「どうしたの? 早く君も僕に攻撃しないと、君はすぐに死んじゃうよ。アッハハハ」
余裕たっぷりで勝つ気満々のレーミア。
いや、この状況で言えばレーミアの勝ち目はとっくに分かっている。
分かっているのに、リミルは全く諦めない。
弱音を吐かない。
それが王子の心だろう。
「チッ」
こんな魔法は初めて見た。
「ダークドール」というのはとても危険で当たったら、俺は愛するシレスと結婚せずに死ぬ。
でも、一体どうすればいいんだ?
俺は魔法がほとんど使えない、剣も使えない。
弱い男だ。
俺にできることはただ逃げる、それだけなのか?
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
一瞬でも隙を見つけてここからシレスと逃げ、え、シレス?
一度後ろを振り向いて庭の方を見たリミルはそこにシレスがいないことに気づいて足を止めた一瞬をレーミアから狙われて、一つのお姫様のドールが右腕に当たって爆発して火傷をし、その場に倒れた。
「ああああああああああっ!」
痛い。
なんだ、これは・・・。
生まれてから一度も感じたことのない死んでしまうのではないかというくらい激しく強く体に染み付いて右腕が取れそうなリミル。
その姿に安心したレーミアは。
満面の笑みで笑ってとても嬉しそう。
「アッハハハハハハハハ! やっと当たったね。どう、痛いよね、苦しいよね?」
「あ、はあ、はっ、はああ」
精一杯何か手当をしようとリミルは自分のシャツを左手でビリビリに破いてそれを右腕に巻くが、痛みは全く変わらず火傷はどんどん広がって指先まで赤く腫れていく。
「はあ、はああ、はっ」
これ以上傷が身体全体に広がってしまったらもう俺は死んでしまうかもしれない。
嫌だ、死にたくない。
愛するシレスと結婚できずに、二人で幸せにならずに死んでしまいたくはない。
絶対に!
本気でシレスに恋をして、愛して、幸せになりたくて。
もっとそれ以上に家族になって毎日二人で笑い合いたい。
その夢が叶う前に死ぬことを嫌がるリミル。
だが、レーミアから攻撃を当てられて動けないし、何よりカッコ悪い。
そんなひどい自分に呆れるリミルはゆっくりでいいから起き上がろうとするも、レーミアに次の攻撃をされると分かってしまっているため、今この状況で自分に何ができるのか全く考えらずに仰向きになって空を見て気持ちの整理をする。
傷の度合いはまだ広がっている。
傷が完全に治るのは半年、いや、一年以上かかるのは明らかだ。
俺に治癒魔法が使えたら良かったが、それを使えるのはアーレハ王国だ、あっ、そうだ。レーミア王は治癒魔法を使える。
一番得意と噂されている大切な存在。
彼に頼めばすぐに簡単に消せるが、敵の王にそれを頼むのは「負け」を意味する。
それこそ一番嫌だ。
本当に一体どうすれば・・・。
これが「絶望」なら誰かに助けを求めるのが一番正しいと言えるかもしれない。
けれど、プライドが高い者ほど助けを求めるこそが一番「恥ずかしい」だろう。
しかし、今ここにはシレスがいない。
どこに行ったのかも分からない。
逆に今を使えば何も恥ずかしくも、カッコ悪さもないままレーミアに頼むことは間違いではない。
それを決めるのはリミル。
君だけだ。
シレスのためにまだ逃げ続けるのか。
自分の身体のためにレーミアに助けを求めるのか。
どっちのプライドを取る?
「・・・こうするしかない」
そう言って、リミルは無理やりにでもサッと一瞬で立ち上がり、今度は逃げずにレーミアの元に歩き始める。
「はあ、はっ、は、はああっ」
今はちょうど空が曇っていて太陽の日差しが少ないことがリミルにとって一つの救いになっている。
けれど、火傷は右腕だけでなく上半身にも広がって歩くなんて無理なはずなのに、リミルの足は止まらず歩き続けて、さすがのレーミアは驚いて魔法がほんのちょっとだけ止まりかけてしまう。
「君は、どうして君は諦めない? 王の僕に負けるのがそんなに嫌かな?」
驚きが次第に動揺に変わって唇が震えていくレーミア。
瞳も激しく揺れている。
僕はアーレハ王国の王なんだよ。
スーリス王国の王子がライバルの王の僕に勝てるはずがない。
・・・そうだよ。
僕は王様。
王様の僕に勝てる者はこの世界には絶対存在しない。
存在してもらったら困るんだからね。
「フウー」
やる気と気合いを入れてゆっくり深呼吸を一回して、レーミアは次の攻撃を仕掛けるために一度「ダークドール」の魔法を全て解除した。
対して、リミルはホッとして笑顔を見せた。
「は、良かった」
が。
「は? 何を勘違いしているのかな、僕はただダークドールを解除しただけで攻撃を止めたわけじゃない」
「えっ」
「ダークドールは最強だけど、一番じゃない。ただのダークドールで傷を負った君に僕の一番を攻撃したら絶対に君は一瞬で死ぬよ」
「チッ。じゃあ、どうすれば」
「だから、今からダークドールの進化前のホワイトドールを使う。もし、それで君が勝ったら今日はここで終わりにしてあげるよ」
満面の笑みでもサラッと怖い言葉を言ったレーミアに、リミルは。
「ダークドール」が一番の最強ではなかった?
俺はその簡単な魔法で火傷した。
なんて弱すぎる男なんだ、俺は。
自分の弱さに何度も呆れるリミル。
表情は当然暗くなって下に俯き、そこを狙ってレーミアが「ホワイトドール」、金色の王冠を被った真っ白な王様のドールを地面の奥底から発動させようとした瞬間、月のかけらをイメージしたガラスが空から飛び散り、地面の中に埋まっていたドールを誰かが魔法でそれを全て止めた。
その魔法は「月」の魔法を使えるリファン王族で間違いない。
ただそれが誰なのか、リミルが気づく前に、レーミアはにっこり微笑んで頷いた。
「そっか。やっと使えるようになったんだね。レス」
そう。
その魔法の名前は「ブルームーン」だ。
そして、シレスが魔法を使っているところを見たのはレーミアだけでなくリミルも初めてだった。
「シレス、君、いつのまに『月』の魔法を使えたんだ?」
驚きで口が開いて閉じれないリミルに、シレスは美しく微笑んでこう言った。
「これは始まりに過ぎないわ」
と、自信を持ってリミルとレーミアの元に歩き出したシレス。
表情は変わらず微笑んでいて暗くなることは全くなさそう。
対して、レーミアは本気で嬉しそうに笑って同じようにシレスの元に歩き始めた。
「レス、ブルームーンを使えたってことはもうパープルムーンも使えるのかな?」
「あっ」
この言葉を聞かれたシレスの足はピタリと止まってしまい、地面を見つめて静かに首を横に振った。
「まだ使えないわ。『ブルームーン』を使えるようになったのは今日だから、その、ごめんな」
「謝る必要はないよ。お前が十一年かけて使えたブルームーンはお前にとって特別なことだしお前の言うとおり『始まりに過ぎない』から、何も焦らなくてもいいんだよ。お前にはお前のペースがあるんだから。もっとそれ以上の自信を持って頑張ってね」
一つ一つ優しく愛情のこもった温かいを言葉を毎回かけてくれるレーミアに、シレスはゆっくり頷いて可愛らしく微笑む。
「ええ、あなたが私をいつも応援してくれたおかげでやっと『ブルームーン』を使うことができたわ。本当にあなたは私を一番に考えてくれる優しい人間。嬉しい」
胸に手を当てて感謝の言葉をシレスから初めて言われたレーミア。
返す言葉は当然。
「アッハハ! そうだよ。僕はいつもお前のことばかり考えてるからね。人によっては十一年は無駄な時間だと思われるかもしれないけど、僕は、僕だけは違う。僕はお前の努力をちゃんと知ってる。だって、僕はお前を愛してるからね」
「はっ」
レーミアが最後に言った「愛してる」という言葉。
リミルにとってはこれはライバルの誕生であり、嫉妬の始まりでもある。
だが。
「僕は十一年前からずっとお前を愛してる。一緒に出かけたり一緒に寝たり。他にも僕たちは特別な関係を築いてきたよ」
リミルが悔しそうに唇を強く噛んでいる姿など全く気にせず思い出話を堂々と言うレーミアに、シレスは頷いてちょっとクスッと笑った。
「そうね。ちゃんと今でもはっきり覚えているわ」
忘られない思い出。
懐かしいわね。
お父様たちに内緒で二人で街に出かけて色々なおいしいものを食べて遊んで疲れたら二人で寝て。
とてもいい思い出だわ。
でも、今はもうできない。
今の私にはリミルが、あ、そういえば、私が杖を取りに行っている間、リミルの叫び声が聞こえてきたのは、気のせい、かしら?
レーミアとの会話に夢中ですっかりリミルのことを忘れていたシレスはすぐに走ってリミルの元に行くと、火傷が首筋までに広がっていてめちゃくちゃ痛そう。
「リミル! なんで、あなたが怪我をしているの、誰にやられて」
「あっ、僕だよ」
軽く手を上げて明るく笑うレーミアを、シレスはため息を吐いて軽く頭を叩いた。
「はあっ。ミア、あなたはこの世界で三番目に強い魔法使いなんだから、その自覚を少しは持ちなさい。あなたが軽く魔法を使っても、リミルはすぐに怪我をしてしまうんだから、ちゃんとそこは考えなさい。もう大人なんだから」
二十一歳の大人のレーミアに説教をする十六歳のシレス。
二人はシレスが魔法の練習をし始めた時に父カークから紹介されて知り合い、それから今も超仲良しでシレスのわがままをレーミアはとても可愛がって「うんうん」と頭を撫でて落ち着かせる。
魔法が中々使えなかったシレスの長い時間も共にいて、励まして慰めて。
アーレハ王国の王としての仕事もちゃんと完璧にこなしながら常にそばにいてくれた。
シレスにとって、レーミアは家族のように大切で優しい兄のような温かい存在であった。
「ごめんね。でも、リミル君はすごいよ」
「え? 俺が?」
「うん。全く勝ち目がなかったあの状況で何度も僕に勝つにはどうすればいいか考えていた。そのおかげで攻撃はたった一回だけ当たっただけで済んだ。君、もう少し頑張ればいつか必ず僕に勝てるよ。僕、アーレハ王国の王様がそう言うんだから、ちゃんと信じて今日から一緒に頑張ろうね」
「え? 何をだ?」
言葉の意味が分からないリミルが首を傾げたその時、後ろから誰かに背中を叩かれて
「おい!」
と、力強くはっきりと声を上げたその正体。
「お前たち、何をやっていた! ここはこの国の大切な宝だ。お前たちが何をやっていたのかは知らないが、ここでケンカをすることだけはやめろ!」
もう四十二歳となる大人の父カークがこの国の王様として許されないことをした三人にわざわざ走って怒りに来たのだ。
その言葉を聞いたシレスは真っ先に。
「お父様、私は悪くありません。悪いのは全てミアです。責めるならミアだけにしてください」
自分は絶対に悪くないとはっきりと宣言したシレス。
さすが、わがまま王女の誇りに違いないだろう。
知らないけれど・・・。
シレスがレーミアだけを名前に上げられても、毎度レーミアは満面の笑みでいる。
「アッハハ。ああ、僕がした。何か悪いことでもあるのかな?」
毎度一生忘られないような怪しげに恐怖に最恐の笑みをカークに見せるレーミア。
レーミアは知っている。
「わ、悪くない。お前を責めるなど、一族の誇りを汚すことになる。お前を責めはしない。だから、その顔はやめてくれ、頼むから」
そう。
カークは毎度レーミアのこの笑みを見たら必ず青ざめて怯えて身体を極限まで震わす。
だから、レーミアは毎度シレスから自分のせいにさせられてもこの笑みを見せれば全てが解決する。
いや、させてあげている。
同じ王でも、歳は全く関係ない。
レーミアはカークとは比べものにならないほどに全てが完璧で乱れがない。
仕事以外はなんでも適当で自分の後片付けさえもできないカークに対して、レーミアは自分にできること、服も掃除も食事もその他にも自分の世話は他人に任せなくても一人で今も生き続けている。
格が全く違うのだ。
四十二歳と二十一歳。
歳が違えど、自分にできることが少ない程、国民の人気は大きく差が生まれる。
仕事だけができれば良いというわけではない。
身の回りのこと、お城での生活。
国民が気になる疑問に全て答えられる人間でいなければ王としての存在は危ぶまれる。
そのことが理由でカークはレーミアに対しては態度が一気に弱くなり、会う度に怯えて隠れて落ち込む。
そんなだらしない父の背中を見て育ったシレスは特に気にして、いや、あえてそれを利用してわがままを言っているのだ。
ミアがいればお父様は普段よりもだいぶ弱くなる。
「フフッ」
弱った人間を見るのは本当に最高だわ。
なんて最低なことを考えているのだろう。
人の悪いところを好むこの性格の悪さ。
まるで人間の魂を食らう死神のような怪しい瞳を見せるシレス。
だが、それでも。
「アッハハ、レスは本当に可愛いよ」
なぜかその瞳を見てとても幸せそうに笑うレーミア。
その理由は。
「レスは僕の権力が一番大好物なんだよね? 分かるよ、僕もそう思っているからね」
シレスだけでなく自分の権力をシレスの次に好む王のレーミア。
普段は何も使うことはないのに、シレスの前になるとついつい使ってカークを困らせる。
小さい時からそうだった。
シレスが怒られたらわざと自分のせいにさせて、王の権力でそれを黙らせる。
レーミアも中々性格が悪く、相性で言えばリミルよりもレーミアの方が確実にシレスともうとっくに気が合っている。
僕とレスの絆は誰にも負けないよ。
リミル君。
君がスーリス王国の王子でも、アーレハ王国国王の僕に勝てるのは、そうだね。
あれが良いかな。
何かリミルが自分に勝てる方法を思いついたレーミアがサッと軽く手を上げた。
「ねえ、今日から僕とリミル君はこの城で共同生活をして、二人でちょうど一ヶ月後に僕と同等の魔力を取得させる。いいよね、カーク?」
「えっ」
「ふーん」
「なっ!」
突然意味の分からない言葉を堂々と口にしたレーミア。
その目的は。
「リミル君は魔法が全く使えないみたいだし、剣も使えない。王子ならこの二つは使えるのは当たり前のことだよ。それに、ライバルとして、こんなに簡単にレスを奪いたくはないからね」
そう言って、結婚を約束したリミルの前で堂々と軽く丁寧にシレスを横に抱えてドヤ顔で
「レスは僕の宝物だよ」
というようなライバル心を強く出させるレーミア。
当然リミルも。
「分かりました。あなたの言うとおりにします」
「うん、それでい」
「でも、これだけは約束してください」
「何を?」
「俺の前でシレスに触れないでください」
と言うと、リミルは横に抱えられているシレスを自分の腕の中で抱きしめてジッと王子のくせに王様のレーミアを睨んだ。
そして。
これは、何よ?
私はオモチャじゃないのよ。
私にもちゃんと心があるわ。
それに「ブルームーン」を使える立派な魔法使い。
子供扱いをするなら、今すぐここから逃げて部屋に引きこもって寝、いや、ダメよ。
まだリミルの傷が治っていないわ!
抱きしめられている腕をパッとすぐに離して、シレスがそっと火傷に触れる。
「あっ・・・」
この傷は私には治せない。
「月」の魔法書にもそれらしきものは載っていない。
でも、リミルも分かっているはずよ。
治癒魔法を得意とするミアの存在を。
リミルは私を奪い合う? ライバルだから自分から言えなくてこうなった。
私がもっと早く杖を取りに行ってここに戻ってきたらリミルは怪我をせずに済んだ。
本当に、「面倒」な男ね。
「はあっ」
何も迷うことなく恥ずかしくも思わずにレーミアに傷を治すように頼んでおけば良かったものの、男のプライドというものなのか、それをできなくて今に至る。
最悪で悔しくて。
弱い。
でも。
「ミア、今すぐリミルの傷を治しなさい」
「えっ、シレス?」
俺ではなく君がそれを言うのか?
立場が逆転したシレスとリミル。
「あなたが本気で私を愛しているなら、自分で自分を治せる力を持っていないからこうなったのよ。自分の身体を大切にしなさいとは言わない。むしろ、自分の身体を守れるように頑張りなさい。これで以上よ」
そう言って、シレスはこれ以上は時間の無駄なので自分の部屋に戻って行った。
あとに残った三人は。
リミルとレーミアは。
「チッ」
一人の男として、敵のレーミア王に傷を治してもらえるわけがない。
俺はただの王子だ。
レーミア王は俺よりも立派でこの世界で一番王にふさわしいお方だ。
本来なら頭を下げて願うのが礼儀だが、今の俺はもう立っていることが精一杯で動いてしまったらまた傷が広がっていくかもしれない。
・・・でも。
男のプライドを守りながら傷の治りを願うにはどうすればいいのか、リミルは恐る恐るレーミアと顔を合わせたら
「アッハハ、分かったよ」
と、満面の笑みを見せた。
「レスに頼まれたから君の傷を治すよ」
「え、いいのですか?」
「もちろん。だって、さっきも言ったとおり、ライバルの君からレスを奪うのは君が力をつけてからだよ。今弱っている君からレスを奪うなんてそんな簡単なこと、僕は絶対にしたくないからね」
最後の一言でレーミアは怪しく美しく微笑んで自信満々な姿をリミルに見せてそっと目の前に立った。
「少しだけ触れるよ。痛くてもさっきみたいに叫ばないでよね」
「はい、耐えます」
「アッハ。じゃあ、するよ」
真剣な眼差しでリミルの右腕を優しく触れて掴んで。
それから。
「スノードール、リミル王子の傷を癒して、一生その痕を残さないで、絶対に」
そう言うと、空から雪と薄水色のローブを被った女神のような美しいドールが降り、次第に雪の結晶に変わってレーミアがその中の一つを選んで取り、それを右腕に当てて一瞬で傷が治った。
「はっ」
痛くない。
心までもが癒やされたようだ。
傷は全て消えて痕など全く存在していなかったかのように綺麗に完全に治った。
安心したリミルの表情はとても嬉しそうに明るく笑っていて、レーミアも同じように笑ってライバルとは思えないほどに仲良しに見えている。
「リミル君、君の魔法はどんなものがあるのかな? 確か、スーリス王国は鏡だった、よね?」
「はい、そうです」
全く上手く使えないが・・・。
そう。
スーリス王国の魔法は「鏡」だ。
この「鏡」の魔法は王国に暮らす全ての人間が持っていて、色や形はみんなバラバラで面白い。
使い方としては「鏡」の中に入って行きたい場所へものすごいスピードで、例えるなら街から田舎まで片道二時間半を魔法を使えば十五秒で着いてしまうという日常生活ではとても便利で使いやすいと他の国では「羨ましい」と噂されている。
けれど、それを使うまでの期間がとても長く、練習を始めるのは十二歳からと決まっていて、二十歳になるまでには五つの魔法を使わなければ成人にはなれないという決まりもある。
リミルは今十八歳。
あと二年経てば二十歳になるが、たった一つの魔法しか使えない。
それも攻撃魔法などではなく「鏡」の魔法の中で一番小さい魔法。
「フラワーミラー」
花畑の中に鏡を置いてそこから水を出して枯れた花を戻す一番簡単な魔法。
「フラワーミラー」は誰でも一ヶ月あれば簡単に使えるし、リミルも一ヶ月で使えるようになっていた。
ただ一つ問題があった。
十四歳の時、大切に花畑を育てているお城の庭師が雨が二週間降らなかったせいで半分花が枯れて落ち込んでいるのを見て「フラワーミラー」を使い助けたその時、持っていた「鏡」が突然燃えてとっさに手放してしまい、それが庭師の大切な花畑に落として全て燃やしてしまったのだ。
もちろんリミルは庭師に謝っていた。
が。
『王子様だからって、私の大切なものを奪うなんてひどいですよ!』
大粒の涙を流しながらそのままお城から出て行った庭師の背中を今でもリミルはよく覚えていて、一生忘れられない過去であった。
魔法を使う、使おうと思った時には頭の片隅には必ずあの時の庭師の背中が蘇って一瞬使うことを拒んでいた。
当然今もあの時の記憶で魔法を使うことを少しだけ恐れている。
そして、魔法を全く使えないシレスを、自分と当てはめてどこか同情してしまっているのも事実だ。
魔法がなくても大丈夫だと今でもそう思っている。
だが、「月」の魔法を使えるようになったシレスを守れないのはカッコ悪い。
夫になるなら妻になるシレスを守れるのは当然のことだ。
過去は一生消えない。
しかし、変えることはできる。
変えてみせる。
俺の力で。
あの時の記憶がまた何度も蘇っても、今からのリミルならきっと乗り越えられるだろう。
王子としてではなく、一人の人間として、成長できるように信じて。
「ねえ、君はこれからどんな人間になりたいの?」
突然人生を大きく変えてしまうであろう驚きの言葉を言ったレーミア。
その目的は。
「僕はもう成人。お酒も飲めるし一人でどこへだって行ける。魔法が使えればの話だけどね」
最後の余計な一言に、リミルは
「チッ」
と、軽く舌打ちをしたけれど、それは一瞬で、大人のレーミアに勝てるように真剣に向き合って表情を落ち着かせる。
「あなたは魔法が使えることが幸せですか?」
突然の質問にレーミアは一瞬驚いて首を傾げたが、明るく笑ってはっきりと頷いた。
「うん。とても幸せだよ」
「魔法は使えれば使えるほど、強くなれますか?」
「それは何に対してかな?」
「全て、です」
「全て、ね。うーん、僕は王様だから魔法は使えるのは当たり前なんだよ。逆に使えなかったら、過去も今も誰にも頼られない信用できない人間としてみんなから雑に扱われる。これが現実。大嫌いな現実、なんだよ」
暗く悲しい表情を初めてリミルに見せたレーミア。
その言葉は正しく、国王としての誇りを捨てられないのもレーミアにとっては「面倒」で「厄介」で。
大嫌い。
シレスが魔法が大嫌いなように、レーミアにも現実という一生付き纏う最悪なものが大嫌いなのであった。
「今日から僕が君に魔法と剣を教える。逃げたら殺すから、それなりの覚悟は身につけていてね。全ては君に委ねられていることを、絶対に忘れないでね」
真剣な眼差しで同じ男としての覚悟を確かめるレーミアに、リミルは当然。
「俺は絶対に逃げずにシレスを一番に守れる強い男になります!」
本当にガチの本気を胸に刻んで美しく微笑んで宣言したリミル。
その姿に嫉妬したレーミアはあることを思い出し、怪しげに微笑む。
「アッハハ。じゃあ、僕は君が強い男になるその時までシレスのそばにいようかな」
「えっ、何を言って。約束は忘れたので」
「何を言っているの? 君が言ったんだよ、『俺の前でシレスに触れないでください』ってね」
「あっ」
レーミアから言われて初めて気づいた大きなミス。
これはリミルにとって、最悪で悔しくて。
恥ずかしい。
やはりレーミア王はとても賢いお方だ。
国王というだけあって、常に俺の思考よりも先に全てお見通しにする。
なぜ、こんなに勝ち目のない雰囲気を出してくるんだ。
王だからなのか?
それとも年上だからなのか?
分からない。
簡単に分からせてくれない。
それがレーミアという絶対的存在の持ち主。
俺が一生勝てないお方だ。
レーミアの完璧な言葉、仕草、行動全てがリミルの思考を歯車のようにグルグルと何度も回転させて余計な思考を増やす。
だからと言って、レーミアはシレスが言ったとおりこの世界で「三番目に強い」魔法使い。
一番ではない、三番。
これほど完璧なレーミアよりもさらに二人が上にいることが誰もが信じられないだろう。
しかし、これもまたレーミアが大嫌いな現実。
「僕が一番になっていたらレスはもっと喜んでくれていたのに、残念だよ。本当に」
そう言って、レーミアがリミルの肩をトンっと優しく叩いてそのまま魔法の薬を口の中に入れて眠らせた。
その様子をじっと黙って見ていた陰がめちゃくちゃ薄いカークを、レーミアはクスッと軽く笑って
「秘密にしてね」
と、約束を持ちかけて当然カークは頷いた。
「分かった。絶対に秘密にする。俺はもう仕事に戻る」
「ああ、無駄な努力で頑張るといいよ。まあ、お前は一生僕には勝てないんだからね。アッハハハ」
機嫌良くリミルを横に抱えて夜空をイメージした青色の壁と天井、それに紺色のオシャレな寝台が二つ付きの豪華で綺麗な空いている部屋に勝手に入ったレーミアとリミル。
いや、今はリミルは眠っているから勝手ではないだろう。
これは確かに。
横に抱えていたリミルをそっと寝台の真ん中に横にさせて、レーミアは
「ああ、僕も眠いから、寝ようかな」
と、勝手にリミルの隣で一緒に寝たのだった。


リミルとレーミアが昼寝をしている間、シレスは一人で今度は赤色の薔薇がたくさん咲き誇っている裏庭で杖を構えて目の前に本物の敵がいることを想定して「パープルムーン」の練習を始める。
「フー」
大丈夫。
私はちゃんと条件を満たしている。
今は十六歳でリミルと結婚の約束をしたわ。
だから、絶対に使えるはずよ。
ゆっくり深呼吸をして「ブルームーン」と同じように自分から敵に立ち向かって走って近づき、魔法の言葉を。
「怪しく綺麗に輝く紫色の月よ。私と一緒にその輝きを纏いなさい、パープルム、あっ!」
「パープルムーン」 
と言おうとした瞬間、なぜか声が出なくて身体中が震えて。
その衝動で地面に降りたシレスは何が起きたのか全く理解できずに頭を抱えて困惑する。
ちゃんと魔法の言葉は言った、はずよ?
でも、最後がおかしかった。
「パープルムーン」と言うのに身体が拒んで動きが止まった。
なんで?
私は条件を満たしていないの?
そう。
二つ目の条件。
結婚、または恋人が存在していること。
これはまだシレスは満たしていない。
それがいつになるのかも決まっていない以上、何度も言おう、「パープルムーン」は練習さえもさせてくれないのだ。
魔法の言葉を言っても最後の
「パープルムーン」
を言わなければ魔法は発動するどころか持っている魔力が半分も失われる。
それはシレスだけではない。
カークや他のリファン一族全員が必ず通られなければ一人前になることは無理だと噂されているほど、厳しく、そして命をかけてでも「パープルムーン」を使えなければクムシュ国には行けない。
無力な存在として国民から嫌われて投げられて絶望する。
「パープルムーン」はそういう危険な魔法の一つであることをシレスはまだ知らない。
いや、知らない方がシレスのためになるだろう。
だって、シレスは
「魔法を嫌うお姫様」
というあだ名がある限り、これ以上わがままを言い続けてしまえばシレスはいつか早いうちに誰かに殺されてしまうかもしれない。
リミルよりも先にシレスが誰も好きになることなく悲しい微笑みを見せて静かに眠るように死ぬ。
わがままを言っていいのは九歳まで。
十歳になったらもう大人になる道を歩んで小さい頃に戻るなどあってはならない。
そして、過去に戻ることも許されない。
この世界はそういう世界なのだ。
どこで暮らしていても、いつ誰かに命を狙われて誰にも見つけられないまま空へと旅立つ。
だから、私はシレスにそんなことはしてほしくない、させたくない。
あなたを愛する人間はもっとたくさん存在している。
それにまだあなたは出会っていないだけ。
出会いは喜びとなり悲しくもなるだろう。
でも、別れる時も同じだ。
出会いと別れは全て「運命」だ。
「運命」というものは誰にも作られない自然なもの。
私はそれを一番に理解している。
そしていつか、あなたたち人間に会いに行きましょう。
それまではどうか、死なないで、元気な笑顔を見せてください。
「はあっ」
なんで、なんでよ!
「パープルムーン」の練習に苦戦して一時間が経った。
「は、はあ、あああああっ」
できないため息と自分にはできないのかという悔しさで叫び声を上げたくて上げたくてたまらないシレス。
進化前の「ブルームーン」を使えた今日、「パープルムーン」も余裕で使えると思っていたのにこんなに難しいなんて、そんなことあっていいの?
「パープルムーン」以外にも条件付きの魔法はいくつも存在している。
それも比べものにならないほど、人生を変えられなければいけない重要な魔法をシレス以外のリファン一族は当然使える。
シレスはまだまだ甘すぎる。
今日「ブルームーン」が使えたからと言って、今日「パープルムーン」も使えるはずがない。
確実に無理だ。
諦めないことはいいことだ。
しかし、自分の限界を超えてでも諦めずに挑み続けるのは身体を壊すので良くない時もある。
今のシレスはどうだろう?
さっきのレーミアの魔法で火傷を負った姿を見て、魔法に対しての気持ちは少しは変化しているはずだと私は思いますが、一体どうなのでしょうか?
私は人間ではないので身体の作りも全く違うので偉いことは言いません。
ただ、あなたはこう言いました。
「自分の身体を大切にしなさいとは言わないわ。自分の身体を守れるように頑張りなさい」
と。
他人にはこう言って、自分には甘い。
シレスは言い方はとてもきついですが、一つ一つ思いやりが込められてリミルとレーミアはそこに惚れて愛している。
愛の形は人それぞれであり、とても美しいもの。
恋に全く興味がないシレスも、いつかは恋をして「運命」の相手と結ばれる。
しかし、今はそれどころではありませんね。
今はシレスの練習を観察して。
「ああああああああああああああああっ。ダメ、できない、できないわよ。なんで!」
私に何が足りないのよ?
結婚はリミルと約束し、いや、約束しただけで実際は結婚していないわ。
恋人でも婚約者でもない。
ただの他人。
「はっ!」
じゃあ、私はリミルと結婚しないと「パープルムーン」の練習は、魔法が使えない?
「そんなの嫌よ。この一ヶ月で私は『パープルムーン』を使う。簡単なことなのに、練習ができないなら一生無理じゃない。はあ、リミルと一度話をしないと前に進めない。リミルの部屋に行きましょう」
「パープルムーン」を使うため。
自分のため。
人のためじゃないわ。
私が人のために行動するなんておかしいじゃない。
私はそんなに甘くはないわ。
王女として、誇り高く可愛い存在として。
他人のリミルと結婚して家族にな、る、の、よ?
「え、ええ、ええええええええっ」
結婚したら家族になるの?
家族になって一生を共にする、そんな存在になってしまうの、リミル?
「え、な、な、なな、なんか、それを考えたら、吐き気、がしてきたわ」
失礼にも程があるが、実際はそうなる。
他人のリミルと結婚をすればその時点で家族になる。
結婚して、家族が増えて。
子供の成長を見届けて歳を取って死を迎える。
これは王族も貴族も庶民も共通している。
全く知らない他人と出会って仲良くなって好きになって、恋人から結婚して家族になる。
とても幸せなことだけれど、今それを知ったシレスはなぜか吐き気がしてリミルの部屋に行こうとしたが、力が抜けてその場に倒れて青空を見る。
「全く知らなかったわ。リミルと結婚の約束をしたのはリミルが作るものがどれもおいしくて、一緒にいたら毎日おいしいものが食べられる。そう思っていたから結婚を約束した。でも、違った。結婚は家族になること、一生の幸せを誓うこと。簡単そうで難しい人生に関わる大切な問題。私、そんなことができるのかしら? 私は恋よりも魔法を極めたい。いつかクムシュ国を滅ぼす、そんな強い大魔法使いになりたい。いや、なってみせるわ。絶対に」
恋よりも魔法を優先することを決めたシレス。
その判断はいつか正しいと思える日がくるかもしれない。
後悔もするかもしれない。
それでも。
「私は私のために生きる。恋なんてしなくても、私はそのうちこの国の女王になる。そして、大魔法使いになる。お父様には反対されたけれど、私は一生諦めないわ。諦めるくらいなら全てを捨てた方がマシよ。フフッ、そうと決まれば、練習再開よ!」
前向きなのか、意地なのか。
どちらとも言えない言葉。
この世界に魔法がある限り、全ての人間が魔法を使えて当然の世界。
国によって魔法は違うけれど、それぞれの生活や可能性の数々のために動き続ける人生。
どんなことがあっても、シレスは今と同じことを言えるだろうか?
あとで後悔してなしにするなど、それこそ性格の悪さが現れる。
いや、元々悪いから関係ないのか。
王女に生まれたことをみーんなに自慢してドヤ顔して、カークに怒られる。
今まではそれの繰り返しだったけれど、今からのシレスなら違う道を選んだことでそれすらもきっと忘れる。
大嫌いな魔法でも、自分のためにできるなら、諦めずに挑み続ける。
たとえ嫌になっても無理になっても。
シレスならきっと一人で立ち直れる。
私はそう信じている。
ずっと。
どこまでも。
練習を再開し、シレスは何度も飛び回ってクムシュの弱点である左腕を狙って魔法の言葉を言い続ける。
が。
「パープルム、コホッ、は、っあ。うっ」
ダメだわ。
何回しても最後の「ムーン」が言えない。
なんで?
私、こんなに頑張っているのに、なんで、声が途切れて咳が出るのよ?
意味が分からないわ。
この調子で行ってしまえば、一ヶ月なんて絶対に無理。
いや、一生無理になってしまうわ!
そんなの嫌よ!
「私は本気で『パープルムーン』を使いたいのに、身体が言うことを聞いてくれない! なんでよ!」
魔法の言葉では言えないのに、普段の言葉では簡単に言えるこの辛さ。
あと最後の三文字を言おうとすればするほど、咳や息が詰まって思うように身体が動かない。
いや、自然とそうされてしまう。
「きっと誰かに操られているんだわ。おかしいじゃない、残りの三文字を言えないなんて、操られていないなら何が原因なのよ? こんなの誰に言っても信じてもらえない。嘘つきだと噂される。ひどいわよ、こんなの・・・もう」
一人で文句を言ってもそれこそ何の意味もない。
あるわけがないのだ。
あってしまったら、それはシレスの好都合で他の人間からすればどうでもいい。
ただのわがまま。
だが、それも悪くないだろう。
なぜなら。
「レスは本当に可愛いね。その姿を見ているだけでドキドキしてしまう。はあ、愛おしい」
満面の笑みで昼寝をしていたはずのレーミアが後ろから声をかけてきたのに、シレスは毎度クスッと軽く笑って嬉しそう。
「フフッ。ミアが来てくれたならそれで満足だわ」
「アッハハ! 中々嬉しい言葉を言ってくれるね。レス、パープルムーンに苦戦しているみたいだね。僕が手伝ってあげようか?」
「大丈夫よ。これは私の問題だから、ミアは私が使えるまでそばにいて。絶対に、離れないで」
「分かったよ。お前が満足するまでそばにいる。だから、無理しないでできるところまで頑張ってね」
「ええ、ミアがそばにいてくれるなら心強いわ」
「アッハ。そう言ってくれるのも嬉しいな。レスは嬉しいことしか言ってくれないから困ってしまうよ」
「フッ、当然よ。私とミアは一番の仲良しなんだから、常にそばにいることはおかしいくないわ。でも、最近はそばにいてくれなかったから、お父様に怒られてもミアのせいにはできなかった」
「ごめんね。僕もレスのそばにいようと仕事を一生懸命寝ないで頑張っていたはずなのに、次から次へと仕事が増えてくばかりで今でも困っているよ。はああっ」
「別に、ミアは悪くないわよ。悪いのは面倒ごとを押しつける国民のせいよ。王のミアにため息をつかせるなんて最低よ」
「アハハッ、確かにそうだね。でも、これ以上言ったら君が罰を受けることになるから、その辺で、止めよう、ね」
右手の人差し指を当てて優しく唇に触れて注意したレーミア。
王としての誇りと、シレスを愛する気持ちと。
どちらかを上にするのではなく、両方を上にして注意する時も可愛がる時も。
全部シレスのためにやって、ダメなことはダメでも言い方を変えることでシレスを傷つけない。
嫌いにさせない。
良いことをした時はいつも以上に優しい言葉をかけて褒めて抱きしめて笑い合う。
これがレーミアのシレスへの愛情。
リミルとは全く違って、とにかく「優しい」のだ。
レーミアはシレスにこの世界で一番シレスに「優しい」人間像を見せて喜ばせる。
これも一つの愛情だろう。
だからって、愛情ばかりを与えるのはいいことではない。
時に厳しく怒ってケンカをすることもきっとこれからはあるかもしれない。
レーミアも一度だけそういう日があった。
今はもうとっくに忘れているが・・・。
「レス、お前のわがままは本当に愛おしい。全て僕にぶつけて壊れてしまっても、僕だけはお前を一番に理解している」
「分かっているわよ。もう百回以上聞いたから飽きたわ」
「アハハッ、そうだよね、飽きちゃうよね。でも、それでいい。お前が飽きても僕は何度でも言う。お前が死んでも、一生頭に焼き付けて離れないように、いつも願っているからね」
そう言って、軽くシレスのおでこにキスをしたレーミアの顔はほんのちょっとだけ寂しそうに暗く笑っている。
シレスはそんなレーミアの暗い表情を見る度に思う。
やっぱり、ミアだけだわ。
死んでも私を愛してくれるのは。
絶対に大切にして、私もミアを愛したい。
けれど、私はリミルと結婚を約束した。
約束は一生消えない傷みたいなもの。
どんなに離れたくても、約束を交わした限り、一生付き纏う。
それが「約束」よ。
今になって後悔してもいいのかしら?
まだ間に合うのかしら?
どっちにしても、私が全て決めなければいけないのよ。
リミルかミアか。
どっちを選べば私に得がある?
いや、もの扱いは良くないわ。
真剣に考えないと、両方傷つける。
「くっ、難しいわね」
髪を雑にかき乱して唇を噛んで一生懸命考えるシレス。
だが。
「レス、そろそろ夕食の時間だね。何を食べたいのかな?」
時計も午後十八時に変わり、空も水色から青色、黒へと変わって少しずつ月が顔を出してくる時間。
「お昼はリミル君が作ったみたいだから、夕食は僕が作るよ。それでいいかな?」
「ええ、もちろんいいわよ。ミアに任せるわ」
「じゃあ、レスの嫌いな魚にしようか」
「それはやめて! 魚は鱗がついて目も骨もある嫌な食べものよ。それを嫌う私に食べさせるならあなたをお」
「アッハハ! 冗談だよ、冗談。僕はそんなひどいことをするバカじゃない。安心して、レスが嫌いじゃないものを作るから、それまでは一人になるけど、大丈夫?」
「ええ、平気よ。終わったら呼びに来なさい。それまでは練習をしているわ」
「アッハ。レスは頑張り屋さんだね。僕とは大違い」
「そんなことないわよ。ミアは私よりも頑張って王の仕事をこなしているんだから、私と比べたらダメよ」
そんなことは言っても、シレスは励ましているように聞こえても。
シレスの顔は暗く苦笑いを浮かべてどこか悔しそう。
それはそうだ。
十一年一緒に過ごしてきた大切な存在の、年上、国王のレーミアとシレスは何度も比べてきた。
自分にはできなくても、レーミアはあっという間にコツを掴んですぐにできるようにする。
この違いが何なのか?
シレスは今でも謎でどこを直せばいいか分からない。
直すべきところを全く理解していない。
けれど。
「練習をするのはすごいことだよ。でも、何度でも言う。絶対に無理をしたらダメ、身体を壊したら僕は悲しい。愛するお前が僕よりも先に死ぬなんてそんなこと・・・」
シレスを心の底から心配で冷や汗をかくレーミアの肩をシレスがそっと優しく撫でてあげる。
「大丈夫よ。私が死ぬのはあと五十年以上先。魔法を使えずに死ぬ弱い女になりたくないから。ミアこそ、安心しなさい。私はここにいる、あなたをずっと待っているわ」
そう言って、シレスはゆっくり背伸びをしてレーミアの頬にキスをした!
「あっ、レス?」
「・・・え」
私、今、何をしたの?
生まれて初めて好きなのかも分からない男のレーミアの頬にキスをしてしまったシレス。
理由も意味も全く頭が追いつかない。
しかし、それがシレスの心を大きく変えていくのは確かなことであった。
「かああああっ」
私、どうしてしまったのよ。
こんなに胸がドキドキするなんて初め、初めて?
まさか、これも恋、なの?
でも、リミルの時とは全く違う。
ミアは一度も私を押し倒したことはない。
むしろ、それをしてしまったら私が嫌うと分かっているからそうしなかっただけ。
そう考えると、自分の欲望を抑えられないリミルと、私を傷つかせないように常に優しく守ってくれるミア。
リミルもミアも私を一番に考えてくれる。
大切にしてくれる。
この二人に出会えていなかったら、私はきっともうとっくに誰かに殺されていたのかもしれない。
わがままで自慢して堂々と他人を傷つける。
三つの最悪な部分を持った私を殺すなら誰でも関係ないわ。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃないわ。
「はあっ」
一旦気持ちを切り替えて、なんとかサラッと微笑んで持ち直すシレス。
「ミア、夕食、楽しみにしているわね」
「あ、うん。すぐに作ってくるからね。じゃあ」
顔を真っ赤にしてシレスの瞳を見ずにその場から立ち去ったレーミア。
その理由は。
レスが初めて僕にキスをした。
頬だけど。
それでも嬉しい。
やっと僕を男として見てくれるみたいだね。
このまま恋のスピードを上げて前に進むのも悪くないのかもしれない。
レスが良かったらの話だけど・・・。
シレスにキスをされた頬にそっと右手で触れたレーミアの顔はとても嬉しそうに明るく微笑みながら調理部屋に入って行くのだった。


そして、シレスは。
「怪しく綺麗に輝く紫色の月よ。私と一緒に纏いなさい、はあああっ、パープル、ム、ム、ムーン!」
ようやく言えた? 残りの三文字。
すると、キラキラと流れ星のように輝く星たちが両腕の中に埋められて、その衝動で一瞬激痛がシレスに襲いかかった。
「かあ、は、はあ、はっ、は」
できた、の?
激痛と共に両腕は次第に美しい色鮮やかな紫色に染められて、そこからとんでもないパワーが溢れて勢いよく走って木の板は紫色のペイントで塗り潰されて砂のように消えていった。
「はあ、はっ、はあっ」
同時に、シレスの両腕には死んでも残り続けてしまう魔法の傷が完成してしまった。
でも。
「やった、やったわ! 私も『パープルムーン』を使えた。形は全く想像できなかったけれど、使えたならそれでいいわ。これで私もクムシュ国に行ける。戦える!」
自信と期待が高まったのは良かったものの、シレスは何も気づいていない。
その傷がどういう意味を示すのかを・・・。


「レス、準備できたよ。食べよう」
大きく手を振って呼びにきたレーミア。
しかし、シレスの腕を見て一瞬で言葉を失い、何かに絶望したかのように足に力が抜けてしゃがみ込んだ。
「え・・・」
どういうこと?
どうして、レスの腕にあの傷がついてしまったんだよ?
もし、このままだったら!
シレスのためにシレスを助けるために、レーミアは急いで迷うことなく走ってシレスの元に行き、緊張した様子で手が震えているけれどそこは気にせず、「スノドール」を使う。
が。
「傷が、治らない」
二番目に得意な「スノードール」でもシレスの魔法の傷は全く治らない、消えない。
なぜか。
レーミアの不思議な姿に、シレスは首を傾げているばかり。
「ミア?」
どうしたのよ。
こんなミア、初めて見たわ。
あ、あれを言ってなかったわ。
「ミア、私、さっき『パープルムーン』を使えたの」
「え」
「それでこの傷がついて力が湧いて魔法が発動して、それから」
「レス、本気で言っているの?」
震えた声で一瞬でレーミアが動揺していることが分かったシレスだが、一体何に動揺しているのかが全く分からず、レーミアがずっと見ている魔法の傷をもう一度見てみる。
けれど。
ん?
何もないじゃない。
ミアはこの傷が嫌いなのかしら?
だったら見せない方がいいわね。
これ以上レーミアに暗い表情をさせないためにシレスが両腕を背中に隠すと、レーミアが突然大粒の涙を流し始めた。
「ふ、ううっ、ああ」
「え! ミア、なんで泣いているのよ? この傷、そんなに嫌だったの?」
「ふ、ううっ、く」
「ちょっと、何か言いなさいよ。分からないでしょ」
「ああ、う、ふ」
「・・・・・・」
この傷はミアにとって、見たくないものだったの?
じゃあ、着替える必要があるわね。
部屋に行きま
「待て」
物音など一切鳴らさずにここに来たのは
「今まで何をしていたのよ。リミル」
そう。
レーミアに魔法の薬を飲まされて眠っていたリミルがちょうどいい時間に目覚めてここにやってきたのだ。
「シレス、レーミア王を泣かせるな」
「別に私は悪くないわ。ミアが勝手に私の腕を見て泣いたんだから、私のせいにしないで」
「別に俺は君を責めるつもりは全くない。だが、たとえ王女の君でも、レーミア王を泣かせることは必ず罰が与えられる。それは覚悟しているんだよな?」
「はあ? リミルは私を信用していないの?」
「もちろんしている」
「しているのに、私を疑うの? 最悪ね、あなた」
「俺たちは将来夫婦になるんだ。疑うことも、ケンカすることも当然ある。今がその練習だと思ってくれたら君も嬉しいだろう?」
「はっ!」
嫌な言い方をするわね。
でも、残念。
「私はもう魔法だけで生きていくと決めたの。あなたと結婚はしないわ。絶対に」
真剣でわがままで力強く見捨てるかのようなきつい言い方。
だけど、リミルは。
「何を言っているんだ? 俺は絶対に君を幸せにする、夫になるべき存在だ。それを君はまだ何も分かっていない。分かろうとしない。なぜだ、なぜ俺の気持ちを考えない、思わない? 俺の何が足りないのかはっきり言ってくれ。一体、何をすれば君は、俺を愛してくれる?」
大粒の涙を流しながらシレスの肩を掴んだリミル。
その言葉は本音で全く嘘などついていない。
いや、つくことを恐れている。
シレスに嫌われたくないから。
全てシレスのために生きている。
シレスが喜ぶ顔、楽しそうな顔を想像しておいしいものを心から嬉しそうに作っている。
それを裏切られたとは思っていない。
ただ、何かが悔しくて、悲しくて。
意味の分からない涙がこうして溢れている。
ただそれだけなのだ。
しかし。
「あなたの気持ちなんて私には一生分からない。知りたくなかった。私はもう、誰も好きにならないわ。好きになってしまったら、今までの私を失うことが怖いのよ。あなたこそ、私の気持ちを分かりなさい。あなたが王子であろうと関係ない、一人の人間としてあなたを好きになるのは無理よ。あなたと結婚して家族になるのが怖いの」
「えっ」
「もし結婚したら、あなたは何を一番優先するか自分でも分かっているのかしら?」
「・・・分からな」
「私よ」
「はっ!」
「私を一番優先して他のことなんて完全に忘れて放っておく。ただの妻になる私のことばかり考えて、私の喜ぶことしか頭にない。そんな怖いことをしようとするあなたが一番怖いのよ!」
「あっ・・・」
また、同じことを言われた。
これで何度目だ?
俺の愛は誰にも届かないのか?
シレスは違うと思っていた。
自分勝手でわがままでも、いつか心から俺を好きになってくれるとそう信じていたのに、こんなに頑張ったのに。
また俺は「怖い」という言葉を言われてしまった・・・。
「チッ」
俺はまだまだ甘かったようだな。
シレスを愛しているのは王女だからという理由ではない。
一人の人間として、初めて会った時からその可愛らしい姿に惚れて一瞬で好きになった。
今までとは違う「愛」を与えたかった。
それだけなのに、俺は同じことを何度も繰り返してこうなった。
「はああっ、俺の何がダメなのか、教えてくれ。何でもいいからさ」
リミル・スーリス。
この男が何度も繰り返してきた恋は全く同じだった。
でも、それでもシレスだけは違ったらしい。
誰にも分からないけれど。
リミルが暗く深く落ち込んで雑に手で涙を拭う姿に、シレスは無表情で少し距離を置いてこう言った。
「あなたが好きなのは私じゃないわ。あなたが好きなのは相手を愛することだけを考えられるあなたでしょ」
「はっ」
そう言われて初めて気づいた自分の恥ずかしさ、憎しみ、弱さ。
それらが入り混じって絶対に溶けないこの胸苦しさ。
リミルはその言葉でもうシレスの顔を見ることが気まずくて下を向いて
「悪かった」
と、リミルがその場から立ち去ろうとした瞬間、シレスの心臓がドクッと激痛が襲いかかり、呼吸が上手くできずにしゃがみ込んだ。
「は、は、はああ、はあっ、ああっ」
何よ、これは?
息ができない。
なんで?
私がミアとリミルを泣かせたから?
それとも、他に原因があって・・・うっ。
呼吸ができないのはその理由ではない。
よーく身体のどこかを見れば、シレスは気づいて、いや、レーミアが先に気づいて優しく頭を撫でて「スノードール」を使う。
「大丈夫だよ」
「ミ、ア、わ、わ、わた、私、どう、し、ちゃっ、たのよ?」
全くこの状況が掴めないシレスを、レーミアは「スノードール」で治せなくても優しく抱きしめているだけ。
「大丈夫だよ。お前は何も心配しなくていいんだよ」
「で、でも、息、が、苦し、くて、この、ま、まだと、私、死んじゃう、わ」
息ができない、呼吸が苦しいというのは「死」に繋がると誰もが理解してしまっている。
今もシレスはこれ以上息ができずに止まってしまったら・・・と不安になるのも無理はない。
私、このまま死んだらどうなるのよ?
もう二度と魔法が使えない?
もっとたくさんの「月」の魔法を使えるようになりたいのに、大魔法使いになりたいのに。
それを叶えられずに変な死に方をするなんて嫌よ!
私は、私、嫌、可愛いドレスを、可愛いものを身につけていつか大魔法使いになった時、この世界で「一番可愛い大魔法使い」として大きな噂を広めたい。
噂は誰の元にも届いてしまう恐ろしいもの。
でも、時には嬉しくもあって悲しくもある。
受け入れ方は人それぞれ。
信じるか信じないかは自分次第。
私もよくたまにお城に来る貴族たちからこう言われていた。
「魔法を嫌うお姫様に近づいたら一生呪われる」
とね。
「は、ああっ、かあ」
過去の記憶が走馬灯のように頭の中でグルグルと回って少しずつ意識が途切れる直前に、レーミアが驚きの言葉を口にした。
それは。
「レス、お前は魔法病にかかってしまったんだよ」