「このままじゃ埒が明かない。ここは俺がやる」
「でも、蓬さんの力は……」
「火を熾すくらい、大したことはない」
蓬はいつものように唇に指を当てて真言らしきものを唱えると、そのまま指を火に向ける。やはり力が無いからか、いつもより弱々しい火種ではあったものの、すかさず切り火たちが熾したことで、これまでと同じ大きさになったのだった。莉亜は米揚げざるの米を窯に戻して、水道を捻って水を入れると竈に持って行く。竈での米の炊き方は分からなかったが、そこは普段から米炊きを手伝っている切り火たちに任せることにした。
キッチンに戻って来た莉亜は鍋に入れた水をコンロの火にかけると、今度は汁物の用意に取り掛かり出す。持参したクーラーバッグから取り出した大きな水筒をいくつかと食材を取り出して流し台に並べる。水筒の中身を全て鍋に開けて沸騰するのを待つ間に、大きめの皿にあらかじめ自宅で捏ねてきた小麦粉の生地を載せると室温で寝かせることにしたのだった。
「すいとんを作っているのか?」
「はい。これでも家で練習してきたんですよ。おにぎりだけじゃなくて、汁物だって」
「汁物の出汁はあまり見たことがない色をしているな。見たところ、沸騰してきているようだが」
「あっ! 本当ですね。米も炊けてきましたので、そろそろ仕上げます」
カウンター席に座る蓬が興味深そうな視線を向けてくるので、ところどころ集中が途切れそうになるものの、窯の蓋から蒸気と共に漏れる炊き立ての米の甘い匂いと抽出してきた香ばしい出汁の匂いが、それぞれ莉亜の意識を引き戻してくれる。
汁物に使っている莉亜の秘策ともいうべき出汁については、一晩かけて自宅の冷蔵庫で寝かせて仕上げてきたので、後は弱火にして先程の小麦粉の生地をちぎり入れるだけであった。最後に購入してきたある食材を加えて、ちぎった小麦粉の生地に火が通ったら完成であった。
問題はセイの味を再現した塩おにぎりの味付けであった。切り火たちに蒸らし終わったことを教えてもらうと、蓬がおにぎりを作る時と同じように釜を運んでおひつに移し替えようとする。しかし思っていたより釜が熱くなっていたことや炊き上がった米で釜が重くなっていたからか、一度釜に触れたものの、すぐに手を引っ込めてしまう。そのまま危うく取り落としそうになったのだった。
「あつっ!」
「貸してみろ」
半分呆れたような顔で蓬は席を立ちあがると、袖を捲りながら近づいてくる。
「熱々なので火傷しますよ」
「……痛覚もほとんど失っているから問題ない」
そうして蓬は軽々と釜を持ち上げてくれると、足元にいる切り火たちを器用に避けながら炊事場まで運んでくれる。莉亜も釜を持つ蓬の後ろをついて歩くが、蓬は慣れた手つきでおひつに米を移し替えるところまでやってくれたのだった。
「ありがとうございます」
「ここまでは俺でもセイのおむすびを再現できた。問題はここからだ。お前がどうするのか見させてもらうぞ」
「挑戦ですね。受けて立ちます!」
期待をしているのか小さく笑みを浮かべた蓬に莉亜も冗談を返すと、リュックサックから塩が入った袋を二袋取り出す。戸棚から出した小皿にそれぞれどの塩か分かるように盛り付けておにぎり作りの用意を整えると、莉亜が触れられる温度になるまでおひつを混ぜて熱が冷めるのを待つ。その間に室温で寝かせていた小麦粉の生地を一口サイズにちぎると出汁の中に入れていく、そうして弱火にして火が通るのを待ちながら、莉亜は購入してきたとある白い固形物を溶かし入れたのだった。
「さっき鍋に入れたその白い固形物は、もしかすると酒粕か?」
「良く分かりましたね。嗅覚が戻ったんですか?」
「いや。切り火たちの様子を見ていて、もしやと思っただけだ」
蓬が指摘する通り、流し台に置いていた白い固形物状に固まった酒粕の袋の周りに切り火たちが集まっていた。顔はないものの、視線を逸らすことなく皆一心に熱い視線を酒粕の袋に向けている姿から、どことなく切り火たちが酒粕を物欲しそうに見ているように思えてしまう。
「切り火ちゃんたちは酒粕が気になるのでしょうか?」
「神というのは酒が好きだ。それは神に連なる切り火たちも同じ。一般的な液体状の酒だと、万が一顔や身体に掛かった時に命がかかってしまうから舐めるように飲むしかないが、その点、固形状の酒粕なら身体に掛からないことを気にしなくていい。俺は分からないが、鍋の周りに充満している酒の臭いに惹かれているのだろう」
「なるほど……。それなら今日の切り火ちゃんたちのお駄賃に酒粕を渡してみますね」
莉亜は酒粕の袋を開けると、適当に空いていた皿に盛りつけて切り火たちに差し出す。「今日のお礼だよ」と言えば、切り火たちは我先にと酒粕の皿に群がったのだった。
(それにしても、切り火ちゃんたちはお酒の臭いが平気なんだ。私はさっきから酔いそう……)
嗅覚が利かない蓬には分からないだろうが、先程からずっとすいとんを温める鍋の周りには、濃厚な出汁と小麦粉特有の粉くさい臭い、そして酒粕から漂う酒の臭いが充満していた。出汁と小麦粉の強い香りで鼻が曲がりそうになるのを我慢しているところに、慣れない酒の臭いも混ざっているので下手をすれば酔ってしまいそうだった。
莉亜の家族は下戸ばかりで両親は滅多に酒を飲まない。臭いだけで酩酊しそうになる莉亜もきっと下戸なのだろう。今はまだ未成年だからいいが、酒が飲める年齢になった時、歓迎会やパーティーの席での酒には気をつけた方がいいかもしれない。
そんなことを考えている内に、ようやくおひつの中の米が火傷しない温度になったので、先程小皿に移した塩の内、全体的に粒が大きく荒い塩の皿を手に取る。取り間違えていないか念には念を入れて、軽く指につけて舐めると、ざらりとした塩の食感と塩が持つ塩辛さと海水塩特有の苦みが口の中に広がったのだった。
(この味、間違いない。こっちの塩で大丈夫……)
ここで間違えてしまったら、元も子もないのでそっと安堵する。そして莉亜は味見した塩をおひつの中に回し入れたのだった。
(もう少し、塩が多かったかも……。少しずつ入れ過ぎないように、気を付けないと……)
かつて一度だけ食べたセイのおにぎりの味を思い出しながら、莉亜は慎重に塩を足していく。失敗しても良いように炊き立ての米を何皿かに取り分けると、塩を少し足して味見をする。やはり自宅と店では同じ米でも炊き方や使用している釜が違うからか、米そのものの甘みから違ってしまう。どうしても炊飯器で炊いた米よりも釜の中の水分を吸収する分、竈で炊いた米の方が甘みを増す。でもこの甘みこそが、あの日ここで食べたセイのおにぎりと同じ炊き方だという証拠にもなる。
(これぐらいでいいかな……。最後の仕上げを考えると、ここはあまり入れ過ぎない方がいいよね……)
結局、塩を入れ過ぎて何皿か失敗してしまった。塩加減を調整して味見ばかりしていた莉亜の腹もそろそろ限界に近い。
(うん。これくらいにしよう)
塩が乗った皿を持っていた手を降ろすと、三角形のおにぎりを握り始める。自宅で練習している時に気付いたが、山の形をした綺麗な三角形に握るというのも簡単に見えて案外コツが必要であった。米の量が多すぎるとどうしても見た目が不格好になってしまい、もし具材を入れて、海苔を巻くとするならば、食べる時に具材や米が海苔から落ちないように全体のバランスも考えなければならない。ただ握って、具材を入れて、海苔を巻けばいいわけではないことを莉亜は知ったのだった。その上で、手際よく均等に形の整ったおにぎりを作れる蓬の器用さと仕事の速さをつくづく考えさせられたのだった。
いつも店で盛り付けに使っている桜模様の角皿を取り出すと、莉亜は握りたての塩おにぎりを並べる。その頃にはすいとんも完成したので、黒塗りの椀によそうと、黒天朱の盆に塩おにぎりの皿とすいとんの椀を載せた。
そして最後の仕上げとして、持ち込んだ塩の内、粒が細かく砂のようにさらりとした塩を指でひとつまみすると、おにぎりに振りかけたのであった。
「でも、蓬さんの力は……」
「火を熾すくらい、大したことはない」
蓬はいつものように唇に指を当てて真言らしきものを唱えると、そのまま指を火に向ける。やはり力が無いからか、いつもより弱々しい火種ではあったものの、すかさず切り火たちが熾したことで、これまでと同じ大きさになったのだった。莉亜は米揚げざるの米を窯に戻して、水道を捻って水を入れると竈に持って行く。竈での米の炊き方は分からなかったが、そこは普段から米炊きを手伝っている切り火たちに任せることにした。
キッチンに戻って来た莉亜は鍋に入れた水をコンロの火にかけると、今度は汁物の用意に取り掛かり出す。持参したクーラーバッグから取り出した大きな水筒をいくつかと食材を取り出して流し台に並べる。水筒の中身を全て鍋に開けて沸騰するのを待つ間に、大きめの皿にあらかじめ自宅で捏ねてきた小麦粉の生地を載せると室温で寝かせることにしたのだった。
「すいとんを作っているのか?」
「はい。これでも家で練習してきたんですよ。おにぎりだけじゃなくて、汁物だって」
「汁物の出汁はあまり見たことがない色をしているな。見たところ、沸騰してきているようだが」
「あっ! 本当ですね。米も炊けてきましたので、そろそろ仕上げます」
カウンター席に座る蓬が興味深そうな視線を向けてくるので、ところどころ集中が途切れそうになるものの、窯の蓋から蒸気と共に漏れる炊き立ての米の甘い匂いと抽出してきた香ばしい出汁の匂いが、それぞれ莉亜の意識を引き戻してくれる。
汁物に使っている莉亜の秘策ともいうべき出汁については、一晩かけて自宅の冷蔵庫で寝かせて仕上げてきたので、後は弱火にして先程の小麦粉の生地をちぎり入れるだけであった。最後に購入してきたある食材を加えて、ちぎった小麦粉の生地に火が通ったら完成であった。
問題はセイの味を再現した塩おにぎりの味付けであった。切り火たちに蒸らし終わったことを教えてもらうと、蓬がおにぎりを作る時と同じように釜を運んでおひつに移し替えようとする。しかし思っていたより釜が熱くなっていたことや炊き上がった米で釜が重くなっていたからか、一度釜に触れたものの、すぐに手を引っ込めてしまう。そのまま危うく取り落としそうになったのだった。
「あつっ!」
「貸してみろ」
半分呆れたような顔で蓬は席を立ちあがると、袖を捲りながら近づいてくる。
「熱々なので火傷しますよ」
「……痛覚もほとんど失っているから問題ない」
そうして蓬は軽々と釜を持ち上げてくれると、足元にいる切り火たちを器用に避けながら炊事場まで運んでくれる。莉亜も釜を持つ蓬の後ろをついて歩くが、蓬は慣れた手つきでおひつに米を移し替えるところまでやってくれたのだった。
「ありがとうございます」
「ここまでは俺でもセイのおむすびを再現できた。問題はここからだ。お前がどうするのか見させてもらうぞ」
「挑戦ですね。受けて立ちます!」
期待をしているのか小さく笑みを浮かべた蓬に莉亜も冗談を返すと、リュックサックから塩が入った袋を二袋取り出す。戸棚から出した小皿にそれぞれどの塩か分かるように盛り付けておにぎり作りの用意を整えると、莉亜が触れられる温度になるまでおひつを混ぜて熱が冷めるのを待つ。その間に室温で寝かせていた小麦粉の生地を一口サイズにちぎると出汁の中に入れていく、そうして弱火にして火が通るのを待ちながら、莉亜は購入してきたとある白い固形物を溶かし入れたのだった。
「さっき鍋に入れたその白い固形物は、もしかすると酒粕か?」
「良く分かりましたね。嗅覚が戻ったんですか?」
「いや。切り火たちの様子を見ていて、もしやと思っただけだ」
蓬が指摘する通り、流し台に置いていた白い固形物状に固まった酒粕の袋の周りに切り火たちが集まっていた。顔はないものの、視線を逸らすことなく皆一心に熱い視線を酒粕の袋に向けている姿から、どことなく切り火たちが酒粕を物欲しそうに見ているように思えてしまう。
「切り火ちゃんたちは酒粕が気になるのでしょうか?」
「神というのは酒が好きだ。それは神に連なる切り火たちも同じ。一般的な液体状の酒だと、万が一顔や身体に掛かった時に命がかかってしまうから舐めるように飲むしかないが、その点、固形状の酒粕なら身体に掛からないことを気にしなくていい。俺は分からないが、鍋の周りに充満している酒の臭いに惹かれているのだろう」
「なるほど……。それなら今日の切り火ちゃんたちのお駄賃に酒粕を渡してみますね」
莉亜は酒粕の袋を開けると、適当に空いていた皿に盛りつけて切り火たちに差し出す。「今日のお礼だよ」と言えば、切り火たちは我先にと酒粕の皿に群がったのだった。
(それにしても、切り火ちゃんたちはお酒の臭いが平気なんだ。私はさっきから酔いそう……)
嗅覚が利かない蓬には分からないだろうが、先程からずっとすいとんを温める鍋の周りには、濃厚な出汁と小麦粉特有の粉くさい臭い、そして酒粕から漂う酒の臭いが充満していた。出汁と小麦粉の強い香りで鼻が曲がりそうになるのを我慢しているところに、慣れない酒の臭いも混ざっているので下手をすれば酔ってしまいそうだった。
莉亜の家族は下戸ばかりで両親は滅多に酒を飲まない。臭いだけで酩酊しそうになる莉亜もきっと下戸なのだろう。今はまだ未成年だからいいが、酒が飲める年齢になった時、歓迎会やパーティーの席での酒には気をつけた方がいいかもしれない。
そんなことを考えている内に、ようやくおひつの中の米が火傷しない温度になったので、先程小皿に移した塩の内、全体的に粒が大きく荒い塩の皿を手に取る。取り間違えていないか念には念を入れて、軽く指につけて舐めると、ざらりとした塩の食感と塩が持つ塩辛さと海水塩特有の苦みが口の中に広がったのだった。
(この味、間違いない。こっちの塩で大丈夫……)
ここで間違えてしまったら、元も子もないのでそっと安堵する。そして莉亜は味見した塩をおひつの中に回し入れたのだった。
(もう少し、塩が多かったかも……。少しずつ入れ過ぎないように、気を付けないと……)
かつて一度だけ食べたセイのおにぎりの味を思い出しながら、莉亜は慎重に塩を足していく。失敗しても良いように炊き立ての米を何皿かに取り分けると、塩を少し足して味見をする。やはり自宅と店では同じ米でも炊き方や使用している釜が違うからか、米そのものの甘みから違ってしまう。どうしても炊飯器で炊いた米よりも釜の中の水分を吸収する分、竈で炊いた米の方が甘みを増す。でもこの甘みこそが、あの日ここで食べたセイのおにぎりと同じ炊き方だという証拠にもなる。
(これぐらいでいいかな……。最後の仕上げを考えると、ここはあまり入れ過ぎない方がいいよね……)
結局、塩を入れ過ぎて何皿か失敗してしまった。塩加減を調整して味見ばかりしていた莉亜の腹もそろそろ限界に近い。
(うん。これくらいにしよう)
塩が乗った皿を持っていた手を降ろすと、三角形のおにぎりを握り始める。自宅で練習している時に気付いたが、山の形をした綺麗な三角形に握るというのも簡単に見えて案外コツが必要であった。米の量が多すぎるとどうしても見た目が不格好になってしまい、もし具材を入れて、海苔を巻くとするならば、食べる時に具材や米が海苔から落ちないように全体のバランスも考えなければならない。ただ握って、具材を入れて、海苔を巻けばいいわけではないことを莉亜は知ったのだった。その上で、手際よく均等に形の整ったおにぎりを作れる蓬の器用さと仕事の速さをつくづく考えさせられたのだった。
いつも店で盛り付けに使っている桜模様の角皿を取り出すと、莉亜は握りたての塩おにぎりを並べる。その頃にはすいとんも完成したので、黒塗りの椀によそうと、黒天朱の盆に塩おにぎりの皿とすいとんの椀を載せた。
そして最後の仕上げとして、持ち込んだ塩の内、粒が細かく砂のようにさらりとした塩を指でひとつまみすると、おにぎりに振りかけたのであった。