医者も王も、全てが。
魔法病にかかってしまったキーリサはこの頃から魔法を使わずに今まで生きてきた。
もし魔法を使ってしまったら立てなくなることを心の底から恐れている。
二十歳を過ぎても治っていない。
魔法使いにとって、魔法を使えないのは命を半分失ったように最悪で嫌で嫌で心がおかしくなる!
でも、キーリサはシレスに同情していた。
魔法が全く使えない自分がもう一人いるみたいで少しだけ心が落ち着いて心の中でいつもこう思っていた。
『シレスが一生魔法が使えなかったらいいのに』
こんなことを誰かに言ったら誰かに怒られてしまうけど、私は心からそう思ってしまう。
喜んでしまう。
必死に頑張っても何十年も魔法が使えないシレスを見ていると嬉しくてホッとする。
私みたいに一生魔法が使えない人生を歩んでほしい。
最低でも何でもいい、魔法が使えない、使いたくても使えない私に味方するのは他でもないシレスだけよ。
まっ、それをシレス本人に言ったら絶対に怒られて嫌われて仲良くするのができなくなるけどね。
魔法病にかかってしまったら悪化しないことを願うしかない。
キーリサもきっと願っていたのだろう。
今も毎日夜空に
「これ以上悪くなりませんように」
と、願い続けて今は毎日笑って生きている。
好きなレーミアと一緒にいられる日々。
国のために一緒に頑張る日々。
時々甘えさせてくれる日々。
色々な日々が重なり合うからこそ、キーリサの人生は太陽よりも眩しいほどの金色に輝く王冠みたいに輝いている。
だけど。
『キーリサ、ごめんね。何度も言うけど、君の気持ちに応えるつもりはないよ』
シレスよりも一緒にいる日々は、時間は多いのにシレスばかりに夢中になってレーミアは一度もキーリサを見ようとはしなかった。
興味がなかっただけなのかもしれない。
いくら毎日一緒にいるからと言って、必ずレーミアはキーリサを好きになることは、愛することは願っても祈っても叶わない。
キーリサのレーミアへの愛は死んでも絶対に叶うことはないのだ・・・。
「分かった。私、もうあなたを好きにならない」
覚悟を決めて真剣な眼差しでそう言ったキーリサ。
その言葉に、レーミアは深く頷いた。
「うん、ごめんね」
「別にいいわよ。私は魔法病で魔法が使えない、何もできないただの普通の人間。私はあなたの特別になりたかった、なってみたかった。でも、もうそれはいらないわね。私が本当に好きになる相手はレーミアじゃなかった。きっとそれだけ・・・フフッ」
今までの自分を振り返ってクスッと苦笑いを浮かべたキーリサを、レーミアは目を逸らしてまた頷いた。
「そう、だね。キーリサ、僕を好きになってくれてありがとう。これからは僕以外の素敵な相手を見つけられるように願っているね」
「うん。そうしてくれると助かるわ、フフッ、これもシレスの言い方ね。はあ、これから私も本当の自分らしさを取り戻すために、どこか旅に行ってみるのもいいわね」
「その時は、僕が何かお守りを作ってあげるよ」
「うん、お願い。なんだか一人で旅をするのも人生の良い経験になるかもしれない。フフッ、そう考えてみたら楽しみになってきた」
「あまり遠くに行ったらダメだよ。心配になるからね」
「フフッ、あら、心配してくれるの? 嬉しい」
「当たり前だよ。僕たちは家族なんだからね」
そっと肩を撫でて瞳を激しく震わせて心の底から心配しているレーミアの姿に、キーリスはどこか嬉しそうに満面の笑みを見せた。
「フフフッ。そうだった、私たちは家族。家族が家族を愛するのはきっと悪いことじゃない。普通のことか」
そう言って、キーリサはスッとレーミアから撫でられている手を離して
「じゃあ」
と言って、一人喜んでお城の中へ戻って行った。
「ありがとう、私の初恋。さよなら、私の愛」
初恋というものは本当に一瞬だ。
その初恋が上手くいく人間もいればそうではない人間もたくさんいる。
最初から何でも上手くいける者なんて少ないのは当然。
自分の得意なことでもさらにその上を行く者もいて当たり前。
上に上を、下に下を。
よく聞く言葉だ。
キーリサが立ち去って、レーミアは。
「レスのところに行こう」
キーリサの気持ちを忘れずに愛するシレスの元にお皿を持って行ったら
「ミア、どこに行っていたのよ?」
と、寂しかったのか、頬を膨らませてずっと待っていたシレス。
レーミアは当然。
「レス、遅くなってごめんね。でも、お前のためにこれを作ってきたんだよ」
リミルが作ったサンドウィッチに負けないくらいの卵とジャムを挟んだロールパンを見せるとシレスは瞳を輝かせてとても嬉しそう。
「ミア、これ、食べてもいいのかしら?」
「もちろんいいよ。遠慮しないで、全部お前のために作ったんだからね」
「ええ、ありがとう」
久しぶりのミアの手作り。
ずっと食べていなかったから嬉しいわ。
大きく口を開けてまずは卵を挟んだロールパンを手に取って食べたシレス。
その味は。
「んむ、フフッ、おいしいわ」
自然と笑顔にさせられるレーミアが作るものはどれもおいしくて優しくてホッとする。
パンは違うけれど、同じ卵で作られているはずなのに、レーミアが作ったこの卵の味は匂いもあまりきつくはなく、本当に優しい味でどんどん食べたくなる最高なものである。
「フフッ」
やっぱりミアが作るものは当然どれもおいしいわ。
小さい頃から食べ慣れているというのもあるけれど、それ以上に、ミアが作ってくれたことを想像するとすごく嬉しくてドキドキす、えっ、私、今何を思ったの?
「ミアに、ドキドキした・・・」
自然と独り言でそう小さく呟いたシレス。
だが。
「ダメよ」
ミアには婚約者のキーリサがいるわ。
婚約者がいるミアにドキドキしても恋をしても。
ミアは最後、私を選ばない、選ぶはずがない。
分かっているわよ。
分かっていても、ミアの作るものがおいしくて、離れてほしくない。
そう思うのはダメなのかしら?
これが恋じゃなくても、私はミアを好きになりたい。
それは変わらないわ。
自分の気持ちに嘘はつかずに、シレスは一度食べているロールパンをお皿に置いてレーミアの手を握り、こう言う。
「ミア、私、あなたに選ばれたい」
心からの本心で勇気を出して真面目にちょっとだけ可愛らしく笑うシレスに、レーミアも同じように明るく笑って。
「うん、僕もお前に選ばれたいかな」
お互いがお互いを選び合う。
恋とはそういうものなのだろう。
自分が選んだ相手でも、相手に恋人がいたら諦めることもきっとある。
逆に自分が選ばれたら喜んで恋人になることもあるかもしれない。
シレスも他の三人もそうだ。
シレスが誰を選ぶのかはまだ分からない。
今分かったら面白くない。
恋にもちゃんと順番がある。
その順番を一つでも間違えてしまったらみんなを傷つけ、自分も傷つける。
何気ない一言のつもりが、実は相手や他人を楽しませたり傷つけてしまうことも十分あり得る話だ。
恋なんて一歩間違えてしまえば思わぬ展開に変わってしまう可能性も十分あり得る。
だから、もっと慎重に。
「私は一応リミルと結婚の約束をしているわ。私がもし、リミルじゃなくて他の人間を好きになったらあなたたちはどう思うの?」
これこそ真剣でしっかりと考えられた言葉。
それを聞いたリミルは少し納得できずに一歩前に出てシレスの肩を掴んだ。
「シレス、何を言っているんだ? 君には俺がいるじゃないか、俺では満足できないとでも言うのか?」
めちゃくちゃ必死に自分以外の人間にシレスを取られるのが嫌で嫌で涙が出そうになるリミルを、シレスは後ろに一歩下がって重すぎて心が引いた。
「リミル、さすがに少し気持ちが悪いわよ。私はそこまであなたに何も求めていないわ」
めちゃくちゃ冷たく低い声ではっきり
「気持ちが悪い」
と、王子なのに王女のシレスから距離を置かれて目を合わせてもらえないリミル。
俺、シレスが言ったとおり「気持ちが悪い」のか?
結婚を約束したシレスから言われた言葉が心にナイフで切られたみたいにチクッと痛みが出て恐怖で顔が青ざめてしまっているリミルを、シレスは特に気にすることなく掴まれた手を退かして代わりにレーミアの手を握った。
「ミア、このパン、とってもおいしいわ。これだけじゃ足りないからもっと作って」
「うんうん、分かったよ。でも、あと少ししたら夜になるから、今日は今作った分だけで我慢してね。明日はもっとお前の満足できる最高なものを作るからね」
「ええ、楽しみにしているわ」
さっきの冷たい態度とは全く逆でレーミアに対しては可愛らしく微笑んでとても楽しそうで。
リミルはまだ心が痛くて元に戻れる気が全くしないようだ。
「ああっ」
シレス、俺はこんなにも君を愛しているのに、君には俺の気持ちが全く伝わっていないようだな。
どうすればいいんだ?
俺は愛するシレスのためにサンドウィッチをまた作ってあげたのに、後から来たレーミア王が作ったパンは俺の想像を十倍超える心からおいしそうに嬉しそうに食べていた。
何が違った、何が間違っていた?
だが、嫉妬は強い。
嫉妬だけがどんどん溢れる。
これがライバルの強さだな。
なら。
沈んだ気持ちをシレスの可愛らしく今よりも百倍楽しそうな笑顔を想像しながらリミルは気を取り直し、次は嫌がられないように頭を撫でてあげる。
「シレス、このパンが好きなら俺も明日作ろう。そしたら、少しは君に触れても構わないか?」
レーミアに負けないようにリミルが本気でガチでそう問いかけたが、シレスはため息を吐いて少し呆れた。
「・・・はあっ。リミル、あなたはミアには勝てないわよ」
「えっ」
シレス、何を言っているんだ?
俺が、レーミア王に勝てない、なぜそれを言うんだ?
シレスはとっくに分かっている。
料理では絶対にリミルはレーミアには勝てないことを。
なぜなら。
「リミル、あなたが作るものはおいしいけれど、ほんのちょっとしつこいくらいに味が強くて口の中で重く残って、正直、嫌だわ」
「えっ! シレス、本気で言っているのか?」
驚きと動揺で瞳が激しく揺れてショックを受けているリミルを、シレスは無表情でまだまだ続けて話す。
「ええ、本気よ。私は味が濃いものは好きじゃないのよ。確かにあなたが作ったこのサンドウィッチはとてもおいしいわ。でも、ミアの作るこのロールパンはとても優しくて濃くはない。口の中でも噛めば噛むほど味が癒やされて口の中に残ることは絶対にない。この違いが大きくあるから、あなたは絶対にミアには勝てないのよ。ほら、一つ食べてみなさい。すぐに違いが分かるから」
正しい説明と作り方ではなく味を高く評価する言い方はシレスを本気でおいしいと言わせられるレーミアのすごさがよーく分かる言葉。
愛情も含まれているもしれないが、作り方を変えたとしても、レーミアのようにシレスへの思いやり、食べてくれる者の好きな特徴を含めてレーミアは食べる者によって毎回毎回味を変えている。
それをリミルはあまり深く考えていなかったようだ。
シレスを愛する気持ち、シレスが今食べたいものを考えて作ることができても、シレスがおいしいと言っても。
レーミアの味には勝てない、誰にも。
料理の経験の差があるのは当然だ。
それも歳が違えば尚更リミルはレーミアには追いつけない。
追いつけるはずがない。
だから、何を改善すればいいのかを知るために、リミルは試しにイチゴジャムを挟んだロールパン、現代で言えばコッペパンを一口食べてみる。
「ん、ん、あっ」
確かに、俺が作った味では勝てない。
こんなに優しくて誰でも食べやすくて食欲がどんどん自然と湧いてくるのはレーミア王の才能だろうな。
「ハハッ、今日は負けたな」
素直に負けを認めたリミル。
とても悔しそうに唇を噛んで涙を精一杯堪えて。
そして。
「レーミア王、あなたはやはりすごい人間です。俺にはできないことを簡単にやれるあなたには今の俺では勝てません」
ライバルとして、ちゃんと負ける時は負ける、勝つ時は勝つ。
それをリミルは一人の人間としてよく分かっている。
自分の弱いところを素直に言えるリミルもカッコよく見えるのは誰だってあるはず。
当然レーミアも自分の弱さを他人に見せる時も時々あるため、リミルの気持ちはよく伝わって。
そっと肩を撫でて明るく微笑んだ。
「僕だって、リミル君に勝てないところはたくさんあるから気にしないで。君は君の得意なことがレスのためにあるかもしれないからね」
完璧な王様のレーミアはいつでも頼りになる絶対的存在。
絶対に存在しなければいけない貴重な人間の一人として常に上に立たなければ完璧にはなれない。
なることすらも叶うはずもなかっただろう。
完璧なレーミアでも必ずとは分からないが、さっきのようにシレスに嫌われたらそれこそ弱った姿を見せる。
まあ、レーミアの弱いところはシレスに嫌われてしまう、これでだけでも弱点と言えるだろう。
シレスを奪い合うライバルとして、三人はこれから自分たちの弱点を必ず思い知ることになる。
その弱点をどう活かすか、それは本人たち次第。
使うも放っておくのも全て自由。
全てはシレスのために動いているのだから。
「さあ、もう夕方になるから残りを食べてしまおう、ね」
「ええ」
「そうですね」
「はい」
残ったサンドウィッチとロールパンを全て四人で分けて食べてお腹いっぱいになった頃、ちょうど夕日が沈み、夜空が顔を出し始めた。
だが。
「ミア、夕食は何を作るのかしら?」
今食べ終わったばかりなのに、シレスが平然と何も食べていなかったかのように夕食のメニューを聞かれたレーミアはいつもどおり嬉しそうに美しく微笑んだ。
「アッハハ! レスは本当に食べるのが大好きだね。いいよ、レスが食べたいものを作ってあげるよ」
少しからかうみたいにレーミアから頬を撫でられたシレスは顔を真っ赤にして照れた。
「べ、別にいいじゃない。いくら食べてもお腹は空いてしまうんだから」
「アッハハ、いいね。何を作ろうかな、うーん、昨日は何も食べていないし、さっき食べたのはパンだから・・・ステーキがいいかな?」
「ステーキ・・・いいわね、それがいいわ!」
好物のステーキに興奮して笑みが溢れすぎて見ているだけで癒やされてしまう三人。
でも。
「フフフッ、ステーキ、ステーキ。楽しみだわ、フフフフフフッ」
久しぶりのステーキ。
厚みのあるお肉。
想像しただけでよだれが垂れてしまいそうだわ。
「フフフッ、楽しみ」
興奮が止まらず顔がニヤけて完全に王女という美しく気品ある姿が崩れてしまっているシレス。
しかし。
「レスのその顔、とっても可愛いね。分かったよ、今すぐ作るから待っててね」
レーミアは何も変わらずいつもどおり調理部屋に戻って行った。
「アハハッ、レスのあの顔は僕のやる気に繋がる最高。はあ、よし、頑張ろうね」
愛するシレスのため、喜んでもらうためにレーミアは気合いを入れて調理を始めていった。
レーミアが立ち去って、シレスは我に返ったようにいつもどおりの可愛らしい微笑みで夜空を見つめる。
「フフッ、綺麗ね」
この世界の夜空は本当に綺麗だわ。
何度見ても飽きない素敵なもの。
幻想的で一度見てしまえばもう二度とそれを知らなかった自分には戻れない綺麗で切ない。
「月」の魔法でもこの夜空のように綺麗なものには届かない。
どんなに強い魔法でも、美しく綺麗でも。
この夜空は誰にも届かない大きくて感情が乱れて争いが起きることもあり得る。
まあ、今はそんなことを心配する必要はないだろうが・・・。
この夜空の下で、リミルはあることをもう一度したいと思った。
それは。
「シレス、もう一度約束してくれ」
「え?」
突然何かの約束を求めたリミルを、シレスは首を傾げた。
「何の約束かしら?」
何も分かっていないシレスの両手を握ったリミルは本気でガチで真剣で同時にいつもどおり綺麗に微笑んでこう言う。
「俺と君の結婚の約束だ」
もう一度だけでいい。
俺が君の特別な人間であるために、どうかもう一度だけ約束したいんだ。
それをシレス本人に全てを話せばいいのに、なぜかシレスもそうだが、みんな自分の気持ちを遠慮して言えない。
全く幼い考えだ。
大人のレーミアでさえも遠慮して自分の気持ち、本音を隠してしまう。
特に今もその時だ。
シレスともう一度結婚の約束をしたいリミルの気持ちはずっと隣で見ていたラーランにもよく伝わっている。
逆に気まずくてずっと苦笑いで自分の弱さにウケているほど、リミルの気持ちはとても幼く、はっきりしていない。
はっきりしない男こそ好きにになれないのをリミルは分かっているのだろうか?
もし分かっていないなら、自分の気持ちをちゃんと言えるように家族でもいいから練習しなければ一生直らなくなる。
それくらい大切でこれから大人になるためにも絶対に必要なことである。
大人になりたいなら、自分の感情表現もできて当然、コントロールできるのも当然。
王子様だからって、こんなはっきりしない人間は必要ない。
このまま国王になんてさせるはずがないだろう。
だけど。
「もう一度結婚の約束をして何の意味があるのよ?」
リミルの本気が伝わった? のか、シレスも真剣で少し怒ったように睨んでいる。
「私は一度約束したものはちゃんと守るつもりよ。当然、あなたとの結婚も。あなたが私と何度も結婚の約束をしてあなたは、あなただけが心の中で安心して、勝手に一人勝ったように自信をつけたいだけなら、それは私じゃなくてもミアもラーランも許さないわ」
めちゃくちゃ正しい言葉を淡々と語ったシレス。
隣にいるラーランも深く頷いて。
「はい。王女様の言うとおりです。自分を安心させるために王女様に何度も約束を求めるのははっきり言って間違ってます。そんなことをして、恥ずかしくないんですか?」
「うっ」
年下のラーランからきつくシレスと同じように正しい言葉を言われたリミルは心にグサッとヒビが入って次第に折れて落ち込んで・・・いた?
「確かに二人の言うとおりだ。俺はシレスをこの世界で一番愛し愛されたいと心の底から思っている。思っているからこそ、勝ちたい。勝ってシレスを俺だけのものにしたい。それの何がダメなんだ?」
今は夜なので、できるだけ大声を出さずに逆ギレしためちゃくちゃカッコ悪い王子様のリミルを、シレスとラーランは呆れて二人共ため息を吐いてばかり・・・。
「はあ」
リミル、本当にあなたは私を何だと思っているのよ。
「はあああっ」
こんなカッコ悪い王子様は初めて見た。
リミルは今自分がスーリス王国の第一王子ということは完全に忘れている。
第一王子ということは当然兄弟がいる。
それも尊敬されている弟が二人。
こんな世界一カッコ悪い兄を見たら弟二人はきっとリミルを嫌って距離を置いて二度と顔を合わせてくれないだろう。
でも。
「シレスを一番愛しているのは俺だ、俺だけだ。たとえ君に嫌われても、俺の愛は止まらない、動き続ける。どうだ、これで俺の愛が伝わったか?」
「・・・・・・」
もう何を言ってもリミルは私への愛を語るだけね。
こんなの私のせいにはされたくないわ。
こうなったのは全てリミルなんだから、リミルが自分で何とかするべきよ。
王女の私が一々他人に構っている暇はないのよ。
ため息も何も吐かずに、シレスは手を離して後ろに下がってもう一度夜空を見つめた時、あるものが目に焼き付いた。
「あ、あれは?」
真っ赤に燃える太陽がコンパクトになった小さな飾りが一瞬だけ現れて一瞬で消えたのをシレスは不思議に思ったが、同時にレーミアが大きく手を上げて呼びに来た。
「おーい、できたよ。早く食べよう」
「ええ、行きましょ」
「はい」
「・・・ああ」
リミルだけまだ何か言いたそうだけれど、シレスとラーランは何も気にせず、ゆっくり歩いてレーミアの元に行き、リミルも仕方ないように少しだけ機嫌悪く
「チッ」
と舌打ちをしてお城の中へ入って行ったのだった。
「シレス・リファン。彼女は危険だ」
「そうだね。シレスちゃんは死神であり人間だもんね」
「我々の元にいれば好きなだけ星の魔法を使ってやれるのに、人間という邪魔な生き物がいるせいでシレスは魔法を制限してしまっている。とても寂しい子だ」
ここはクムシュ国。
その中でもこの三人は一番優秀な魔法使いであり、人間を捨てた別な生き物。
クムシュ国に入った人間は必ずこの三人に殺される。
大魔法使いの三人に勝てる人間はこの世界ではまだ一人もいない。
だが、シレスだけは違うようだ。
「シレス・リファンを手に入れれば俺たちは死神よりもその上を行ける」
「でも、僕たちにできるかなー?」
「やってみなければ全て分からない。まあっ、我々の力を超えられる人間がいない限り、その心配は必要ない」
この三人。
「俺が一番強い」
グレーの髪に黒色の瞳を持つ彼の名前はオーオ・クラウレ。
大魔法使いの中でも一番優秀な生き物。
「でもー、僕もちゃんと頑張るからー」
紫色の髪に薄紫色の瞳を持つ彼の名前はラーリン。
「全く、我の魔法があればこんなのことにならずに済んだのに」
赤色の髪にピンクの瞳を持つ彼の名前はシュースミ。
彼らはシレスを狙う最強の大魔法使い。
クムシュ国のリーダーだ。
今は暇なので、カード遊びをしている。
星を当てれば一瞬で勝てるカードを持っているのは。
「ああ、おい、早く引け」
オーオがめちゃくちゃイライラして頭をかいているのを、次を引くシュースミは慎重に考えすぎてじっと固まってしまっている。
「んー、どうするべきか」
オーオは何も紙を一枚上げたりしていない。
むしろ、早く引いてほしくてシュースミの目の前に出しているのに・・・。
「んー、仕方ないこれを引こう」
やっと一枚引いて当たったのは一番弱いハートだった。
「なっ! オーオ、お前、なんてことを、くっ」
「は? お前が早く引かなかったのが悪いだろう?」
「まあまあ、落ち着いてよ」
今日も三人仲良く遊んでいたら
「大変です!」
と、執事が何かを恐れて冷や汗をかいている姿を見た三人。
「どうした?」
「何かあったの?」
「そんなに騒ぐな」
だが。
「シレス・リファンの行方が分からなくなりました!」
そう。
彼らはまだ知らなかった。
シレスがリファン王国から消えていることを・・・。
「そう来たか」
「じゃあ、そろそろ僕たちも」
「動いてあげようではないか」
ついにクムシュ国が自ら国を出て、死神でも人間でもあるシレスを手に入れる準備がここから始まった。