私にとって、健ちゃんは大切なお兄ちゃんだった。
 少し頼りなくて、ナヨナヨしてて、意気地なしだけど。すごく優しくて、私に向けてくれるやわらかな笑顔が大好きで本気で慕っていた。
 血は繋がっていないけど、本当の兄みたいに。

 小中学と一緒で、この先もずっと一緒に居るのだと信じて疑わなかったけど、ある日運命は変わってしまった。

 あれは、また同じ学校だと浮かれていた高校一年生の春。
 小学校からの友達である「奈緒子(なおこ)」と一緒に進学出来て喜んでいた高校生活の始まりに、二人は出会った。
 ……いや、私が引き合わせてしまった。

 部活が終わり奈緒子とポテトを食べようとファーストフード店に行ったら、一人食事をする健ちゃんが居て軽く声をかけた。
 今日は親が仕事で居なくて、夕飯だと話すその笑顔は、いつもと違い強張っていた。
 そんな姿に、私は初めて大好きなポテトを食べずに健ちゃんをチラチラと見ていたら。奈緒子が「側に居てあげなよ」と言って、先に帰ったのがキッカケだった。
 その後、健ちゃんは毎日一年生の教室に来ては私達に話しかけてくるようになった。

 そんな姿を見た奈緒子は、「美香に会いに来ているんじゃない?」と言って、健ちゃんへの気持ちを聞いてきた。
 その時は好きとかなくて、「お兄ちゃんはお兄ちゃん」と流していた。

 そこからが悲劇の始まり。
 未熟な高校一年生は、自分目当てだと勘違いしてしい、すると突然意識してしまう。
 あれ? 好きかもって。

 単純過ぎる乙女心に翻弄された私は、「お兄ちゃん」を「健ちゃん」と呼び。昔みたいに手や腕を掴んで甘えるようにした。
 するとやんわりと断られ、違和感を持ちつつも照れ隠しだと勝手に思い込んでいた。
 ……今思うと、痛過ぎる。

 そんな高校一年生の夏。
 健ちゃんに話があると呼び出された私は、その現実を突き付けられる。
 優しく気遣ってくれた奈緒子のことが忘れられないって。
 何それ? あの時、側に居た私じゃなくて、そっち?
 本当、恋は理屈ではないとは、よく言ったものだ。

 そして、あの時。
 私は最低なことに、奈緒子には好きな人が居ると口にしてしまった。
 そんな事実はないって、知っていたのにね。
 そう告げたら、意気地なしの健ちゃんは奈緒子を諦めるだろうと作為的だった。
 控えめに言って、私は最低な人間だろう。
 信頼して相談してきてくれた大切な人を、神妙な表情で欺き通したのだから。

 十六歳の夏に散った、恋の花。
 そこまで狡猾な行いしておきながら、身勝手な良心の呵責に苛まれた私は、健ちゃんを諦めた。

 どうせすぐに好きな人が出来て、「健ちゃん」を「お兄ちゃん」の存在に戻せる。そう自身に言い聞かせるようにした。
 人の恋路を邪魔して、何を言っているのか?
 その罪悪感から逃げたい私は、健ちゃんと距離を取るようになった。
 その間に何が起きていたか、知る由もなく。

 やはり神様は見ているのか、私は地獄を見ることになった。
 大好きな人と、親友が付き合うという生き地獄。
 高校一年生が終わる春の始まり、奈緒子によって伝えられた。

 健ちゃんは、奈緒子に好きな人が居ると思った上で告白したみたい。
 しかも、初めは断られていたって。
 理由は分かる。彼女はサッパリとした性格で、おっとりしているタイプは親友としては最高だけど、彼氏としては嫌だと、恋バナの時に公言していた。
 だから健ちゃんなんて論外だろう。
 なのに、どうして?

 そんな考えが頭の中で駆け巡っていると、健ちゃんに何度も告白され、一日だけデートして欲しいと頼まれたらしい。
 その強引さに意外な一面を見て了承したら、彼の優しさの魅力に気付き、付き合いを決めたと早口で茶化しながら経緯を話してくれた。
 あの消極的な健ちゃんが? そこまで?

 あ、これは完全に敵わない。
 健ちゃんは、奈緒子に惚れ込んでいる。
 そう悟った私は、二人が成就しないように手引きしていた自分を恥じ、そっと気持ちを封じた。
 何も感じないフリ、傷付いていないフリ。
 それが今私に出来る精一杯の償い。そう思うことで、自分の精神を守ってきた。

 幸い健ちゃんも奈緒子も、付き合いのことは私に惚気たりしなかったから、本当に付き合っているのか疑問を持つぐらいだった。
 だからこそ私は、二人と今まで通り関われていれたのだろう。

 だけど高校三年生の夏。たまたま近所で奈緒子を見かけた。
 普段はラフなTシャツとジーパンなのに、その日に限って水色の爽やかなワンピースにヒールの靴。髪をアップにして、メイクして、ただでさえ整った顔立ちをしているのにいつも以上に美しく大人っぽかった。
 そんな奈緒子が向かっている先なんて、分かり切っている。
 その瞬間に、今まで張り詰めていたものが切れてしまって、私は泣き崩れてしまった。
 この姿を見て、頬を赤らめる健ちゃんの姿が容易に想像出来てしまったから。
 絶対私には見せてくれないであろう、その表情を。

 その涙が枯れる頃、私はこの町を出ると決めた。
 高校三年生、私はどこにでも飛び立つことが出来る。
 そして、初恋なんて新たな恋が掻き消してくれる。
 そんな思いで。