魔法病。
これは魔法が体内に刺激された時に起こる命に関わる危険な病気の一つである。
シレスの場合は「パープルムーン」が発動した時、両腕に明らかに異常な色と模様が身体の中に入って傷になり、現代で言えばタトゥーのようなもの。
最初は激痛で声を出すことが難しいが、時間が経てばその痛みはなくなって普通に会話もできる。
シレスもそうだった。
激痛を受けても独り言を言ったことで後から来たレーミアとリミルには普通に会話できて痛みのことなど完全に忘れていた。
だが。
「か、はあ、は、ああああっ」
今は「死」の目前まで迫ってくるほど自分の力では立ち上がることも、手を動かすこともできない。
一番得意と噂されているレーミアの「スノードール」でさえも治せない。
いや、治させないのだ。
この病気にかかるのは年齢で言えば十六歳から三十二歳の間の若者を中心とした誰にも治せない一瞬でも「死」に繋がってしまうかもしれない危険なもの。
かかってしまったら、どうすることもできない。
「死」を待つかしかないだろう。
だが、シレスの両腕の傷は死んでも消えない。
これがどういう意味を示すのか。
そう。
シレスは死んでも楽になることは絶対に不可能なのだ。
傷は美しいけれど、それが身体全体に広がってしまえば今みたいにしゃがむのではなく、意識がなくなって二度と目を覚さないことだって今までの例でもそれが分かっている。
十三人に一人とかかってしまう「死」の病気として噂されている魔法病。
予防も対策も何もない。
ただ、かからないことを願う。
それしか方法がないのだ。
そう考えてしまったら、諦めることも大切になってくるだろう。
でも。
「はあ、は、かあああっ」
嫌よ、嫌。
死にたくない、死にたくない。
私はまだ十六歳よ。
死ぬにはまだ早すぎるわ。
ミアでも治せないなら、誰が治してくれるの?
「ああ、は、あああっ」
まだ諦めきれないシレス。
自分のために生きることを一番に考えているわがまま? ではないはず。
自分のために生きることは悪くない。
人のために生きるのも悪くないとは言い切れない。
人生の最後を迎えた時、一番最後に一緒にいられるのは自分だけだから。
確か、誰かがそう言ってましたね。
しかし、それは今は必要ない考えだった。
「では、行きましょうか」
すみません、シレス。
あなたと会うのは正直怖いですが、私も私のために、あなたを助けましょう。
大きく息を吸って吐いて。
雲の下を潜り夜空から舞い降りて、それから。
「聖なる星たちよ。シレス・リファン王女への元に道を開きなさい。イエロースター」
左手の人差し指で大きな黄色の星を描き、それを地上へ解き放って、リファン王国に入ってお城の中に入って。
シレスの目の前にたどり着いた。
「シレス」
「は、はあっ、かは」
突然空から舞い降りて来た見知らぬ男に、レーミアが焦ってシレスを抱きしめて顔を隠す。
が。
「ダメですね。私の声、分かりませんか?」
「え」
こいつ、僕の存在に気づいていない。
僕は王様なんだよ。
存在なんてすぐに気づくのに、どうして。
レーミアのことなど全く知らないかのように男は笑って、シレスは息を吸うのに精一杯。
「は、はあ、は、は、はっは」
「うーん、どうしましょうか・・・」
私の「星」魔法を使えばいい話ですが、シレスは許しくてくれないでしょう。
だって、私たちは。
たくさんの黄色の星座が描かれている紫色のローブに、真っ白な足まで長い髪を左肩で一つ結びにし、真っ黒な瞳。
この男は分かっていた。
「シレス」
「はあっ」
「シレス、私の声を聞いてください」
「ああっ、は」
「人々の心を潤し私に捧げてあなたに似合う星を与えましょう。ピンクスター」
ポケットから取り出した小さなピンク色の星型の指輪を
「フウー」
と、砂のように溶けていくのをシレスの口にそっと入れて呼吸が安定した。
「あ、ああっ。何が起きているの?」
「レス! 良かった、お前が死ななくて僕は嬉しいよ」
「ミア」
やっと呼吸が安定したことで言葉を口にしたシレスの顔はほんのちょっとだけ嬉しそうに笑っていたのは一瞬で、目の前にいる男を見て恐怖で後ろに一歩下がった。
「な、なな、ななな、なんで、あ、あああなたが、ここにい、るのよ?」
「ほう、私のことは覚えていますか。それは良かったです」
「わ、わ、わわわ、私、に、な、なな、なんの、よ、用が、ある、の?」
「別に何も用はありません。ただ、あなたがこの世界で早く死ぬのが嫌だったのでここに来ただけです。邪魔でしたね、すぐに帰り」
「ま、まま、待ちなさい」
男がまた空へと飛び立つ前に手を掴んで止めたシレス。
その理由は当然。
「あの子は何をしているの? 元気になったの?」
真剣な眼差しで心から何か心配するシレスに、男は。
「大丈夫ですよ。人間のあなたが心配するような弱い子ではありません」
「そう、それならいいわ」
「ですが、私の大切なあの子を傷つけたことは許していませんよ。私が今あなたを助けたのは私とあの子のためです。決してあなたのためではないことを忘れないでくださいね。一度でも忘れたら、私はすぐにあなたを死の世界へと迎えに行きます」
怪しげに死神のような恐怖の微笑みを見せる男。
その姿に、シレスはただ怯えて目を合わせられない。
怖い。
やっぱりこの方は怖いわ。
私があの子を傷つけたのは仕方がなかったのよ。
あの状況でみんな死ぬ直前だったんだから、自分の命を優先するのは当然よ。
「私は悪くないわ。あっ」
自然と言ってしまった本音。
それは当然男の耳にもよく聞こえてしまった。
「シレス、今、なんと言ったのですか?」
死神のような恐怖と怪しさと背筋が凍えてしまう真っ黒な瞳と目が合ってしまったシレスは動揺して唇が震えて片言になってしまう。
「な、な、なな、なに、も、い、い言って、ない、わ、よ」
「そうですか? 私にははっきりと聞こえましたよ。一番悪いのはあなたなのに、それを自分のせいにしない、反省しない自分に何も思わないのですか?」
静かに腹を立てて男はポケットから真っ黒な指輪を取り出して魔法の言葉を言い出す。
「暗闇よ。その汚れた感情、心を黒く染めなさい。ブラックスター」
すると、空から大雨が降り、周りが見えなくなるほどに霧が出てきてシレスはその中から出ようとするも、どこが出口か分からずに一回しゃがんだ。
「くっ」
しまったわ。
つい本音が独り言に出てしまったわ。
一番聞かせたくなかった方に言ってしまった。
でも、後悔はしない。
だって、私とあの子は同じ・・・だからよ。
私は別に悪いことをした覚えはない。
ただの子供のイタズラで起きてしまったような単なる「事故」、みたいなものよ。
絶対に。
あの時は誰も予想できなかった。
まさかあの子があんな目に遭うなんて、私も予想ができなかった。
していたら、結果は当然変わっていたわ。
今もきっと、私とあの子は仲良しでいられたのに・・・もう、遅いわ。
シレスが過去一番記憶に残っていることがあった。
それは本当に誰も予想できない悲しい出来事が。


『レスちゃん、早くこっちに来て遊ぼう』
『あ、待ってよ。置いて行かないで、一人にしないでよ』
『大丈夫。僕は絶対にレスちゃんから離れたりしない。僕が離れたら、レスちゃんは悲しくなっちゃう。だから、絶対に置いて行かないし、一人にしない。僕たちは親友だから、ね』
いつも可愛く明るく笑っていた一人の少女。
その名前は。
『うん。ありがとう、リンちゃん』
カーリン・ハウレツ。
一緒に「月」の魔法を練習していたシレスが一番大好きで一番信頼していた謎多き少女。
年齢はシレスよりも二つ下で初めて出会った時からお互いを「ちゃん」付けで呼び合うほど仲良しで常に一緒にいた。
魔法の練習で毎日失敗して落ち込んでいたシレスを毎日慰めて褒めて笑顔になる。
レーミアとはだいぶ違うシレスを一番理解している大切だった親友。
一生忘れられない存在。
ピンクのフワフワの背中まで太く長い髪を後ろで三つ編みにし、真っ赤に輝く赤色の瞳。
「月」の魔法はリファン王族だけが使える。
使わせるが、ただ一つ実験的なものを五年に一度行っている。
本当にリファン王族だけが使えるのか、他の人間が使えるのか。
それを確かめるために、カークがこっそり貴族ではなく身寄りのない十歳以下の子供を資料を元に自分で選んで、当時八歳に選ばれたのがカーリンだった。
カーリンは生まれた時から一人で、世話をしてくれた人がいたけれど、年齢は四十一歳くらいのちょっと丸く太った男で毎日酒に溺れて酔っ払ったら必ず何かに怯えて怒ってカーリンを殴る。
その生活を三年以上続けていたが、とうとう腹を立てたカーリンがその男をナイフで殺してしまった。
けれど、カーリンは後悔していなかった。
そんなことで後悔するほどバカではないと思っていたらしい。
本当かどうかは今でも分からないが・・・。
そのことをたまたま運ばれてきた資料で知ったカークは
『ほう、中々面白いじゃないか。この子にしよう』
と、ただの面白さでカーリンを選んだのだった。
そして、カーリンがお城に運ばれて当時十歳だった今よりもちょっとだけわがままなシレスと出会った。
『私はシレス・リファンよ。この国の王女。嫌なこと言ったらすぐにここから追い出すから覚悟しなさい』
初めて会った人にかける言葉ではなかったが、その時のシレスはカーリンを見た時、少しだけ嬉しそうに笑っていて、ついきつい言い方になってしまっただけだったようだ。
『ウフッ』
それを最初に気づいたカーリンが可愛らしく明るく笑い、右手を伸ばして同時に自己紹介をし、シレスに握手をお願いした。
『僕はカーリン・ハウレツ。八歳。今日からよろしくお願いします。シレス王女』
『あっ・・・』
丁寧で優しく、気持ちがこもったカーリンの自己紹介に、シレスは顔が真っ赤になるほどに照れて嬉しくて。
自然とその手を握り、微笑んだ。
『フフッ、あなた、とてもいい子ね。今日から私と仲良くしてくれるのかしら?』
『もちろん、いいですよ。ウフッ、嬉しいですね、こういうの』
これが全ての始まりであり、最悪だった。


「月」の魔法の練習を一緒に始めて一週間が経った頃、シレスは落ち込んで部屋に引きこもった。
『くっ』
なんで、なんでよ!
私、一生懸命頑張っているのに、なんで魔法が使えないの?
でも、リンちゃんはもう「ブルームーン」と「パープルムーン」を使えるようになった。
私、これ以上リンちゃんに置いて行かれたら、どうすればいいのよ?
『ふ、ううっ』
毎日涙が止まらないシレス。
まだ十歳で些細なことでも傷ついてしまう仕方ない年頃。
落ち込んだり泣いたりするのは仕方ないこと。
誰だってそうなる時もあるし、そうでない時ももちろんある。
けれど、みんなそれを乗り越えて大人になる。
シレスもきっと大人になったら泣かなくなることもあるかもしれない。
いや、少し早くそうなることも不可能ではない。
子供の頃は可能性が星のようにたくさん広がってどんどん新しいことに挑戦したくなる。
簡単なことも難しいことも、どんなに頑張ってもできないことはあるし増えていくこともある。
でも、その全てを乗り越えてこその最高の人生にきっとなれるはず。
自分を信じて、前を向いて歩く。
『レスちゃん』
中々戻って来ないシレスを心配したカーリンが部屋のドアを何回も叩いて返事を待ってくれる。
『レスちゃん、大丈夫。僕は知っているよ。レスちゃんはできなくても、ちゃんと毎日練習を頑張っている。これって中々できないことなんだよ』
『えっ?』
優しくいつも落ち着く少し低めの声でそう励ましの言葉を言ったカーリンに、シレスはゆっくりドアの前に立って質問してみる。
『私、魔法、ちゃんと使えるかしら?』
不安そうに寂しそうに震えた声で聞いたシレスを、カーリンは見えなくても明るく微笑んでこう言った。
『僕が一緒にいるから、一緒に、最後まで頑張ろう』
その言葉を聞いた瞬間、毎回胸が温かくなって嬉しくて。
ドアを開けてカーリンに抱きついて、シレスは毎回この時が幸せになっていたのだった。
『ええ、あなたがいれば私は頑張れるわ』
『ウフッ。レスちゃんは甘えん坊さんだね』
『それは褒めているの?』
『もちろん褒めているよ。だって、レスちゃんは可愛いもん』
『フッ』
カーリンに「可愛い」と言われると毎回ドキドキして顔が真っ赤になるシレス。
その理由は。
『私、リンちゃんのこと、好きなのかしら?』
『あっ』
レスちゃん、また同じことを言ったね。
でも。
『それは違うよ。レスちゃんのその好きっていう感情はいいことだけど、僕じゃない。だって僕たち、同じ女の子だからね』
その言葉は正しいのかは誰にも分からない。
しかし、その時のカーリンの表情はどこか嬉しそうで悔しそうな曖昧な笑みを浮かべていた。
僕もレスちゃんが好きだよ、大好き。
けど、それがどういう意味なのか僕には、僕たちには分からない。
親友として好きになるのは別に悪いことじゃない。
一緒にいて、笑って泣いて。
同じことの繰り返し。
僕にとっては結構楽しくて幸せだよ。
だから。
『レスちゃんの好きな感情は胸の奥にしまって、さっ、練習に戻ろう』
『え、ええ。分かったわ』
リンちゃん、私が「好き」という言葉を使うと、必ずこの笑みを見せる。
どういうことなの?
私、リンちゃんのこと、傷つけてしまったの?
分からないわ。
分かっていいのかも分からない。
まあ、私たちはまだ子供だから恋を知らないのは当然ね。
早く練習に戻りましょ。
時間の無駄よ。
「ブルームーン」と「パープルムーン」を使えるカーリン。
だが、「ブルームーン」を使えることは何も問題はない。
けれど、その次の「パープルムーン」を使える意味がその時は誰にも分からなかった。
何度も言うとおり、「パープルムーン」を使うには。
年齢が十五歳以上であること、結婚、または恋人が存在していること。
この二つの条件全て満たしていないまだ八歳だったカーリンがなぜ「パープルムーン」を使えたのか。
その時は誰も知るはずがない、知ってしまったら一生後悔するほどの大きな問題に発展する。
きっとカーリンはどこかで身体を壊すかもしれない。
それを誰も予想できなかったのは、シレスが原因であることを知るのはあとちょっと先なのであった。
『はああああああああっ!』
木の杖を何度も振り回して叫び続けたシレス。
が。
『シレス! ちゃんと魔法の言葉を言え!』
シレスが全く魔法を使えないことにずっと毎日腹を立てていたカーク。
それは父として、娘の努力を実らせるためだった。
『お前は将来俺の跡を継ぐんだ。魔法が使えなければ恥ずかしくなるのはお前なんだぞ、分かっているのか!』
『くっ』
分かっているわよ。
でも、魔法の言葉を言えない。
怖くて言えないのよ。
『くっ』
魔法の言葉は誰でも簡単に言えるのに、シレスは言えなかった。
思っているとおり、怖いからだ。
魔法の言葉は、「月」は、私には無理よ。
お父様たちは十歳で「パープルムーン」の上の魔法まで簡単に使いこなせる。
この差は何?
私も一生懸命頑張っているわ。
私、本当にリファン王族なのかしら?
だって、おかしいわ。
お父様たちが使えるのに、なんで娘の私だけ使えないの?
本当は、私・・・。
魔法の練習が全く上手くできずにもう自分はリファン王族ではないかと疑い始めたシレス。
だが。
『レスちゃん、大丈夫。焦らなくていいんだよ』
そっと隣に立って背中を撫でてシレスを落ち着かせるカーリン。
レスちゃんは知らない。
僕が「パープルムーン」を使えるのはね、ただの偶然なんだよ。
でも、そんなこと言ったらきっとレスちゃんは僕を見捨てる。
見捨てられて当然になるかもしれないね。
分からないけど・・・。
お互い思っていることを言えない、傷つかせたくない気持ちが強すぎて、たまにこうやって隣に立つことでお互いがほんの少しでも言えるように頑張っているつもりだった。
『レスちゃんが魔法を使えるまで、僕も一緒に練習するから今日はあと少し、頑張ってみよう、ね』
明るく可愛いく微笑むカーリンのいつもどおりの姿に、シレスも美しく微笑んで頷いた。
『ええ、頑張るわ』
そう言って、シレスとカーリンは夕陽が暮れるまで敵の位置と状況判断や魔法を使うタイミングなど、初歩の初歩をカークから教えられて今日の練習は終わりになった。
『レスちゃん、お疲れ様』
明るく楽しそうに氷で冷えた水が入ったコップを持つカーリン。
シレスはそれを可愛らしく微笑んで受け取った。
『ありがとう』
『なんか今日の練習、面白かったね』
『そうね。敵の位置やタイミングを教えてもらえたなんて思っていなかったわ』
『レスちゃん、とっても真剣に聞いてて僕も嬉しくて、ちょっと笑っちゃった。ウフッ』
『別に大したことはしていないわ。学ぶことはこれからたくさんあるんだから、真剣に聞くのは当然のことよ』
『ウフッ。レスちゃんは本気で魔法と向き合っていてカッコいい。僕には絶対できないよ』
「ブルームーン」と「パープルムーン」を使えるのはすごいことかもしれないけど、僕はそう思わない。
だって、使えても、僕はクムシュ国には行けない、戦えない。
それは最初から分かっていた。
どれだけ頑張っても、結局は一番星に選ばれるのはレスちゃんだけ。
僕じゃないんだよ。
そりゃあ、僕も戦えたら大魔法使いになれるのも夢じゃない。
王族と庶民は格が全然違う。
『僕もレスちゃんの家族だったら良かったのにな』
ちょっとだけ本音を言ってみたカーリン。
だが、その本音はシレスには聞こえなかった。
疲れて寝ていたのだ。
その可愛らしいシレスの寝顔に、カーリンはそっと近づいておでこにキスをして美しく微笑んだ。
『ウフッ。レスちゃんは本当に可愛いね』
いつまでもこの温かくも愛おしい時間が終わらなければ良かったのに、それは一瞬で終わりを迎えた。


一ヶ月過ぎた頃、カーリンの誕生日をシレスは内緒で二人でパーティーを行なっていた。
『リンちゃん、誕生日おめでとう』
小さな黄色の満月を描いた美しい青色の袋をシレスが渡すと、カーリンはとても嬉しそうに明るく愛おしく微笑んだ。
『レスちゃん、ありがとう。嬉しいよ』
『フフッ、喜んでくれて私も嬉しいわ。ほら、中身を開けて』
『うん。何が入っている、かな?』
ワクワクドキドキ楽しみながら袋を開けた中身は
『え、これは』
中に入っていたのはカーリン・ハウレツと名前が書かれた水色の指輪だった。
『レスちゃん、これ、本当にもらっていいの?』
瞳をキラキラと星のように輝かせて喜ぶカーリン。
だが、それは一瞬だった。
二人が笑い合って、メイドにいちごがたくさん乗ったショートケーキが運ばれた時、突然ケーキが燃えて爆発した!
『キャー!』
突然のことで頭が全く追いつかないシレスとカーリンを置いて一人叫びながら逃げて行ったメイド。
そして。
『は、あっ。リンちゃん、私たちも早く逃げま、え』
一緒に逃げようとシレスがカーリンの手を握ったら
『リン、ちゃん?』
カーリンの手は熱くて皮膚がなくなって、シレスが恐る恐るカーリンの姿を見ると、
『リンちゃん、なんで』
炎が半分カーリンに移って全身が燃えていた!
『か、はあっ、あああ』
とても息苦しそうに倒れたカーリン。
シレスはすぐに花瓶の水をカーリンにかけたが、全く炎は消えず、助かることはないとシレスは分かってしまった。
けれど。
『リンちゃん! 大丈夫よ、誰かを呼びに』
カーリンを助けるために誰でもいいから呼びに行こうとしたシレスの手をカーリンが握った。
『待って、置いて行かないで』
『え、でも』
このままだと、リンちゃんは死んでしまう。
そんなの嫌よ!
助けを求めたいシレス、置いて行かれたくないカーリン。
二人の行き違いの感情は二度と混じり合うことは、ここでとっくに終わっていた。
それでも。
『レスちゃん、僕はレスちゃんと会えて今でも幸せなんだよ』
『ええ、私も同じよ。けれど、今はそんなことよりも、あなたを助けないといけないわ。だから、この手を、離して。私まで死んでしまうわよ』
『いいよ。一緒に死のうよ』
『え、何を言って』
嫌よ。
私、こんなことで死ぬなんて、簡単に死を迎えるのは絶対に嫌よ!
まだ死にたくないという感情でシレスは握られたカーリンの手を離し、涙を堪えながら距離を置いた。
『私はまだ死にたくない。まだ魔法が使えていないのに、私』
『僕たちは親友だよ。親友の僕が死にそうなのに、最後まで一緒にいたいのに、レスちゃんは僕から離れた』
『ごめんなさい、でも・・・』
シレスが親友のカーリンを大切にしたのはカークも知っている。
しかし、今ここにはカークは、頼れる大人は誰一人もいない。
助けてくれない。
だから。
『リンちゃん、なんで、助けを求めたらダメなの?』
とても不安そうに瞳を激しく震わすシレスに、カーリンは偽りの明るく暗く、曖昧な笑みを見せた。
『もう僕はこの世界に必要ないからだよ。庶民の僕が伝説の月の魔法を使えてしまった。これはどういうことか分かるよね?』
事の重大さをよく分かっているシレスは少し俯いて頷いた。
『・・・ええ、リファン王族以外の人間が月の魔法を使えたら、その事実を隠すためにこっそり殺す。それは最初から分かっているわ。でも、私はあなたを心から親友だと思っていたわ。それは嘘じゃない、信じて』
『ウフッ。もちろん信じているよ。僕ね、この一ヶ月がすごく楽しかった。庶民の僕でも、王女のレスちゃんは僕を大切にしてくれた。好きになってくれた。これ以上の幸せはもう二度と訪れない。本当に、ありがとう』
人生の最後にふさわしいであろう素敵な言葉と同時に、カーリンは本気で二人で死のうと、焼けた両腕でシレスの右手を掴んだ!
その痛みは今まで一度も感じたことがなく、シレスは痛みに耐えきれずに叫んでしまう。
『ああああああああああああっ!』
痛い、痛い、痛いわよ。
なんで、なんでリンちゃんは私を巻き込もうとするの?
そんなに私と死んでも一緒になりたいの?
全く分からない、分かってしまうのが怖い。
早く、離れて、逃げないと!
精一杯力を振り絞って掴まれているカーリンの手を離そうとするも、火傷になった右手が全く動かなくて逃げられない。
『くっ、離してよ!』
本気で死ぬことを嫌がるシレス。
『ダメだよ。僕たちは絶対には離れない。親友、なんだからさ』
本気で一緒に死ぬことを選んだカーリン。
でも、もう時間はない。
一緒に死ぬか。
それとも、親友を置いて逃げるのか。
それを決めるのは当然シレスだ。
『私はまだ死なない、絶対に。私には未来がある。生きる未来が。けれど、リンちゃん、あなたはもう死ぬ。そういう運命なのよ』
そう言って、やっと離れたシレスは火傷が強く広がっても迷うことなくその場から逃げてしまった。
大切にしていた宝物を捨てて・・・。
『レスちゃん、僕は諦めないよ。必ず、いつか君を迎えに行くからね』
その言葉を最後に、カーリンの身体は燃え切って骨となり、魂が空へと飛び立った。
が。
たどり着いたのは
『ようこそ。死神の学校へ』
そう。
普通なら天国か地獄どちらかに行くはずが、カーリンが来たのは「死神」が集う学校だった。
骸骨や鎖など、灰色の霧が漂う中にあるボロボロの校舎。
そこに通う者はみんな白い髪に真っ黒な瞳を持つみんな仲良しの死神たち。
悪も闇も色々な暗い感情が入り交わる特別な場所、景色。
ここにたどり着いたからには当然、全員が「死神」にならなければいけないのだ。
『うわあ、気味が悪い。どうして僕がこんなところに・・・』
あれ?
何かに気づいたカーリン。
僕の身体、いつのまに元に戻ったの?
あんなに火傷を負ったのに、どうして?
そう。
全身が炎で燃えて皮膚も全て剥がれたはずが、なぜか今は元に戻っていて、どこも痛くも痒くもない。
不思議な気持ちになった。
『僕、さっき死んだんだよね? なのに、着ている服も顔も声も元通り。一体、何が起きて』
『それは基本です』
『えっ?』
誰?
霧が濃くてどこから声が聞こえてくるのかが分からないカーリンに、クスクスと面白そうに笑いながら現れたのは真っ白な足まで長い髪を左肩で一つ結びにし、真っ黒な瞳。
この男こそが、死神学校の一番偉い教師であった。
名前は。
『こんばんわ。私はユーリア・アルスレイ。リアと呼んでください』
クールでイケメンで何より身長が高くてつい惚れてしまいそうなめちゃくちゃいい男。
だが。
何、この人?
いきなり来て勝手に自己紹介してあだ名で呼んでほしいなんて・・・一番関わりたくない性格だ。
イケメンなど関係なく第一印象に不満があるカーリン。
それでも。
『初めまして、カーリン・ハウレツです』
『知っていますよ』
『えっ?』
『あなたのこと、あなたたちのことは一番よく知っていますよ。私はリンとレスの仲が大好きだったので』
『は?』
僕とレスちゃんの仲良し光景を空から勝手に見ていたの?
何それ、すごく嫌なんだけど。
めちゃくちゃ最低じゃん。
『はあっ』
『おや、ため息はよくありませんよ。幸せが逃げてしまいますよ』
『別にもう死んだんだから、幸せになる必要はないです』
冷たい声と悔しそうに唇を噛むカーリン。
その姿を見たユーリアは満面の笑みで喜んだ。
『リン、あなたは自ら死を選びましたね。死神にふさわしい者は皆死を選び、復讐をする感情が湧いてくること。あなたにもそれがある、その才能がある。もっと自分に自信を持ってもいいんですよ。フフハハハっ』
『は? 復讐?』
僕がどうしてレスちゃんに復讐をしないといけないの?
僕は別にレスちゃんを恨んだ憎んだりしていないよ。
ただ置いて行かれたからまた一緒になるために迎えに行く、それだけだよ。
ま、そんなことをこの人に言っても分からないと思
『分かりますよ』
『えっ・・・』
今、なんて言ったの?
僕の心の声が、聞こえたの?
『はい。当然聞こえますよ。死神は人間の心を読むことができる、操作できる存在です』
その言葉を聞いたカーリンはどこか嬉しそうに明るい笑顔を見せて質問してみる。
『じゃあ、レスちゃんの心も読めるの?』
『いいえ、シレスの心は誰にも読めません、私でさえも』
『え、そう、なんだ』
死神教師のユーリアにでさえもレスちゃんの心は読めないんだ・・・。
だったら、どうすれば
『一つだけ方法があります』
『え、あるんだ』
『それはあなたです』
『は?』
『リン、あなたが死神になればあなただけがシレスの心を読むことができす。操作もできます』
確実かどうかは分からないが、リアの言うことは正しいだろう。
死神は人間の心、死が近い人間の魂を空の上で預かり導き、案内する。
時には抱きしめて安心させたり、叱ったり。
死者を正しい道に歩ませる。
それが一つの仕事。
他にも色々とあるが、今は関係ない。
今は、カーリンが心から嬉しそうに楽しそうに笑っている姿が重要だ。
『ウフフッ。分かった、僕は死神になる。なって、レスちゃんをここに連れてくる。絶対に』
本気でガチで死神になると宣言したカーリン。
だが、その覚悟が後に後悔することになっても、もう後戻りはできない、許されない。
死神という仕事は簡単ではない。
地獄よりも遥かに重い役割、存在。
けれど。
『あっ、言い忘れていました』
『何?』
『リン、あなたは月の魔法が使えますよね?』
『うん、使えるよ。それが何?』
普通に何もおかしなことは言っていないはずなのに、ユーリアの顔は青ざめていて、何かに怯えているようだった。
『死者が月の魔法を使えたらダメなんです。なので、一度あなたの魔力を封印します』
『え、そんな・・・』
せっかくの魔力を封印するなんて、嫌に決まっているよ。
「月」の魔法は僕とレスちゃんの思い出なんだよ。
それを封印するなんて、絶対に。
『嫌』
『あなたが拒否をしても、私が許可しない限り、あなたは魔法を使えません。使わせません』
『・・・・・・』
魔法を使わせてもらえない。
それも「月」の魔法を。
カーリンが使えるのは「月」の魔法だけ。
他は使えない、教えられていない。
だから、悔しい。
魔法使いにとって、魔法は絶対的存在。
心臓と同じくらい守らなければいけないもの。
それを封印されること、使えないこと。
絶望では済まらせない。
一生憎しみが漂う罰。
でも。
『分かりました。魔力を封印してください。それでまたレスちゃんに会えるなら、何でもいいです。僕の全てはレスちゃんだけなので』
まだシレスを親友だと思い込んでいるカーリン。
いつかその期待が崩れることを知った時、彼女はどうするのか。
その瞬間までは期待を持ち続けていいかもしれない。
僕はまだレスちゃんと色々な話をしたい。
死神でも何でもなってやる。
僕とレスちゃんのためになるなら。
ゆっくり深呼吸をし、カーリンは真剣な眼差しであることをユーリアにある約束を求めることにした。
『僕が死神になったら・・・レスちゃんにしてください』
その秘密の言葉を聞いたユーリアは満面の笑みで頷いたのと同時に、首を横に振った。
『その約束はできません。もう、シレスは生まれた時から死神なんですから』



霧の中でまだしゃがんでどうするか考えたシレスは覚悟を決めて走り出す。
その先は。
「月があなたを照らすなら、私もあなたを照らしましょ。ブルームーン!」
勢いよく飛び上がって「ブルームーン」を発動した目の前にはずっと前を向いたまま反撃を待っているユーリアがいて身体をバラバラに解体したと思ったら、次の瞬間。
「あ、かはあっ!」
なんと、いつのまにかユーリアではなくリミルの身体にガラスが右腕に刺さってしまった!
「え、リミル? なんで、あなたがここに、リアはどこに、はっ!」
リミルに気を取られてそばに駆け寄ったシレスを一瞬でユーリアが鎖で身体を縛った!
「くっ、リア、あなた、どういうつもりなのかしら? そんなにカーリン・ハウレツの死を後悔しても無駄よ。さっきも言ったとおり、私は悪くない。私が用意したケーキには何の仕掛けもなかった、あるはずがなかった。でも、一つだけ証拠が残っていたの。死神教師だけが持つ幻の白の指輪が落ちていたのよ。ほら、見せてあげるわ」
怪しく美しく身体が凍えるほどの冷たい微笑みをしながらシレスはずっと内緒で首にかけていた指輪のネックレスを無理やり鎖で縛られている右手で外し、堂々と白の指輪を見せる。
「ほら、これはあなたのものでしょ。この私が見間違えるなんてありえないわ。絶対に」
自信満々に全く勝ち目などない危険な状況でもシレスは諦めることはない。
なぜなら。
「私が一番偉いのよ。あなたなんて、私からすれば全く大したことない一番弱い死神。こんなことで弱る私じゃないわ」
そう言って、シレスの姿が少しずつ真っ白な髪に、真っ黒な瞳へと変化していき、完全な死神の姿に戻ってしまった!
シレス・リファン。
彼女は人間ではなかった。
いや、死神だった。
実際、リファン王族は今はたった五人だけ。
カーク、カークの兄、姉、祖父母。
そう。
リファン王族は全員カークの家族だけ。
母親は一人もいない。
いや、最初から存在していなかった。
そうなると、カークもその兄と姉も「パープルムーン」は使えないというのが自然だ。
「パープルムーン」は「月」の魔法の中では条件が厳しすぎる一つの魔法。
それを使えるということは一体「パープルムーン」という魔法はどこから存在して今までのリファン王族たちはどうやって使えるようにしていた?
そして、カーリンが使えた本当の理由はなぜなのか。
シレス・リファンという死神はどこで生まれた?
様々な疑問が募る中、シレスは本性を現したことで、本当の力を発揮する。
「小さな星たちが集う夜空よ。女王の私に攻撃をした落ちこぼれのユーリアに矢を放ちなさい、グリーンスター」
そう言うと、雨が止まり、空が星空に変わったのと同時に後ろから針のように細い矢がユーリアの全身に刺さってしゃがんだ。
それを見たシレスはとても嬉しそうに可愛いとは別の怪しげない笑みを浮かべている。
「どう? 女王の私に攻撃した自分を憎みなさい。あなたは昔から私を嫌っていた。でも、それを私は悪く言わないわ。あなたは元々そういうふうに作られてしまったんだから」
私も同じように、ね。
人間が死神になるのはありえない話だ。
だが、この世界では普通に起こってしまうのだ。
誰もが恐怖を覚えてしまうほどの一生見ることがないであろうものを。
シレスの本性を知ってしまったリミルは言葉が出てこず、ずっと固まったままで身体に力が入らない。
今、何が起きているんだ?
シレスが、死神?
そんなことあっていいのか?
シレスは、俺の弱さを教えてくれた。
本気で愛している人間だと思っていた。
だから。
「死神でも俺はシレスを愛する。愛したい」
そう小さく一人呟き、ようやく足に力が入らなくても無理やり歩いて歩いて。
怖くても、愛するシレスのため、俺のために。
抱きしめた。
「シレス、大丈夫だ。君が何者でも、俺は変わらず君を愛し続ける」
カッコよく言っているように思えてしまうかもしれないが、シレスにとってはどうでもよく、すぐに抱きしめられているリミルの腕を離して次の魔法を仕掛けようとする。
「何度も言わせないで、私はあなたを死んでも好きにならない。それだけよ」
「えっ」
ちょっと待って。
そう。
リミルは今のシレスの姿を見て気づいてしまった。
シレスは死神。
生きているようでちょっと違う。
死んだと思っても間違ってはいない。
つまり。
死んでもということは、死んだ後は好きになってくれる、ということになる。
「ハッ」
なんだ、そういうことだったんだな。
死んだ後なら俺を好きに、愛してくれる。
意外と簡単だったのか。
ただ好都合に前向きに捉えたリミル。
その考えは決して悪くはない。
悪くはないけれど、ちょっとだけ自分に良すぎる考えでもあるように聞こえてしまうのはきっと気のせいではないだろう。
しかし。
「リミル、私にこれ以上触れたら、あなたを殺すわよ。その覚悟なんてあなたにはないでしょ?」
ユーリアの鎖で身体が全く動けないシレスを、リミルは満面の笑みでもう一度抱きしめた。
「俺はもうとっくに覚悟している。それに、愛する君に殺されるのは幸せでしかない。ハハッ」
正気か本気か、それとも両方か。
全く読めないリミル。
「俺は君を愛している。心から愛しているんだ。君がいくら俺を嫌っても、俺はいつまでも一生君を愛し続ける。何があっても絶対にだ!」
そう言った瞬間、胸ポケットに常にしまっていた小さな丸い鏡がリミルの目の前に現れ、そこから幻と言われている何百本の金の薔薇が咲き誇り、その全てがシレスを囲み、真っ白な髪と真っ黒な瞳から姿が元に戻っていった。
「え、これは、どういうこと?」
突然のことで状況理解ができずに頭を抱えてしゃがんだシレス。
対して、リミルは自然と瞳がキラキラと輝いて・・・。
「あっ」
今のは、幻の「ゴールドフラワーミラー」だ。
まさか、魔法が全く使えない俺にも使えたなんて、そんなこと、あってもいいのか?
「ゴールドフラワーミラー」
スーリス王国の幻の魔法の一つと言われている誰もその存在を知らない、見たことがない貴重な魔法。
「フラワーミラー」の進化系で使えるのは五十年にたった一人。
なぜそれをリミルが使えたのか、理由はただ一つ。
シレスを愛している。
この気持ちがあるからこそ「ゴールドフラワーミラー」は発動した。
何とも単純で、夢を見ているとからかわれてしまうことになっても、リミルは何も変わらずこう言うだろう。
「俺が一番君を愛している」
何も恥ずかしがることなく
「愛している」
と、簡単に言ってくれるリミル。
いつシレスに殺されるかもしれない危険な状況でも最後までシレスを愛したい、愛されたくてたまらない。
少し変だが、それでも、誰かを愛することはそう簡単ではない。
同情でも慰めでも構わない。
俺の一生を捧げてシレスを幸せにする。
その気持ちが少しでも伝わってくれるといいが・・・。
こんなに本気でリミルから愛の告白をされて、シレスの心にも少しだけ変化が出てきた。
「あっ」
リミルは私に殺されてもいいと言った。
・・・そうね。
死神と人間の私を両方愛してくれるのは他でもないリミル・スーリス、彼だけだわ。
もし、この機会を逃してしまったら、私はこれから私を一生愛してくれない誰かと結婚してしまうかもしれない。
勝手に家族にさせられてしまうかもしれない。
それは嫌よ。
私がここで
「はい」
と、返事をしたらリミルはどんな反応をするのかしら?
喜ぶことは当然分かっているわ。
普段の様子からしてそれは当然ね。
でも、もし、逆に断られたら、傷つくのは私よ。
どう、すれば、いいの?
恋を一度もしたことがない、経験がないシレス。
今の選択肢は二つ。
受け入れるか、自分から断って二度と関わらないのか。
選択肢が二つあるだけでも大きいのは確かだ。
絶対に後悔したくないなら、尚更。
「リミル、ちゃんと私を、私だけを最後まで愛して。私は、もう、傷つきたくない、一人になりたくない。だから、だから、ううっ」
大粒の雨みたいに可愛い緑色の瞳から涙が溢れて止まらないシレスを、リミルがゆっくり頷いて何度でも抱きしめた。
「ああ、俺は最後まで君を愛すると約束する。君を傷つけるものがあれば、俺が君の盾になって守る。何も心配しなくていい、俺がずっと一緒にいるんだ、安心して、俺を愛してくれ」
高くも低くもない落ち着いた声でシレスの不安を少しずつ和らげて頭を撫でて。
「大丈夫だ」
と、何度も言い聞かせてそっと手で涙を拭う。
これが何十回、何百回、何千回と繰り返しても、きっとリミルは今と同じように温かく雲のようにフワフワに包み込むように抱きしめてくれるだろう。
彼がこの世界で生きている限り、それが続くことを願って。


翌日、朝になった。
「シレス、朝だ、起きてくれ」
「んー、まだ、眠いわ」
朝の日差しがカーテンを開けた瞬間、とても温かくて心地良くて、逆に起きれるはずがないシレス。
だが。
「朝食が冷めてしまうぞ、いいのか?」
早く起きてほしくて頬をハムスターみたいに可愛いく膨らませるリミル。
お互い一歩も譲らないプライドが高すぎる微妙な空気。
けれど。
「アッハハ! レス、早く起きないとキスしちゃうけど、いいのかな?」
朝から元気よく大声で笑いながら部屋に来たレーミア。
そして、シレスは当然。
「ミア、起きるから今は来ないで。寝癖を見られたくないから」
なぜかレーミアが来たらすぐにパッと起き上がって寝癖を見られたくなくてクローゼットに隠れたシレス。
リミルとレーミアでは全く態度が正反対のシレスを、リミルはレーミアに負けたことが悔しくて悔しくて。
「チッ」
と、お決まりの舌打ちをしたのだった。
でも。
「シレス、今日の朝食はクロワッサンをたくさん作ったんだ」
「え」
「それとフルーツサンド、ブルーベリーのヨーグルト、君の好きなスコーンもたくさん作った。だから、早く食べてくれ。俺の愛を感じてほしいからな」
「はっ」
食べ物でシレスを釣ろうとするリミルに、レーミアも負けずに似たようなことを言い出す。
「じゃあ、僕も作ろうかな。レスの大好きなクレープ」
そう言って、クローゼットの中に隠れたシレスを優しく抱きしめて寝癖など全く気にせず頭を撫でてあげて明るく微笑んだレーミア。
その姿に、シレスは一瞬顔が真っ赤になるほどに照れて、心惹かれて。
「ええ、食べたいわ」
と、素直にレーミアだけに返事をした。
それを見たリミルは。
「レーミア王、シレスは俺の妻になる者です。勝手なことはしないでください」
怒りと腹立ちで笑っているようでそうじゃない曖昧な笑みをしてレーミアに強力で恐怖を感じさせるような圧をかけたリミル。
シレスは俺のものだ。
誰にも渡さない。
本気でガチで愛している人を他人に渡したくない気持ちを持つことは決して悪いことではない。
ただ、その気持ちが度を過ぎてしまうと相手を深く傷つけ、二度と顔を見たくないと思われてしまうことをリミルは分かっているのだろうか?
どうなのか?
シレスを一番愛せるのはこの世界で俺だけだ。
リミルがレーミアからシレスをそっと手を握って離して横に抱えて鏡台の棚から櫛《くし》を取り出して、髪が絡まないように綺麗にゆっくり解いていく。
「痛くないか?」
「え、ええ。大丈夫よ、ありがとう」
リミル、私がミアに取られるとすぐに機嫌悪そうになる。
別にそれで私が嬉しいとは思っていないわ。
ただ、オモチャのように扱われている気分になってしまうのが嫌なだけよ。
まだまだ恋を理解できないシレスは、リミルとレーミアのライバルとしての戦いのことなど気づくはずもなく、それに巻き込まれることに不満が雪のように冷たく募っていくだけだった。
「よし、できたぞ」
櫛《くし》で髪を解き終わったリミルが美しく微笑んでとても嬉しそうな姿を見て、シレスはあることをお願いしてみることにする。
「リミル、今日は三つ編みにして。ちょっと気分を変えたいから」
さっきとは全く違う可愛く美しく顔を真っ赤にして照れるシレスに、リミルは心から喜んで綺麗に愛おしく、温かく笑って頷いた。
「ああ、分かった。君がお願いすることは全て俺が叶えよう。夫になるからな」
そう。
リミルはシレスの夫になる。
この夢を叶えるためなら何でもする、叶えてあげる。
どんなに難しいことでも、命をかけて、全力で絶対に死ぬことなく最後までシレスのそばにいる。
一人の男として、一人の人間として。
シレスを愛する、愛してもらえる喜びを胸に抱いて努力し続ける。
ただ、それだけだ。
カーリンが人間時代にしていた後ろで三つ編みにしてもらうのではなく、ツインテールみたいに両耳で三つ編みにしてもらう。
初めての髪型で緊張しているシレスだが、リミルの丁寧なやり方、触れ方がとても心地良くて眠ってしまいそうになったところで完成した。
「どうだ? 上手くできたか?」
「ええ、よくできているわ」
今日のドレス、青色の星が小さく輝いているような水色の半袖、珍しく青色の丸のピアス。
そして、青色の細いリボンで結ばれたツインテールみたいな三つ編み。
その姿は少し幼く見えるが、シレスは可愛らしく微笑んでいるので、本人が気に入ってくれているなら何でもいいだろう。
シレスの嬉しそうな可愛らしい笑顔を見てしまったリミルは。
「可愛い・・・」
やっぱりシレスはこの世界で一番可愛い。
こんなに可愛い者がいる、それも将来俺の妻になってくれる大切な宝物。
なんて、俺は幸せなんだ。
いいのか、こんなに幸せで。
「ハハッ」
別にいいか。
シレスが嬉しいなら、喜んでくれるなら、俺はそれで満足だ。
シレスとリミルの愛おしい姿に、レーミアは嫉妬してすぐにシレスを自分の腕のの中に閉じ込めてこう言った。
「レスを一番愛しているのはこの僕だよ」
自信満々にシレスを愛する気持ちを堂々とライバルのリミルに言ったのはすごいことかもしれない。
さすが、恋のライバルとして自信があるのはとてもいいことだ。
だが。
「何を言っているのですか、シレスは将来俺の妻になるのですよ。あなたには渡しません。絶対に!」
何度もリミルとレーミアはお互い睨みながら、シレスを抱きしめて抱きしめ返して。
そして。
「もう、やめなさい!」
部屋中に怒りの声が壁にかけられている絵画が揺れ動く程に響き渡ったシレス。
その怒りの理由は当然。
「私はものじゃないのよ! それに、朝からこんな恥ずかしいことをされる私の気持ちを考えなさい! あなたたちは私よりも大人なんだから、静かにできるでしょ」
本気で力強くシレスから睨まれたリミルとレーミア。
さすがにやりすぎたと思い、目を逸らしてしまう。
「悪かった」
「お前の言うとおりだね」
ちゃんと謝ったものの、シレスの機嫌はどんどん溢れていくばかりで勢いよく走って部屋を飛び出して行った!
「は、はあっ」
何よ、あれは。
全く悪く思っていないじゃない。
でも、二人は私が死神だと知っても、いつもどおり私のために行動してくれる。
それは嬉しいけれど、何か、どこか悔しくて、胸が苦しい。
なんで?
これが恋というなら分かるかもしれないけれど、何も掴めていないならそうは言えないだろう。
「フフッ」
まあ、今はそんなことよりも、お腹が空いたから早く何か食べ、えっ。
突然シレスの足が止まった。
その理由は。
「な、ななな、んで、あ、あああ、なたが、ここにい、るの、よ?」
「ウフフッ、また会えたね」
シレスの目の前に現れたのは、真っ黒な髪に真っ白な瞳。
それは、シレスにとって、恐怖の姿だった。
「ああ、嬉しいよ。またレスちゃんに会えるなんて、夢みたいだよ」
「そんな、あなた、どこからここに来たのよ?」
こんな姿になってしまうなんて・・・あなたは一体、何を考えているのよ?
「カーリン・ハウレツ! あなたはもう六年前に死んだはずよ。なのに、なんであなたが、なんで、あなたが人間に戻っているのよ!」
そう。
死神は皆真っ白な髪に真っ黒な瞳を全員が持っていて当然。
しかし、一つだけ特別なルールがある。
死神から人間に戻れる試練。
これは決して難しくはないとても簡単なもの。
内容は姿を変える。
ただこれだけ。
あれだけ火傷を負って皮膚が剥がれたカーリンがユーリアに一度元に戻らされて次に真っ白な髪に真っ黒な髪にさせられて。
それから五年かけてカーリンはあることをし続けた結果、今の姿になってしまったのだ。
それは。
「実はこれになるまで大変だったんだよ。僕は月の魔法を使えるから使えないようにするために魔力を封印されて、六年間魔法を使えない生活をしていた。まっ、もう今は無理やり封印を解いてちょっと違うけど、他の魔法を使ってここに、ううん、今はそんなことはどうでもいい。やっと、レスちゃんに会えたんだ。久しぶりにあの頃みたいに一緒に遊びたいけど、もう今はそんな年齢じゃないよね。ウフッ、せっかく会えたんだし、一つだけ聞かせてほしい」
ゆっくり歩いてシレスに近づいてくるカーリン。
だが。
「カーリン・ハウレツ。私はもうあなたとは関わらないわ。あなたのことなんて知らない、知りたくもない。それだけよ。こっちに来ないで」
はっきりと他人事のように雑な言葉をかけたシレス。
けれど、カーリンは。
「やだなあ、レスちゃん。僕をリンちゃんじゃなくて、カーリン・ハウレツってフルネームで言うなんて。悲しいな、だけど、仕方ないよね。もう六年も会っていないから、他人扱いされても僕は気にしない。だって、これからは、ずっと一緒にいられるんだからね!」
そう言って、カーリンが手の平から一瞬で炎を出してそれを空に上げてお城全体に炎が移り、火事になった!
「キャー!」
「火事だ、早く逃げろ!」
「誰か、誰か!」
使用人たちが恐怖で叫びながらお城から逃げて行くが、シレスは全く身体が動けなくて固まっている。
「くっ!」
やられたわ!
カーリン・ハウレツは魔法の天才。
どんな魔法でもすぐに使いこなせる強力な持ち主。
こんな相手に私が勝てるはずがない。
早くここから逃げたいけれど、身体が動かなくて逃げられない。
「どうすれば」
「レスちゃん、大丈夫だよ」
「はっ」
「僕は絶対にレスちゃんを一人にしないよ。だって僕たちは、親友、なんだからね」
あの頃と全く同じように明るく微笑んで何度も優しい声で安心させてくれたことを思い出したシレスは自然と涙が溢れて、両手で顔を隠した。
「う、ふっ。ああ」
もう私はあなたの親友じゃないわ。
あなたのことなんて思い出したくもなかった。
私にとって、あなたは一番特別な人だった。
けれど、今は。
過去は過去。
今は今。
歳を重ねれば必ず価値観も考え方も変わる。
シレスもそうだ。
六年経った今、もう一度カーリンと親友として仲良くなりたいとは思っていない。
むしろ、会いたくなかったと思っている。
一番傷つけた相手、傷つけたくなかった大切な存在。
それを壊した自分がいた事実を、シレスは嫌に思っている。
相手の気持ちを考えずに自分のわがままで他人を動かす。
それでも。
私は私のまま。
涙を手で雑に拭って赤く腫れても気にせず、シレスは本気でガチで真剣な眼差しをカーリンに向ける。
「私はあなたの顔を見たくない、見せないで。私たちの親友としての関係は六年前に完全に終わったのよ。いくらこの火事を起こしたからって、私がもう一度あなたと一緒にいられると思ったのかしら? もしそうなら、私は魔法であなたを殺す。それだけよ」
そう言って、まだまともに使えない「パープルムーン」を使おうとした時、後ろから誰かがシレスを抱きしめて止められた。
「ダメだ。『パープルムーン』を使ったら、君はまた魔法病にかかってしまうぞ!」
そう。
カーリンの魔法に負けずに炎の中から走ってシレスを止めたのはリミ
「レス、パープルムーンは使ったらダメだよ! 一度治ってもまたかかったら今度はしゃがむだけでは済まないんだからね!」
後から来たレーミア、シレスを一番に愛する二人がやってきたことにシレスは。
なんで、なんでよ!
「パープルムーン」はもう私にも使える。
使えなければ魔法使いじゃないわ。
死神としてなら「星」の魔法なんていくらでも使えるけれど、ここではそれを使えば私はどうな、いや、そうよ。
「パープルムーン」がダメなら「星」の魔法を使えばいいじゃない。
「フフッ、その手があったわね」
しかし。
「レスちゃん、早くしてよ。このままゆっくりしていたらリファン王国なんて僕がすぐに消しちゃうよ。それでもいいの?」
シレスの攻撃をニッコリ笑って楽しそうに待つカーリン。
「くっ」
その姿に心の底から腹が立ったシレスは死神のような恐怖を味わせるように睨むシレス。
どうすればいいのよ。
「星」の魔法を使うか、「月」の魔法を使うか。
いや、ここにいる私は人間よ。
だったら、使う魔法はただ一つ。
ゆっくり深呼吸を三回し、今は魔法の杖がないので、燃えた柱の一部をもぎ取って棒にして。
そして。
「月があなたを照らすなら、私もあなたを照らしましょ。ブルームーン!」
魔法の杖がなくても平気よ。
私は私の可能性を信じて行動する。
初歩の初歩である「ブルームーン」をはただの棒で発動させたシレスに、カーリンは。
「ウフフフッ! レスちゃん、ブルームーンって、本気でそれを使うなんて、意外と君はバカな」
「フフッ、それはどうかしら?」
「え」
シレスのドヤ顔を見て、カーリンは何かに気づいた。
「まさか!」
そう。
「ブルームーン」
この魔法はただの攻撃魔法ではなかった。
使う者によって、形と変化を与える月と対立する太陽にも打ち勝つことが可能な正義と勇気の完璧な魔法であった。
「フフッ、私に勝てると思ったら大間違いよ。あなたは最初から私に負けているんだから」