翌日の五限目はオリエンテーションの班決めだった。その前の昼休みに私は廊下で川北先生に呼び止められた。

「川崎、オリエンテーションは参加出来そうか?」
「一応、参加したいと思っています」
「そうか、大事なクラスメイトとの交流の場だからな。参加できるならそれに越したことはない。なにかあったら、すぐに言いなさい。保健の先生にも話は通しておくから」
「ありがとうございます」

 ずっと人を気遣える人になりたかった。でも、結局私は「人に気遣われる」側の人間になってしまった。その現実をたまに無性に感じては泣きそうになる自分が嫌だった。
 この病気になってから、どんどんと自分が弱くなっている気がしてしまう。それが嫌で、もがくように、オリエンテーションにも参加したくなってしまうのだろうか。
 教室に戻ると、まだ昼休みの教室は騒がしくて。それでいて、眩しかった。
 病気を発症する前は一人でお弁当を食べることは怖かったはずなのに、今は病気だとバレることの方が怖かった。それに「自分は病気だから友達がいなくても仕方ない」と心のどこかで思っているのかもしれない。
 友達を作れない事実を病気という言い訳で、自分を安心させていた。そんな自分がひどく滑稽(こっけい)で、お弁当を食べる箸がいつもより重く感じた。

 五限目が始めると先生がすぐに小さな箱を持って教室に入ってくる。五限目の班決めはくじ引きだった。女子と男子に別れてくじを引いて、女子二人男子二人で四人グループを作っていく。
 女子で私と同じグループになったのは、美坂(みさか)さんという可愛らしいロングヘアが似合う女の子だった。美坂さんは私の隣に座ると笑顔で挨拶をしてくれる。

「川崎さん、よろしくね」
「うん……よろしく」

 ごめんなさい、美坂さん。オリエンテーションが終わったら、ちゃんと近づかないから。迷惑をかけないから。
 どうかこのオリエンテーションでも、美坂さんに迷惑をかけませんように。初めて話した私に本当に仲良くしたいと思っているのが伝わる笑顔を美坂さんは向けてくれた。きっと優しい人だ。
 その後、男子のペアが私たちと合流する。

「あ、川崎さん同じグループだ!」
「菅谷くん……」

 菅谷くんと同じグループであることを知って、緊張か何なのか分からなかったが喉がギュゥっとしたのが分かった。
 そして同じグループになったもう一人の男子は、草野くんという男子だった。

「よろしくね、川崎さんに美坂さん。草野 幸助(くさの こうすけ)です!」
「川崎 奈々花です」
「美坂 さくらです」

 順番に自己紹介していく中でも、菅谷くんはやっぱり明るくて。

「菅谷 柊真です。草野とは中学が一緒で、あ、こいつ数学が苦手なんだけど……」
「おい!誰もそこまで聞いてない!」
「あはは、わりぃ」
「絶対思ってないだろ!」
「だって、草野の苦手科目バレただけじゃん」
「俺が恥ずかしいから!」

 草野くんが菅谷くんをポカッと殴っている。

「じゃあ、これから班で当日の日程確認とリーダー決めをして、終わった班から自習をすることー」

 先生の言葉を聞いて、教室が一気に騒がしくなる。

「誰かリーダーしたい人いる?いないならじゃんけんで決める?」

 美坂さんがそう聞くと、草野くんが菅谷くんを指差した。

「菅谷は?リーダーにピッタリじゃん。もちろん菅谷が嫌なら全然無理しなくていいけど」

 班のメンバーの視線が菅谷くんに集まる。菅谷くんは嫌な顔一つせずに茶化すように笑った。

「俺でいいの?まぁリーダーって言っても名前だけだろうし、全然いいよ」
「じゃあ、菅谷で決定だな」

 その菅谷くんの笑い方が入学式の時の笑い方とは違うはずなのに、どこか無理しているように感じて私はつい声を出してしまった。

「あ……」
「川崎さん、どうかした?」
「いや、えっと……」

 言葉に詰まったまま菅谷くんに視線を向けると、菅谷くんは不思議そうに私の顔を見ている。

「ごめん、なんでもない。当日の日程確認しよっか」

 きっと今の私の笑い方は、菅谷くんが誤魔化す時と同じ笑い方だったと思う。
 それからすぐに日程確認が終わって、それぞれの机に戻って自習を始める。私は数学の教科書とノートを開いているのに、教科書の文字を追うフリをして先ほどの自分の行動を振り返った。

 一体、私は何がしたいんだろう。

 菅谷くんを助けることが出来るとおこがましくも思っているのだろうか。弱くて、寂しがり屋で、何も出来ないくせをして。
 そうやって弱った心には、すぐに症状が顔を出した。私は別の教科書を探すふりをして、スクールバッグの中のぬいぐるみと手を繋ぐ。
 ああ、本当に私って哀れで馬鹿みたいだ。
 ギュゥっと強くぬいぐるみの手を握ると、ぬいぐるみの手は小さく丸まる。

「大丈夫。寂しくないよ」

 何が大丈夫なのかも分からないまま、私は今日もそう小さく呟いて症状がおさまるのを静かに待った。
 家に帰った後、私は夕食の準備をしているお母さんに話しかけた。

「お母さん、オリエンテーションに参加しようと思う」

 私の言葉に夕飯の具材を切っていたお母さんは手を止めて顔を上げた。お母さんの顔に不安が(にじ)んだのが分かった。お母さんはそれを誤魔化すかのようにもう一度具材を切り始めた。

「そう。大丈夫なの?」
「分からない……けど、参加してみたい。先生たちにも迷惑をかけたくないから、ちゃんと一人でどうにかする」
「そんなこと……!」

 気づいたらお母さんは手を止めて、顔を上げていた。

「今まで酷い時は一人で耐えられなかったじゃない」
「うん」

 お母さんはそう言ってしまった後に、少しだけ「しまった」という表情をした。

「……奈々花が頑張るって言うならお母さんも応援する。でも、もし何かあったらすぐに先生に言って。そしたらお母さんが迎えにいくから」
「うん、ありがとう」

 お母さんは昔から心配性だったわけじゃない。私が病気で何度も泣いているのを見ているうちに少しだけ変わってしまった。
 お母さんを心配性にしたのも、お母さんを心配させているのも、自分のせいだと思うとただただ申し訳なくて。
 少しだけ見栄を張った言葉を吐いてしまう。

「お母さん、ちゃんと『楽しかった』って言えるように頑張ってくる」

 それでも、その言葉にお母さんは心底嬉しそうに笑ってくれるのだ。
 その日はまだオリエンテーションの前日ではなかったのに、まるで遠足の前の日みたいにどこかソワソワしてあまり眠れなかった。

 オリエンテーションまでの二週間は早く感じるようでどこか遅くて、心がソワソワとしたまま毎日が過ぎていく。
 オリエンテーションの前日には、クラスはオリエンテーションの話題ばかりが飛び交っていた。

「明日のオリエンテーション、何のお菓子持ってく!?」
「お前、子供すぎだろ!」

 男子生徒は大きな声で嬉しそうに話している生徒と特に興味なさそうな生徒で分かれていた。そして、女子生徒は友達の机に数人ずつ集まって、それぞれ話している。

「オリエンテーションってゴミ拾いあるんでしょ?めっちゃ嫌ー」
「でも、ゴミ拾い海辺らしいよ」
「マジ!?海入れるってこと!?」
「流石にそれはないでしょ。まだ四月の半ばだよ?冷たくて死ぬって」

 私は会話に参加していないのにクラスに飛び交う声を聞くだけで、もう目の前までオリエンテーションが迫っていることを実感する。そんなクラスの光景を眺めていると後ろから声をかけられていることに気づかなかった。

「……きさん……川崎さん?」

 トントンと肩を叩かれながら名前を呼ばれて、私は慌てて振り返った。斜め後ろに美坂さんが立っている。

「ごめん、驚かせちゃったかな?川崎さんにオリエンテーションのことで聞きたいことがあって……海だからちょっと濡れても良い服って持っていく?」
「海に入る様っていうか……着替えは汚れることもあるだろうから、多めに持っていくつもり……」

 クラスメイトと話し慣れていない私は、ハキハキと話せなくて小さな声で返事をした。美坂さんはそんな私の小さな声を気にもせずに頷いてくれる。

「やっぱり持ち物には書いてないけど、要りそうだよね。教えてくれてありがと!」

 美坂さんは自分の席に戻ろうとして何かを思い出したようにこちらを振り返った。

「あ!川崎さん!甘いもの食べれる?特にクッキー!」
「……食べれる……」
「良かった!とってもおすすめのクッキーがあって、明日持ってくね!」

 美坂さんはそう言って、今度はもう振り返らずに席に戻っていく。きっと本当に美坂さんは優しい人で。私はそんな優しい人にも上手く言葉を返せない。
 それなのに、先ほどまでクラスがオリエンテーションの話題で盛り上がっているのを聞いているだけだった自分が、オリエンテーションの会話に参加できていることを喜んでしまう。そして、慌てて自分の病気は周りの人を不幸にすることを思い出し、喜びに蓋をするのだ。
 ドクドクと速なる心臓が緊張しているのか不安なのかは分からないまま、もう明日はすぐ目の前まで迫っていた。