「あなたは最初から負けているんだから」
私は絶対に誰にも負けない。
負けるのはあなたよ。
カーリン・ハウレツ!
「はあああっ!」
炎が身体に燃え移ることなど全くにせず、シレスは空に飛び上がってお城の柱を蹴る。
同時に、空に向けて発動した青色の満月がシレスの背後に現れ、そこから月が青色に太陽になど負けないような眩しい輝きをカーリンの体にぶつけて、泡になって溶けていく。
「あ、あああああああああっ! な、何これ、どうなっているんだよ!」
痛みは与えずにただ身体が泡になって溶けていく。
「ブルームーン」とは本当に、初歩の初歩とは思えないほど最強の魔法だとカーリンは心の底から思い知った。
レスちゃんは月の魔法が使えないって思っていた。
でも、そうだよね。
もう六年経っているから当たり前に使えてしまうんだよね。
ウフッ、知らなかった。
レスちゃんは僕がいれば大丈夫だって思っていたけど、今は違うみたいだね。
まさか、ミア様と全然知らない王子様がレスちゃんを愛している、こんなの、僕は許さないよ!
「レスちゃんだけが幸せになるなんて、僕は絶対に君に嫌がられても死の世界に一緒に行く。何があっても、絶対にね!」
そう言って、カーリンはもう一度手の平から炎を出し、それを今度は矢の形にして、全てをシレスに向けて投げる。
が。
「ダークドール」
カーリンの先手を打ったのは。
「させないよ。リン、君がレスをどこに連れて行こうとしても、僕はそうはさせない。だって、君も知っているよね。魔法で僕に勝とうとした瞬間で、君はとっくに僕の攻撃を受けている」
その言葉を言われたカーリンはレーミアの恐怖と怪しげが重なり合った最恐の微笑みを見て言葉を失い、動揺して瞳が激しく揺れ動いて周りを見ずにただしゃがみ込んでしまった。
「・・・・・・」
そうだった。
僕は昔からミア様に勝ったことなんて一度もなかった。
勝たせてくれなかった。
それは今も同じみたいだ。
月の魔法を使えても、人形魔法を使えるミア様には誰も勝てない。
死神でさえも。
じゃあ、どうすればい
「あっ」
何かを思いついたカーリン。
同時にあることに気づいてしまった。
「ウフフッ」
「ん? 何がおかしいのかな?」
「ウフフッ」
「笑っていないで何か言ってみてよ」
「ウフッ、アハハハハハハハハハハ! ミア様、ダークドールを使いましたね」
「うん、使ったよ。それが何かな?」
不思議に首を傾げて何を言われているのか分からないレーミアの姿を見て、カーリンはとても嬉しそうに明るく陽気に微笑んだ。
「ダークドールは今僕が使った炎と相性がいいんですよ」
「え」
「相性がいいってことは、この炎とダークドールが一気にお城を飛び越えて街の方まで炎が燃え移る」
「はっ!」
そうだった!
先手を奪われたレーミア。
さすがにそこまで真面目に考えていなかった自分を憎んでしまう。
僕のダークドールは空から魔法を発動させて可愛いお姫様のドールちゃんたちを降ってそれを敵に当たせて火傷を負わせる。
これは僕にとって、一番の誤算だ。
どうしようか。
スノードールは傷を癒す魔法だからここで使うと逆効果で国全体に炎が燃え移ってリファン王国は一瞬で滅ぶ。
「はあっ」
やられたね。
アーレハ王国国王の僕の先手を奪うなんて、年下だって甘く見ていた僕が今は憎くてやる気が一気に心の底から湧いてきたよ!
いつもは軽く真面目ではなかったレーミアは瞳を大きく開いて明るく楽しく笑顔で攻撃魔法をどんどん仕掛けていく。
「可愛い可愛い空に祈り続ける最高のお姫様、僕にもその祈りを届けて。ピンクドール」
胸に手を当てて、誰も傷つけせない祈りを空に捧げる優しいピンク色のお姫様がレーミアの背後から一人から三人現れる。
「この可愛いお姫様たちはただの攻撃魔法だけど、ちょっと違うよ。目が合ったらお姫様たちが敵の君の身体の隅々に入り込んでお気に入りのカラフルなキャンディーの種を蒔いて息を止める」
レーミアが説明した「ピンクドール」の魔法は実際に体験しないと全く分からない複雑なもの。
当然カーリンは理解できずに首を傾げた。
「は?」
ミア様、一体何を言っているの?
人形魔法は説明を聞いても全く分からないものが多いけど、特にピンクドールっていう攻撃魔法は初めて聞いたから全然分からないよ。
でも。
「ウフッ。ミア様、そんな意味の分からない魔法を言っても僕は絶対にその攻撃は受けませんよ。同じ人間でも、一度死んで蘇った僕には負けない、負けるはずがな、ああっ!」
本気で勝つことを宣言しようとしたカーリンはピンクドールと一瞬目が合ってしまい、いつのまにか身体の中に入られてしまった!
「か、はああっ」
カーリンの身体の中に入ったピンクドールはレーミアの言うとおり、お気に入りのキャンディーの種を蒔いて全て置き終わったら身体の外に出てこう言った。
「おいしかった」
と言うと、カーリンの身体の中から何千個もののカラフルで可愛いキャンディーが口の中から飛び出し、同時に倒れた。
それを見たレーミアは。
「アッハハ! さすがだね、ピンクドール。可愛いだけじゃない、強くて頼りになって、それから・・・うーん、まあ、それくらいかな。分からないけど」
自らの「ピンクドール」のすごさに笑いが止まらないレーミア。
だが。
「ウフフッ、ま、だ、だよ」
「ん?」
倒れたはずのカーリンが泡となって溶けていく限界まで近づいても立ち上がって、怪しげに笑ってこう言った。
「もうすでに、この王国は滅んでいる」
この言葉を最後に、カーリン・ハウレツは死神から人間として蘇ったものの、シレスの「ブルームーン」、レーミアの「ピンクドール」の魔法によってこの世界から完全に消滅したのだった。
そして、この言葉の意味がどういうものなのかを知るのは、一瞬で分かってしまった。
「はっ! 嘘、よね?」
「信じられない」
「もう、遅かったんだね」
カーリンの最後の言葉でシレスとリミル、レーミアの三人が急いで走ってお城の入り口である門をレーミアが魔法で破壊したら、そこはもう炎で街などとっくに燃えて誰一人も生きているとは思えないほど、焼き尽くされている!
「くっ、カーリン・ハウレツ。よくもやってくれたわね、最後の最後でここで力を使うなんて、本当にあの子はひどいわ」
六年ぶりに再会してまた親友として仲良くなりかったカーリンを他人扱いして今になって後悔? 恨みが心の底から湧き上がって唇を強く噛むシレス。
一方、リミルとレーミアは。
「どういうことだ? 街が、誰もいない・・・」
「もしかして逃げたのかな? それだったらいいんだけど・・・」
誰も街の人間が一人もいないことに心配して恐怖で身体が震えて瞳も大きく揺らいでいる。
それでも。
「リミル君、二人でどうにか生きている人間を探そう」
燃え上がる炎などなるべく気にしないようにリミルの手を握ったレーミア。
すると。
「ハハッ、俺も同じことを言おうと思っていました。分かりました、二人で探しましょう。絶対に!」
息の合ったコンビの誕生と言うのか?
レーミアとリミルはシレスを奪い合うライバルの関係なのに、今はシレスのことよりも、できる限り助かる命があることを信じてお互いカッコよく頷いて走り出す。
「暑くても逃げないでよね」
「そっちこそ、逃げたら許しませんから」
王と王子。
格が全く違うけれど、同じ一人の人間であることは変わらない。
誰かを守りたい気持ち、愛したい気持ち。
この二つが一緒なら、誰だって仲良くなれる。
そう信じて。
レーミアとリミルが誰かを助けに行っているが、シレスは何もしようとしない。
する気がないまま周りを見渡してばかりだ。
「・・・・・・」
リミルとミアは行ってしまったのね。
仕方ないわ。
あの二人は王子と国王。
それなりのプライドがあるから助けを待つ人間たちの元に行くのは当然よね。
「はあっ、人間は本当に面倒な生き物ね。でも、そこがいいところ。私が死神でも人間でも関係ない、シレス・リファンという者を愛してくれる二人を信じて、ここで待ちましょ」
まあ、期待はしないわ。
生きて私のところに戻るのか、それとも・・・。
リミルとレーミアの帰りをずっと待っている方がいいのか、自分も一緒に助けに行くべきだったのか。
それは今のシレスには、この先もシレスは分からないだろう。
人間と死神。
二つの心とプライドがある限り、人間の考えていることなど全く興味なんてないのだから。
でも、身体は素直に寂しいのか、涙が溢れてくる。
「え、何よ、これは? なんで、泣いているのよ、私は別にリミルとミアのことなんて気にしない、気にしてどうするのよ?」
人間の心の温かさ、冷たさ。
もっとそれ以上の感情を知ったらきっとシレスは自分の恋する気持ち、感情に気づいてしまうかもしれないl。
誰を好きになっても、きっとシレスは最後までその者を愛せるはずだ。
カーリンとは違う好きな気持ち。
理由がどんなものでも、受け入れ方は人それぞれ。
人間も死神も、誰かを愛している。
それが恋である限り、誰もが愛おしく思えるだろう。
シレスもいつかそれを知れる日を祈って。


「はああっ」
リミルとレーミアが助けに行ってからいつのまにか空が夜空に変わり、さすがのシレスは待ちきれずにどこかへ歩き出した。
その態度と行動にシレスは腹を立てて怪しげに美しく笑っている? のか、怒っているのか曖昧な表情だ。
この私を夜になるまで待たせるなんて、いい度胸じゃない。
もし帰ってきて絶対に話しかけられても無視するわ。
私は人間で言えば王女よ。
王女の私をこんなに待たせても帰って来ない。
「まさか、何か罠を仕掛けていないわよね? 助けに行ったと私に思わせて実は振りで私が来るのを待っている・・・あり得るわね。
私を奪い合う仲だから、それは当然一つの考えに入る。いいじゃない、そっちがその気なら私も何か罠を仕掛けて立ち向かってあげるわ」
フフッ、覚悟しておきなさい。
私は「月」の魔法を使えるのよ。
他の魔法なんて一瞬で遮って見せるわ。
「フフフフッ! さあ、いつでも来なさい。王女の私にかかって来れるならね」
全くの大勘違いをしているシレス。
その勘違いが壊れるのがいつになるのか・・・。
歩いて歩いて、シレスの瞳が何かを捉えた。
「え」
それは。
「あああああああああああああああああああっ! 助けて、助けて。誰か助けて!」
身体中が炎で焼き尽くされて痛みに耐えきれずに叫ぶ少年。
シレスは一瞬何が起きているのか状況整理が遅れたものの、すぐに少年の元に走って瞳を大きく震わせて質問をする。
「どこが痛いの?」
「は、ああっ、全部、全部痛い。た、助けて」
六年前のあの時と同じ。
カーリンの誕生日のお祝いに用意したケーキが爆発し、その半分がカーリンの身体を焼き尽くしたのが、今ここで全く同じ状況にまるで過去に戻ったかのように完璧に再現されている。
その光景に、シレスは。
ここでこの少年を助けたとして、傷が全て治るのは無理よ。
今はリミルとミアがいない。
私は攻撃魔法しか使えない。
そうよ。
私は誰も助けられない。
諦めて、見なかったことにし
「お願い、助けて。俺、まだ生きたい。生きて幸せになりたい。だから、かあっ、はあ」
真っ黒に焦げた顔でも、大粒の涙ははっきりと見えて本気で生きたいという気持ちがシレスにもよく伝わって。
それから。
「お願い、助けてくれたら何でもするから、俺にできることならどんなことでもやるから・・・助けて」
今目の前にいるのは本気で生きたいという意志の強い少年。
しかし。
「くっ」
人間というのは不思議なものね。
こんな限界の状態でもまだ生きることを諦めない。
いや、諦めるのが怖いのね。
「助けてくれたら何でもする」
フフッ。
私が絶対に助けると勘違いしているようね。
けれど、私はそんなに甘くはな
「かあ、は、かは、はっ、早く、お願い、だから。置いて行かないで」
「はっ」
少年が言った
「置いて行かないで」
という寂しい言葉。
それはカーリンも最後に全く同じ言葉を言っていた。
シレスを親友として大切にして、きっと助けてくれることを待っていた。
だが、シレスは逃げた。
今も逃げるか迷い始めている、のか?
「はあっ」
そうね。
誰も置いて行かれたくはないわよね。
その気持ちは私にも微かにある。
だから。
「分かったわよ。あなたを助けてあげる」
「ほ、本当?」
「ええ、私はあなただけを助ける。それでいいでしょ」
「・・・うん。あなたがそう言うなら、文句は言わない」
「フフッ、賢い子ね。言っておくけれど、私は治癒魔法が使えな」
「あっ、俺は使える」
「はあ?」
全く予想外の言葉を言った少年。
シレスは腹が立って腹が立って。
唇を噛んで少年を睨んだ。
「あなた、最初からそれを言いなさい。というか、治癒魔法が使えるなら自分で治しなさい。もういいわ、私はここから離れる。好きにしなさい」
そう言って、シレスが立ち去ろうとした瞬間、突然少年がこう言い出した。
「じゃあ、俺のお嫁さんになってくれたら俺を助けたことにしていい」
全く自分の都合良くシレスの可愛らしさにいつのまにか惚れてしまっていた少年。
だが。
「何を言っているのかしら? 私には私を愛してくれる人間が二人いる。これ以上増えたら困るわ」
「えー、別にいいじゃん。俺だって、あなたを心の底から好きになれる自信あるんだし、そんなきつい言い方しないでよー」
「くっ、うるさいわね。言っておくわ、私はこの王国の王女よ。庶民のあなたを好きになれるはずがないでしょ」
「えー、そんなの付き合ってみないと分からないじゃん。ほら、早く俺を助けて一緒にデートしよう」
炎で燃えている右手を出してシレスが握るのを待つ少年。
その顔はギリ笑っているようでギリニヤニヤと遊んでいるような怪しそうに見える。
当然、シレスは。
「私はあなたみたいな軽い人間とは付き合わない、関わらない。それだけよ」
国王のミアと王子のリミルのような格が高い人間以外を愛したくはない。
それも庶民なんて、私は絶対に関わらない。
関わってしまったらどうなるか分からないじゃない。
自分の安全のために、シレスは今度は走ってその場から立ち去った? はずが。
「ねえねえ、軽くなかったら俺と付き合ってくれる? ねえ、どう、どう?」
いつのまにか治癒魔法を使って傷などどこにも見当たらないほどに綺麗に治した少年。
薄紫色の肩までクルクルと曲がった細い髪に、紫色の怪しい瞳。
真っ白なシャツに黒のズボン、靴は履かずに裸足で少し泥がついている。
怪しいと言っても、顔は王子様級にイケメンで、話さなければモテているだろうに。
「ねえ、何か言ってよー。言ってくれないと寂しいー」
「くっ、しつこいわね」
「え」
「あなた、今までもそうやって恋人を作っていたのかしら。もしそうなら、私はあなたを嫌う。嫌って当然の人間よ」
はっきりと「嫌う」と言ったシレス。
あの涙は何だったのか。
王女のシレスに一瞬で惚れてこうなったのか。
理由は分からない。
いや、シレスは絶対に分かりたくないだろう。
こんな軽い男、私は絶対に好きにならない。
好きになる方がおかしいわよ。
「はあっ」
「ため息はあんまり吐かない方がいい。幸せなんて一瞬で消えて砂になる。あなたにはそんなことさせたくない、させたら俺がそいつを殺す。だからさー、俺を好きになって。なったらきっと幸せになる。俺がほ保証する。何があっても、俺は君を手放さない」
真剣な眼差しか、それとも微笑んでいるのか。
口調はとても軽いのに、内容はとても石のように全く重く、動くことすらもできない。
初めて出会ったはずなのに、シレスのことを一番分かっているように慰めているのか、そうでないのか。
真相なんて知ることすらもないだろう。
知ったらきっと、シレスはこの男を好きになってしまうかもしれないから。
走り続けて体力が一気になくなったシレスは立ち止まって呼吸を精一杯繰り返す。
「は、はあ、は、はああっ、あ」
さすがに疲れたわね。
ドレスだと走りにくい、邪魔にになる。
全く考えていなかったわ。
でも。
「あなた、名前はなんて言うのかしら?」
「えっ」
「名前よ、名前。当然あるでしょ?」
「あっと」
「何よ、隠す必要はないでしょ。早く言いなさい」
偉そうに腕を組んでじっとシレスから見られている少年は目を逸らして何かを悩む。
んー、どうしよう。
適当に言ったら怒られるかもしれないし、なかったらなかったで怒られる。
めっちゃ難しいな、これ。
ただ自分の名前を言えばいいだけなのに、少年はなぜか冷や汗をかき始めて動揺する。
が。
「何を迷っているのよ? あなたにはあなたの名前があるんだから、正直に言いなさい。別にそれで怒ったりしないんだから」
最後の「怒ったりしない」という一言でちょっとだけ楽しそうに微笑んだシレス。
その姿を見た少年も同じように笑って。
「俺はラーラン。見てのとおり、庶民。よろしく」
満面の笑みで王女のシレスに握手を求めたラーラン。
その名前を知ったシレスは、どこか嬉しそうで。
「フフッ。何よ、ピッタリな名前がちゃんとあるじゃない」
美しく微笑んでラーランと握手を交わしたシレス。
これで二人の仲が良くな
「何をしているんだ?」
「レスに勝手に触れるなんて、一体何を考えているのかな?」
怒りと腹立ちで表情が怖すぎて目を離すことを絶対に許さないような険しい姿は当然リミルとレーミアだった。
「リミル、ミア。どこに行っていたのよ?」
首を傾げて二人を睨むシレス。
すると。
「えー、何々? この人たち、誰? 君の知り合い?」
この状況でもラーランは楽しそうに笑ってシレスの手を全く離そうとしない。
だが。
「君こそ誰だよ? 僕の大切なレスと二人きりなんて、そんなの許されると思っているのかな?」
第二のライバルが登場したことに心の底から腹を立ててラーランの腕を強く掴んで恐怖と苦しみを心の中までにも与えるような笑みを見せるレーミア。
そして、次に。
「俺の大切な妻に手を出したこと、一生許さない。早くその汚い手を離せ。離さないとどうなるか分かっているよな?」
まだ妻になっていないのに、勝手に夫として愛するシレスを守ろうとするリミル。
その表情はとても険しく、本気でシレスを譲らない、譲ってたまるか。
何とも言えない曖昧で綺麗な青色の瞳が血のように真っ赤に染まっていくような感じがするのはラーランはよく分かっているのか?
「ヘヘッ、そう。そうなんだ。なーんだ、早くそう言ってくれたら俺は遠慮したのに・・・なんだ、そうだったのか。ヘヘッ、面白い。君たちがそう言うなら、俺も遠慮なくこの子を奪おう」
そう言って、ラーランは第二のライバルとか関係なしに、握っているシレスの手を一旦離して、その次の瞬間だった。
抱きしめて、顔をそっと近づけて、そのままキスをした!
「え」
今、何をされているの?
私の唇が、ラーランの唇と重なった?
これはつまり、「キス」ということなのかしら!
全く予想外のファーストキス。
シレスはそう知った時、顔が真っ赤に染まって恥ずかしさが一気に増してすぐにラーランから離れて力が抜けてしゃがんだ。
「はああああああああっ」
何よ、これは。
別に私は悪くないわ。
一番悪いのはラーランよ。
・・・でも、なぜか嫌じゃなかった。
ただ驚いただけで嫌にはならなかった。
どういうこと?
ファーストキスはこんなにも簡単で、嫌にならない。
これが恋なの?
ラーランとのキスはシレスには不思議と嫌じゃなかったらしい。
いや、そのキスがどういう意味なのかを全く理解していない。
状況を全く見ていない。
シレスが嫌じゃなくても、それを見てしまったリミルとレーミアは。
「君、やってくれたね。よくも、僕の大切な宝物を汚してくれたね」
「夫の俺でさえも一度もシレスとそういうことはしていないのに、はあ、どうしてだろうな、こんなに誰かを恨むなんてな」
突然現れた第二のライバルが自分たちは一度もしたことがなかった「キス」を目の前でされて怒らない人間は当然誰一人存在しない。
それこそ、存在してたまるものか。
「チッ」
やられた。
隙を与えてしまった。
なぜだ?
俺が一番この世界でシレスを愛しているのに、なぜ俺はいつも他の人間にシレスを取られるんだ?
本当に俺は弱い、弱すぎる男だ。
何が悪かった?
何をすればシレスは俺を見てくれる?
分からない。
分からないのも腹が立つ。
自分の弱さに心の底から憎しみを抱くリミル。
その考えは決して悪くない、悪いところなど全く見当たるはずもない。
本気でガチでシレスを愛し愛されることを毎日願っているのに、リミルはいつも誰かにシレスを取られてばかりいる。
シレスを愛しているならもうちょっと攻めてもいいのに、リミルはシレスのためを思って何もしていない。
することを恐れている。
嫌われたくない、離れたくない。
それ以上に暗い感情が心の中でグルグルとは歯車のように回って気持ちが悪くなって立ち止まる。
それの繰り返しで今目の前で他の男にシレスの唇を奪われた。
これは当然リミルの怒りは収まらない。
怒りの感情が芽生えないことだっておかしい。
こんなに純粋でシレスをもう勝手に「妻」と言って、ラーランに立ち向かう。
「はっ」
シレスを愛している、愛されたくて心がおかしくなる。
俺の思いをシレスに伝えればシレスはほんの少しでも俺を好きに、愛してくれるのだろうか?
もしそうなら、俺が今すべきことは。
何も遠慮などせず、リミルは思い切ってシレスを堂々と抱きしめて頭を撫でてみる。
「シレス、大丈夫だ。俺がいる、君を一人になど絶対にしない。だから、その・・・えっと」
最初の一言は上手く言えたのに、その後が段々と弱気になってシレスと目を合わせられずに時間が流れ
「はあっ、リミル君。他に言うことがないなら早くレスを離してくれるかな? 僕だって、レスに言いたことはたくさんあるんだからね」
そう言うと、レーミアはグイッとシレスの腕を少し力を込めて抱きしめた。
「レス、大丈夫だよ。お前の唇の汚れを今取ってあげるから、少しじっとしててね」
優しく明るい笑顔で、レーミアはそっと怖がらせないようにゆっくり顔を近づけてシレスの唇に右手の人差し指を当ててシュッと横にたどって
「うん、取れた」
と、ラーランの唇の痕を全く見えないのに完全に拭き取ったようで安心したレーミア。
だが。
「ミア、離して」
冷たくどこか悲しそうに暗く落ち込んだ様子のシレス。
その理由は。
「私、別に嫌じゃなかったわ」
はっきりとそう言い切ったシレスに、リミルとレーミアはお互い顔を見合わせて首を傾げた。
「ねえ、リミル君、これってどうなっているのかな?」
「分かりません。ですが、シレスが何かに惑わされているのは確かです。俺たちがどうにかしないと、あの男にシレスを奪われてしまいます」
「分かっているよ。分かっているから、何でもいいから案を出してみてよ」
「えっ! てっきりレーミア王がもう何か提案があると期待していたのですが、違ったのですね」
「うるさいね。僕はアーレハ王国の国王だけど、ここはリファン王国だ、ううん、それは今は関係ないよ。国なんて、あってもなくても同じだよ」
「国王のあなたがそれを言ったら色々とまずいと思いますが・・・」
「もう、僕の心配をするくらいなら、早く何かを思いついてよ。僕は何も考えない、考えても無駄なことしか頭にないからね」
「はあ、分かりました。レーミア王の頼みなら、王子として、精一杯考えます。その代わり、最初に動くのは俺です。それは忘れないでください」
「はいはい。任せたよ」
こっそり仲良く二人でどうするか話し合うリミルとレーミア。
本当にライバルなのかと疑うくらいに仲良しに見えてしまうのは誰だって同じなはず。
シレスを奪い合う仲とは言っても、お互いを信頼して頼って怒って。
結局は息が合う。
最強のコンビと言えるだろう。
しかし。
「くっ」
何を話しているのかしら?
確かに私はラーランとのキスは嫌じゃなかったわ。
嫌じゃなかっただけよ。
ラーランはとても軽い男で、きっと私以外の人間とキスをしたことは絶対にあるはずよ。
そうでないと、あんなに何も迷うことなく他人にキスなんて絶対にできないわよ。
でも、嬉しいとは思わなかったわ。
さっきリミルがまだ結婚をしていないのに私を「妻」と言って私を何とかしてラーランから距離を離そうとした。
素直に考えると、腹が立ったのは本当ね。
その事実も何もないのに他人の私を勝手に家族みたいな呼び方をして腹を立てない方がおかしいわ。
まあ、今はそんなことよりも、あの二人が何を考えているのか。
私もちゃんと真面目に考えましょ。
「私はあなたたちのオモチャじゃないんだから」
シレスはリミルとレーミアが何を考えているのか怪しく美しく笑って考察して。
リミルとレーミアはシレスの
「嫌じゃなかった」
という言葉の意味を何回かお互いの意見を出し合って考察して。
それを見ていたラーランは。
「フウー」
なーんか、退屈。
王女様にキスをしたのは何となくあの二人の男にケンカを売るためで、別に三人の仲を壊すことなんて全く考えてない。
むしろ、気まずくてウケてる。
シレスにキスをしたことは大きな罰が与えられるだろう。
王女のシレスは結婚相手以外とはそういう愛情表現はどの国でも関係なしに許されていない。
許すはずがない。
それが王族と庶民の価値観の違い。
ラーランはそのことを知らないからシレスにキスをした。
した限り、もう後悔しても遅い。
遅くて当然だ。
けれど、シレスは全く傷ついてない。
いや、傷つかせることは考えていなかった? みたいな平然と口笛を吹いて余裕で鼻で笑っているラーラン。
この姿を見たら三人の怒りは全てラーランにぶつけられるのに、三人共お互いが何を考えているのか精一杯考察してそれどころではなかった。
だが。
「ねえ、王女様、今からデートしない?」
「・・・・・・」
「俺、おいしいお店たくさん知っているから一緒に食べに行こう」
「・・・・・・」
「ねえ、聞いてる? なんか言って、ねえ」
「うるさいわね! 今大事なところだから静かにしなさい」
今はデートなんて考えている場合じゃないのよ。
あの二人はもう私のことなんてどうでもいいみたいね。
さっきも今も私を置いて自分たちだけで行動して戻ってきたと思ったら二人でこっそり何かを話し合って・・・それから。
「あっ」
何かを思いついたシレス。
それは。
「フフッ、分かったわ。ラーラン、いいわ、今度デートしましょ」
「え!」
「はっ!」
「んー」
突然のデートの約束を提案したシレス。
その目的は。
「せっかくキスをしたんだから、あなたも私とデートがしたいんでしょ?」
可愛らしく微笑んで首を傾げるシレスに、ラーランは満面の笑みで喜んで頷き、優しく丁寧に肩に触れた。
「うんうん、どこに行く?」
「あなたのオススメの場所でいいわよ」
「んー、じゃあ、アーレハ王国でもいい?」
「はあ? 何を言って」
「だってもうリファン王国は消滅したんだし、他の国でデートする方がめっちゃいいと思うけど」
そう言われて周りを見渡すと、家もお店も海も炎で赤く染まって元に戻すことは完全に不可能になっていた!
「はっ」
・・・そうね。
ラーランの言うとおりだわ。
リファン王国にいても死を待つだけ。
生きることなんて諦めさせられてしまうほどの道が閉ざされていく。
まあ、今はそんなことよりも作戦の細かい内容を考えましょ。
私がラーランとデートをすればきっとリミルとミアは嫉妬して私のそばから離れない、離れたら一生後悔するでしょ。
だから、あえて嫉妬させて落ち込ませる。
最低なことだけれど、現実的には最高よ。
夫にするリミル、兄のようなレーミア。
二人がシレスを奪い合うライバルな限り、シレスはそこの紐をシュッと針から抜き取るみたいに一度距離を置いてどうするのか。
それを試すために、シレスはラーランとのデートを提案し、それを実行する。
シレスにとっては簡単だと思っていても、ラーランはどうなのか。
「ヘヘッ」
王女様との初デート。
なんか面白そうで楽しそう。
えー、アーレハ王国はおいしい食べ物がいっぱいあるから迷っちゃう。
でも、せっかく王女様とデートするんだから、何か特別なことがしたい。
何がいい?
初デートに夢中でラーランは瞳をキラキラと太陽の日差しみたいに輝きと温かさを感じさせてシレスの手を軽く優しく握ってニッコリ笑った。
「ヘヘッ、あなたの望むことなら俺はなんだってする。それも命を捨てでも」
最後の一言で一瞬ラーランの表情が曇ったが、すぐに笑顔になって見せる。
が。
「君、レスとデートするなんてそんなこと、僕は絶対に止める、二度と近づかせない」
「そうですよ。俺の妻は俺だけのもの。それを勝手にデートに誘ってしようとすることは恨むだけでは済まされませんよ」
ラーランが自由に勝手にシレスに触れていることがもう腹が立って腹が立って仕方がない、ではない。
だったら自分たちもシレスをデートに誘えばいいのに、なぜそれをしない?
ラーランだけを責めてシレスは何も悪くないと思い込むリミルとレーミア。
何も遠慮しなくていいのに、もっと攻めてもいいのに。
実行しないまま時間が流れる・・・それでいいのだろうか。
せっかくシレスを愛しているならその愛を伝えるために積極的に行動し、いつか愛されることを実現すればいい話なのに、二人はなぜかそうしない。
そういう勇気がないとでも言うのか?
分からないですね。
人間の考えていることなど、死神の私が分かるはずもありません。
分かっていたら直接言いに行きますよ。
シレスも死神だから私の気持ちはきっと分かるはずです、分かっていて当然です。
しかし。
「リミル、ミア。言いたいことがあるなら私に言いなさい。それとも私に怒られることが怖いから言えないだけなのかしら? もしそうなら私は二度とあなたたちには関わらないわ」
「え・・・」
「レス・・・うん」
そうだよね。
ここで弱気になるなんて僕らしくない。
僕は国王だよ。
国王なら弱気でいられたら国民から頼られていない。頼る必要なんてないからね。
レスをこの世界で一番愛しているのは僕、レーミア・アーレハだよ。
国王としてじゃなくて、一人の人間として君を最後まで愛する。
だから。
深呼吸を二回し、覚悟を決めて真剣な眼差しで自分の思いをシレスに伝える。
「レス、僕はお前だけを愛している。他の男なんて放っておいて僕だけを見てほしいんだよ。じゃないと、僕はどうすることもできない」
勇気を胸に抱いて思っていることを全てではないけれど、できる限りは伝えたレーミア。
対して、シレスは。
「・・・ミアは私を何だと思っているのかしら?」
同じく真剣な眼差しでそう質問したシレス。
その意味は。
「私を愛しているのはよく分かったわ、でも、さっきあなたたちは私を置いて全く知らない生きているかも分からない人間を助けに行ったわよね。それも走って、私から逃げるみたいに」
自分を置いて他人を助けに行ったこと、シレスはまだ怒っている。
「私は死神でも人間でもあるから別にそんなことはどうでも良かった。私を愛しているならどうして私を置いて行ったのよ! 本気で私を愛しているなら私のそばにいたはずよ。それなのに、あなたたちは私を捨てて一人にした。こんなことをされて喜ぶ者は存在しないわ。してもらったら私がバカみたいじゃない」
「・・・・・・」
「何か言ってみなさいよ。言わないと分からないでしょ」
「・・・・・・」
「はあっ、その程度の愛なら私はミア、あなたのことは忘れる」
「えっ・・・そんな、僕は!」
「もう何も聞きたくないわ。やっぱり私には無理なのよ、恋なんて。そんな子供みたいな夢、考えた私がバカだっ」
「それは違う!」
はっきりとシレスの自分に対しての絶望を否定したリミル。
その理由は。
「君は絶対にバカじゃない。あの時は王女の君が安心するだろうと思って行動しただけだ」
「はあ? 私が安心する?」
「ああ。俺とレーミア王が助けに行ったのはこの国の王女の君が国民の痛みを少しだけでも負担にさせないように、君のために行ったのだ。君を置いて行ったつもりはない。絶対に」
王女としてのシレスのために精一杯行動したつもりのリミルの必死な顔と真剣な言葉にシレスは。
リミルは私が王女として上に立つ人間としての地位のために動いていた。
私のために、カーリン・ハウレツの魔法など恐れずに自ら立ち向かって行動した。
そう考えると、私の怒りは間違っているじゃない。
なんで早く気づかなかったのよ。
私、めちゃくちゃ最低な人間になる、いや、もうなっているから関係ないわね。
「はあっ」
自分の機嫌を一番良くできるのは自分だけだ。
他人にばかり頼って良くしてもらうなんて考えは持ってはいけないだろう。
全部他人に投げ捨てて自分は安全な場所で楽をする。
今までのシレスはそうだった。
わがままで意地悪で最低・・・。
こんな王女がいるせいでカークは王として、父親としてとても苦労していた。
娘が何年経ってもわがままを言い続けて他人を困らせる。
そして自分も困って呆れて怒って。
でも、今は、これからは絶対にその全てを変える必要がある。
性格なんて変えようと思えれば誰だって変えられる。
「本気」があればの話だが。
「私・・・」
ミアに本音をぶつけてミアを傷つけた。
私、こんなことをし続けたらいつかきっとミアに殺されてもおかしくないわ。
ミアは国王。
いつでもどんなことがあっても、国王として常には分からないけれど、国民を優先して嫌でも面倒でも仕事を完璧にこなす。
私とは全く正反対。
でも、ミアは空いた時間ができたらすぐに私に会いに来て、一緒に遊んだ。
小さい頃からずっと一緒でカーリン・ハウレツと同じくらいに私に優しくしてくれた。
私が泣いたら優しく声をかけて慰めてくれた。
私が喜んだらミアも喜んで一緒に笑ってくれた。
私が寂しい時はそばにいて抱きしめてくれた。
そうよ。
ミアはいつも優しくて、私はミアのその優しさに惹かれていた。
そんなミアを私が傷つけた!
早く謝らないと。
一秒でも早くミアと仲直りをするためにシレスが恐る恐る手を握ったら
「どうして」
と、声が震えて不安そうに暗く沈んだ顔をするレーミアがいた。
その姿に、シレスは。
「ミア、ごめんなさい、さっき私が言ったことは気しないで。あなたは悪くな」
「ううん、お前は悪くない。悪いのは僕」
「え、何を言って、いるのよ?」
まさか!
あることに気づいてしまったシレス。
正体は。
「ミア、私はもう二度とあなたのせいにはしない。私の言葉に乗る必要はないのよ」
「・・・どうして」
「ミア! しっかりしなさい!」
レーミアの意識を取り戻すためにシレスが肩を掴んでブラブラと揺らしても、レーミアはまだ落ち込んでいてどうしようもなくなってきた。
「はあ、ミア」
もう私を子供扱いする必要なんてないのに、ミアはまだ私が十歳くらいの頃みたいな本当に兄のように優しくしてくれた。
けれど、今はもう、これから私は大人になる。
だから、もういいのよ。
「あなたはあなたのために生きなさい」
可愛らしく心からの本音でそ小さく呟いたら
「レス」
と、ゆっくり顔を上げたレーミアが嬉しくて心の底から喜んで抱きしめた。
「レス、お前の気持ち、よく分かったよ。だけど、僕はお前が一番大切だから、今もこれからも変わらずお前のため、お前と一緒に生きていきたい。それだけは絶対に何があっても変わらないよ」
満面の笑みでそう強い意志を語ったレーミア。
シレスは一瞬ドキッと胸が苦しくなったが、なぜそうなったのかはまだ分かっていない。
分かる日は来るのだろうか?
命があってもなくても。
リミルとレーミアはシレスを本気でガチで愛し続ける。
それは絶対に変わることはない。
「フフッ、あなたたちは本当に私を一番大切にしてくれる。嬉しいけれど、私にはまだ何が恋なのか分からないわ。それでも、いつか私は誰かを好きになりたい。だから、その答えを待っててほしい」
シレスも本気でガチで真剣にそう強く自分の気持ちを語ったら当然リミルとレーミアはお互い頷き合って。
「ああ、待っている」
「お前が本気で好きになった相手と幸せになればいいよ。だから、それまでは」
スッと息を軽く吸って、リミルとレーミアは全く同じ言葉を同時にこう言った。
「何があっても譲らない」



それからラーランを含めた四人はまだ炎が燃えている中を何度も通って歩いて誰にも会わないまま夜が明けてしまった。
「あっ」
とうとう朝になってしまったわね。
カーリン・ハウレツが魔法を発動させていなかったら今頃私は何をしていたのかしら?
きっと「パープルムーン」の練習と「ブルームーン」を磨く練習、まあ、その他にも何か「月」の魔法を調べていたはずだわ。
でも、もうそれはできない。
魔法書は私の手元にない、とっくに燃えて消えている。
一年が終わるのはあと二ヶ月。
今は十月で日が昇った時間は暑くて夜と朝は少し寒い季節。
「はあっ」
これから、どうすればいいの?
どこを目指して歩けばいいのよ?
お気に入りのドレスはもうボロボロで真っ黒に焦げて髪もボサボサ。
最悪よ。
王女の私がお城の外を歩くなんて、こんなこと久しぶりだわ。
しかも誰もいないなんて・・・。
周りを見ても炎だけが次第に青空へと変わる空の下で熱く燃えているだけ。
他は特に何もなし。
そして、シレスは昨日の朝から何も食べて、水も飲んでいない。
お腹はずっと空腹だが、感情が激しく揺れ動いていたのが良かったのか、食欲を感じることは一度もなかった。
「はあ」
それよりも横になって眠りたいわ。
食欲よりも睡眠を取りたいシレス。
けれど、こんな暑い中で眠れるはずがない、あったら一瞬で体が燃えてしまう危険な状況。
さすがに王女のシレスもここで眠るなんて無理があるだろう。
いや、誰だって無理がある。
炎がモフモフの毛布だったらとても快適だったら良かったのに・・・と、シレスは少しだけ今の状況ではあり得ない幻を見ているかのようなニヤッと笑っている。
その様子にレーミアがすぐに気がつき、横に抱えた。
「レス、眠いよね。僕がこうしているから、安心して眠っていいよ」
十一年一緒に過ごしたレーミアは当然のようにシレスの考えていることはほとんど理解していて行動も早い。
先に越されたリミルは当然悔しそうに唇を噛んでいる。
「チッ」
やはりレーミア王はシレスのことを俺よりも理解している。
なんて早さなんだ?
俺には真似できない。
シレスとは出会ってそんなに経っていないから、何十年も一緒の時間を過ごしたレーミア王が先に行動するのはもう日常になっているんだな。
「ハハッ、すごい」
苦笑いを浮かべてレーミアに対してのライバル心が一気に今燃えている炎よりもさらに熱が上がっていくリミル。
その炎がいつまで燃え上がるのか。
誕生日ケーキの上に飾られているロウソクの火を一瞬で吹き飛ばすみたいに一瞬で水を被って消えてしまうのか。
それは全て当然リミル本人次第。
今の心がいつのまにか風のようにシュッと通り過ぎても別におかしくはない。
人間の心は気分によってすぐに感情も気持ちもすぐに別の場所へ移動する。
それが人生、それが命。
人間とは気分だけで全てを変えようとする一つ間違えれば危険な生き物へと変化するかもしれない。
形も色も人それぞれ。
死神もきっと同じだ。
心が全く同じ生き物はどこにも存在しない。
していたら世界が思わぬ方向へと移り変わってしまうかもしれない。
それでも。
「レーミア王、代わってください」
ライバルのレーミアに負けずにリミルはいつのまにか眠っているシレスの肩を起こさないように静かに撫でた。
が。
「リミル君、何のつもりなのかな? レスは今眠っているるんだよ、起こさないでよ」
「別に起こしはしませんよ。ただ代わってほしいだけです」
「は? だから、今僕が手を離したらレスは起きてしまうんだよ。いいから、そのまま前を向いて歩いててよ」
「嫌です。俺はシレスの夫です。妻のシレスを抱くのは俺だけで十分です」
「・・・まだ結婚していないのに、勝手に自分を夫扱いするのはやめてよ」
リミルの勝手な言葉にレーミアは腹を立て一瞬睨んだが、すぐに目を逸らしてあることを思いついた。
「そうだ。みんなでアーレハ王国に行こうよ」
「え」
「んー」
突然自分の国に行こうと決めたレーミア。
その理由は。
「知らないかもしれないけど、リファン王国とアーレハ王国は結構近いんだよ。魔法を使えば一瞬で着く」
何を言っているのかよく理解できないリミルが不思議に首を傾げてあることを質問してみる。
「どの魔法を使うのですか?」
「アッハ」
その質問を待っていたかのように、レーミアは嬉しそうに瞳をキラキラと輝かせてこう答えた。
「僕の人形魔法、スカイドールがあるからそれを使うよ。悪くないよ」
自信満々に新たな人形魔法「スカイドール」を口にしたレーミア。
しかし。
「スカイドールは結構難しいんだよね」
「えっ」
「ん?」
あれだけ自信満々に自分で言っておいて実はできないのかと、リミルとラーランは顔が青白くなるほど恐れて不安になってきた。
「レーミア王、その魔法は使えますよね?」
「ま、まあ、成功したことはたった一回だけだから大丈夫? だとは思うよ。アハハッ」
最後の苦笑いでリミルとラーランは二人して同じことを思った。
「これは絶対に成功できないやつだ」
たった一回しか成功できていない魔法を、それも何十年前の中でたった一回と考えると今成功できる確率は当然十より低いのはま間違いない。
失敗して空から降ろされてしまうことも当然考えなければ炎の中に包まれて死ぬことはリミルにはもうとっくに頭の片隅には一つの考え方として入っている。
「チッ、どうすれば・・・」
レーミア王が使う魔法は「人形」だ。
それも攻撃が強すぎるこの世界で一番最強の魔法使いと言ってもおかしくないのに、なぜかレーミア王は三番目になっている。
そうなると、俺のスーリス王国に一人か、クムシュ国に一人か。
いや、両方に一人ずついるとは思ったらダメだな。
今はまず、レーミア王に代わってもらってシレスを起こさないように抱きしめてあげる。
ライバルだから負けたくない気持ちは当然あるが、今はそんなことを思っている暇はない。
一瞬でも早くリファン王国から出ないと炎の暑さで呼吸が荒くなる前に、シレスに何か食べさせなければシレスが起きた時には俺が作った料理やスイーツを笑顔で食べている姿を見るために。
レーミア王に全てを託す。
「ゴールドフラワーミラー」が一度使えたからと言って、他人に自慢するほど俺は子供ではない。
だから。
「レーミア王、今頼りになる者はあなただけです。あなたが『スカイドール』を使えればシレスは必ず楽になれます」
「はっ・・・」
真剣でシレスへの思いやりの心が温かく毛布に包まれるような言葉に、レーミアは少し頷いて横に抱えているシレスをゆっくりリミルに渡して明るく微笑んだ。
「そうだね。レスのために、精一杯の力でスカイドールを使うよ。時間はそんなにかからないから準備ができたら教えるね」
「はい、待っています」
「・・・・・・」
王と王子のイケメンな言葉遣いとサラッとした美しい態度。
じっと二人の様子を黙って見ていたラーランがちょっとリミルの肩をポンッと叩いて、あることを質問してみる。
「ねえ、なんでそこまでこの王女様のために頑張れる?」
少し悔しそうなのか寂しいのか。
瞳は激しく揺れ動いていて、同時に何かに怯えているラーラン。
対して、リミルは。
「心の底から愛しているから。それ以外の理由なんてない」
シレスを一番愛している、常に胸がドキドキしていて愛されたくてたまらない。
ただ毎日そう思っているリミル。
この愛は絶対に軽くはない、重いのも当然。
人間は気分屋な生き物。
リミルは一生シレスを愛している、その覚悟がとっくにできている。
これに嘘はないし、したくもない。
シレスを傷つけたくない、ずっと可愛いままでいてほしい。
ただそれだけ。
ラーランもその一人になりたいのか?
なってどうしたいのか?
「んっ」
ただの庶民の俺からしたら、王様と王子様はめちゃくちゃすごい、すごすぎて眩しい。
俺にはついて行けない。
行くことすらも叶わない。
俺も行きたいけど、さっき王女様とキスしたから王様と王子様は俺を出会った時から嫌った。
まあ、仕方ない。
今までの俺がそうだったから。
「俺も本気で誰かを好きになりたい」
「えっ」
「あっ!」
ヤバい、つい独り言を呟いた。
どうしよう、怒られる?
また嫌われる。
俺、これ以上誰かに嫌われたくない。
嫌われて誰も好きにならないまま死にたくない。
「うっ」
バーランは生まれてから一度も本気で恋をしたことがないらしい。
いや、諦めていたのだろう。
可愛い子や綺麗な子と何回か付き合って一週間で別れる。
それの繰り返しだった。
家もお金も家族もいない。
ずっと一人で空き家でこっそり暮らして落ちていた食べ物を食べて生活をして水は・・・どうしていたのか。
でも、唯一自分の姿だけは綺麗に磨いていた。
姿まで綺麗ではなかったら恋人を作れない、告白も受け入れてくれない。
ラーランは恋についてめちゃくちゃ詳しい。
付き合った恋人の性格、相手が喜ぶこと、嫌がらないことをよく観察して次に繋げる。
「恋なんて楽勝じゃん」
だが、一度も結婚経験はなかった。
そこまで本気で好きになった相手がいなかったから。
いや、作ろうとしなかった。
怖かった。
ラーランは誰かに嫌われることを一番恐れている。
だから、今も。
「ね、ねえ、俺も、王女様を好きになっていい?」
「えっ」
「突然キスをしたことは謝る、謝ります。でも、俺、王女様を、本気で誰かを好きになりたいって、心の底から思ったんです。嫌われたくない、もう俺は、一人になりたくないんです」
そう本音を溢したラーランに、リミルは。
「俺の邪魔をしなければ別に構わない」
と、何かカッコつけてこれぞ王子様というようなサラッとした涼しいイケメンの雰囲気を纏ったリミル。
それは決して嘘ではなく、本当のガチの本音でもあった。
しかし。
「僕は反対だよ」
そっとラーランを睨んでリミルの隣に立ったレーミア。
理由は。
「これ以上レスを奪い合うライバルが増えたら面倒だよ。リミル君もそう思うよ、ね?」
王様としての強力で怪しげに笑ってそう納得させようとするレーミアを、リミルは首を横に振って否定した。
「レーミア王、シレスを愛することは悪いことではありません。それに、俺たちの他にもシレスを愛する者が現れたことはとても嬉しいことです」
美しく微笑んで心から嬉しそうにそう言ったリミルに、レーミアは深く重いため息を吐いて仕方なく頷いた。
「はああっ、分かったよ。ラーラン君だっけ? これからよろしくね」
「一緒に頑張ろう」
レーミアとリミルがシレスを奪い合うライバルとしてそれぞれ右手で握手を求めて、バーランは心から嬉しそうに優しい微笑みで頷いてその手を握った。
「はい、よろしくお願いします」
やったー。
俺、今回は最後ま嫌われずに頑張ろう。
お互いがお互いを認め合い、戦う。
これからが本番になるのだろう。
「じゃあ、準備できたからみんな僕の後ろに立ってね」
「はい」
「分かりました」
レーミアの「スカイドール」が何事もなく発動できるようになった。
「空に天使の羽が舞い踊るように、僕らもドールと共に空へ飛んでいくよ。スカイドール!」
白く大きな羽が背中についた青空と夜空の模様が描かれているドレスを着た巨大なツインテールのお姫様が持つカゴの中に乗って四人は空中を飛び、瞬きをした一瞬で地上へ降りると、そこは人形だらけのアーレハ王国だった。
お姫様に王子様、王様。
子供の夢が詰まった素敵な国。
それがアーレハ王国。
特にレーミアが使う人形魔法は庶民でも貴族でも絶対に真似できない可愛さが格段に違う一番素敵なもの。
さっきレーミアが使った「スカイドール」は国王のレーミアでさえも使うのは一番難しいと言われている。
形も色もイメージも完璧に頭の中で作成しなければ使うことはかなり不可能となってしまう。
夢に溢れた素敵でこの四つの国の中ではアーレハ王国は一番可愛い国。
だが、レーミアはシレスだけを可愛がってそれ以外は虫のようにポイっと捨ててしまう。
レーミアは自分が使う人形魔法は別に大したことではないと思っている。
使えて当然、使えなければ意味がない。
自分に対しては厳しく、シレスに対しては生クリームみたいにフワフワに甘い。
仕事も生活も全て完璧。
そして。
「はああっ、まさかこんなに早く帰って来るなんて思っていなかったよ。まあ、レスのためなら仕方ないね」
それに、仕事の量が増えてないといいけど・・・ね。
国王なのに自分の国に帰ってきたことに苦笑いを浮かべて悔しそうなレーミア。
同時に、お姫様のドールがどこでもいつでもたくさん飾られている真っ白なお城の前に四人は降りた。
すると。
「いいかな? ここは僕のお城だから、君たちの好きなようにはしない、絶対にさせないからね」
国王として、このお城の主として。
ちゃんとその役目を真剣に真面目に務めるレーミア。
もちろんリミルははっきりと頷いた。
「分かっています。ここはアーレハ王国。俺のスーリス王国ではありませんから、そのようなことは絶対にしません。約束します」
スーリス王国の第一王子である限り、リミルもそんなバカなことはしないだろう。
それはさすがにラーランも分かっているようで。
「そうですね。気をつけます」
生まれて初めて王のお城に入れたことが嬉しくて、興奮して瞳をキラキラと輝かせて周りを見渡すラーラン。
うわあ、すごい、綺麗だ。
「んっ・・・」
三人の会話とリミルの振動で目覚めたシレス。
同時に、あることに気づいてしまった。
「はっ、来たわね」
庭の方を強く睨んで木の杖を背中から取り出したシレス。
「月があなたを照らすなら、私もあなたを照らしましょ。ブルームーン」
突然魔法を発動させた庭の方からスッと軽く避けて誰かが歩いてきた。
「フフフッ、久しぶりの再会で魔法を私に仕掛けるなんて、やっぱりあなたは私のライバルにふさわしいわ」
その人物は一番シレスが苦手なレーミアのいとこであり仲良しの別の「お姫様」だった。