「そんなこんなで夫婦になった訳ですけれど、もちろんそれだけじゃないんですよ」
そりゃそうだよね! なんて胸を撫で下ろす定吉っちゃん。
まだ十を二つ過ぎたばかりの子供に心配されるあたし達の出会い方。笑っちまいますねぇ。
あのあと湯を頂いて上がると、洗い晒してあるもののなかなか品の良い女物の衣服が一揃い置いてありました。
「母のものです。背格好が近いので合うと思うのですが――」
扉の向こうから良庵せんせの声。
この時あたしはこう思ったんですよね。
お姑さんのか、ってね。
すでにこの時この人の女房になる気まんまん。今思えばやっぱり不思議なんですけれど、あの時は全くそんなこと思いませんでした。
けどまぁ惚れた腫れたなんてそんなもんです。
「それでまあ、居間にお葉さんをお連れして、先ずはもう一度謝ってからようやくそこで名乗ったんだ」
「先程は重ね重ね申し訳ありませんでした。ここで庵流剣術の師範代をしている庵良人と申します」
剣術の師範代……? ならあの『やぶ医者』の木札は一体……?
なんだかよく分からないお人です。
あたし好みな綺麗な顔の、謎多きうっかり垂れ目さん。余計に興味が惹かれっちまいますねぇ。
「あたしは……――、故あって姓は明かせませんが、葉子……お葉と呼んでくださいませ」
あの時のあたし、姓はまだ考えてなかったんですよ。まえに姓を睦美と名乗った町もそんなに離れていませんから変えた方が無難かしらと考えてはいたんですけどね。
でもま、ついさっき勝手に旧姓常木になっちまったんだけどさ。
「それで先程の話ですが――」
あたしをここに置いてくれ、ってやつですね。
「当家は――と言っても今は僕の一人暮らしですが――一向に構いません。しかしお家の方が心配されるのでは?」
あんまり嘘はつきたくありませんから出来るだけ本当の事を話す方が良いと考えて、この島国を離れる切っ掛けとなった数十年前の事を交えて返しました。
「あたしはその……、意に染まぬ婚儀を整えられて……、着の身着のままで飛び出して参ったのです。もし実家に帰れば好いてもいない毛むくじゃらの男のものにさせられてしまうのです」
これはまぁ本当です。お相手も妖狐ですから間違いなく毛むくじゃら。あたしもですけどね。
「そういう事でしたら何日でも何ヶ月でも、部屋も余っていますから――」
部屋も余っていますから……?
あたしも驚いたんですけど、良庵せんせの言葉にとても気落ちしちまったんですよね。
だからあたしは自分の心の奥に正直に、はっきり言ってやったんですよ。
「良人せんせ。居候でなくって貴方の女房としてここに置いてやってくれませんかい?」
「そ、そそそそれは……僕の女房のふりでという――」
まだ四の五の言う良庵せんせへ首をふりふり振って見せ、じぃっとその目を見詰めて口を開きました。
「あたしは心から、貴方と夫婦に――」
「待った! お葉さん、それ以上はいけません!」
この時あたし、なぜか拒まれると思っていなかったもんだから驚いたの凹んだのって、長いこと生きてきて一番でしたよ。
でも、違ったんですけどね。
「そこからは、僕に言わせて下さい」
「――……伺います」
良庵せんせは居住まいを正し、綺麗な姿勢で畳に手をついて言ってくださいました。
「お葉さん――。僕の……、僕のところへお嫁に来て下さい。もう僕には貴女しか考えられない」
のちのち聞けばね、良庵せんせがあの時酷いポンコツ具合だったのも、あたしに一目惚れして舞い上がりまくってたからなんですって。
可愛過ぎませんか、あたしの亭主。
「へぇぇ! 良庵先生、ちゃんと決めるとこ決めるじゃん!」
「そうだろう? 僕もそう思う」
大袈裟なお式なんかは必要ないとあたしも良庵せんせも同じ考えだったので、その夜二人でほんの少しのお酒を一つのお猪口で回し呑み、それを夫婦の契りとしたんです。
日が落ちる頃からしとしとと雨が降ってはいたんですけど、縁側から外を覗くと不思議と雲一つなくってね。
雨の向こうに光るお月さんがとっても綺麗だったんですよ。
二人で手を取り合って、お互いの身の上話に花を咲かせて夜を更し、いつの間にか眠っていたらしく気が付いたら手を繋いだままで朝を迎えていました。
五百年近く生きて初めての嫁入り。思い出しただけでもうっとりしちまいますねぇ。
振って沸いた様な幸せですけど、あたしはこの幸せを守りたいんですよ。
ですからね、とにかくあの邪魔くさい姉をどうにかしませんとねぇ。