目を何度となく閉じるが一向に眠りに落ちれない私は、来客用敷布団の上で何度も何度も寝返りを打つ。
 慣れない布団、慣れない天井。
 だけど眠れない理由は、それだけではない。

 あれから健ちゃんと夕食を作って、顔を見合わせて食べて、一緒に片付けをした。
 あんな数時間の関わりで、私の乾いていた心を潤わせて発芽させ、あっと言う間に新たな恋の花を咲かせてしまう。
 健ちゃんは温かい。
 ……無意味に重ねた肌の温もりよりも、ずっと。


 あれから奈緒子とはどうなったのだろう?
 今日の話にも出てこなかったな。一度も。
 六年も会っていないのだから、会話の一つになってもいいのに……。
 あれ? もしかして?

 気付けば私は、健ちゃんの部屋をノックしていた。
 十年経っても、都合よく解釈する癖は治っていないようだ。
 すると聞こえる、部屋の中よりバタバタとした音。
 しばらくしドアを開けた健ちゃんは、不自然なほど汗をかいていた。
「ごめんね。急に……」
「いや。……寝れないの?」
 私の顔を見た健ちゃんは、少し考え込む表情を見せたかと思えば「久しぶりに話をしようか」と変わらない笑顔を向けてくれる。
「うん」

 そのまま電気を消し、リビングがある一階に降りて行こうとするけど、私は彼の鍛えられた腕をスッと掴み「健ちゃんの部屋がいいな」と呟いていた。
 今までしたこともない大胆過ぎる行動に思わず手を引っ込めると、「昔みたいに部屋に来る」と眉一つ動かさず返してくる健ちゃん。

 通された部屋には、学生服、通学鞄、教科書は当然なくなっていて。勉強机にあるのは看護師としての教材の数々に、キャリアアップの為に受験すると思われる参考書ばかりだった。

 この部屋に遊びに来ていたのは、高校一年生の夏まで。
 あれからの月日の流れを、この部屋が教えてくれたような気がした。

 健ちゃんが持ってきてくれたのは、アルコール。
 夕食後の片付けで、お酒が好きだと話していたことを思い出す。
 そっか。私達は大人。
 ここでも時の流れを感じ、ギュッと胸が締め付けられる。

「乾杯」
 一缶を二つのグラスで分けて、それを軽く当てる。
 先程の会話でお酒は好きだが一缶も飲めないと話していて、二人で分けることにした。
「ビールとか飲まないの?」
「苦いし、酔いやすいからさ……」
 そう言った健ちゃんの頬は既に赤く、本当に酔いやすい体質なのだと見て取れる。
 そうは言っても、私の体も一気に熱くなり心地良いフワフワ感に満たされていく。
 だから、飲めないくせに好きだったりする。

 やっぱり似ている私達。
 気が弱くて、臆病で、緊張のし過ぎでお腹が痛くなったりとか、うっかり者ですぐに失敗してオロオロしてしまう性格とか。
 本当の兄妹のように様々な体質まで同じで、コーヒーにミルク砂糖をたっぷり入れるぐらいの甘党で、酸っぱいものは苦手で食べれない。
 ここまで何もかも同じ人には会ったことなくて、だからこそ一緒に居て心地良い人だった。

「……彼氏とか居ないの?」
 酔っているのか、久しぶりに恋愛の話をぶつけてきた。

「え、あ。私なんかに、そんな人いるわけないかな?」
 彼氏の定義が分からないけど、そこに好きの気持ちが必須なら、「居ない」の返答が正しいだろう。
 だって私は、いつも都合の良い女止まりなのだから。
 好きだと言われたらその気もないのに付き合って、体を重ねて、後に自分は浮気相手だったと知っても、怒りも悲しみも痛みも、何も感じない。
 だって、私は相手を好きじゃないのだから。
 誰と付き合っても、何度逢瀬を重ねても、満たされるものはなく、ただ心は乾いて凍りついていくだけ。
 そんな環境で、誰かに対して恋の花を咲かせられるはずはない。

 好きなのは健ちゃんだけ。花を、また咲かせられる相手はあなただけ。
 酔いに任せて全てをぶつけたい感情を、僅かに残っている理性が必死に押し込んでいた。
 まずは、確かめないと。

「あ、あのさ……」
「……あ! 水持ってくるの忘れてた。取ってくるね」
 ほろ酔い状態の健ちゃんには私の声は届かず、一人立ち上がると、フラフラとし机にぶつかる。
「大丈夫?」
「え? 何が?」
 そう言い右に左にと千鳥足を見せながら、なんとか階段を降りて行ったので、安堵しつつ部屋に戻ってくる。
 すると目に飛び込んできたのは、部屋に入った頃より気になっていた、締まり切っていない勉強机の引き出し。
 私がノックしたから、咄嗟に何かを隠した?
 実は、ずっと気になっていた。

 平時の私なら絶対に開けない。
 いくら仲が良くても、そこだけは越えてはならない境界線だと。
 だけど頭の中がホワホワとしていていた私は、理性より好奇心が上回っていた。
 これがパンドラの箱だということを、知る由もなく。