「なんで、私だけなの?」
リファン王国は西にある最強の悪が集うクムシュ国に勝てる可能性が一番高いと噂されている「月」の魔法を使える人間が存在する。
それは当然リファン一族だけである。
初代から現代まで全ての王や家族全員が使えるとも噂されているが、ただ一人、それを使えない人間もいた。
「はあああああっ!」
目の前にある普通の魔法で作られた真っ黒な木の人形に向けてなんの飾りもつけられていないただ木の杖で何度も叫びながら杖を振り回すのは現国王カークの娘、王女シレス。
「はああっ!」
なんで、なんでよ。
なんで魔法が出てこないの?
毎日同じことをやっているのに、なんの成果もないままただ無駄な時間が流れ続ける。
シレスは毎日この時間が大嫌い。
才能がないのに毎日同じことを無理やりさせられて成功したことは一度もない。
しかし、父カークは全く諦めていない。
いや、そんなことは全く考えたくないのだ。
「シレス! もう一度だ、諦めず続けろ!」
ただ根性だけで娘のシレスの今後の人生のためを思って練習をさせているカークだが、シレスはもう始めた時から諦めていて、やる気など当然あるはずもない。
「くっ」
私には無理。
できないものはできないんだから。
お父様も早く諦めてよ。
私は魔法が大嫌い。
だから。
木の杖を地面に落として踏み潰して毎回こう言った。
「私は魔法がなくても一人で生きる!」
この一言を毎日言ったら勝手に練習が終わっ、終わらせて部屋に引きこもる。
そうすればカークは諦めると毎日勘違いしているシレス。
言葉も少しずつ一人で行動できるようになってきた五歳の時から魔法の練習が始まってから今はもう十六歳。
十一年が経っても何も魔法は一つも使えない。
でも、使えないからと言って、日常生活で不便なことは同じく一つもない。
魔法がなくても普通に暮らせる。
シレスはそれを分かっていて、毎日わがままを言って魔法の練習も適当にしてサボって、結果怒られる。
そして部屋に引きこもる。
王国のイベントは毎回出るのを嫌がって誰の言葉も聴こうとせずに部屋に引きこもる。
毎日それの繰り返し。
「私のことは放っておいて、クムシュに戦いに行くなら勝手に行けばいいのに、なんでお父様は毎日私を練習に誘うの? 本当、意味が分からなくて困る。はあっ」
クムシュ国への戦いは一年に二回とカークが決めている。
一族の準備が完璧に整えるまでの時間が必要だと見ているからだ。
しかし、クムシュ国に勝ったことはまだ一度もない。
「勝てる」可能性が高いだけで、絶対に勝てると決まったいないため、カークは一族の体調も十分に考えて最高で一年に一度だけでもクムシュ国に戦いを求めていたのだ。
もちろん誰も死んではいない。
死ぬほど弱くはない。
それはクムシュ国も同じ。
お互い死亡者を出さずに無傷で戦い続けているのだ。
まあ、シレスは魔法を使えないので一度もクムシュ国に行ったことはない・・・。
「この世界に光があるなら悪もあるのも悪いことじゃない。悪があってこその光なんだから」
毎日上手いことを言ったように思ったのか、シレスはドヤ顔で、機嫌よく鏡台の前に立ち、今日の自分の姿を見つめる。
黄緑色の糸のように細く背中まで長く夜空に輝くであろう美しい髪に、緑色の瞳。
今日のドレスは水色のリボンがたくさん飾られている今の夏の季節にぴったりな半袖のドレス。
これはシレスのお気に入りの一つであり、この季節でしか着れない特別なものとなっている。
「フフッ。今日も私は可愛い」
毎日鏡に映る自分の姿に見惚れて目が離せないシレス。
自分が一番可愛いと思っていて、毎日面倒なわがままを言ってはカークに怒られる。
でも、今は関係ない。
今この時は自分一人で他は誰もいない。
だから。
「私が一番可愛い。他に可愛い人間なんて、私が消してあげる。フフッ」
怪しく美しく鏡の自分にそう頷いて、シレスはとても機嫌よゆっくり窓のそばに行き、窓を開けると見知らぬ少年がお城に入ってくるところを偶然見てしまった。
「ん? あの子、誰? お城に入ってくるなんて、貴族?」
その少年はシレスが思う限りでは全く見覚えがなく、ただの貴族だと考えてすぐに寝台に横になった。
貴族はたまにお城に来るから別におかしいことじゃない。
気にしない、気にしない。
私には関係ないこと。
「はああっ」
夕食までまだ時間があるから少し寝て・・・ん?
なにかが寝台に座ったことに一瞬で気づいたシレスはパッと起き上がり、その正体を見て言葉を失った。
「・・・・・・」
水色の太く肩まで優しく透き通るような不思議な髪に、夜空と同じように綺麗な青色の瞳。
真っ白なシャツに黄緑色のネクタイに真っ白なスボンに茶色の革靴。
それは少年ではなく青年の姿であった。
「初めまして」
「・・・・・・」
「僕は隣国のスーリス王国の第一王子、リミルと言います」
「・・・・・・」
「あれ?」
シレスがずっと黙って戸惑って瞳が揺れ動いている姿に、リミルはにっこり笑ってそっと手を握る。
「大丈夫です。僕はあなたの味方です」
「・・・は?」
突然やってきて勝手に自己紹介をされて。
これが誰でも戸惑って首を傾げるのはおかしなことじゃない。
シレスも当然何を言っているのかが分からないのも不思議ではない。
勝手に人の部屋に入って勝手に人の寝台に座って笑っているこの状況。
この人、一体何を言っているの?
私はこの国の王女。
王女の部屋に入ってくるなんていい度胸じゃない。
そうね。
このまま帰すのは王女として許せない。
でも、この人、すごくかっこよくて目が離せないのはなんで?
今まで出会ってきた王子と全く違うこのイケメン。
顔も体も良く、性格も何もかも悪くはなさそう。
これは誰でも惚れてしまうこと間違いなし。
それはシレスも同じ?
「・・・フッ」
怪しげに笑ってようやく口を開いたシレス。
が?
「フフフッ、ここはリファン王国。他の国の王子のあなたが好きにしていいところではないわ」
「あっ」
「私に味方なんて必要ないわ。一人でも十分よ」
「・・・・・・」
「私に味方がいたなら、少しは楽になれたかもしれないわね」
「あっ」
最後の一言を聞いたリミルは一瞬落ち込んだように暗く俯いたその次に、床に跪いて右手を上げてシレスに美しく微笑んでこう言った。
「僕と結婚しましょう!」
この言葉をきっかけに、シレスの人生は大きく揺れて、完璧に想像を超えていくのだった。
「はあ?」


三日後の朝。
「シレス様、朝ですよ」
「・・・ん?」
シャラっと一流の芸術家が作り上げた黄色の美しい満月が描かれている青色のカーテンを開けられて目を軽く擦りながら起き上がったシレス。
「はあ、自分でちゃんと起きれるから勝手に部屋に入らないでと何度言えば分か、え」
ゆっくり目を開けて目の前にいたのは。
「そうでしたね。明日から気をつけます」
朝の日差しで青色の瞳が綺麗に光り輝いているリミルだ!
「わあああああっ! え、え、ええっ、な、な、なん、で、あなたがここにいるのよ!」
朝から驚きでお城全体に強く響き渡るような声を上げたシレス。
だが。
「シレス様、あまり大声を出してしまうと他の方が起きてしまいますよ。もう少し静かに、ね」
そう言って、シレスの寝癖でボサボサになった髪を優しく撫でて軽く
「チュ」
とキスをしてくるリミル。
これは当然。
「くっ、早く出て行きなさい!」
勢いよくドンっとリミルの背中を叩いて部屋から追い出した。
「はあっ、はあ」
朝から何をするのよ!
あんなところ、他の人間に見られたらどうするつもりなのよ!
「もう・・・恥ずかしいじゃない」
三日前のあの後、シレスははっきりとプロポーズを断った。
『私は恋に興味はない。早く自分の国に帰りなさい』
シレスが堂々と腕を組んで睨んで怪しく笑って断ったのに、リミルはなぜか嬉しそうに笑って瞳を輝かせた。
『ハハッ。そうですか、では今日からここで暮らしてもいいのですね』
『は?』
大きな勘違いをしていたリミル。
対して、シレスはこれ以上は時間の無駄だとすぐに判断し、長ーいため息を吐いた後、仕方なく頷いてしまったのだ。
『はあ、いいわよ。でも、私の邪魔は絶対にしないで。もし一つでもしたら、私があなたを殺す。それだけよ』
シレスが適当に距離を置いて夕食を食べに部屋を出ようとしたら、リミルは本当になぜか満面の笑みを見せた。
『はい、分かりました! 僕は必ずシレス様を幸せにします。覚悟してくださいね』
出会ったばかりの見知らぬ王子から求婚されたシレス。
でも、その時のシレスの顔はどこか嬉しそうで楽しそうで。
ほんのちょっとだけ可愛く笑っていたのだった。


そして今に至り、朝から恋人のような甘いイチャイチャタイムを過ごしてしまっている。
「はああっ、リミル様は一応私の二つ上の十八歳。私よりも大人なのに、どこか子供っぽくて朝から疲れる。はあ、どうすればいいの?」
自分で目を覚まして髪を櫛で解いて新しいドレスを着て一流の料理人が作る朝食を食べる。
これがシレスの完璧な朝のルーティン。
誰にも邪魔されず自分のペースで生活できることで一人でも本気で生きていける自信がある。
しかし、必ずどこかで完璧が壊れることがある。
それは。
使用人の仕事のやる気が全くないこと。
お城に仕えている限り、常に仕事は完璧ではないとリファン一族に大きな迷惑がかかり、この王国から追放されてもおかしくない大事な存在でもある。
そんな責任重大なことを任されているはずなのに、四十七人全ての使用人は料理以外は適当にこなしている。
掃除も雑用も態度も何もかもが適当過ぎて、シレスは腹が立ってわがままを言うのは正しくある時もあるかもしれない。
けれど、カークはなぜかそれを許している。
なぜなら。
カークも魔法と仕事以外は全て適当だからだ。
カークが適当なら自分たちも適当にしても問題はないし、怒られることもほとんどない。
これがリファン王族の現実に過ぎない。
全ては国王カークに委ねられているのだから。
「はあ、イライラする。今日はメイドも執事もちゃんとしてほしいわ」
他人にばかり腹を立てて自分には全く腹を立てないシレス。
自分に腹を立てるほどバカではないとこれも自信があり、一つの特技と数えている。
これは物心ついた時からそう分かっていて、十六歳の今でもそれを他人に自慢するほど自分に強く自信を持っている。
だから今日も。
「私が一番可愛い。今日も可愛く美しく、優雅な時間を過ごすのよ」
鏡台で櫛で寝癖を全て綺麗に取るように解いて今日は特別に三つ編みにして。
ドレスは昨日と全く正反対のピンクのハートが上から下まで可愛く飾られている赤色のものを着て。
最後は一番お気に入りの三日月型の黄色のピアスを左耳につけて。
「これで完成。フフッ、私は化粧をしなくても十分可愛いわ」
そう言って、リミルのことなど完全に忘れて機嫌よく部屋から出て、朝食が用意されている表の庭にある小さな噴水のそばに行ったら。
「な、な、なん、で、あなたがここにいるのよ!」
驚きと動揺でせっかくの可愛いドレスを汚すように地面にしゃがみ込んでしまったシレス。
その理由は当然。
「お待ちしておりました。さあ、一緒に食べましょう!」
満面の笑みで勝手に用意した丸のガラステーブルには四種類の味を楽しめるスコーンに紅茶、パン、チョコレートが置いてあった。
何よ、これ。
私がここにくるタイミングをまるで予測していたかのように私より先にここに来ていたなんて・・・怖いにも程があるわ。
現代で例えれば熱狂的すぎるアイドルのファンが自分の好きな気持ちを知ってもらうために家に追いかけたり、変なプレゼントを送ったりと嫌な気持ちにさせる行為、みたいな似たようなことを今リミルは無意識にしてしまっているのだ。
だが。
「どうしました? お腹空きましたよね、早く一緒に食べましょう。紅茶が冷めてしまいますからね」
心から嬉しそうに楽しそうに明るく素直に笑うリミルの姿に、シレスの顔は恐怖で青ざめているが、少しだけお腹が「グウー」と鳴ってしまう。
「くっ」
仕方ないわね。
お腹が空いたのは正直なこと。
それに、あのキラキラと眩しいほどに輝く朝食を見てしまったら、食べるしかないじゃない。
「はあっ」
お腹の音に従って、ゆっくり立ち上がって色はついていないが一応ドレスをパンパンと優しく叩いて。
そして。
「不味かったら許さないから」
全く素直じゃないツンデレなシレスの態度などリミルは全く気にせずそっと手を引いて席に案内し、隣に座って食べ始める。
「どうですか? おいしいですか?」
「ん・・・」
おいしい。
悔しい程においしいわ。
なんで?
初めて食べた味なのに、こんなに口の中に最後まで味が綺麗に心地よく残るなんて。
今まで一度も食べたことのないおいしく深みのある味に顔が真っ赤になる程に嬉しそうに食べるシレス。
その愛らしい姿に、リミルはキュンっと胸がギュっと締めつけられてドキドキが止まらず、つい頭を撫でて一瞬でシレスに頬をバシっと叩かれたのだった。
「何をするのよ!」
「可愛かったので頭を撫でただ」
「王女の私の頭を軽々と撫でるなんて一体何を考えているのよ! もういいわ、部屋に戻る」
「待ってください!」
「は?」
王女の私の言葉を止めるなんて、いい度胸じゃない。
「何よ? 言っておくけど、私は絶対に、死んでもあなたを好きにならない。それを覚悟した上で言いたいことがあるなら言ってみなさい。内容によってはあなたをスーリス王国に帰すから」
王女としてのあり方に強いこだわりを持つシレス。
その言葉は全て正しいと思えるが、わがままにも聞こえてしまう。
あれが欲しい、これはいらない。
ものと行動によって態度を大きく変えてきたシレスを、リミルがどうするのか。
それはもう。
「ハハっ、ハハハッ!」
「はあ? 何を笑っているの?」
「ハハハッ。いいですね」
「何がよ?」
「それでこそ僕の妻にふさわしい方だ」
「え・・・」
この人、何を言っているの?
突然笑い出して何が起きているのか全くこの状況を掴めないシレス。
しかし。
「シレス様」
三日前と同じように地面に跪いて右手を上げて今度は違う言葉で。
「あなたを永遠に愛すると、ここで誓いましょう」
燃え上がる太陽みたいな温かくも熱が高まる優しい笑顔を見せるリミル。
こんなに自分のために尽くしてくれるリミルに、シレスは。
分からないわ。
なんで、魔法を使えない私を愛そうとするのよ。
私はそんなに大した人間じゃないのよ。
まあ、でも、そうね。
ここまで本気で求婚されたことはないし、これからも絶対にないだろうから・・・だから。
「分かりました。あなたとの結婚をここで約束します」
「え」
「私は魔法が使えません」
「あ」
「それでもいいなら、あなたを夫として、一緒に暮らします。それでいいですか?」
素直になれないけれど、せめて可愛らしい笑顔というものを見せて上げられたその右手を握ったシレスに、リミルはもちろん。
「はい! 嬉しいです、ありがとうございます!」
心から嬉しそうに笑って大きく頷いた。
「シレス様、僕のことは呼び捨てで構いません」
「えっ、でも」
「僕たちは将来夫婦になりますよ。なので、親しみを込めて呼び捨てにしてください」
真剣に本気の眼差しでそうお願いするリミルに、シレスは一瞬戸惑ったものの、大きく納得して頷いた。
「分かりました。じゃあ、リ、ミル。もう少しだけ、食べてもいいですか?」
ほんの少し照れたように顔を赤く染めて横髪を優しく撫でるシレスの姿。リミル美しく優雅に微笑んで残りの皿に乗せている四つのスコーンの内の一つを手に取り、それをシレスの口に近づける。
「これはピーチです。シレス様が大好きだと国王から聞いていたので内緒に作ってみました。どうか、食べてほしいです。」
綺麗に情熱を纏った感じで瞳をキラキラと輝かせるリミル。
シレスはなるべくそれに応えるように少し恥ずかしく思いながらも、あーんと口を開けて一口食べた。
「んむっ!」
何、これは。
ピーチの甘い香りと柔らかい食感が口の中で交互に混ざって温かいスコーンなはずなのに、少しだけひんやりと冷たくて。
「おいしい」
リミルが作るものは全てシレスが体験したことのない全く新しい味を作り出している。
それは特技の一つでもあり、最高の自慢でもあった。
今まで一度も食べたことがない味に感動して笑顔が止まらないシレスのとても可愛らしい姿。
リミルは当然。
「喜んでくれて良かったです。明日はシレスがもっと満足できるものを必ず作りますね」
「ええ、楽しみにしているわ。フフッ、本当においしい」
残りの三つの味、リンゴにイチゴ、バターを全てモグモグと満面の笑みで食べていくシレスと、自分が作ったものを喜んで食べてくれる幸せを心から感じているリミル。
この二人の結婚が今でもはっきりと分かるように幸せが続きますように願うばかりだ。


「くっ、はああっ!」
朝食を食べ終わったシレスはいつもの魔法の練習を今日はやる気満々で必死に頑張っている。
この練習が終わったらリミルが最高のお菓子を作ってくれると約束したから、そのために、無理でも何でも頑張るのよ!
「はああっ! 絶対に成功してみせる!」
でも、一つ気になったことがある。
なんで、リミルは普通にリファン王国に来てそのまま普通に暮らしているの?
スーリス国王は何も思わないの?
変ね。
何か裏があってもおかしくはない。
練習が終わったら聞いてみるしかないわね。
「はあ、リミルを夫にしたこと、大丈夫なのかしら?」
分からないわね。
あの人は何を考えているのか全く知らないし、読めない。
これもリミルの企みだとしたら、私はどうすればいいのよ?
まあ、でも、おいしいものを作れるなら料理人として雇うのは悪くないもかもしれないわね。
「フフッ」
「ん?」
何か楽しそうに可愛い笑顔をする娘のシレスに父カークは不思議に首を傾げたが。
「シレス! 今は集中の時だ、クムシュと戦っていると構えなければお前はすぐに死ぬ。それでもいいのか!」
「はっ」
カークの感情的でつい大声を出されたことにシレスは一瞬で気を引き締めて真剣に目の前にいる敵を想像して深呼吸を二回して。
「私は絶対に死なない。幸せになるまで絶対に!」
そう言って、初めて全力で走って自分から敵に立ち向かい、杖を血が溢れる限界まで握りしめて。
そして!
「月が夜空を照らすなら、その美しさを私に授けて。ブルームーン」
なんと、初めて魔法の言葉を言った瞬間で目の前にいる敵、木をバラバラに解体して倒した!
「はあ、はあ、はああっ」
「シレス! よくやった!」
「はあ、ありがとう、ございます」
嬉しい。
生まれて初めて魔法が使えた。
でも、これは最初の一歩に過ぎない。
本物の敵はこんなに私の攻撃を待ったりしない。
もっと強くならないと一族の一人として自由に戦うことはできない。
まだまだよ。
「ふう」
次の魔法の練習をしようと珍しく魔法書を開いたシレス。
その中の一つとして、シレスが最初にできたのは「ブルームーン」というリファン王国だけで見られる一番特別とされている青色の月をイメージした攻撃魔法の一つでもある。
「ブルームーン」は身体中の魔力を一気に集中してその力が杖に宿った一瞬を狙った時にしか発動できない超貴重な魔法。
形は満ち欠けをイメージしたガラスの破片が空から飛び散るみたいに敵を目掛けて魔法が発動した瞬間には背景に青色の月が浮かび上がってそこから月の満ち欠けとなるガラスを飛ばす。
言葉で言えば難しいが、実際はとても簡単で「月」の魔法を使うためには「ブルームーン」を使えるようにならなければリファン一族の一人前と呼ぶには恥ずかしい。
シレスが十一年かけてやっと「ブルームーン」を使うことができたのは大きな喜びとなったのは間違いない。
しかし、これからが大変になる。
次の魔法は「パープルムーン」に「ピンクムーン」、それに「イエロームーン」とレベルは一気に百を超えて一番下五の「ブルームーン」を使えたからと言って、これら三つの魔法を使えるのは早くて三年、シレスのペースで行けばあと七年はかかるのは当然となってしまうだろう。
それくらい難しい魔法であるが、今のシレスはその心配は必要なさそうだ。
だって今は。
「リミルが待っているから」
自分の好きなものをたくさん作ってくれる存在。
料理人、いや、夫になる一番大切な存在のリミルが最高のお菓子を作っていると約束した限り、シレスのやる気は溢れるばかりであった。
「お父様、次は『パープルムーン』にします」
美しく微笑みながら本気の眼差しを見せてそう言ったシレス。
その姿に父カークは。
「アッハハハ! 分かった。お前にその覚悟があるなら今からでもするか」
同じく本気の眼差しで豪快に歯を見せて笑うカーク。
この親子、中々似ていて面白い。
だが、ここからはガチで本気でやらなければ前には進まない。
そして、二ヶ月後のクムシュ国への戦いに行くには「ブルームーン」だけでは絶対に勝てない。
シレスはそれを一番に分かっているのか、どうなのか?
「パープルムーン」が使えればあとは必要ない。
他の魔法はその次に使えればそれでいい。
「パープルムーン」は「ブルームーン」の進化系だから、使えるようになるのは一ヶ月あれば余裕よ。
なぜかドヤ顔で自信を勝手につけたシレス。
この自信がいつまで持つのかはシレス次第になっていることは絶対に忘れないでほしい。
忘れて遅れて焦って困るのはシレス本人だけなのだから。
「パープルムーン」
この魔法は「ブルームーン」の進化系であり最強の魔法のほんの一部でもある。
ほんの一部でも使い方によっては本物の最強で間違いはない。
ただ、この魔法を使いこなせるには二つの条件がある。
一つ目は十五歳以上であること。
二つ目は結婚、または恋人が存在すること。
この二つの条件を満たしていなければ「パープルムーン」の練習すらもさせてもらえない一番厄介で面倒な魔法だ。
しかし、その分使い心地は最高でやりがいがある。
シレスの場合はパッと見れば二つの条件は満たしているように思えるが、実際はちょっと違う。
今は十六歳で一つ目の条件はクリアしている。
だが、二つ目の条件はちょっと危うい。
確かにリミルと結婚の約束をしているが、恋人でも何でもないただに他人に過ぎない関係。
リミルはもうとっくにシレスを愛しているけれど、シレスはリミルを好きになるどころか「死んでも絶対に好きにならない」と宣言してしまったため、今でも全く好きではない。
お互いが愛し愛されている関係なら「パープルムーン」の練習をすることは可能。
シレスが本気でリミルを愛する覚悟あるなら問題はない、はず?
「私が『パープルムーン』を使えたら、私は世界一の魔法使いになれますか?」
勇気を出して胸に手を当てて真剣な瞳でそうカークに聞いたシレス。
しかし。
「ダメだ。お前はさっき『ブルームーン』を使えたばかりだ」
「はい。だからこの調子で行けば私は」
「お前が世界一の魔法使いになれるなんて、そんな夢のような話をするくらいならもうお前に魔法は教えない」
「え、な、な、なん、なんで、ですか? 私は十一年かけてようやく『ブルームーン』を使うことができたのに、なんでそんなひどいことを言う」
「十一年かけてやっと『ブルームーン」を使えたお前に何ができると言うんだ!」
「え」
「最初の『ブルームーン』は普通なら三ヶ月で使える。それをお前はわざわざ十一年もかけて使えた。はっきり言おう。お前がリファン一族の一人前になるのは死んでも無理な話だ。夢を見るのはやめろ、もうお前は十六歳だ、大人になるんだ」
「・・・そ、そ、そん、な」
私は夢を見ることさえも許されないの?
やっと「ブルームーン」を使えたのに、やる気も自信もついたのに、こんなにひどい言葉をかけられたのは生まれて初めてだわ。
「・・・最低」
「は? お前、今、なんて言ったんだ?」
「・・・最低と言ったんです! 父親なのに、娘の私に夢を壊すことを言ったのが最低です! 少しは私の気持ちを考えてください、私にとってこの十一年は長い時間でした。お父様や他の方と比べたら私は落ちこぼれかもしれませんが、これでも真面目にやってきたつもりです。私には才能なんてない、分かっています。そんなの十一年前からもうとっくに分かっていたんですよ!」
そう言って、シレスは杖を地面に落としてそのまま飛び出して部屋に行き、寝台に寝転がって大粒の涙を流す。
「ふ、うう、ああああああああああっ!」
なんで、なんでよ。
せっかく「ブルームーン」を使えたのに、なんでお父様はひどい言葉を堂々と私に言うの?
ひどいにも程があるわよ。
こんなの、私、どうすればいいのよ!
「あああ、あああああああっ。お父様なんて大嫌い、魔法も嫌い。もう全てを捨てて消えた」
「では、僕とここから逃げますか?」
静かに寝台に座ってシレスの髪を優しく撫でたのは当然リミルだ。
「え」
なんで、リミルがここにいるのよ?
まさか、私の声が聞かれてしまったの?
もしそうなら、恥ずかしいじゃない…。
一番見られたくなかったリミルがここにいることがシレスにとっては顔が真っ赤になるほど恥ずかしくて。
今は目を合わせたくないと思っている。
心の底から。
けれど。
「シレス様が中々僕のところに来てくれなかったから心配していました。何か悩みや不安があるなら僕に全てぶつけて構いません。僕はあなたの味方ですからね」
その苦しそうな重い涙を優しく手で拭ったリミルの顔は輝かせた瞳で笑っていて綺麗で太陽みたいな暑いとか燃えているとかそういうことではない。
ただ真っ直ぐで、シレスの全てを受け入れる温かく包んでくれる、そんな愛らしい姿がリミルの良いところであった。
シレスはその姿を見て。
「あなたはずるい」
と、悔しそうに唇を軽く噛んで負けたようにまた目を逸らしてしまった。
だが。
「そうですね。僕はずるいかもしれませんね。僕とシレス様は生きてきた時間は全く程遠い。でも、それは関係ありません。年齢なんて気にしていたら僕はシレス様と出会うことは絶対になかったでしょう。王が決めた全く興味のない人間と結婚は絶対にしたくはありません。僕がこの世界で一番愛するのは、シレス様だけですからね」
思っていること、考えていること? を全てシレスに満面の笑みで伝えたリミルの本音はちゃんとシレスの心にグサッと刺さり、ゆっくり右手を伸ばしてリミルの頬を撫でて初めて満面の笑みを見せた。
「フフッ、あなたは本当に私のことが好きなのね」
「はい、それはとても」
「じゃあ、今日から一緒に寝ても、いいかもしれないわね」
「えっ」
「私たちは将来夫婦になるんだから、少しずつそういうこともしていかないと、あなたも満足できるない、わよね?」
めちゃくちゃツンデレっぽく恥ずかしさで瞳を大きく揺らすシレスの愛らしい姿に、リミルは。
「すみません、それはできません」
「は?」
なんで?
まさか断られると一ミリも思っていなかったシレス。
驚きで口が開いて全く今の状況が掴めず焦って手を引いて頭を抱える。
なんで断ったの?
せっかく王女の私が誘ったのにそれを簡単に無表情で断るなんて…一体何を考えているの?
夫婦になるためにと誘ったシレス。
しかし、リミルが断った理由はいくつかあるようで。
「スーリス国王では結婚の決まりが三つあります。一つ目は夜は会わないこと。二つ目は生活を共にしないこと。三つ目は体を求めないこと。この三つの内のどれかを破れば必ず死ぬ。それがスーリス国王の絶対守られなければいけない決まりの一つです」
「……」
「信じられないかもしれませんが、これがスーリス王国の現実です。どうか、分かってください」
「……」
知らなかった。
いや、なんとなく感じていた。
確かにここ三日、夜にリミルと会ったことは一度もない。
でも、生活は一緒にしているはずよ。
毎日朝私を起こしに来て一緒に食事を取ってもいる。
そして私の体には触れてきているから二つ目と三つ目はそう考えると明らかに破っているのは気のせい?
分からないわね。
リミル本人に聞けばすぐに分かることだけど、今はお腹が空いてこれ以上は何も聞きたくない。
早く庭に行きましょう。
時間の無駄遣いはしたくはないから。
自分の食欲に従って、シレスが寝台から起き上がるとした瞬間、突然リミルが押し倒して左手でシレスの両腕を押さえた!
「ちょっと何をする気? 第一王子のあなたが決まりを破ってもいいの? まさか、死ぬことを全く恐れていないの? どうなのよ!」
押さえられた力がドンドン強くなって全く動けないシレス。
だが、リミルはなぜか嬉しそうに笑っていて。
「ハハッ、ダメですよ。そんなに大声を出したら他の方に気づかれてしまいます。それでもいいのなら僕は、俺は遠慮なくあなたの全てを奪う」
今まで一度も見せなかった怪しげな笑みと誰もを虜にする魅力的な雰囲気を纏ったリミル。
対して、シレスは。
何よ?
こんな人間だったの?
いや、隠していたんだわ。
私を誰にも奪わせないように自分だけのものにするために嘘だらけの仮面を被って平然と笑っていた。
こんなの、ひどいにも程があるわよ。
私と結婚したいというのも絶対に嘘。
お金や権力が目当てで私に求婚した一番最低な人間。
それがリミル。
だったら、もう離れることが一番正しい方法よ。
全ての行為が嘘であったと思い込んだシレスだったが、その思い込みはすぐに消える。
なぜなら。
「俺は君が欲しい」
「は?」
「俺の全てを受け入れてくれるのはシレス、君だけだ」
「え、何を言って」
「今すぐ俺と結婚してくれ。そうしたら、君の好物を満足するまで作ってやるから」
「……」
一体、何を言っているの?
私が欲しい?
意味が分からないわ。
こんなことをしておいて、もう一度求婚してくるなんて、リミル、あなたのことが全く分からないし、どう受け入れるかさえも分からない。
分からないことだらけの私の気持ち、ちゃんと考えてほしい。
もう…。
思っていることを全部言えばいいのに、シレスはそれができない。
わがままは簡単に堂々と言えるのに、本音だけは素直に言えない。
これは一生をかけてでも直さなければこの先ちゃんと生きられるかどうかが危うい。
けれど、それも含めてリミルは本当にガチで本気でシレスを愛する覚悟がもうとっくにこの命を捨てでもこの心に持っていた。
シレスはある噂をされている。
「魔法を嫌うお姫様」
この世界には三つの王国が存在する。
東のリファン。
北のスーリス。
南のアーレハ。
そして西のクムシュ。
魔法を使えるのはリファンだけではない。
他の王国もちゃんと魔法が使える。
リファンは伝説の「月」。
スーリスは雨。
アーレハは陽。
そしてクムシュは幻と言われている「太陽」。
この世界に魔法がある限り、そこに暮らす人間は必ず全員が魔法が使えて当然だ。
だが、世界にたった一人だけ魔法が使えない人間が昨日までいた。
それはシレス。
魔法が全く使えなかったし、一番嫌っていた「最悪」と思われていた。
このあだ名をどこの誰かが勝手につけてリファン王国だけでなく他の王国にまでもその噂は広がっていて、リミルも当然知っていた。
いや、誰よりも一番に理解しているつもりでいた。
「俺は君が魔法を使えなくても本気で愛する」
「・・・・・・」
「たとえ、君に嫌われても、俺はこの命が尽きるまで一生君のそばにいる。それだけは忘れないで欲しい」
「・・・・・・」
「俺も魔法はあまり得意ではない。でも、君をサポートできることは信じて欲しい」
「・・・・・・」
目を逸らして全く自分の言葉を信じようとしないシレスを、リミルは少しだけ悔しそうに頬をプクッと膨らませてほんの少しだけでもいいからと、そっと髪を撫でてみる。
が。
「触れないで。あなたのことを信じるなんて無理だわ」
死神みたいな恐怖で冷たくシレスから睨まれたリミル。
さてどうする?
俺の気持ちが全く愛するシレスに届いていない。
こんなに気持ちを伝えたのに、なぜ・・・。
本性を表したことで一気に嫌われてしまったリミルだが、シレスの法は何か別で悩んでいるようで。
私が魔法を使えなくても、いや、「ブルームーン」を使えた今日から私は魔法使いの一人としてやっと数えられているはずよ。
それをまだリミルは知らない。
言ったら何か違った形で嫌なことをされそうで怖いわ。
何を言えば正解なのか、誰でもいいから教えてほしい。
それに、今は空腹でこれ以上は何も考えられない。
「はあっ」
でも、さすがに何か言わないとリミルが傷ついてしまう。
これ以上は傷つけたくない。
空腹にできるだけ負けないように、シレスはあることを決意する。
それは。
「じゃあ、あなたが作るものに飽きるまで、私のそばにいなさい。私は変わらずあなたを夫にする、そしてあなたを殺すのは私。絶対に忘れないで、恋に興味がない私を好きにさせてみなさい!」
そう言って、限界まで力を込めて押さえられたリミルの手から離れ、寝台から起き上がって鏡台の前に立ったシレスは少しだけシワになったドレスをめちゃくちゃ残念そうに唇を強く噛んでちょっとだけ血が流れてしまった。
それを見てしまったリミルは急いでポケットから手作りの無地の青色のハンカチを出して優しくシレスの唇に触れる。
「何をやっている? 君にケガがあったら俺は嫌だ。もっと自分を大切にしてくれ」
本気でガチの真剣な表情で心配するリミルを、シレスは不思議でその意味が全く分からず首を傾げている。
ただ血が流れただけなのに、こんな顔をするなんて。
「はあ、面倒くさいわね」
「え」
「あっ」
つい本音が溢れてしまい手で口を塞いだシレス。
だが、それはもう遅く、取り消すことはもう二度とできないのは時間の問題であった。
しまった!
これだから嫌なのよ。
私は私の思っていることが嫌い。
言ってしまったら絶対に後悔するし、相手を傷つける。
私は毎日それの繰り返しで生きてきた。
今もその時。
絶対にリミルは私を嫌いになった。
いや、嫌いにならない方がおかしいわ。
私はわがままでサボってばかりで素直じゃない。
最悪の組み合わせを持ってしまったこの私が堂々と生きているのもおかしなことだけど・・・。
「フフッ、フ」
自分の今までの行動に呆れてつい笑ってしまったシレスだが、リミルにはそれがとても嬉しくて。
「ハハハッ! いい、いいぞ」
「な、何がよ?」
「シレス、君の本音が聞けて俺はとても嬉しい。もっと聞かせてくれ、君の思っていること、考えていること全てを」
陽気に笑って明るく受け入れてくれたリミル。
この喜びがシレスの心にも深く刺さり、同じようにはできなけれど、満面の笑みを見せてちょっとだけ頷いた。
「そうね。あなたがそう言ってくれるなら、私が今思っていることを言うわ」
「ああ、何でも言ってくれ」
「フフッ、じゃあ、お腹が空いたから今すぐおいしいものを作りなさい」
さっきからずっと思っていたことを言えたシレスに、リミルは当然喜びながら頷いた。
「ああ、分かった。今すぐ作ろう」
やる気満々でリミルは部屋から出ていき、料理部屋で材料を棚から出していく。
「肉にするか魚にするか。どうするか」
シレスの食べ物の好き嫌いは特にない。
何でも食べるし、逆に好き嫌いをするなんて最低だと思っているため、なるべく嫌いな食べ物は探さないようにしている。
肉も魚も味が良ければ全て良し。
小さい頃からずっと食べてきた一流の料理人の味は特別おいしいと思っていない。
ただの普通で貴族でも庶民でも簡単に真似できるような簡単なもの。
シレスはそれを毎日食べてわざわざ「おいしい」と喜んで言えるような人間には育っていなかった。
いや、そこだけは育ちたくなかっただけだろう。
負け犬の遠吠えみたいな悔しさは全く感じない、考えもしない。
しかし、リミルの味は最高である。
今まで一度も食べたことのない全く新しい味。
特にシレスが今日食べてきたものの中で一番気に入ったのがスコーン。
普通のプレーンは作らず、わざわ最初から自分でレシピを考えて挑戦して作り、失敗は一度もしてない。
シレスが好きなピーチを使ってそれをどう活かすかよーく試して完成したのが今日のものである。
でも。
「シレスの他の好きな食べ物は知らないな。今すぐ聞く、いや、あとにしておこう。『今すぐ作りなさい』という命令が出されたんだ。喜んで作るしかないだろう。シレスのためなら何でもする、俺がするべきことをそれだけだ」
愛する妻、いや、まだ早いが、シレスが本気でリミルを夫にすると約束した限り、二人の関係はほんのちょっとずつは前に進んでいるのは間違いないだろう。
さっきはリミルが本性を表し、シレスへの気持ちを何も迷うことなく本人に言った。
そして、シレスは少しだけ受け入れた。
それだけでも二人の愛はどんどん育つだろう。
今は分からなくても。
これから先の未来では必ず変わることを願って。
「よし、決まりだ」
何かが決まったようで満面の笑みになったリミル。
その料理は?
「俺の国での伝統料理、サンドウィッチにしよう。きっとシレスもすぐに気に入る。ハハッ、楽しみだ」
リミルが選んだのはスーリス王国の伝統料理「サンドウィッチ」だ。
この料理はスーリス王国で初代王ソルハーのメイドが編み出し、ソルハーに気に入られた最初の料理である。
これは王族だけでなく、貴族や庶民にも愛されるほど人気の料理の一つでもある。
だから、リミルも小さい頃からこの料理が大好きでよく自分で作っていた。
何を挟むのかは全て自由。
卵、ハム、キュウリ、ローストビーフなど、人によって味はバラバラでより楽しいものになっている。
「何にするか。俺が好きなポテトサラダとハムにチーズを挟んだやつにするか。それとデザートにホットケーキを焼いて、あとは・・・」
レシピは全て頭に入っている。
けど、その全てがシレスの口に合うかは全く違う。
俺が好きなものでも、シレスは嫌いかもしれない。
シレスはわがまま王女として有名でも、ただ俺はそれも含めて愛している。
愛するシレス。
君の喜ぶ顔が今も楽しみだ。
待っていてくれ。
シレスをなるべく待たせないように最初にポテトサラダから作り始めて次はチーズをトロトロするためにこの世界にはトースターがないのでオーブンで上手く調整しながら焼いてパンの中にそのまま上下にチーズを挟み、その間にハムを挟んで一つ目が完成。
ポテトサラダはジャガイモとニンジンを切り、お手製のマヨネーズを使ってそれを完全に味がつくまで混ぜてパンの中に挟めば完成。
「あとはホットケーキだが、どの味にしよう。朝食に出したチョコレートが残っているからそれを使、いや、待てよ。残っていたということは、シレスはチョコレートが嫌いなのかもしれない。もしそうだとしたら、チョコレートを使ったら」
『私の嫌いなチョコレート使うなんて、一体何を考えているのよ! もうあなたと結婚しない、この国から出て行きない!』
力強く頬を叩かれてお城から追い出されることが想像できてしまったリミル。
そのせいで体温がグッと下がってしまって。
「くうー」
また死神のような睨まれ方をされそうで恐怖が一気に身体中の奥底から漂ってきた。
愛するシレスに絶対に嫌われたくないリミルは一応テーブルに置いていたチョコレートから目を逸らして他のものを棚から探していく。
「はあ」
危ない。
チョコレートはしばらく使わないでおこう。
もうチョコレートが怖くなって使いたくなくなってきた。
「はあああああっ」
自分で朝用意したものに恐怖を頭の中全てで覚えてしまったリミル。
それが正しいのかそうではないのかは実際にシレスに聞かない限り、真実が大きく変わってしまうだろう。
「はあ、ため息はそろそろやめよう。時間の無駄だ」
そう言って、結局使うのは一番シンプルなプレーンで、食べる時にはバターやハチミツ、メープルシロップを一緒に棚から取り出し、急いで生地を混ぜて、現代で言う「フライパン」、底がちょっと低めの鍋で一枚ずつ丁寧に焼いてできたのが五枚。
「シレス、こんなに食べられるだろうか?」
ちょっとだけ不安気に瞳が揺らぐリミル。
しかし、その不安は一瞬で消えるだろう。
なぜなら。
「リミル、もうできたわよね?」
空腹が限界を超えて睨みながら部屋に入ってきたシレスにリミルは一瞬動揺したが、気持ちを切り替えて明るく微笑んで頷いた。
「ああ、できたぞ」
「じゃあ、早くに庭に運びなさい。もう待っていられないわ」
声のトーンもいつも以上に低く怖いけれど、シレスはこれが当然だと今までそう思っていた。
お腹が空いたらすぐに料理人は何かを作ってすぐに用意してくれる。
逆に用意しなかったらクビにしてお城から追い出す。
それの繰り返しで今の料理人は十五人目となっている。
今までの十四人の料理人たちはシレスの悪口を陰で言っているのをシレスは毎回気づいて怒って睨んで追い出す。
しかし、リミルは違う。
違わなければいけないのだ。
王女シレスの将来の結婚相手として当然それも、それ以上に受け入れなければリミルもお城から追い出すことは誰だって目に見えている。
「想像以上に遅かったわね。何をしたら私をこんなに待たせられるの?」
部屋から一緒に出て作った料理を専用のワゴンに乗せて庭に運び、シレスは心の底からイライラして表情がまさに死神みたいに恐怖の微笑みをしていて、リミルは全く目を合わせられずに困惑している。
待ち時間は二十分もかかっていないはずだ。
俺は精一杯丁寧に作っていたはずだが、シレスが怒っているならそれは別か。
他人の苦労を全く感じないシレスに何を言っても聞き入れてくれない。
それが彼女であり、その意志は誇りでもある。
だから、俺は。
「悪かった。次からは気をつける」
ちゃんと反省して次への道を自分で切り開くしかない。
全てはシレスの笑顔のためだ。
シレスを本気でガチで愛しているリミルの気持ちをシレスはまだ分からないまま。
謎のまま。
何か一つでも気に入られなかったら、やり直す。
ただそれを繰り返すだけの人生だったのかもしれないな。
今までシレスの世話をしていたゴミたちは。
「ハッ」
俺はゴミたちとは違う。
シレスを愛している。
この違いが大きくあるからこそ、俺だけがシレスを守れる、全てを操れる。
本当に、今まで無駄な苦労をしたゴミたちと一度会ってシレスの愛を語ってみたいものだな。
「ハッ」
自分だけがシレスを一番理解し愛される存在だと大きくそう信じてしまっているリミル。
それは一つだけ正しいとも言えるだろう。
シレスを愛している。
心の底から愛されたくてたまらない。
こんな気持ちにさせてくれるシレスを幸せにできるのは俺だけだ!
怪しく綺麗に笑うリミルのことなど全く気づかず、シレスはに朝来たところにあるお気に入りの庭のちょっとした丸のテーブルに透明な薔薇模様の椅子に座った。
そして。
「ほら、早くここに置きなさい。これ以上私をイライラさせないで」
そう言うと、リミルは静かに頷いてワゴンから出来立てのサンドウィッチに五枚のホットケーキを乗せた皿を順番に綺麗に並べていく。
すると。
「リミル、どういうつもりなの?」
と、驚きで声が震えるシレス。
その理由は。
「なんで、私が今食べたいサンドウィッチとホットケーキがここにあるのよ?」
と、全く予想外の言葉を言われたリミルは美しく微笑み、頬を赤く染めた。
「ハハッ、ただの偶然だ。君が喜んでくれたなら俺は嬉しい」
その言葉と仕草が自然とシレスの心をはっきりと何も迷うことなく動かして胸が苦しくて。
気がついた時にはリミルの頭を撫でていた。
「あっ・・・」
これは、何よ?
なんで、私が他人の頭を撫でているの?
意味が分からないわ。
私はリファン王国のたった一人の王女。
他の国の王子の頭を撫でてしまうなんて・・・こんなの、一体どうすればいいの?
これが恋なら、少しだけ楽しいかも、しれないわね。
分からないけれど。
リミルと出会ってからまだ三日しか経っていない。
いや、そのおかげで今日シレスは「ブルームーン」を使えた。
リミルがいなかったらこれからも一生魔法など使うことができなかったのは間違いない。
恋に興味がないシレス。
シレスを愛してヤバいことばかりを考えているリミル。
この二人のこれからの未来がどうなるのか。
それは結構誰もが興味があるだろう。
もちろん私も。
二人の最後の瞬間まで見守っていきたい。
シレスに頭を撫でられたリミルはいつも以上に機嫌が良く、その手をそっと握って自分の頬に触れさせる。
「はあ、これ以上、俺を興奮させないでくれ」
どんどん顔が限界まで真っ赤に染まって頭から湯気上がりそうなくらいにリミルはいつのまにか興奮していたみたいだ。
しかし。
「はあ? 何を言っているのか全く分からないわ。私はお腹が空いたのよ。あなたの興奮に付き合っている暇はないわ」
自分勝手にリミルの気持ちなど全く考えずに手を退けてポテトサラダのサンドウィッチを手に取って食べてみる。
「んむ。あっ」
おいしい。
このポテトサラダ、特にジャガイモが柔らかくて噛みやすいし、かかっているマヨネーズにすごく合っていて、ニンジンもそこまで固くない。
それにパンと相性抜群で完璧な味。
「どうしたらこれが作れるの?」
珍しく瞳を輝かせて質問してくれるシレスに、リミルは満面の笑みで答えを教える。
「ジャガイモとニンジンは普通に街で買ったものだ。そしてマヨネーズは俺が一から作った。マヨネーズはできるだけ味が濃くならないように何個か工夫して作ったが、シレスの口に合ったなら俺はそれでいい」
クールにカッコよく自慢などせず愛するシレスに喜んでもらうために何でも一から作るリミル。
その愛情がいつまで続くのか、とても楽しみに思える。
一方シレスは手を止めることなく次はハムとチーズのサンドを食べる。
「んむ。ああっ、おいしいわ」
シレスは瞳をキラキラと光らせて心から喜ぶ、いや、空腹がなくなっていくことに喜んでいるのかもしれない。
おいしい、本当においしい。
ずっと気になっていた。
スーリス王国はおいしい食べ物がいっぱいあって、全部興味があって。
その中でもこの「サンドウィッチ」は小さい頃から食べるのが夢でやっとそれが今叶った。
今までの料理人たちは「面倒」だと言って一度も作ってくれなかったけれど、リミルは私の夢は知らずに私のためだけに作ってくれた。
「こんな嬉しいことをしてくれるのはあなただけよ。リミル」
「え」
「私の夢を簡単に叶えてくれるあなたは誰よりも愛おしい存在」
「ああ」
「これからも、私の夢を叶えて。私は少しだけあなたに興味が湧いてきたから、絶対に、一生私を裏切らないで、幸せにしてください」
そう言って、シレスは美しい微笑みを見せてゆっくり立ち上がってリミルを抱きしめた。
「私はさっき、生まれて初めて魔法が使えた」
「えっ?」
「私は二ヶ月後、クムシュ国に行って、一族全員で戦いに行くことになるわ。だから、それまでの間、私のそばから離れないで。もう、寂しい思いはしたくないから」
抱きしめられている腕はとても冷たくて、震えていて。
どんな顔をしているのか見えないが、きっとシレスは。
泣いているだろう。
「・・・分かった」
シレスが望んでいることなら、俺はもちろん。
「君がそうしたいなら、俺はずっと君を支える。夫になるからな」
そっと今度は嫌がられないように頭を撫でたリミル。
そして、この切ない雰囲気、愛おしい光景の中でリミルは抱きしめられているシレスの腕を優しく丁寧に離して、唇と唇が限界まで重なる瞬間、二人は初めてのキスをし
「そこで何をやっている?」
と、誰かがめちゃくちゃいい雰囲気を堂々と壊して二人前に現れたその男。
そして、シレスはその顔を見て胸が高鳴る。
「嘘、もうここに帰って来たのね」
「ああ、お前に会いたかったから、一週間早めてここに戻ってきた。悪い、寂しい思いをさせて・・・」
「いいのよ、あなたが無事なら私は嬉しいわ」
「そう、俺も嬉しいよ。レス」
優しく温かい微笑みを見せるその青年。
黄色の足まで伸ばした細い髪に、自分でも自慢するほど大好きなオレンジの瞳。
薄いオレンジ色の半袖のシャツに、白のズボンに同じ白の靴。
その姿はリミルと変わらない十八歳くらいの誰よりも一番優しいと噂されている彼の名前。
「初めましてかな、リミル王子」
「君は誰だ?」
警戒して強く綺麗に睨むリミルのことなど全く目に止めず、彼は軽く自己紹介をする。
「僕はアーレハ王国の王、レーミアだよ。よろしくね、王子様」
そう言って、レーミアはゆっくり歩き始めた。
「最近僕は仕事が忙しくてね。中々レスに会えなかったんだよね。ああしろこうしろお願いだからと毎日仕事が増えていくばかりで、一睡もできなかった日も多かった。王に選ばれて嬉しかったのはたった一日だけでそれからは『面倒』でやる気なんて当然なくて困ってばかりで。本当に、王って言うのはなんのために存在しているのかな? でも、それは昨日やっと終わったから忘れておこうね。今はレス、お前に会いに来れたんだから、この前の続きをしよう」
満面の笑みを見せてはいるものの、どこか恐怖が溢れてまるで闇をその体に取り込んでいるかのように暗く怪しく笑って。
そして。
「我の心を操れるのなら、我もあなたの心を操ってしまいましよう。ダークドール」
魔法の言葉なのか、突然空から雨が降り、真っ黒なテディーベアーが何十個もリミルにだけに降りかかってシレスから離れてしまい、逃げて、逃げて。
何か魔法を使おうと一瞬でも考えようとすると。
「アッハハ。僕のダークドールから逃げようなんて考えたらダメだよ。君は最初から負けている。諦めてここから出て行ってよ」
「チッ」
俺も魔法を使いたいが、俺が使う魔法を攻撃魔法は存在しない。ただ生活を支えるためだけのつまらないものばかりだ。一体どうすれば。
全く勝ち目のないこの状況でリミルは逃げてばかりで攻撃は絶対にできない。
それをレーミアはもうすでに分かっていた。
だって、彼らはシレスの運命の相手だとお互いそう信じてしまっていたから・・・。