「で? 何しに来たんだ?」
賢哲さんと話すときには幼馴染だけあって良庵せんせも砕けた物言いですよね。
と言うかあたしにだけ丁寧な物言いなんですよねぇ。
「良人がコテンパンだったと聞いて来たんだが、まぁ無事そうなんでソレは置いといてよ」
「置いとくのかよ」
賢哲さんがそう言いながら、視線を与太郎ちゃんへと向けました。
「菜々緒ちゃんから聞いたんだがよ、コイツも巻き込まれてたらしいじゃねぇの」
「菜々緒さんから……? ん、まぁそうだ。巻き込まれたというか今回の騒動の発端だな」
ふぅぅ、と少し深めに息を吐いた賢哲さんが額の汗を拭う素振りをしましたが、ちょいと芝居掛かっていますねぇ。
「なんだ? 与太郎がどうかしたのか?」
「与太郎の両親が死んじまったろ? ウチの寺で弔ったんだが、そのあと様子見に行ってみりゃコイツいねぇんだもんよ」
ちょうど一年ほど前に亡くなられたご両親ですね。与太郎ちゃんと賢哲さん、面識があったんですか。
「す、住んでた長屋は引き払っちまったから。で、でもなんで賢哲さまがオラんちに……か、金ならねえだぞ!?」
「金なんていらねぇよ。弔ったと言っても大した事はしてねぇし、単に人別帳の件でちょっとな。なんつってもオマエ、ガキだが世帯主だかんな」
ああ。寺請証文ってやつですか。人の世は面倒ですねぇ。
ちなみにアタシと良庵せんせは夫婦ですけど、檀那寺である賢哲さんとこから特に婚姻の証文は頂いてません。
家出中って事になってますし、なんてったって戸籍だってありませんからね、あたし。
「でだ与太郎。おめぇ、ウチに来ねえか?」
「け、賢哲さまんとこ? な、なにしにだ?」
「ウチの寺男の後釜にどうかと思ってよ」
「て、寺男? そ、それって仕事け? 寺男ってなにすんだ?」
「何ってオメェ……おつかいから風呂焚きに掃除、まぁ色々だよ」
「お、女の人にぶち当たったりは?」
「はぁ? ……そりゃぶち当たるこたぁあるかも知らねえが、ぶち当たれって言われるこたぁないわな」
「な、ならやるだ! お、おら寺男与太郎んなるだ!」
破落戸に比べたら百倍どころか千倍も万倍も良いですもの。あたしは応援しちゃいますよ。
「良人、という事だ。与太郎はウチで預かるが、良いか?」
「構わないよ。もちろんウチで暮らしても良いんだけど、雇ってやれるほど余裕もないしな」
与太郎ちゃんにとってもその方が良いでしょう。昨日今日と色々とお手伝いもして貰いましたけど、賢哲さんとこのお寺は大きいですからねぇ。
と、話題がひと段落したところで突然、今まで黙ってた姉が立ち上がって言いました。
「お、お葉ちゃん!」
「なんです姉さん?」
「そ、その、ちょっと顔貸してくんない!?」
…………一同、ポカーンですよ。
どこの破落戸なんですか貴女は。
「……ぷ――ぷはっ!」
噴き出した賢哲さんが笑いを収めきれずに続けて言います。
「くっくっくっ、菜々緒ちゃんは面白えなぁホント。お葉ちゃん、姉ちゃんに顔貸してやってくれよ」
つるりと頭を撫でてカラカラ笑う賢哲さんに見惚れる姉がうっとりしてます。きちんと段取り通りやって下さいよ姉さんったら。
「なんだかよく分かりませんけど、ちょいと行ってきます。ついでにお昼も拵えてきますから、賢哲さんも召し上がってって下さいな」
姉と共に居間を離れ、台所へと誘いました。
ここなら居間ともそれなりに距離がありますから安心ですね。
「姉さんったら。『お稲荷さんの作り方教えてちょうだい』じゃなかったでしたっけ?」
「だぁってー。いざ言おうと思ったらさ、賢哲さんに『そんなモノも作れないのか』なんて幻滅されちゃうと思ったんだもん」
唇とんがらせて何言ってんですか。
「作れるんですか? なら教えなくて良いですね? あたしはどっちでも構いませんよ」
「作れない。教えてお葉ちゃん♡」
まぁ良いですけどね。
間に合いやしませんでしたけど、この間のお礼もしなきゃなとは思っちゃいましたからねぇ。
「先に返しとくねコレ」
姉が袂から出したのは、手のひらに乗るぐらいに小さく縮んだ毛玉、ごっちゃんです。
昨夜ごっちゃんには姉のところへ行って貰ったんです。
そのままごっちゃんを通して細かくやり取りできれば良かったんですけど、良庵せんせに聞こえちゃ拙いですし、今あたしは一人で外出できませんから。
ですからこうやって、わざわざお稲荷さんの作り方を教える体で姉妹の時間を作ろうって話になってた筈なんですけどね。
受け取ったごっちゃんに、おつかれさんありがとね、と一声労いお尻に仕舞い、炭を熾した七輪に鍋を乗せて湯を沸かします。
湯が沸くまでの間に油揚げを全て二つに切って箸で押さえて転がし、押し潰してから袋状に開きます。
それを沸いた湯に潜らせ油抜き。
今度は先に作っといた出汁を鍋に張ってお酒とお醤油とお砂糖を足して温めます。
お醤油とお砂糖が黒いですからね、けっこう黒くなりますけど今日は怯まず濃い目にしましょう。
「味付けは全部おんなじ量で良いですよ。覚えやすいでしょ?」
「…………ねぇ三郎太」
「なんだ」
「覚えといて」
「…………分かった」
三郎太は良いやつですねぇ。
まぁ、もう慣れっこなだけでしょうけど。
油抜きして冷ましておいた油揚げを沸いた煮汁に放り込み、煮汁があらかた無くなるまではこのまま放置。
あ、出汁の取り方も教えておいた方が良かったかしら。
「鰹の出汁の取り方は分かります?」
「ああ、分かる。それくらいは飛ばしてくれて大丈夫だ」
姉は首を捻ってましたけど、姉のお尻の辺りから返事が返ってきました。ならちゃっちゃと進めて平気ですね。
「ご飯は炊いておきましたけど、酢飯にするにはちょいと冷めちまったからね。今日は簡単に高菜を刻んで混ぜる漬け物稲荷にしちまうよ」
「ふーん、そんなのもあるの。菜々緒食べた事ないよ」
「あたしだって自分で作るのしか聞いたことありませんよ。あたしが手前で勝手にやってるだけですから」
きちんとしたお稲荷さんはまた今度教えてあげましょ。また姉さん……――三郎太と相談すること出てきそうですしね。
「そういや姉さん。お稲荷さんの別名知ってます?」
「別名? ううん、知らない」
「『信太寿司』って言うらしいですよ」
「信太? 信太ってあそこの事?」
「そうらしいです。人の頭ってのは柔軟ですよねぇ」
「母様にも食べさせてあげたかったね」
「ええ。きっとお好きだと思います」
ちょいとしんみりしちまいますねぇ――
「おい。そんな事より本題はどうした。何のために集まったんだオマエらは」
「きゅー!」
あ、いけないいけない。
三郎太とごっちゃんの言う通り、謎の女についてが本題でした。
姉妹揃って尾っぽに怒られちまいましたよ。